【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

阪田寛夫『おお 宝塚-シャイ・ファーザー、娘を語る』文藝春秋、1992年

2013-01-10 21:58:40 | 演劇/バレエ/ミュージカル

             

  少年時代に葦原邦子の舞台を見て宝塚に深くかかわることになった著者は作家であり、芥川賞(「土の器」)を受賞している。その著者の次女が宝塚歌劇団の劇団員(生徒)となり、男役のトップスターとして活躍した大浦みずき(1956-2009)である。本書はその著者があちことで執筆した記事を「Ⅰ私にとっての宝塚」「Ⅱ宝塚をめぐる人々」「Ⅲ 劇評」の3部に分けてまとめたもの。


  何といっても少年時代の宝塚との関わりが面白い。小学生の頃から、男の子がこの世界に夢中になっている、というのが不思議である。わたしとは住んでいた世界がまるで違う。

  結婚して次女がバレエ学校に通うが、そのうち著者が宝塚を勧める。娘さんもやる気になっていたようだ。そして、紆余曲折があって、娘さんはその世界へ。著者は「娘がそこに入ってからは、自発的に、重い伝統の運営共同体に自分まで加入している気持ちになっていた。・・・稚い娘の演技を見るのは苦痛に近かった」と述懐している(p.130)。

  「宝塚をめぐるひとびと」では、小林一三、越路吹雪(最後の10年は「闌(た)ける花」と形容[p.138])、白井鐵造、高木史朗、三善和気、大河内豪などの想い出を語っている。小林一三は、もともとは「学校でせっかく唱歌を習い覚えた青年子女のために、江戸音楽を三味線にのせて演ずる歌舞伎に代わる新時代の国劇として、同じ題材を西洋の楽器と唱歌を使って演じたいと考えた」(p.169)のであり、端的に言えば「歌舞伎の洋楽化」(p.193)志向であった。

  著者には『わが小林一三』という大部の著作があり、図書館に入っていることを確認した。そのうち読んでみたい。「劇評」は、1969年から77年までの舞台の記録(印象記)である。


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