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旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ナスカの地上絵

2015-05-21 17:44:36 | ペルー
ナスカはリマから南へ直線距離でも約400㎞離れている。
地上絵の観光はリマから260㎞にあるピスコから二時間弱の遊覧飛行で行う。

ピスコへ向けて、早朝4時15分にリマのホテルを出発。山の斜面にも光が点々とひろがっているのは、もともと不法占拠して住んでいた住人たちの住居地方から都市へ流入する人たちが増えているのはどの国にも共通しているが、ペルーでは1980年代の大インフレとテロリストの跋扈により、より顕著になったそうだ。
1950年代に350万人だったリマの人口は1980年代に800万人にまで増加した。

1990年に就任したフジモリ大統領は、五年間住み続けていれば土地の所有を認める法令をつくり、彼らを正式な住人にしていった。が、現在でもこの「五年占拠すれば自分のモノ」という法律を逆手にとっての不法占拠が増加している。こういった砂漠の囲いもそれ 現在では本当に貧困にさらされている人々ではなく、土地を手に入れたい業者が貧困者を手先に使って土地を取得する方法になってしまっているという。

郊外に出ると、「KEIKO」と大きく壁に書かれているのをたくさんみるようになる
KEIKOとは、フジモリ元大統領の娘。来年2016年4月の大統領選挙に立候補しているのだそうだ。
フジモリ時代に地方の貧困層は確実に生活が改善されたという実感があるので、2016年の選挙で彼女を強く支援しているという。

**朝ごはんをカフェで

途中、工事渋滞もあったが午前8時過ぎにはピスコの街へはいったピスコはブドウの栽培が盛んで、これを利用した蒸留酒が有名。
ペルーの代表的な飲み物「ピスコ・サワー」はこの町発生。

海岸近くの空港へ向かう。強烈な魚臭さがながれてくるのは、魚粉工場がちかいせい。

空港へ到着さぁ、無事に飛べるか? ガイドさん曰く、コンディションが良くなるまで六時間も待たされた事も、待った末にキャンセルになった事もあるという。空から地上を見る観光だから、曇っていてはどうしょうもないから。

と、「すぐに搭乗!」と声がかかる。あわててトイレをすませて、体重計に乗る(ホントです)。空港税約四ドルを支払う飛行機はいくつかタイプがあるが、今日は12人乗りでぴったり貸切(^^)

ピスコの空は曇っているが地上絵は見えるのか…

ピスコからナスカへは空路約30分。海岸から60k離れた標高600mに位置する砂漠地帯。青空がひろがり地上はすっきり見えるようになっていた。ペルーの海岸砂漠地帯は雨がほとんど降らない(年に四時間との話もあった)。それで紀元前から描かれたという単純な地上絵が現代まで残っているのだ。

「さぁ、そろそろ見えてきます」と副操縦士がアナウンス。
今日は日本人だけだから、カタコトの日本語でもおしえてくれる。
●「クジラ、クジラ」※拡大してごらんください。定規のような線をまたいでクジラがはねております。これで大きさは63m。

●「ウチュウジン」
32メートルだが、斜面の黒字にくっきりとわかりやすい。

多くの地上絵は事前に予習しておく(どこにどんな風に見えるかを知っておく)ことによって、発見しやすくなる。今回リマからのガイドさんが、事前に細かく教えておいてくださったおかげで、主要な地上絵はすべて見つけることが出来た。感謝!(^^)

●「犬」はちょっと見つけにくいかも



●「木」と「手」。地上の道路のそばにあるのは見晴らし台。でも、ここに登っても絵の全体像は到底みえますまい。

★ナスカの地上絵は1939年に発見された。その存在が世に知られるようになってまだ百年もたっていないのだ。描かれた時期は紀元前2世紀から紀元後6世紀頃と推察される。
その線はたった30センチほどの高さでしかない。よくぞ残ったものだ。

はじめて見た「ナスカの地上絵」だったが、今日は最上のコンディションだっただろうことは容易に想像がつく。

●「コンドル」と呼ばれているけれど、実はそうじゃないらしい鳥
●「ハチドリ」はデザイン的にいちばん美しい
「地上絵」は、図形や線などを含め、全部で790もあると言われております。
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リマ、ラルコ博物館とパンチータでの夕食

2015-05-20 21:16:24 | ペルー
リマ旧市街をめぐった後、イタリア系移民ラファエル・ラルコが収集したコレクションを展示する博物館へラファエル・ラルコは砂糖で財を成したイタリア系移民の二世。父が収集していたプレ・インカの装飾品に触発されてコレクションをはじめ、二十代でこの博物館をオープンさせた。この場所そのものもプレ・インカのピラミッドの上につくられていて、入口からのぼる緩やかな坂がそれを感じさせる構造になっている。

膨大な量の収集品が地域や文化、様式別にならべられている解説も興味深いが、ただ造形として見学しても楽しめる。



下は14-16世紀チムー文化の墓から出土した装身具インカのものも含めてだが、黄金の様に見えても金の含有量はわずかだった。
ラルコ博物館の解説で「略奪したスペイン人たちが得たものは少なかったが、略奪されたアンデスの人々が失ったものははかり知れなかった」と、解説されているのが、収集家の立ち位置を感じさせてくれる。

●耳飾り  ●儀式用の「ほら貝」は日本のものとも似ている 
●「アンタラ」を吹く人、下部に踊る戦士の姿 
●そしてこの博物館を代表する器、戦争での敗者の血を注いだと想像されている器
下部に敗者の首を切っている図が描かれている。

●「キープ」と呼ばれる、結び目でいろいろな事を記録したとされるものこれが「文字」であるという説をとなえる学者もあるが、ガイドさん曰く「読めたという三人がみんな別の解釈をしているからほんとかどうかわかりません」。
だが、数量を記録してあることは確かなようだ
●織物はアンデスでとても重要なものだった。これはもっとも細いビクーニャの毛をつかって織られたもの

この博物館は庭とそこを見晴らすカフェも魅力的。そのとなりに別館としてある「サラ・デ・エロチカ」にはこの手の収集物がずらり

*****
さて、ペルーでの最初の食事は、大事な印象になるだろう。
ミラ・フローレス地区のレストラン「パンチータ」で食べることにしたアンティクーチョとよばれる串焼きの肉が名物特に心臓(ハツ)が好評
●写真下のお皿、コロッケみたいなのは「パパレレジェーナ」。ひき肉や玉ねぎ入り。その左はポテトにグワンカイーナソースがかかってオリーブを乗せたもの。上のケーキみたいなのは「カウサ」というポテトサラダ。緑色のものは「タマル」という古くからアンデスにある料理。日本のチマキのようなもの。材料はトウモロコシなのでその色によってこんな緑のものもあるんだそうな。


とても分析しきれません…食べます

お米は味をつけてたいてある

●チチャモラーダはトウモロコシとパイナップルの皮とリンゴに砂糖を加えて煮てつくるジュース。

ペルー料理ってこんなにおいしかったんだ(^^)!
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リマ旧市街をめぐる一日

2015-05-20 11:12:30 | ペルー
昨夜、深夜少し前の空港到着だったので、今日は10時過ぎからのスタート。大都会リマは「市内」を移動するにも時間がかかる。
ホテルのあるミラ・フローレス地区から歴史的中心部まで三十分ほど。

古い歴史的な建物は多いが、がらんとして使われていないものが多いそれは、歴史的建築物として保存が義務付けられるとなかなか借りてがつかなくなってしまうからだそうだ。「世界遺産」も含めて、文化財指定されることは良いことばかりではない。
**
1538年からリマの街が造られていった時代、北部はドメニコ会、南部はフランチェスコ会という分担があった。後者ほど有名観光地になっていないが、今日はドメニコ会の教会へも訪れる。入口から見上げた塔はローマあたりでよくみかけるバロックスタイル

午前中に開いている最後のタイミングでシンっとしている内部右手いちばん奥にはリマ生まれの聖人三人が祭られている。
★中央の聖ローザは1671年にアメリカ大陸で最初に列聖された人物。下部にその頭蓋骨がおさめられているのが見える。

**外へ出て旧市街の中心アルムス広場へ向かう。途中にかつての郵便局。これはその時代のポスト
広場へ到着。
宮ちょうど12時からの衛兵交代式が行われていた1821年の独立からは大統領官邸だが、それ以前は植民地副王が住み「ピサロの家」と呼ばれていた。そのインカの征服者フランシスコ・ピサロはすぐ前の大聖堂に葬られている
広場の中心にある噴水は1650年に設置されたものだそうな。インカをあらわすドラゴンの上にスペインをあらわすライオンが乗っているデザイン。


黄色い建物は現在の市役所。木組みの張り出し窓は当時の貴族女性たちが自分たちの姿は見られずに、外を見るためのものだったそうな掲げられた三本の旗は左からリマ市、ペルー国旗、そしてインカの旗(ゲイ・フラッグに似ておりますが違います)

***
大統領官邸正面右手の道を入っていくと、19世紀に建てられた駅舎が見えてくる現在でも貨物が一日数本発着するが、基本的に図書館に改築された。いりぐちで日本語で迎えてくれた職員の方
階下へおりてゆくと、いかにも19世紀の美しいステンドグラスそして、ホームに面した半野外の座席がゆったりくつろげるスペース。

この建物はペルーのノーベル賞作家バルガスリョサ氏がかかわっている彼は1990年の大統領選挙に立候補してフジモリ氏に敗北したが、その後も政敵でありつづけているそうな
★この駅の一角に、ペルー鉄道の建築技師として呼ばれた「お雇い外国人」マリノウスキーの「1866年カジャオ防衛の英雄」記念パネルがあった。これについては⇒こちらに書きました。

すぐ前にある歴史的な建物、一階には人気のカフェが入っているが、上層階はがらんとしている。
歴史的記念建築に指定されると、修復するのにもそうとうな手間がかかる故、持ち主はおいそれと手が出せず、したがって借りてもない状況に陥りがちなのだそうだ。それでどうしようもなくなったところを、大資本が買い取ってしまうという「開発」がされてゆくことになる。

***
フランチェスコ会の修道院へドメニコ会の教会とちがって、こちらは観光客の定番訪問地

中庭の美しいタイルは1620年の年号伝承によると、死刑を宣告された職人がこの修道院のタイルをひとりで仕上げる事を条件に赦免されたものだとか。

フランチェスコの生涯もこちらで描かれるとこんな感じに
最後の晩餐の食卓にあがっているのは、「クイ」とよばれるペルーのモルモットの料理

近年の調査でも新たにたくさんの骨が地下から見つかった
これらは16世紀のヨーロッパ人によってもたらされたウイルスに耐性のなかった先住民のものかもしれない。

***
バスを待つあいだにみかけた公衆電話は以前スペインでみかけたものと同じだった
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ロサンゼルス経由リマ到着

2015-05-19 12:00:08 | ペルー
成田発午後五時半の日本航空便でロサンゼルスへ。約十時間のフライト。
二回目の機内食でもモス・バーガー登場。作り方が説明してあって、バンズにパティを乗せてマヨネーズにオニオン乗せて、特製ミートソースをかけたところ機内の人全員がモスバーガーをつくっているという不思議な光景(^^)
***
ロサンゼルス空港に到着するとこんなオレンジ札が張り出されていて、名前が書いてある。

これは、乗継時間が短くて、急がなくてはならない人用のもの。我々は次の便まで二時間はあったが、それでも名前があったので、各自見えるように持って、入国審査の優先レーンへ

しかし、この列も結構多くて同じぐらい待たされた感じがした。

やっと全員入国したら、同じロサンゼルス空港の国際線ターミナルの上の階にあがる。このタイミングで12:50分。飛行機の出発時刻は13:20なのでかなりタイトだが、ここは同じビルだから大丈夫、とおもっていた。 しかし、上の荷物検査場の係官は「エクスプレス」カードはここでは関係ないので普通のレーンに並ぶように言う。 長い行列がゆっくりすすむあいだ、やきもきしてまたお願いしに行ったが、聴き入れてくれない。そうこうしているうちに行列はほとんど検査場まですすんだ。

出発時刻まで十分をきったところで安全検査開始。先ずは小松が抜けて大急ぎでゲートへ向かう。
途中でのんびり歩いてきたLAN航空の職員に出会ったので、呼びとめてゲートへ連絡してもらう。
やれやれ、これでなんとか乗れる。
ほんとにほっとした。

LAN航空、ロサンゼルスからリマまでは約8時間
乗継時間を入れて約21時間は、たぶんいちばん効率的で短い乗継になる。
ターミナルビルを出ると、いきなりマチュピチュの写真と「ベンベニー=ようこそ」の文字
海岸から近い高級住宅地域ミラフローレスにあるブリタニカへチェックイン
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