ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共通世界語エスペランテート(連載第19回)

2019-08-01 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞③

Ⅴ 動詞

 動詞は人称、数、法による変化を一切しない。

 エスペランテートの祖語であるエスペラント語も人称、数による変化をしないが、命令法、条件法による活用変化がある。しかし、エスペランテートでは、それらの法による活用変化もない。
 命令法は、英語と同様、Doni ar mo akbo.(わたしにみずをくれ。)のように、主語を省略した動詞文でしめすことができる。
 条件法は、Se mo nun habi mono, mo tuy acheti domo.(もし、いまわたしにかねがあれば、すぐにいえをかうだろう。)のように、条件(もし)をしめす接続詞seで従属節をみちびくだけである。

 動詞は時制による変化をせず、原形(不定形)と活用形の区別もない。

 そうなると、たとえば、Mo iri ar kineyo.と表記しただけでは、「わたしは映画館にいく/いった/いくだろう。」のいずれなのか判別できない。そこで時制を表現するにはhodiau(きょう)、hierau(きのう)、morgau(あす)などのときをあらわす副詞(または副詞句)をそえなければならない。
  このことは一見不便にもおもえるが、実際のところ、ときの表現には微妙なはばがあって、現在・過去・未来といった画一的な時制によって表現しきれるものではなく、副詞や副詞句のたすけを一切かりずに表現することのほうが不自然であるので、動詞の活用変化が存在しないことは決して不都合ではない。代表的な自然言語でも中国語やマレー語の動詞は時制変化しないが、これら言語の話者間で不都合は生じていないのである。

 ときをしめす副詞ないし副詞句をともなわない文中の動詞は原則として現在をしめすが、過去接尾辞-is、未来接尾辞-osにより、過去や未来をしめすことができる。なお、これら時制接尾辞つきの動詞は、アクセントの位置が接尾辞直前の母音に移動する。

 エスペランテートではときをしめす副詞ないし副詞句をそえることが構文上のぞましいが、あえてそえずに過去や未来をしめすには、動詞の語尾に時制接辞を付加する。たとえば、上記例文では、Mo iris ar kineyo.(わたしは映画館にいっ。)/Mo iros ar kineyo.(わたしは映画館にいくだろう。)のようにである。
 これは動詞の時制的不変化法則の例外ともいえるが、時制接辞は動詞の活用語尾というよりも、副詞や副詞句の代用として時制をしめす助動詞にちかい機能をもつといえる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代革命の社会力学(連載第... | トップ | 共通世界語エスペランテート... »

コメントを投稿