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共産教育論(連載第19回)

2018-11-27 | 〆共産教育論

Ⅳ 基本七科各論

(2)言語表現
 言語表現科目は、各領域圏ごとの公用語(複数ある場合はすべて)及び世界公用語による表現力を身につける科目である。当科目は基礎教育課程の中でも、最も基礎的かつ基幹的な科目として、標準13か年の13ステップすべてで、発展的に割り振られる。
 当科目の目的は、共産主義社会を担う市民として、領域圏公用語及び世界公用語での読み書きの基礎的な力量を前提に、世界公用語を含む二つ以上の言語で、一定の事柄に対する自己の見解を自由かつ論理的にまとめる能力の育成にある。
 伝統的な学校教育上の教科では、一般に各国の公用語を「国語」として教えつつ、英語が公用語でない場合は英語を「外国語」として「国語」とは別立てで教えるパターンが多い。一方で、エスぺラント語のような「世界語(国際語)」はほとんど教育対象とされない。
 しかし、共産教育における基礎教育課程では、こうした伝統を覆し、およそ言語による表現全般を統合的に教育する。その際、「国語」に相当する各領域圏ごとの公用語による表現が基本となることは当然であるが、ここで言う公用語は事実上の公用語(共通語)を含み、かつ公用語が複数存在する場合は、可能な限りそのすべてを習得することが目指される。
 これに加え、世界公用語語の習得とそれによる表現も必修化される。その点、共産主義的な世界共同体は暫定的な世界公用語としてエスペラント語を指定するので、とりあえずはエスペラント語が軸となるが、仮にエスペラント語以外の新たな世界公用語Xが開発されるのであれば、その言語Xが教育言語に採用されることになるだろう。―知的障碍生徒に対しては、その理解度・発達度に応じて世界公用語を免除することもあり得る。
 要するに、当科目は各領域圏の公用語と世界公用語によるバイリンガルまたは、それ以上のマルティリンガルな言語運用能力の養成を目指す科目と言える。そのため、担当教員も教育対象となる言語すべての知見及び教授技能を要することになる。
 科目の方法論的な特徴としては、読むことにとどまらず、それ以上に書くことに重点が置かれることがある。たしかに、まずは読むことが表現行為の基礎であり、読むことは基礎教育課程の初等段階では重視される。
 しかし、読むことは本質的に受身的な表現行為であり、言語能力の最終目標は、自身で一定のレベルを保った文章が書けるようになることに置かれる。そのため、中等段階以降では、実際に自分で設定した自由なテーマの下に文章を書く訓練を繰り返し行なう。
 また、当科目の教材・題材としては、文学的な文章ではなく、すべて説明的ないし論説的な文章が使用される。文学的な文章の読解・表現力は市民的な素養を養うことを目的とする基礎教育課程では優先的な地位を持たないからである。
 ちなみに、指定されたテーマで、かつ制限字数内で記述するといった各種試験でしばしば実施される統制的記述課題は採用されない。共産教育は外部強制的でなく、内発的な知的探求を軸とした「構想力‐独創性教育」を本質とするからである。
 それとも関連して、当科目はメディアやインターネット経由の情報の正確かつ批判的な読解力―情報リテラシー―を習得する教育を包含する。高度情報社会における表現行為は、膨大な情報の収集及び咀嚼という情報リテラシーを前提とするものだからである。
 ところで、言語能力には読み(読解)・書き(記述)に加えて、話し(弁論)も含まれるわけだが、弁論に関しては、基礎教育課程の終盤段階で、通学によって提供される。ただし、任意選択にとどまる。弁論教育は、弁論を必要とする職業を志望する者に特化すれば十分だからである。


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