千の天使がバスケットボールする

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「わたくしが旅から学んだこと」兼高かおる著

2010-12-13 22:26:26 | Book
取材で訪問した国は31年間で約150カ国、移動距離にすると地球を約180週、1959年から1990年まで続いたテレビ番組のために一年の半分を海外で取材のために生活してきた。今だったら、映画の『マイレージ、マイライフ』でジョージ・クルーニー演じるライアンより先に航空会社の"コンシェルジェ・キー"をゲットしたかもしれないこのトンデル方は、「兼高かおる世界の旅」でナレーター、ディレクター兼プロデューサーを勤めていた兼高かおるさんご本人の近著である。これほどの長寿番組なのだからおそらく人気も高く良質な番組だったのだろうが、残念なことに私は観た記憶がないのである。兼高かおるさんの事も殆ど知らないのだが、これほど多くの国を訪問した方なのだから、何か特別な見識や意見をお持ちなのではないだろうかと期待して本を開いた。

活字からうかぶ兼高さん像は、「旅の思い出グラフティ」のコーナーに溌剌としたグラビアアイドル以上にかっこいい水着の写真のとおり、バイタリティ溢れて率直な女性。私はこのような旅番組は、あらかじめきちんとプロデュースやコーディネイトされていて、そのお膳立てされたセットに乗って初めて行動するのかと思っていたが、さすがに兼高さんは違った。カメラマンとスタッフのふたりの男を従えて(←連れてではない)、車の助手席に乗ってまるでハンターのように自分で取材対象を発掘し、大物にももの怖じせずにインタビューをする行動派。清潔な欧米だけではなく、発展途上のアフリカ、中東、中南米とそれこそ世界中、しかも一般女性として初めて南極点にたどりつくだけではなく、氷点下30度の北極点も還暦過ぎて制覇。帰国して日本に滞在中は、ナレーションの準備、資料整理、次のリサーチと更に多忙な日々、、、にも関わらず日本全国旅をしている。「世界の旅」時代は、99%をこの番組のために費やしたと告白しているが、その情熱は自身への徹底的なプロフェッショナルな自意識とプライドが感じられて圧倒するものがあるのだが、ついていくカメラマンやスタッフ、周囲の人たちも良くも悪くも彼女を前にして緊張したのではないかと想像される。その厳しさには、明治生まれのお母さまからしつけや教育を受けてきた育ちのよいお嬢様の顔がのぞかれる。

しかし、その反面、兼高さんの提唱するサラリーマンの42歳定年説は理想かもしれないが、その後の40年近い生活費はいったいどのように確保したらよいのだろうか。また、そろそろこどもの教育費にお金がかかる年代で会社をやめられないどころか何とかリストラされないようにしがみついて、ママも家のローンやこども教育費捻出のために働かざるをえない事情をご存知ないのだろう。昨今、話題にもなっている”ワーキングプア”という人種が、日本という地域に増殖中の現象をどのようにお考えなのか、と感じる部分もある。兼高さんのお友達の財界人にもお尋ねしていただきたい「日本の旅」でもある。

これだけ自宅を離れて旅をしてきた結果なのか、これだけの旅をできたのも、兼高さんが恋人ができても結婚には至らずにお嫁にいくことがないまま独身だったこともある。究極の幸福は信じる人に愛されることと悟られた兼高さんだが、おひとりさまの先駆者であり達人でもある。ひとりで行動することが苦手な女性も多い中、経済的にも精神的にも自立している姿は堂々としている。振り返れば、結婚できるときにはあまり考えずに飛び込み、産めるときには産んでおけという教訓をあげながらも、兼高さんのだんなさまは夢中になった「世界の旅」だったそうだ。番組が終了して20年。言わば、未亡人となってしまったわけだが、まだまだわたくしの旅は続いているとのこと。老いても美しく意気軒昂という言葉はこの方のためにある。