ザ・コミュニスト

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共通世界語エスペランテート(連載第23回)

2019-08-10 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(4)接辞

 エスペランテートは、接辞体系がきわめて発達していることが特徴である。そのため、基礎的な語基に接辞を付加してさまざまな品詞を派生させることができ、習得すべき実質的な単語数をへらして学習を容易にする効果がある。この特徴も、祖語エスペラント語からの継承である。

 ただし、第1部でも言及したように、共通世界語としての意義をもつエスペランテートは、現代的な表現規準にしたがい、反差別の価値観をふかく内蔵させたものでなくてはならず、そうした観点から、上記接辞の運用に関して、いくつかの制限がかかる。
 なかでも、女性形の接尾辞-inoと反意の接頭辞mal-(l音のないエスペランテートではmar-と表記)はエスペラント語の代表的な接辞であるが、これらはエスペランテートでは排除ないし制限される。

 男性形から女性形を派生させる接尾辞-inoは、エスペランテートに存在せず、女性形には固有の単語をもちいる。

 たとえば、womo(男性)に対し、hwemo(女性)をもちいる。またpatro(ちち)に対し、matro(はは)をもちいる。

 反意の接頭辞mar-は差別的ニュアンスをおびるばあいにはもちいず、固有の単語をもちいる。

 たとえば、sano(健康)に対しmarsano(病気)とするのは、健康を基準として病気=不健康という差別的ニュアンスをおびるので、病気には固有の単語iroをもちいる。ただし、病気ではないが「不健康」という微妙な状態をしめす語として、marsanoをもちいることはみとめられる。
 また、yunuro(若年)に対しmaryunuro(老人)とするのは、若年を基準として老人=非若年という差別的ニュアンスをおびるので、老人には固有の単語erduroをもちいる。

 一方、bwarmo(あつさ)に対しmarbwarmo(さむさ)や、hwermi(とじる)に対しmarhwermi(ひらく)などは、機能的な反意をしめしているだけで、特段差別的ニュアンスをおびないので、みとめられる。
 やや微妙なのは、ronga(ながい)に対しmaronga(みじかい)のような例である。これもながいことを基準にしてみじかいことを「ながくない」と表現する点に差別的ニュアンスをかぎとることはできるが、みかたによっては端的に「みじかい」と表現するより婉曲的ともいえるので、これもみとめられてよいだろう。

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共通世界語エスペランテート(連載第22回)

2019-08-09 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞⑥ 

Ⅷ 動詞の分詞形

 エスペランテートの動詞の分詞形は態を基準とした能動分詞と受動分詞にわかれ、それぞれに継続形・完了形・未然形の活用変化がある。すなわち能動分詞は-ante、‐inte、‐onte、受動分詞は‐ata、‐ita、‐otaである。

 エスペランテートの動詞は分詞を派生するが、英語のような現在分詞・過去分詞といった時制を基準とした分詞ではなく、能動・受動という態を基準としつつ、時制変化にちかい活用変化をする。これは時制変化しない本来の動詞とことなり、分詞は主語の状態をあらわすのにもちいられるため、補足的にときを表現できることが要請されるからである。

 分詞は動詞の派生形であるから、動詞の定形語尾-iを除去して、上記の分詞形をつくる。たとえば、trinki(のむ)の能動分詞完了形はtrinkinte、kobri(おおう)の受動分詞継続形はkobrrataのようにである。

 能動分詞は副詞的にもちいられ、Trinkinte akbo, tiu kato hworkuris.(みずをみおえると、そのねこはたちさった。)のように分詞構文の従属節をみちびく。
 
 受動分詞は英語のbe動詞に相当する動詞estiとくみあわせて、Strato esti kobrata de nejo.(道路がゆきでおおわれつつある。)のように受動態をつくる。

 受動分詞の語尾は形容詞語尾と同等であるため、konstruota domo(建設前のいえ)のように形容詞的にもちいることもできる。

 完了形は、存在しない。

 簡素簡明をむねとするエスペランテートでは、複雑な完了形をもちいるかわりに、時間的な相をあらわす副詞ないし副詞句で実質的に完了を表現すればたりる。jam(すでに)が代表的な完了の副詞である

 Mo yam rerni ESPERANTETO.(わたしは、すでにエスぺランテートを学習した。)

⇔ Mo nun rerrni ESPERANTETO.(わたしは、いまエスペランテートを学習する。)

 進行形は、esti+分詞継続形であらわされる。

 エスペラント語には進行形が存在せず、文脈解釈によるが、単純な時制と時間の進行中をあらわす進行形は区別したほうが便利であるので、エスペランテート語では固有の進行形をつくる。
 たとえば、上例を進行形に転換するなら、Mo nun esti rernante ESPERANTETO.(わたしは、いまエスペランテートを学習中である。)となる。
 なお、現在進行形と過去/未来進行形の区別は、時間の副詞(句)をもちいるか、もちいないばあいは、estiに時制接辞-is/-osを付してあらわす。

 Mo hierau esti
rernante ESPERANTETO.(わたしは、きのうエスペラント語を学習していた。)

 Mo estis rernante ESPERANTETO.(わたしは、エスペランテート語を学習していた。)

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共通世界語エスペランテート(連載第21回)

2019-08-08 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞⑤

Ⅶ 前置詞・相関詞

 エスペランテートは、おおくの前置詞をそなえた前置詞型言語である。

 この点では日本語のように名詞のあとに付加する助詞で単語をつなぐ後置詞型言語とはおおきくことなり、祖語であるエスペラント語の性質を継承している。
 代表的な前置詞として、ar(~に/へ)、de(~の、~から)、er(~なかから)、sur(~のうえに)、sub(~のしたに)などがある。

 一般に前置詞は種類がおおく、意味も多義的であるため、学習者はしばしばその選択にまようが、エスペランテートには特定の意味をもたない融通前置詞jeがあり、便利である。たとえば、Tiu chi romano meriti ye bremio.(この小説は賞にあたいする。)のようにもちいられる。これも、祖語エスペラント語からの継承である。

 ちなみに、エスペラント語では名詞の目的格-nを転用して、「・・・へ」という方向をあらわしたり、上記の融通前置詞jeに代替させたりする後置詞的用法もある。これはこれで便利な用法ではあるが、エスペランテートの名詞は一切の格変化をしないのであったから、このような便法も存在しない。

 エスペランテートには、相関詞とよばれる一群の品詞がある。

 相関詞とは指示(この:ti-/あの:di-)、疑問(なに:ki-)、不定(ある:i-)、普遍(すべての:chi-)、否定(なにも~ない:neni-)をあらわす限定詞の総称であり、遠称指示詞diをのぞけば、これらも基本的にエスペラント語からの継承である。
 相関詞は実質的には指示詞、疑問詞、不特定詞、普遍詞、否定詞として独立の意義をになうが、上掲の共通語幹を基本に統一的な語形変化をするため、文法上はひとくくりにされる。
 相関詞の語形変化の法則は、指示詞ti-で代表させれば、tio(そのもの/こと)、tiu(そのひと)、tia(そのような)、ties(そのひとの)、 tie(そこに)、 tier(そのように)、tiar(それだから)、 tiam(そのとき)、 tiom(それほど)のように展開される。

 なお、エスペランテート語には冠詞が存在しないため、指示相関詞tiu(その)/diu(あの)や近称詞chiをくみあわせたtiu chi(この)といった指示表現で定冠詞の機能を代替させることができる。

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近代革命の社会力学(連載第4回)

2019-08-06 | 〆近代革命の社会力学

一 北陸一向宗革命 

(3)一揆衆の形成と革命の成因  
 北陸一向宗革命の動力源となったのは、同時代の西日本各地に現れたのと同様の一向一揆である。一向一揆は、浄土真宗の信仰を共有する信徒の抵抗運動であるとともに、信仰共同体でもあった。  
 このような信仰共同体であれば他宗派にも見られるが、浄土真宗のそれが特に強い結束を形成したのは、浄土往生という信仰を核としていたことが大きいと考えられる。それはキリスト教の千年王国論に匹敵するような政治的要素を帯びたユートピア思想である。  
 しかし、浄土真宗が単なる信仰共同体を超えて政治運動・革命運動にまで昇華されていくに当たっては、開祖親鸞の子孫でもある第8世法主蓮如の登場を待つ必要があった。蓮如は僧であると同時に、時代の変化を見据えた卓越した政治活動家という側面を持っていた。  
 彼は当時、「中央」の室町幕府が衰微し、戦国乱世に向かいつつあった守護領国制の不安定さの中で先の見えない不安感にとらわれていた農民や商人、地方の土豪・国人といった幅広い階層の人々に開祖親鸞の教えをわかりやすく説く集会=講を組織するという布教手法を創案した。  
 蓮如の講は、階級にかかわりなく、誰でも聴講できる平等な法話集会であり、これを基盤として階級横断的な信仰共同体が形成されていった。一向一揆が同時代の土一揆や後世の百姓一揆とは異なる独自の性格を持った所以がここにある。  
 蓮如が北陸へ赴いたのは、師の法相宗僧侶経覚の提案によるものであったが、これもタイムリーであった。当時の北陸は蓮如が拠点を置いた吉崎御坊の所在した越前も含めて、一強的な守護大名を欠き、諸勢力が入り乱れ、政情不安が常態化していたからである。  
 ただ、蓮如自身が北陸における一向宗革命にどの程度直接に関与したかについては、不明な点がある。前回見たとおり、蓮如は当初加賀守護職の富樫氏に接近し、その庇護を期待していたが、時の当主富樫正親が一向宗弾圧に転じると、蓮如の北陸での地位も危うくなった。  
 しかし、蓮如はこの時、反富樫の一揆を蓮如の名で煽動したとされる門弟の下間蓮崇[しもつまれんそう]を破門処分に付している。蓮崇が蓮如の名を騙ったことが理由とされる。蓮如はこの処分を下した後、吉崎を退去して畿内方面に移っており、一揆衆が加賀で富樫氏を打倒したときも、北陸には所在しなかった。
 こうしたことから、蓮如を革命の直接的な指導者と見ることはできないが、信徒による革命の精神的指導者としての地位にあったことは間違いなく、彼の存在なくして、一向宗革命が成功することはなかったと言ってよいだろう。  
 革命の戦略的な成因という観点から見ると、一揆衆に国人や地侍のような武士層が参加していたことが大きい。一向宗革命は武装革命の一種であり、実際、最終的に富樫氏を打倒するに当たっては篭城する富樫氏を包囲戦で破っている。このような軍事的成功は、充分な武器も戦略も持たない農民一揆では困難であった。  
 そうした意味では、一向宗革命の主導勢力は国人や土豪といった郷士的中間階級であり、その本質は時代先取り的なブルジョワ革命だったとみなすことができるかもしれない。従って、革命成就後の統治の中心も、かれら中間階級であった。

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近代革命の社会力学(連載第3回)

2019-08-05 | 〆近代革命の社会力学

一 北陸一向宗革命

(2)越中・加賀の旧体制  
 越中‐加賀一向宗革命によって転覆された越中・加賀の旧体制を見てみると、まず先行した越中には中世以来、大規模な領主勢力は形成されず、荘園制時代からの豪族や国人の小勢力が入り乱れていた。室町時代には畠山氏が守護となり、畠山領となるも、在京守護のため、その支配力は限定的で、守護代神保氏などが下刻上的に実権を掌握していたが、まとめ切れておらず、内乱状態であった。  
 加賀も当初は同様の状況で、在地在庁官人に出自すると見られる在地豪族の富樫氏が一応守護職であったが、一時斯波氏に守護職を奪取されるなどした末、同職を奪還した富樫氏が復帰、以後は富樫氏支配が続いた。しかし、富樫氏はとかく内紛の多い一族であった。  
 こうした状況下にあって、14世紀末、本願寺派第5世法主綽如[しゃくにょ]が越中に端泉寺を創建したことを皮切りに、15世紀には第6世法主巧如[ぎょうにょ]の子が加賀に本泉寺を創建し、北陸地方の浄土真宗(一向宗)布教の拠点とした。  
 巧如の孫に当たる第8世法主蓮如は、当時衰退していた本願寺派の権勢を回復するための足場として、北陸地方での布教と宗門統合に注力した。その過程では、富樫氏の内紛に際して時の若年の当主富樫正親を支援し、その地位奪回に協力するなど、当初は布教を有利に進めるべく領主権力に与していたのだった。  
 ところが、本願寺派勢力の力量を警戒し、弾圧に転じた正親の手を逃れた宗徒らが越中の端泉寺に亡命してきた。これに対して、正親と結託していた越中福光城主の石黒氏が本願寺派宗徒を討つべく、瑞泉寺を攻めるも、返り討ちにあい、敗北してしまう。その勢いで、一揆衆は加賀国と西で接する越中南西部を占領した。これが、一連の一向宗革命の端緒となる。  
 他方、正親は主君に当たる室町将軍の支持を得て、加賀の領国支配を確立しようと、時の第9代将軍足利義尚の六角氏征伐に従軍したが、戦費調達を担わされた配下の在地国人層が反発し、一向宗徒とともに武装蜂起した。これに対処すべく、鎮圧のため帰国した正親と一向宗徒の間で戦闘となり、最終的に一揆衆が正親を自害に追い込み、富樫氏支配を打ち破った。
 このように、越中‐加賀の一向宗革命の舞台となった北陸地方は領主権力が元来不安定で、常態的な政情不安に置かれていたということが、革命の土台となっている。領主権力の安定と善政が領民の生活安定の唯一の保証だった封建社会で、領主権力の弱さとその結果としての内乱の多発は、領民層の反発・決起を招来しやすい状況であったと言える。

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共通世界語エスペランテート(連載第20回)

2019-08-02 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞④

Ⅵ 形容詞・副詞

 形容詞は、語根に‐aを付加してえられる。修飾される名詞の単複や格にかかわらず、一定である。

 形容詞の品詞語尾は、‐aである。品詞語尾‐oをとる名詞とくみあわせると、たとえばbona orano(よいひと)となる。
 この点、祖語のエスペラント語では修飾される名詞が語尾‐jを取る複数形のときは、形容詞も連動して複数形語尾‐yをとるという規則があるが、エスペランテートではこの規則を廃し、形容詞は名詞の単複に連動せず、一定である。したがって、たとえば上例ではbona oranoy(よい人たち)でよい。
 ちなみに、エスペラント語では形容詞が述語としてもちいられるばあいにも、主語が複数形なら形容詞も複数形となるが、エスペランテートではこの規則も廃される。したがって、たとえば「あなたたちは、よいひとたちである。」は、Boy esti bona oranoy.でよい。
 また、エスペラント語では修飾される名詞が目的格のときは、形容詞も連動して目的格語尾‐nをとるが、エスペランテートではそもそも名詞が格変化しないので、この規則も存在しない。

 副詞には、本来副詞と派生副詞とがあり、派生副詞の品詞語尾は‐eである。

 本来副詞とは他の品詞から派生したのでない本来的な副詞のことで、hierau(きのう)、hodiau(きょう)、morgau(あす)など、ときをあらわす副詞に比較的おおくみられる。
 これに対し、派生副詞とは他の品詞から派生した副詞で、たとえば形容詞bonaからbone(よく)が派生する。さらに、orane(ひとに)のように名詞から副詞を派生させる便利な用法もある。これらの規則は祖語のエスペラント語をひきついでいる。

 形容詞・副詞ともに、比較級はbrinを前置することで、最上級はbreyを前置することでつくられる。なお、比較級において「・・・よりも」という比較をしめす接続詞はzanである。

 エスペランテートでは、比較級・最上級特有の語尾というものは存在せず、すべて前置詞で表現される。たとえば、brin bona/e(もっとよい/よく)、 brey bona/e(もっともよい/よく)のようにである。

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共通世界語エスペランテート(連載第19回)

2019-08-01 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞③

Ⅴ 動詞

 動詞は人称、数、法による変化を一切しない。

 エスペランテートの祖語であるエスペラント語も人称、数による変化をしないが、命令法、条件法による活用変化がある。しかし、エスペランテートでは、それらの法による活用変化もない。
 命令法は、英語と同様、Doni ar mo akbo.(わたしにみずをくれ。)のように、主語を省略した動詞文でしめすことができる。
 条件法は、Se mo nun habi mono, mo tuy acheti domo.(もし、いまわたしにかねがあれば、すぐにいえをかうだろう。)のように、条件(もし)をしめす接続詞seで従属節をみちびくだけである。

 動詞は時制による変化をせず、原形(不定形)と活用形の区別もない。

 そうなると、たとえば、Mo iri ar kineyo.と表記しただけでは、「わたしは映画館にいく/いった/いくだろう。」のいずれなのか判別できない。そこで時制を表現するにはhodiau(きょう)、hierau(きのう)、morgau(あす)などのときをあらわす副詞(または副詞句)をそえなければならない。
  このことは一見不便にもおもえるが、実際のところ、ときの表現には微妙なはばがあって、現在・過去・未来といった画一的な時制によって表現しきれるものではなく、副詞や副詞句のたすけを一切かりずに表現することのほうが不自然であるので、動詞の活用変化が存在しないことは決して不都合ではない。代表的な自然言語でも中国語やマレー語の動詞は時制変化しないが、これら言語の話者間で不都合は生じていないのである。

 ときをしめす副詞ないし副詞句をともなわない文中の動詞は原則として現在をしめすが、過去接尾辞-is、未来接尾辞-osにより、過去や未来をしめすことができる。なお、これら時制接尾辞つきの動詞は、アクセントの位置が接尾辞直前の母音に移動する。

 エスペランテートではときをしめす副詞ないし副詞句をそえることが構文上のぞましいが、あえてそえずに過去や未来をしめすには、動詞の語尾に時制接辞を付加する。たとえば、上記例文では、Mo iris ar kineyo.(わたしは映画館にいっ。)/Mo iros ar kineyo.(わたしは映画館にいくだろう。)のようにである。
 これは動詞の時制的不変化法則の例外ともいえるが、時制接辞は動詞の活用語尾というよりも、副詞や副詞句の代用として時制をしめす助動詞にちかい機能をもつといえる。

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