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近代革命と社会力学(連載第8回)

2019-08-20 | 〆近代革命の社会力学

二 17世紀英国革命 

(2)革命前英国の社会変動  
 ヨーロッパにおいて旧来の封建制を打破した画期点と目されている18世紀フランス革命よりも100年以上先駆けて起きた17世紀英国革命は、封建制が大陸ヨーロッパ諸国より一足先に流動化しつつあったイングランドにおける社会変動を前提としていた。  
 すなわち、英国では15世紀末、貴族層を巻き込んだ王位継承争いの内戦―「ばら戦争」―の過程で在来の貴族家系の多くが断絶すると、貴族層の家臣団に組み込まれていた地方有力者が自立化し、旧貴族所領を入手して地主領主となった。  
 こうして新たな地方紳士の地主階級(ジェントリー)が台頭していった過程は、あたかも15‐16世紀の日本で、守護大名の下で守護代を務めていた国人勢力が主家をしのいで台頭していった下克上の時代と似ており、言わば英国版下克上であった。  
 ジェントリーは「ばら戦争」を止揚して新たなイングランド王家となったテューダー朝の下で、王権を支える有力支配層の地位に座る。その中には、後に清教徒革命で主役となるオリバー・クロムウェルが出自したクロムウェル家の姿もあった。  
 クロムウェル家の祖は元来鍛冶屋だったが、法律家としてテューダー朝ヘンリー8世の寵臣となったトマス・クロムウェルの代に台頭し、一族繁栄をもたらした新興ジェントリー階級の家系である。ちなみに、オリバーはトマスの姉の子孫に当たる。  
 これらジェントリー階級の出自は当初、元有力農民(ヨーマン)であったと考えられるが、テューダー朝の時代になると、有力商人・職人等として財を成した者が地主となってジェントリーに成り上がるケースも出てきた。  
 ヘンリー8世による強権的な宗教改革によって閉鎖・没収された旧修道院所領の払い下げは、そうした成り上がりを後押しした。実は、クロムウェル家もこの時代の成金的新興ジェントリーの一つであった。  
 他方、ヘンリー8世の宗教改革は、カトリックから分離されたイングランド国教会を生み出したが、国教会自体は浮気性だった自身の離婚の自由を認めるためにヘンリー8世が断行したもので、「宗教改革」とはいえ、反カトリックとしての意義は薄く、ある意味では「英国版カトリック」にとどまっていた。  
 そのため、より純粋(ピュア)な宗教改革を求める勢力として、ピューリタンの運動が発生してくる。言わば、英国版カトリックに対抗する英国版プロテスタントの運動である。しかし、こうした対抗運動の常として、その運動論や思想上の違いから派閥の分立が生じた。  
 すなわち、イングランド国教会の内部改革を志向する最も保守的な長老派に対し、イングランド国教会からの離脱を主張する分離派が対抗する。分離派はその内部で多様な分派を生むが、その中でも独立派と呼ばれる派閥がジェントリーの間に浸透する。  
 独立派は、長老派のように権威的な教会運営を否定し、個別教会の独立性と信徒による直接的な運営を理想としたが、こうした姿勢は政治的な面では民主主義の追求に赴きやすいことは必然であった。このことは、やがて来る革命をかれらが担うことを予示していただろう。

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