旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ウィーン美術史美術館

2018-01-18 14:47:41 | オーストリア
朝、シェーンブルン宮殿を見学。ずいぶん久しぶりに訪れた↓



地上階の床も木製なのが良い↓オリジナル?分かりません

お庭もちらり ここには動物園もあり、パンダが人気者

今日ご一緒した方々は全員シェーンブルン宮殿は以前に来たことがあった。なので「美術史美術館」のほうに時間をもっとかけようということになった↓

ルーベンスの展覧会をやっている↓この建物は19世紀に最初から美術館として建設された。入ったところのこの豪華な空間はヨーロッパのどの美術館にもないものだと思う↓階段を登ったところに見えるカノーヴァ作の「ケンタウロスを倒すテセウス」は、この場所にぴったりの演出↓

天井画はミヒャエル・ムンカーチ(ハンガリー人なのでハンガリー語ので「ムンカーチ・ミハーイ」というほうが良いか)の作↓

↑ルネサンスへのオマージュをあらわす。左下に立つ二人はレオナルド・ダ・ヴィンチとラファエロ↑

この場所の壁にはクリムトが手掛けた印象的な人物が並んでいる↓その前に足場が組まれているのは工事中?↓

実は2018年2月は彼の没後百年にあたるので、それに合わせた展覧会が企画されているのだそうだ。その展示の一環で、いつもは遠くから見上げるしかないこれらの人物像を間近に見てもらえるようにというアイデアなのである。ううむ、見てみたい・・・来月か、残念



●ブリューゲルの代表作がならぶ部屋↓「バベルの塔」は何作か描かれているが、これはかなりサイズが大きなほう↓

実に実に細かく描きこまれていて、その中にブリューゲルの悪趣味というか、モーツァルト的な?「お下劣趣味」も垣間見える↓どの部分か?川のほとりをよっくごらんください↓


有名な「村の結婚式」↓

の右端に描かれた酔っ払いが実にリアル↓自画像と言われている↓


個人的にいちばん好きなブリューゲルの絵をあげろと言われたら、小松はこの「冬の狩人たち」を選ぶ↓
個人的に、二十数年前にオーストリアからイタリアへ向かう列車の窓から見たアルプスの雪景色がここで見たこの絵そっくりだったから↓

↑絵の子細な解説はここではしないが、細部に煙突から火が出ている家をあわてて消火する人々をおしえていただいた↓

↑あわてて屋根に上ったけれど、もってきた梯子がとどかなくてあたふたしている。近所の人が長い梯子をもって駆けつける。
そんな雰囲気まで細かく細かく描いているのか。
ブリューゲルの絵には謎解きがいっぱい。今では誰も何を表しているのか不明になってしまった表現もあるが、火事に向き合う人々の表情は時代に左右されない。

●ヴェラスケスの描いた「マルゲリータ」の肖像画↓
それぞれ、三歳、五歳、八歳、とされる↓まるで「七五三」に合わせて、オーストリアに輿入れする予定の姫の成長ぶりを知らせているのだ↓

予定通り十五歳で輿入れした彼女は六度の出産をしたが二十一歳で没した。子供たちのうち生き延びて結婚したのは娘一人だけ。その子供(孫)も早世すると、スペイン王位を継ぐべき直径ハプスブルグの血は途絶えて、フランスのルイ14世との間にスペイン継承戦争がひきおこされることになる…。
ヴェラスケスはそんなことになるとはもちろん全く知らず、三枚目・八歳のマルゲリータを描いた翌年1660年に没した。

ヴェラスケスが亡くなった後、宮廷画家の称号を得たのはヴェラスケスの娘と結婚した弟子のマソ。彼が描いたこんな絵を紹介していただいた↓

ひと目で、師匠の代表作「ラス・メニーナス」へのオマージュが感じられる。よく見ると、カンバスに向かっている義父の背中が描かれているではないか↑ カンバスの左側にかたまっている四人がヴェラスケス師匠の娘との間に生まれた四人の子供たち。
右側には再婚した妻とその間に生まれた子供たち。なるほど。

調べてみると、マルゲリータが15歳になるまでの肖像画をマソが描いているのが分かった↓下は15歳のマルゲリータ。プラド美術館に展示されているようだ↓つまり、遠くオーストリアへ嫁入ってしまう最愛の娘(フェリペ四世にとっては最初の子供でとっても可愛がっていたのだそうだ)の最後の姿を手元に留めるための肖像画だったにちがいない↓

今度、プラド美術館へ行ったらぜひ探してみよう(^.^)

●カナレットの作品は今回の旅で何度も見ることになった↓これはウィーンの「歴史的景観」の基準になった絵なのだそうだ↓

カナレットの画歴のはじめは、ヴェネチアの風景を描いて訪れる人々に売って生計をたてていた。その絵はけして誇張はしないが、かといってホンモノをそのままに描いているのでもないように見える。つまり、見る人が「こうだったにちがいない、たしかに美しい」と思い出を・記憶を美しくしてくれる絵だったのではないだろうか。

●パルメジャニーノ二十歳ごろの自画像↓

小さな作品だが、こんな絵は他に見たことがない。二十歳の若者が自分の技量を誇示するために描いた小憎らしいぐらい秀逸な自画像である。パルミジャニーノは美しいモデルも描いたが、本人もとても美男だったとされている。その美しい自分の顔と共に、美しい絵を描くことが出来る右腕を大きく描いた。これはローマ法王クレメンス七世に献上した品だとされている。
1527年にカール五世がローマを略奪したが、その時にクレメンス七世のもとからカール五世(ハプスブルグ家)へ移ったものだろうか?

***絵画、いくらとりあげていっても、きりがありません・・・
ガイドさんにお願いして、彫刻や造形でひとつ、「ぜひこれを見て」というものを紹介していただいた↓それが、
●チェッリーにの「サリエラ」↓これは何?


作者のチェッリーニはフィレンツェの人。ベッキオ橋の真ん中に今でも胸像が置かれていると言えばぴんっとくる人もおおいだろうか。
フィレンツェのシニョーリア広場のロッジャに置かれている「メドゥーサの首を持つペルセウス像」は実に超絶技巧のブロンズ彫刻である。
ここに置かれた金色の品は食卓の「サリエラ(塩入れ)」ということになっているが、いったい何でできているのだろう?
後から調べていただいて、また、美術史美術館の解説本から「一枚の金の板から形なしで打ち出された」ものであると知った。
台座は黒檀の木。そこに七宝でいろとりどりの装飾を加えている。

一枚の金の板を打ち出したということは、製法としてはむかしのヤカンと同じである。エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクも、同様の方法でつくられたのだときいたことがある。ヤカンとちがうのはもちろん材料。そして、型がないから同じものを二つとつくれないということ。
2003年に一度盗難に遭ったそうだが、溶かされなくてほんとうによかった。
2006年に犯人が自首し、森の中に埋められているが見つかったのだそうです。

近くで見ると、おや?ゾウがいた↓

海を表す男性像と陸をあらわす女性像が足を交差している構図。もともとはフランス王フランソワ一世が注文しフランス宮廷が持っていた。
フランソワ一世の孫にあたるシャルル九世が1570年に結婚する際、父親(アンリ二世)の代役を務めたチロル大公に贈られたのだそうだ。チロルはオーストリアとイタリアにまたがる地域である。

「サリエラ」の近くにあったこの木彫、通り過ぎることができなかった↓
●「時のアレゴリー」15世紀前半におそらくMichel Erhartミカエル・エアハルトの製作したものと思われる木彫↓

成年・中年・老年の女性像が三体背中を合わせているが、すべてが一本の木材から彫りだされている。
歳月は人を待たず
かつては大きな時計の飾りになっていた彫刻かもしれない。
15世紀から16世紀前半にかけてのドイツの彫刻作品には、南ドイツのリーメンシュナイダーの作品からはじまって印象的なものが多い。
これもまたその一つとなりました。

ウィーン美術史美術館は主要なものだけでも全部見ることは旅行者には不可能。
ルーブルや大英博物館などと同じく、いわば辞書の様な場所。
辞書を全部読もうとする意味はありますまい。
興味のある部分を選んで、じっくり考えるのがふさわしい。







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