わたしがまだ小さかった頃は、母は食事を用意するにもガスコンロはなく、大変だったと想像できます。石油コンロを使っていたように記憶しています。住んでいたのは札幌市でしたから、冬季はストーブの火力も利用していました。
そのうちプロパンガスが使えるようになりましたが、調理するにも火種は一か所でした。そこで、米を炊き、味噌汁、総菜をつくっていました。今は、ガステーブルで簡単に点火でき、火力の調整も容易で、ゴトクが三カ所あります。魚を焼くグリルは別にあります。さらに言うと、レンジがあります。いくつもの総菜を同時進行で作れます。比較的短時間で、同時進行で調理できます。男子厨房に入るのにも、ハードルは各段に低くなっています。
問題は火力の調整です。同時進行なのでぼんやりしていると、火力調整に注意していないと、あっというまに焦げてしまったり、ゆですぎたり、沸騰した汁が鍋からあふれたり、します。
台所事情が戦後すぐの時期よりもずっとよくなったので、炊事の作業をうまくコントリールできれば、総菜をつくりながら、まかない作業で使ってしまった食器をなどをどんどん洗っていくことができます。
わたしの得意技(?)はまかない料理をつくりながら、どんどん汚れた食器を洗うことです。総菜の用意が全部できたときには、炊事作業で使った食器は全部洗い終わっています。30年以上の経験で身につけました。しかし、こんなことはわたしの母の時代にはできなかったでしょう。もう少し手伝いをすればよかったと、今は忸怩たる思いです。
そのうちプロパンガスが使えるようになりましたが、調理するにも火種は一か所でした。そこで、米を炊き、味噌汁、総菜をつくっていました。今は、ガステーブルで簡単に点火でき、火力の調整も容易で、ゴトクが三カ所あります。魚を焼くグリルは別にあります。さらに言うと、レンジがあります。いくつもの総菜を同時進行で作れます。比較的短時間で、同時進行で調理できます。男子厨房に入るのにも、ハードルは各段に低くなっています。
問題は火力の調整です。同時進行なのでぼんやりしていると、火力調整に注意していないと、あっというまに焦げてしまったり、ゆですぎたり、沸騰した汁が鍋からあふれたり、します。
台所事情が戦後すぐの時期よりもずっとよくなったので、炊事の作業をうまくコントリールできれば、総菜をつくりながら、まかない作業で使ってしまった食器をなどをどんどん洗っていくことができます。
わたしの得意技(?)はまかない料理をつくりながら、どんどん汚れた食器を洗うことです。総菜の用意が全部できたときには、炊事作業で使った食器は全部洗い終わっています。30年以上の経験で身につけました。しかし、こんなことはわたしの母の時代にはできなかったでしょう。もう少し手伝いをすればよかったと、今は忸怩たる思いです。