偕楽園に行く途中で、西山荘に寄りました。ここは、幕府から隠居を許された二代藩主光圀が、自ら水戸城の北に位置する隠居の地として定めた場所です。光圀が亡くなる元禄13年(1700年)までの10年間を過ごしました。正式には西山荘ですが、「西山御殿」と呼ばれ親しまれました。
光圀は、ここで「大日本史」の編纂を行いました。華美をきらった光圀は、隠居の際に、わずかの身の回りのものと、修史編纂事業に必要な書物を持ち込みました。領民たちと親しく交流しながら、大日本史の編纂に情熱をそそぎ、73歳でなくなりました。
西山荘は光圀なきあとも歴代藩主によって保存されましたが、文化14年(1817年)に野火により消失。現在の建物は、8代藩主によって規模を縮小して再建されたものです。
先の3・11東北大地震で、建物がかなり傷んだようで、ホロがかぶった修復中の場所がありました。残念でしたが致し方ありません。それでも、周囲の環境を含め、落ち着いた風情のある、風光明媚な場所でした。花の咲くころ、紅葉の時期は、すばらしいようです。
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