古川顕『日本銀行』講談社現代新書、1989年
本書が出版されたのはかなり古く1989年の9月。この半年まえに大蔵省(当時)は「金融制度改革に関する5つの考え方」を金融制度調査会・金融制度第二委員会に提示し、金融制度改革論議が煮詰まってきていました。
本書は金融制度の抜本的改革が当時、金融の自由化、経済のグローバル化を背景に進捗していたこと、その内容がどのようなものだったのかを、主として日銀の機能と役割に重きをおいて解説したものです。
日銀は通貨の安定、信用秩序の堅持を目的に業務を行っていますが、その役割は発券業務、各金融機関の当座預金勘定をつうじての取引業務(預金取引と貸出取引、手形交換制度)、そして政府の当座預金を経由する政府委託の国庫事務・国債事務に関する業務で果たされています。日銀のこの基本的役割は不変ですが、1990年前後、短期金融市場の改革は正念場を迎えていました。
その内容はインターバンク市場(コール市場、手形売買市場)偏重であった日本の短期金融市場を、欧米に比して未発達であったオープン市場の育成にシフトさせるというものでした。具体的には大口定期預金金利の自由化にはじまり、小口預金金利の自由化にいたる措置、オープン市場拡大(ユーロ円市場、CD市場など)を追い風とする金利裁定機能の促進がこれです。
さらに日銀の「永年の悲願」であった「短期プライムレートの自由化」は、市場性資金の調達の増加を背景にその多様化、効率化をもとめていた金融機関の利益に適う措置[運用金利(貸出金利)]でした。
一連のこれらの動きのもとで、日銀の金融政策にも変化が出てこざるをえなくなります。著者の理解によれば、企業などの資金調達の多様化が進んでいる状況のもとでは、金融機関の貸出供給ルートを通じた金融政策には限界があるので、重点は自ずから市場金利の連鎖を通じて民間の支出行動に影響を及ぼす経路に移ってくるはずである、といいます。日銀による新しい金融調節方式(1988年11月)の実施も、この流れのなかで評価すべきということです。
目次は、以下のとおりです。
1 日本銀行を動かす人たち
2 日本銀行の業務と機能
3 日本の金融市場
4 日本銀行の金融政策
5 金融システム改革と日本銀行
おしまい。
根井雅弘『経済学の歴史』講談社文庫、2005年。
ケインズ,マルクスの経済学はじめ12人の巨人の理論が並んでいます。重厚な経済学説史の書物です。
取り上げられた論点は,・・・・
・自然法にもとづく国家統治(理想的「農業王国」)の経済システムを解明したケネー「経済表」。
・スミスを自由放任主義者とみることの誤解の根拠。
・投下労働価値説・差額地代論・賃金の生存秘説・収穫逓減の法則を理論 的に体系化したリカード「原理」の意義。
・リカードからスミスへの回帰を意図したミルの「経済学原理」と社会科学方法論の解説。
・メンガーの功績を限界効用理論ではなく一般均衡論の確立に求めるべきという知見。
・「科学的社会主義」への信念を捨てなかった一般均衡論の立役者ワルラスの純粋経済学。
・部分均衡論を動態的分配論のワン・ステップとして位置付けたマーシャルの「経済生物学」構想。
・創造的破壊論から資本主義衰退論を展開したシュンペーター。
・マーシャル経済学批判から出発し新古典派とも対峙(分配論,再生産論)して,一般均衡論に代わる価格論を示した異端派の巨匠スラッファ。
・「消費者主権」など新古典派の仮定を疑問視し,「新しい産業国家」で計画化体制を分析の中心にすえたガルブレイス等々。
時には、本書のような、ものごとの原点を考えさせる本にも目配りしなくては・・・と思いながら読みました。
おしまい。

本書は「日本経済の長期的変化についての定点観測」(p.256)です。
3つの基本的視点で書かれています。
ひとつは「経済は人間のためにある」ということ。
2つ目は「市場メカニズムの働きを生かしていくことが基本的に必要」ということ。
3つ目は、「世代の自立」ということを基本とするということ。
そのうえで著者は日本型経済社会の構造変動を「相互補完性(complementary)」という概念を手がかりに、構造変化が「ドミノ倒し」で進んでいること、それが「シークエンス(順番)」を伴いながら進行しているという見方を一貫させています。
ここでいう「ドミノ倒し」とは、例えば「高齢化、成長率の低下で、企業は終身雇用、年功賃金を維持できなくなっている」⇒「雇用の流動性が高まり、労働力のアウトソーシング、人材派遣などが活用されつつある」⇒「企業への帰属意識が薄れ、中途退職、中途採用が増えている」という流れであり(p.12),シークエンスとは「企業部門に関係する雇用、経営、産業構造分野」⇒「金融分野」⇒「公的分野」という構造変動のプロセスのことです。
章別構成はこの順で構想されています。
「第1章:日本型雇用はどう変わるのか」
「第2章:多面的に進行する企業経営改革の行方」
「第3章:産業構造の変化ーこれからのリーディング産業は何か」
「第5章:構造変動のサイシュウランナー-ようやく本格化する公的部門の改革」
「第6章:中央依存から自立へ-変化の波にさらされる地域開発」
「第7章:少子・高齢化と日本の経済社会の構造変動」
「終章:日本経済社会はどこに行くのか-どう変わっていくのか、どのように変えるべきか」。
著者は十分自覚しているようですが、市場原理に重きを置きすぎているきらいがあります(著者はこの問いに対し「最初から複雑な現実世界に取り組んでも物事の理解は進まない。まず純粋型の理論で考え、どの条件が満たされないから現実と理論が食い違うのかを考えるべきだ。完全競争の市場モデルは純粋型として役立つのだ」と反論しています[p.254]。しかし、これでは現実がなくとも理論はありうるという妙なことも起こりうるようなことになってしまうし、両者の関係がアベコベではないかと思いました)。
著者は93年、94年の『経済白書』を執筆しただけに視野が広いです。網羅的に、経済の問題が語られています。
おしまい。

2001年に講談社から出版された同じ著者による『経済の読み方、予測の仕方』に加筆修正を施し、各章にその後5年間の動向に関するコメントを付して出来あがった文庫本です。
現在の経済のトピック(円高・円安問題、銀行の今後、土地価格の予測、調整インフレ論の理解の仕方、財政問題、国際市場の動向、IT社会での生き方、豊かな老後の過ごし方)が、37の法則に要約され、大変わかりやすく、かつ面白く読める解説になっています。
たとえば・・・。
① 為替の動向などもともと予測できないものである
② 日本の少子化は円安を招来する可能性がある
③ ペイオフの導入により預金者の銀行に対する評価が変わる
④ 日本の金融システムにアンバンドリング(機能の束の分離)が生じている
⑤ 日本の「借地借家制度」と「住宅金融公庫」の制度は住宅政策としては理不尽である
⑥ 穏やかなインフレは不良債権問題を解消し、インフレ期待は景気回復に寄与する
⑦ しかし、本格的なインフレは高齢者から資産を奪うので危険である
⑧ 市場は日本の財政破綻は無いとみている(消費税と課税最低所得の引き下げ)
⑩ 為替レートを固定すると投機家の温床になる
⑪ 発展途上国は国内のマクロ政策にゆがみをもたらすかもしれない変動相場制をとれない
⑫ 日本のITの立ち遅れは、ISDN、ADSLにこだわりすぎ、光ファイバー設備への移行に遅れがあったから(NTTが悪いわけではない)
⑬ 豊かな老後をおくる方法として「リバース・モーゲージ(住宅を売却して、そのかわり死ぬまで少なくない所得を得る」がありうる
⑭ 「生存保険」の活用が考えられてもよい
⑮ 年金は基本部分を現在の賦課方式を積み立て方式に移行すべきで、その他の部分は確定拠出年金型に切り替えるべき、等々。
ひとこと付言すると、話がほとんどフローの視点からであり、実物経済との関連が見えてこない、マクロ的視点からの解説なので現在の格差の問題、貧困の問題が射程外におかれている、時々登場する経済理論がわたしの考えるものとは大分違うようだ、ということを感じながら読み進み、読了しました。
おしまい。
(中部経済新聞社、2007年)
日頃、研究会(+飲み会)などで一緒になる「編者」ご本人からいただきました。
中小企業の現実がいきいきと描かれています。ヒアリングの対象となった企業(社長)は次の20社です。
「アライ」「スギ製菓」「石川製作所」「高瀬金型」「エイベックス」「タケダ」「永和工業」「知立機工」「エスタム」「羽根田商会」「エバー」「バルト工房」「オネストン」「日間賀観光ホテル」「ケイ・クリエイト」「山彦」「サカエ」「ヨシックス」「三恵社」「リバイブ」
門外漢のわたしは、大変勉強になりました。
バブルが中小企業に与えた影響と、それをのりこえ疾風怒涛のなかで必死になって先行きを考え、工夫をし、顧客と社員を大切にし、進取の気概と努力とで前進していった企業の姿を目のあたりにする想いです。
ヒアリング取材した第2部が圧巻です。特に編者が担当した「日間賀観光ホテル」「バルト工房」「ヨシックス」は、それらの企業のユニークさもさることながら、執筆者の気迫も感じられました。
この2部は各企業の個性がよく書けていて、編者が冒頭で強調している個々の中小企業の「多種多様」(p.12)を実感できます。
本書で強調されている「元気な中小企業」は、大枠としてはそれぞれの「持ち味」(p.22)をもち、また特別に章立てされている第2章「元気な中小企業とは」で要約されているような、固有の「強さ」「経営力」、そしてその根源にある「経営理念」「顧客第一主義」「人材育成」という要素を総合的に発揮することのできた(あるいはしようとしている)企業と受け取めました。
この場合、いわゆる経営指標などは、「元気度」をはかるものさしには「全く」ならないのかどうか? 編者に聞いてみたいところです。
この本からは「経営理念」をもつことが、企業にとっていかに重要かがよくわかりました。ただ、「企業文化論」などでしばしば指摘される、「社訓」とか、「社是」といた用語は一度も登場してきません。後者の2つは前者の2つに含まれるか、全く同義語なのでしょうか? わたしはこれらは微妙に違うと思いますが、この点も編者に、今度会った時に、聞いてみたいものです。
また、経営者の方々も勉強会などを開いて、熱心な意見交換をしていることもわかりました。
いろいろな意味で示唆的な良書です。
吉川洋『転換期の日本経済』岩波書店、1999年。
経済学・統計学の父であるウィリアム・ペティが『政治算術』(1690年刊行)で述べた精神(思弁的な議論を避け、主張を数、重量、尺度で表現する)に学びながら(pp.2-3)、1990年代の日本経済を分析しています。
結論は、「90年代の日本経済の低迷は長期的な『需要不足』によって生じた」というもの。「したがって需要がなぜこれほど長期にわたってしかも大きく落ち込んだのか、この点を解明することが・・最大の課題である」と述べて本書の目的を明確にしています(p.9)。
上記の課題に対する解答として、著者は90年代不況の要因を①設備投資の大幅な落ち込み、②消費の長期的不振、③94-96年の輸入増加、④97年の財政政策の失敗をあげています。
論点が極めて明確です。要するにケインズ経済学の立場から今やスタンダードである新古典派経済学の日本の経済政策論を批判しているのです。後者は日本の90年代の不況を「潜在成長率の低下」から解きますが、それは間違いと著者は言います。「潜在成長率の低下」の議論は「機会の平等」「自己責任」「情報開示」「ルール重視」を大原則とする市場メカニズムの改革が急務であると主張しています、これも間違いとのこと。
著者は需要の不足が90年代不況を生み出したのであり、資本、労働投入量、TFP [Total Factor Probability](全要素生産性)は総需要の動きに決定的に左右されると主張して自らの姿勢を明らかにしています。
それでは今後、何をなすべきか? 戦略的変数は設備投資。都市環境、交通、医療システム、情報・通信基盤の拡充による需要拡大こそが喫緊の課題である言うのが著者の立場です。
この他、「十年不況」の第一期の投資の落ち込みは「貸し渋り」ではなく、バブル期の反動としての大型の「ストック調整」であること(p.23)、バブル期の旺盛な設備投資は「独立投資」ではなく、「循環的」要因にもとづく「能力増強」が他のそれであること(p.26)、バブル期の問題はマネー・サプライの安定化を図ることだったのではなく、ブルーデンス政策(銀行経営の健全性と信用秩序を維持するための政策)を実現することであったとの主張(p.74)、日本経済の元凶は「円高」であるから固定相場への復帰を展望する論調があるが、円高をもたらしたものは一部の製造業(電機・輸送・精密・一般機械など)の労働生産性の上昇であり、各国の生産性上昇率格差を調整するシステムは「変動相場制」でしかありえない(p.110)など、論点提示は見事です。
現在の支配的な経済理論と政策の誤謬をつき、それに代替する理論と政策の提言を説得的に展開している好著です。
おしまい。
マーシャルからケインズにいたるケンブリッジ学派の経済学を鳥瞰した力作です。
本文最後の文章が全てを言い表しています、「現実に応えるための経済理論、この実践精神こそはケンブリッジ学派のエッセンスであり、マーシャル以来、連綿と受け継がれて変わらないものであった」(p.206)と。
「複雑系」がブームになった切っ掛けはミッチェル・ワードロップの『複雑系』(新潮社)ですが、本書は経済学の一般均衡論に対する挑戦の書です。
一般均衡論に対して「定常性」の概念を基礎に「複雑系経済学」の構築を目指しています。著者は経済学説史の系譜ではスラッファを拠り所としながら、そこに留まらず、「現代的古典経済派(Contemporary Classical Scool)を自称しています。
問題提起は確かに鋭いものがあります。
①一般均衡論に登場する経済人が効用の最大化原理にしたがって行動することを仮定する事の無意味さ、非現実性
②同じくこの経済学が2財モデルから多財モデルへ論理展開するさいの論理の恣意性
③コルナイの二元論(実物過程と制御過程の二分)の意義と限界
④市場における人間の3つの限界(視野の限界、合理性の限界、働きかけの限界)の指摘
⑤ 上記の3つの限界のなかの「合理性の限界」では複雑さが人間の問題解決能力に決定的な限界になっていることの指摘
⑥旧ソ連での経済計算論争の現代的解釈が重要であるという指摘、等々。
要するに著者は経済をどのように理解しているかというと、それは「複雑系の時間特性がゆらぎのある定常性とすれば、系の相互作用の特性は『ゆるい連結』(p.159)と規定される」というのです。また、経済は「情報処理によってすべてを調節・制御するには複雑すぎる対象であ」り、「対象を記号化した情報システム内部の計算のみによって調節されているシステムではなく、対象システム自身に埋めこまれている」(p.204)とも言っています。
とにかく、野心的な経済学です。一般均衡論は、もう時代遅れとわたしも思います。