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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ストン~ペリシャツ半島の入口を守る街

2017-05-03 15:25:10 | クロアチア

スプリト近く、メリディアン・ラヴ・ホテル。昨夜は暗くなってからの到着だったから、朝になってはじめてどんな美しい海岸に泊まっていたのか気付く↓部屋の窓からの眺め↓

朝食もすばらしいゆっくり楽しみたいのだが、少々早い出発。

沖合には良質な大理石が取れるので有名なブラッチ島が見える↓アメリカのホワイトハウスの大理石もここからのものだという↓

山側を見るとせせり立つ石灰岩の崖↓

マカルシュカ海岸で少し休憩 美しい海岸線が続く

ボスニアから流れてくるネレトヴァ川の河口↓

このあたりは柑橘類をはじめ果物の産地。道路脇にもたくさん売られている↓

どのシーズンにきても、なにがしかの柑橘類が売られている。オレンジなのか、みかんなのか、よく分からないのだが、とにかくおいしいので、皆さんにちょっとずつ食べていただく。すると、、、参加者のお一人が「マーコットだと思いますよ」と、おっしゃる。調べてみて、確かに特徴が合うと思った。

乾燥いちじくなど、お買い上げの方多いです↓

ネレトヴァ川の河口は、ちょっとした水郷地帯であります↓

***

さぁ、国境。え?国境?

そう、ボスニア領がほんの12キロだけ、海岸部にのびているのだ

  こんなに待たされるとは・・・※これについてはこちらにもう少し書きました

**

予定より二時間も遅れてストンに到着。ストンはペリシャツ半島が大陸とつながる根っこに位置している↓

ストンを抑えれば、敵は侵入してこない。ということで、ストンには「万里の長城に次ぐ」と言われる長い城壁が築かれている。それが見えてきた。おや?真新しい十字架が見える↓

あとから、ストンのガイドさんに説明されて知ったのだが、ここでは1990年代の独立戦争の時にも、侵入しようとするセルビア(旧ユーゴ)軍を阻止するための戦闘があった。そのための慰霊碑だったのである。

オスマントルコやヴェネチアの侵入を防ごうとして築かれた城壁は今でも同じ役割を担っていたのだ。

***

マリ・ストン(小さなストン)で昼食名物は牡蠣。さて、一般的なパッケージツアーで生牡蠣を出すのは苦手な人も多いのでほとんど無理。焼き牡蠣が前菜であった。おいしいけど、小さいのは仕方ない?

メインコースで出されたマグロのグリルはほんとにおいしかった↓

バスに乗って、五分ほどでストンの旧市街へ向かうここは四百年も同じ製法で塩をつくり続けている塩田がある。入口がここ↓

今はシーズンオフで塩はまだない。サンプルの塩が台車に積まれていた。大きな結晶が塩辛い↓

当然買いたくなる。売ってますけど、あまりおしゃれな入れ物でもありません↓甘いアイスクリームの方がお好み?(笑)

ビデオで夏の時期の説明をしてくれる。あ、やっと理解できました(^.^)↓

****町は三十分で一周できる広さ。十数年前の地震で壊れた教会はきれいに修復されていた↓

いよいよ有名な城壁へ登る↓

最初の階段を登ってしまえば、町を俯瞰できるからがんばりましょう↓入江から塩田へ塩水を引く水路が見えるでしょうか↓

歩きたい人はまだまだ城壁が続きます↓

さっき昼食を食べたマリ・ストンまで続くけれど、まだ全部は開通していない様子。

ストンの旧市街を俯瞰して別の出口へでる三十分ほどのコースでも十分だ↓

次は、ドゥブロブニクへ向かいます

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スプリト

2017-05-02 21:08:13 | クロアチア

ローマ皇帝ディオクレティアヌスの引退後の住居がスプリト旧市街になっている。西暦304年に引退して住んだ四角い宮殿の復元図面がこれ↓

海側に面した手前三分の一ほどが、皇帝の住居だった部分。高い位置に回廊があるのがわかる。現在の海辺のプロムナードにもそのままの壁が見られるのがすごい↓

そして地下には巨大な柱に支えられた広大な貯蔵スペースがあった。これは、今でも基本構造はそのままに見られる↓おそるべしローマの建築↓

自らをユピテル神(英語でジュピター)の息子と称し(神の化身という話もある)、その為に建設した神殿が、いまでもほとんどそのままに残っている。特にこの天井部分は、ほぼ、そのまま↓

後ろからの姿も、シンプルで古代そのままを感じさせる↓

後には、当然キリスト教化され、洗礼者ヨハネに捧げる聖堂だ。洗礼盤にはクロアチアの王が戴冠している図とされるロマネスクな彫刻がある↓

ディオクレティアヌス自身の墓も、彼が迫害したキリスト教聖人の墓のある教会だ。↓1990年代前半の独立戦争で爆撃され、旧市街の真ん中にぽっかり出来た空き地から、教会の塔がよく見える↓

**皇帝の住居入口前にはこんな面白い空間が↓

ヴェスタブロと言われる応接スペース。かつては屋根があり、そこに神々の姿が描かれていたのだそうだが、天井が落ちて、よりおもしろい空間になったように見える。ここではダルマチア地方伝統の男声合唱団がよく歌声を披露して、自らのCDを販売している↑

***海側からまっすぐに旧市街を突き抜けたところに、グレゴール・ニンスキーの巨大なブロンズ像がたっている↓この像、よく見ると三分の一ずつに分割された跡がみえる。愛国的なこの像は、位置をかえられたり、分割して地中に隠されたりと、数奇な運命をたどってきた↓

と、ここまで書いて、昨年もまったく同じような内容を書いていたなぁと(笑)いまごろ思い出しました。⇒こちらから昨年のブログ、ごらんください。

***旧市街の路地↓

***夕食は、少し離れた見晴らしの良いレストラン。ここも去年と同じ、同じように良いお天気↓

    

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クロアチアの内陸から海岸線へ

2017-05-02 13:03:30 | クロアチア

プリトヴィッチ国立公園は、ボスニアとの国境からすぐに近い。1990年代前半のユーゴ内戦中には長く占領され、多くの戦闘があった。現在も廃墟になったままの教会がいくつも見られる↓

山を越えればすぐにボスニア領。現在も陸軍基地がすぐ近くに置かれている。

今日は山脈の下でトンネルを抜ける。その山にはまだ雪が見られる↓

五キロほどの長さのトンネル↓

抜けると、いっきに地中海の陽光が降り注ぎ、しばらくすると高速道路は、アドリア海から内陸に食い込んだ蒼い入り江を渡った↓

1202年に第四回十字軍を使ったヴェネチアに占領されたザダル(イタリア語では「ザーラ」も近い↓

休憩はクルカ国立公園下流に位置するサービスエリアにて。クルカ国立公園は、クロアチア政府観光客によると「もっとも美しい国立公園」だそうな。一度訪れて見たい↓

アドリア海に至る。15世紀前半に、ここもヴェネチアによって支配されるようになったトロギールへ到着↓

短い橋をわたった小さな島が旧市街。城門がある↓

城壁だった場所にあるレストランにて サバがおいしい!↓

昼食後、徒歩で旧市街を見学。いちばんの見どころは、やはり大聖堂↓この広場にはかつてさらに二つのロマネスクの教会があったのだが・・・ 今はその姿は表からは見えなくなっている

※こちらにその話をかきました

小松としてはそのロマネスクの門は13世紀はじめにラドヴァンという石工が手がけたが未完のうちに死去。※このあたりのお話し、こちらに書きました

となりの屋根のあるポーチで、ダルマチア海岸でよくみられる男声合唱隊が歌声を披露していた↓

旧市街の路地にある、トロギールの英雄の家は、少しきれいに修復されていた↓

次はスプリトへ向かいます。

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プリトヴィッチェを別ルートで歩く

2017-05-01 10:01:25 | クロアチア

ザグレブを出発し、11時半にプリトヴィッチェ国立公園内のレストランで昼食。その後、宿泊するホテルから川沿いへ歩いて降りた。

その後、いつもはあるかないコジャック湖畔を歩いて、大滝方向へ歩くことにした。このルートならば、ずっと平坦だし不安定な木道もすくないから。ガイドさんは途中途中でいろんな花や こんな動物のはなしもしてくださった。見えますか?↓

ステーション3が近づいたところで、そこで待つ人と、さらに大滝まで行く人とに分かれた。ここからは木道の階段がつづくから↓

大滝が見えてきた↓

この滝の横をのぼって、上にあがるルートがあるのだと、今回ご参加の方にはじめて教えてもらった。ネットを丹念にしらべて、「ここへのぼった眺望を是非みたい」との思いがあったのだそうで、その後を自由行動にしたいとおっしゃる。今日宿泊のイエゼロホテルもさっき見ていただいているのでOKですね(^^)

ステーション3にて、待っている方々と合流し、ステーション2への船にのる↓ぎっしり満員で、ボートを三本待った。

***「上の湖」へ行く方を、ガイドさんと共におくりだし、本体は午後四時前にはホテルに到着。

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