【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ピエール・バイヤール/大浦庸介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』筑摩書房、2008年

2012-07-05 00:18:11 | 読書/大学/教育

           

  わたしの読書方法と真っ向から対立する考え方が示されている。ごく簡単に言うと、話題とする本、批評する本は、読む必要がないということ、完読しなくとも、読まなくとも当該の本については十分に批評し、コメントすることができる。否、むしろ当該の本を読むということは害になるという。

 確かに、毎日、毎年、ゴマンと本が出版され、購入される。本を読むことはいいことだという観念が、依然として社会を支配している。
本書ではそのような状況のなかで、ぜんぜん読んだことのない本にであっても読んだようにふるまえるし、ふるまうべきだと書かれている。

  未読の本と言っても、それにはいろいろあり、本当に読んでない場合、ざっと流して目をとおした場合、人から聞いたことがある程度の場合、読んだことがあっても忘れてしまった場合で、それぞれに対処の仕方が指南されている。また、ある本にコメントしなければならないとしても、それが「大勢の人の前なのか」「教師の前なのか」「作家を前にしてなのか」「愛する人の前でなのか」で事情はことなるので、これらについても細かな分析(?)を加えている。


  興味深い読書論、テキスト論、批評論(想像行為としての「批評」)が「遮蔽幕としての書物」「内なる書物」「ヴァーチャル図書館」「共有図書館」という用語を駆使して論じられている。「心がまえ」として、「気後れしない」「自分の考えを押しつける」「本をでっちあげる」「自分自身について語る」をモットーとすべきことが強調されている。

   面白いのは、念には念を入れて、あちこちに注がうってあり、それらに<未><流><聞><忘>などの記号が、また<◎><○><×><××>の記号で「とても良いと思った」「良いと思った」「ダメだと思った」「ぜんぜんダメだと思った」と評価が付されていることである。

  そういう工夫や意義もさることながら、未読のさまざまなケースについて、小説にでてくる事例を示していることで、そこには「第三の男」「吾輩は猫である」(夏目漱石)が登場するところも興味深い。

  巻頭にオスカー・ワイルドの箴言が載っている、「私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ」と。本書の原作は、Comment parler des livres que l'on n'a pas lus? で「読んでいない本についてコメントする方法は?」の意。


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