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【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

地域の本当の力を知るための本

2008-08-12 00:35:36 | 経済/経営
藻谷浩介『実測・ニッポンの地域力』日本経済新聞出版社、2007年
                              実測!ニッポンの地域力 / 藻谷浩介/著
 インパクトの大きい地域経済論の本です。というのは従来の固定観念を否定した問題提起を統計を使って実証的に行っているからです。

 「まえがき」にあるように、「地域間格差などというものはない。都会も地方も、少しの時間差をおいて同時に沈んでいるだけだ」「日本で唯一小売販売額が増えているのは、東京都でも愛知県でもなく沖縄県である」などの主張をしています。

 もっと言うと、地域振興にはモノづくりが必要、地域の活性化には工業立地が不可欠、新幹線がとおれば人口が増える、高速交通網の整備は人口減少に拍車をかける、女性の就業率の高さが少子化の原因のひとつというのは間違い、などなど。

 しかし、中身を読むと納得する事ばかりです。統計の使い方の方法が斬新です。

 まず、実数を加工した数値よりも大切にするという考え方。例えば、有効]求人倍率という数字で少子化の不安をかきたてる風潮がありますが、出生数は近年ほとんど変化がない、それよりも人口ピラミッドで実数の推移で見るほうが将来予測には適しているという考え方に立っています。なぜなら生産年齢人口が痩せていると、この部分は10年後、20年後に高齢化し子どもは産めない、したがって出生率が好転しても高齢化そのものが回避されるわけではない、ということです。

 また「都市の連結キャッシュフロー」という方法。これは相互に関係の深い複数の市町村を1つの都市圏とみなし、居住者のネットの出入り(人口社会増減)を数値化するというものです。

 個別地域経済論が面白くためになります。「静岡県・豊かだが人は素通り」「仙台都市圏・思わぬ人口流入ストップ」「沖縄県・全国唯一、就業者も小売販売額も増加」「鹿児島県・所得や預貯金学は低くても地域経済は活性化」「福岡県・乗り遅れが生み出した日本一の活力」「滋賀県・人口増加が最も長持ち長続きする理由」「北海道・経済よりも迫り来る高齢化が落とし穴」「関西圏・文化の蓄積活かせず、就労人口流出」。他にもたくさんありますので、是非読んでみてください。

 「終章」で「東京に依存しない国土構造を」提起しています。それは要約すれば以下のとおりです。ドメスティックな視点を捨てること、東京のマーケットに依存しない産業構造をつくること、都市づくりを「サーバー&クライアント型」にすること、生活の質の向上をめざすこと、首都の置き場を再考すること、若者が人口再生産の低い東京に集中する構造をあらためること。

 一読して、地域の将来のあり方を議論したいものです。

橘木俊詔『日本の経済格差』岩波新書、1998年

2008-08-10 01:04:47 | 経済/経営
橘木俊詔『日本の経済格差-所得と資産から考える-』岩波新書、1998年

              日本の経済格差 所得と資産から考える / 橘木俊詔/著

 この本はジニ係数を用いて,日本の所得格差の拡大,国際比較という観点からの不平等度の強まりを,まず実証分析しています。

 バブル期に資産分配の不平等化が顕著に進んだことが統計数値で示されています。所得分配不平等化の要因としてあげられているのは,賃金分配の緩慢な不平等化,高齢化,単身家計の増加,家計内稼得者の微増,資産保有者の金利所得の増加,帰属家賃の貢献などです(p.205)。

 不平等度の強まりを放置できないという観点から,機会の平等の保証,税制改革(累進消費税,所得税率の累進度を下げる措置の廃止,金融課税の総合所得税制への変更,相続税の強化など),社会保障制度改革,税と社会保障との統合など現実的な提唱があります。

 また,かつてみられた親子間の職業移動,階層の流動性(学歴,結婚)が閉鎖性と固定性を強めているとの指摘も説得的です。

山田盛太郎の『日本資本主義分析』

2008-08-04 00:21:27 | 経済/経営

寺出道雄『山田盛太郎ーマルクス主義者の知られざる世界ー(評伝:日本の経済思想)』日本経済評論社、2008年

           マルクス主義者の知られざる世界山田盛太郎

 
 日本の経済学、ひいては社会科学の発展に大きな足跡であり、また多大な影響をもった山田盛太郎(1897-1980)の『日本資本主義分析』。その山田盛太郎の思想を掘り下げ、徹底的に解明した本です。

 第1章に先立って2枚の写真があります。1枚は山田の講演会を報じた『帝国大学新聞』の記事。もう1枚はアバンギャルド芸術家のタリトンの「第三インターナショナルのためのモニュメント」。この2枚の写真がセットになっていることの意味は、この本を最後まで読まないと分かりません。とにかく眼からウロコがおちる想いでした。

 前半は山田盛太郎の『日本資本主義分析』が生まれるまでの経緯、その内容が明快に展開されています(『第1章:山田の講演を聴く』、『第2章:「共産党シンパ事件」まで』、『第3章:「日本資本主義発達史講座』、『第4章:「日本資本主義分析」』、『第5章:「分析」の特徴とその反響』)。

 ここまででは、『日本資本主義分析』が『日本資本主義発達史講座』(1932-33年刊行)に所収された山田の論文をまとめたもので、35歳前後で非常に短い時間に一気に執筆されたこと、山田が1930年に「共産党シンパ事件」(山田の『無産青年新聞』へのカンパが発端)で東大経済学部を辞職し、在野に下って研究と執筆の時間ができたことが『日本資本主義分析』(1934年)の登場の大きな契機であった、との記述が印象的でした。

 難解な『分析』の内容は分かりやすく紹介されています。日本資本主義の「後発的」近代化の「型」は「ロシア型」と規定されること。その基底にあるのが半封建的土地所有制=半農奴制的零細農耕。明治維新後の地租改正によって「地租は金納、地代は現物納」となり、このうちの前者を資金源とした政府主導の工業化が日本資本主義の発展の要諦。この工業化は、さらに製糸業、織物業における「生産旋回」、「軍事機構=鍵鑰(キイ)産業」の構築につながったとのことです。

 要するに『分析』の課題は、半封建的土地所有制・半農奴制的零細農耕を基礎においた軍事的半封建的資本主義としての日本資本主義という「型」の摘出、そして当面の政治課題はブルジョア民主主義革命というものでした。

 山田理論ひいては『講座』の日本資本主義論は、コミンテルンの日本テーゼも絡んで所謂「日本資本主義論争」「封建論争」(「講座派」と「労農派」の対立として知られる)があったことは周知の事実です。

 ところでこの本の後半部分(『第6章:構成主義と「分析」』、『第7章:未来主義と「分析」』、『第8章:「分析」の後』、『第9章:山田盛太郎の位置』)。議論のトーンは一転します。『分析』の文章の難解さの解明です。検閲を意識したこともありますが、重要なのは山田が好んで建築用語を駆使し、好んで文体をアヴァンギャルド的に構成したことです。

 そうであるので『分析』はマルクス主義的社会科学の作品であり、構成主義的な芸術作品であり、未来主義的な芸術作品であるというわけです(p.166)。

 この後半部分の展開には、「近・現代の日本の思想の歴史の中で、マルクス主義が果たした役割は、モダニズムを近代主義に転換させることだった」(p.190)という言い回しも含めて、正直、仰天しました(モダニズムと近代主義は同義のようですが、スタンスは別とのこと[詳しくは本書で確認してください])。

  著者は慶応大学経済学部教授です。


上久保敏『下村治-「日本経済学」の実践者-(評伝:日本の経済思想)』日本評論社

2008-07-24 12:18:49 | 経済/経営
上久保敏『下村治-「日本経済学」の実践者-(評伝:日本の経済思想)』日本評論社、2008年

             下村治 「日本経済学」の実践者 / 上久保敏/著

 下村治といえば日本の高度成長の立役者というイメージが強いです。

  本書ではその「下山理論」がどのようなものか詳細に解説されています。

 まず、下山がケインズ経済学者かというと、ただちにYESとは言えないとのこと。1948年ごろ病床にあってケインズの『一般理論』を自らのものとしましたが、「ケインズ理論の本質的な価値を認めつつも、有効需要の理論だけでは経済変動の現実的な説明ができないとして、ケインズ的な乗数理論の批判を出発点とし、経済変動の分析により説得力がある理論を自ら提示しようとした」(p.62)し、どちらかというとハッロド=ドーマーの流れにあると言ったほうが適当であるようである(p.225)と書かれています。

 次に、いわゆる「所得倍増計画」の推進者であったかどうかというと、違うとのこと。倍増計画を策定した経済審議会の委員・専門委員239名のなかにも入っていないのです(p.138)。下村理論は民間企業の設備投資意欲、技術革新(イノベーション)に最大限の信頼をおき、理論の枠組みとしては国際均衡、国内均衡の同時達成をはかる最良の方途としての「高度成長による安定均衡論」とでもいうべきものだそうです。

 下村は1974年以降、ゼロ成長論を主張しますが、これは見解が変わったのではなく国際均衡、国内均衡の同時達成をはからなければ経済の発展はありえないとする理論的枠組みそのものに変更はありませんでした。

 さらに、下村理論は論争のなかで鍛えられていった点にも特色があります。後藤誉之助との在庫論争(1957年)、大来三郎、都留重人との成長論争(1959年-60年)、吉野俊彦(「安定成長論」)との論争、鈴木淑夫とのインフレ論争(1973年)、等々。

 アカデミズムから離れた大蔵省出身のエコノミストでしたが、官庁の公式見解におもねることなく、自らの信念をまげて発言したり、言いたいことを抑えることはなく、「四面楚歌の状態にあっても自らの考えを撤回することはついに一度もなかった」「経済論争において下村が譲歩することは全くなく、孤高の道を歩んだエコノミストであった。誰かと共同で論陣を張るということもなく、独自の理論を展開していった下村は、まさに経済論壇における『高踏派』とも呼ぶべき存在であった」と著者は結んでいます(pp.224-225)。

榊原英資『インドIT革命の驚異(新書)』文藝春秋,2001年

2008-06-25 00:44:49 | 経済/経営
榊原英資『インドIT革命の驚異(新書)』文藝春秋,2001年

            インドIT革命の驚異 (文春新書)

 インドは1947年の独立から1991年の経済自由化まで、長く停滞した後進国でした。それはソ連型の重工業優先の国民経済の建設、社会主義を標榜した混合経済、閉鎖経済の国でした。公共企業の比重が高く、自前の産業を育成するため、さまざまな輸入規制を設定し、民間企業への規制、内向的な輸入代替政策という独自の路線を歩む開発独裁の国でした。

 しかし、この国は1991年に債務不履行(デフォルト)寸前の危機に直面し、路線の変更を余儀なくされます。外圧に押されるかたちで経済の自由化が進められ、踵を接してIT立国、ソフトウェアの輸出国に転換しました。新経済政策でインドは蘇ります。

 今では奇跡的にIT産業が成長、輸出が伸び、インドは成長への確実な離陸を遂げました。

 IT革命の中心都市バンガロール、ハイデラバードにはソフト会社が立ち並び、インドの優秀なソフトウエア技術者がアメリカのシリコンバレーで活躍しています。また、インドのIT化を牽引するのはウィプロ社です。

 1999年にはIT省(情報技術省)が設立されました。絶対的な人口数、IT化に向けての産・官・学の連携、数学、計算分野でのインドの伝統的な強み、それらがうまくかみ合って今日のインドがあります。

 本書は、停滞から成長へのインド経済の跳躍の全貌を明らかにしています。もちろん成長の影には絶対的貧困があり、電力、通信などのインフラの立ち遅れ、など解決しなければならない問題は山積しています。そのことの指摘もしっかりなされています。

 最後に重要な問題提起もあります。冷戦構造が終結し、アメリカが経済の先頭にたっている感がありますが、その支配力には翳りがみられ(アメリカのヘゲモニーの終焉)、現在はたまたま先頭にいるだけ、これからは中国、インドなどを中心としたアジアが必ず台頭してくる、「鎖国国家」日本は「(アメリカを支える)ナンバー2戦略」を見直し、インドとの選択連携を視野に入れた外交戦略をとるべきであるとのこと。「そのためには、日本がアジアの多様で複雑な文化と歴史を自家薬籠中のものとし、多彩な外交を展開しなくてはならない」(p.211)と結論を述べています。

レギュラシオン理論とは?

2008-06-10 00:30:26 | 経済/経営
山田鋭夫『レギュラシオン理論』講談社新書、1995年

         レギュラシオン理論―経済学の再生 (講談社現代新書)

 1970年代にフランスで産声をあげたギュラシオン理論のエッセンスを読み解く啓蒙書です。業績ではアグリエッタの『資本主義のレギュラシオン理論』(1976)を嚆矢とするようです。他にポワイエ,クレール,リピエッツ,オミナミと論客が輩出しました。

 「レギュラシオン」とは生物学,システム論の用語で「その構成諸部分が相互に整合的でないようなシステムの動態的調和」を意味しますが,それを資本主義分析に応用したのがこの理論(p.52)です。

 理論の概念構成は単純で「制度的形態」「発展様式」「危機」「マクロ経済的結果」からなります(p.75)。危機といわれながら何故,資本主義が存続するのか? この理論の最大の関心は、そのメカニズムにありました。

 「市場」ではなく「制度的諸形態」を内臓と考え,「蓄積形態」を骨格とみなし,「調整様式」を血液・神経・ホルモンと捉えます。「発展様式」は生物体そのもの,すなわち「国民経済」です。

 戦後の資本主義の発展をフォーディズムで要約し,発展の「黄金の回路」を検証しています。今後の展望を「ネオ・フォーディズム」「ボルボイズム」「トヨティズム」に模索もしています。

 著者の解説は明快ですが、この理論の今日的状況は定かでありません。

サブプライム問題とは何か?

2008-04-15 00:09:23 | 経済/経営

春山昇華『サブプライム問題とは何かーアメリカ帝国の終焉』宝島新書、2007年
             サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉 / 春山昇華/著
 2007年6月から8月にかけアメリカでサブプライムローンの焦げ付きに端を発して株価の暴落、アメリカドルの対円レートの急落が発生し、国際的金融不安に火がつきました。金融市場は今なおくすぶりつづけ、いつ何時そこに激震が走るかわからない状態です。

 本書はこのサブプライム問題を平易に解説した本です。「プロローグ」に始まって、「第1章:住宅バブルを生んだ社会的な背景、時代的理由」「第2章:サブプライムが略奪的貸付に変質した理由」「第3章:サブプライム問題の露呈」「第4章:サブプライム問題への対策と現実」「第5章:サブプライム問題の今後」「第6章:終わりの始まり」「あとがき」からなっています。

 そもそも「サブプライム」とは「プライム」が「優良顧客」であるのに対し、アメリカで下層のマイノリティへの貸付を予定した住宅ローンのことです。日本にはこれに類似のローンはありません。

 アメリカでは普通の国民にとってはもちろん移民などのマイノリティにとっても「住宅」の保有は夢です。下層移民のこの夢を実現させるための制度的保証がサブプライムローンです。この住宅ローンの金利は通常のローンより3%ほど高いのですが、最初の2-3年のローンを低く設定し、その後金利を上乗せするという制度があります(変形タイプのローン)。

 典型的なのが2005年に始まったNINJYA(No Income, No Job & Asset) ローンというものです。これは「住宅ローンを借りるさいに必要な収入、職業、資産状況という条件を無視してお金を貸します」というものです。

 問題はこのローンの貸手がもともと銀行であるにもかかわらず、その斡旋をブローカーが行っていることにあります。ブローカーは契約数をこなすことで斡旋手数料などで莫大な利益を獲得し、さらに悪質になものになると略奪的貸付という前倒し返済、一括返済を認めないという
方法をとってローンの借り手を意図的に窮地に追い込むこともあります(モラルハザード)。

 サブプライム・ローン問題は、さらに①国内的、国際的背景から生じた余剰資金(遊休貨幣資本)、②住宅価格の急上昇と雇用リストラを生む景気の動向、③金融技術の進化による債権の「証券化」(仕組み債などを含む)の進展、④「資産担保債権」流動化の進行、⑤金融機関・年金基金・ファンドの格付け、⑥銀行からファンドへの流動性供給の主役交替など、いろいろな要因を視野にいれて考察しなければなりません。本書ではそれが試みられています。

 いまアメリカ帝国は、この問題で土俵際まで追い詰められています。国際的金融恐慌がいつ起こるかわからない状態です。事態は対岸の火事ではないことを痛感しました。  


荒川章義『思想史のなかの近代経済学』中央公論社、1999年

2008-04-01 00:56:44 | 経済/経営
荒川章義『思想史のなかの近代経済学-その思想史的・形式的基盤-(新書)』中央公論社、1999年
        思想史のなかの近代経済学―その思想的・形式的基盤 (中公新書)
 本年度(2007年度)、最後の読書をこの本で締めくくりました。
 
 本書で著者が言いたかったであろうことを以下の6点の引用にまとめてみました。

 ①18世紀の啓蒙の哲学(「理性」「科学」に全幅の信頼をおき、「自然」と「社会」はともに全知全能の立法者である「神」が設計した存在に他ならないとする哲学)は、本来自然を対象とした学問の分析的方法(方法論的個人主義、功利主義、合理主義)を、社会科学に導入する下敷きであった。すなわち、この哲学こそが重農主義の経済学、古典派経済学、19世紀後半の限界革命以降の新古典派経済学の成立を可能にした(p,12)。

 ②ワルラス、ジェボンス、エッジワースらは経済学の理論が古典力学の理論と酷似していることを「発見」したのではなく、むしろ経済学の理論を古典力学の理論と同じ内容で建設、「発明」した(p.109)。

 ③近代経済学の枠組みは、古典力学の理論、とくに保存的な力学場の「位置」「力」「ポテンシャル関数」「ハミルトンの原理」といった概念を、「商品」「価格」「効用関数」「最適化仮説」といった概念に読み替えることで成立した(p.121)。

 ④近代経済学の完全競争の理論とは社会の自立的成立の理論、自立的調整の理論の延長にあるものであり、また完全競争の理論とは「現実」の資本主義経済を「経済学的」に記述した経済理論ではなく、むしろ徹頭徹尾「理念上の」分権的資本主義経済を「政治学的」に基礎付けようとした経済理論である(p.175)。

 ⑤ダーウィンの『種の起源』の革新性は、マルサス(人口理論)、スミスの経済理論(分業論)、リカード(比較生産費説)の影響のもとにある(p.181)。

 ⑥分権的完全競争の理論は超越的主体や超越的強制力の存在を前提することなく社会の自立的成立の問題と社会の自立的調整の問題を説明するという社会契約論の課題に対する近代経済学流の解答に他ならないが、実は完全競争の理論は超越的主体や超越的強制力の存在を前提せざるをえないのであり、最終的にはこのパラドックスのゆえにこの理論は内側から崩壊する結果に終わらざるをえない(p.194)。

長銀が何故、破綻したのか?

2008-02-10 18:42:31 | 経済/経営

箭内 昇『元役員が見た長銀破綻』文藝春秋、1999年
         元役員が見た長銀破綻―バブルから隘路、そして…
 20兆円以上の資産を抱え、3兆7千億円という巨額の資金導入がなされて倒産した長銀。

  1月13日のブログで須田慎一郎『長銀破綻』講談社を紹介しましたが、著者はジャーナリストでした。今日、取り上げる本書は、その内部、しかも経営陣のひとりであった著者が、当時の経営陣を批判して、辞職した直後に書いた防備録をもとにまとめたものです。一部は長銀破綻についての著者の分析、二部はバブル期以降の長銀マンとしての体験と所感です。

 内部の人間が書いた記録であるだけに、説得力があります。<第一部:魔の11月から破綻まで><第二部:破綻のあとに>の2部構成をとっています。

 一部では敗因の流れを著者は次のように図式化しています。①バブル期のグループ会社上げての不良資産形成(第一次不良資産)→②担保不動産の活性化を含めた問題先送り(ゴーイングコンサーン)→③不良債権の膨張(第二次不良債権)→財務面への圧迫→④BIS基準死守による経営健全性アピール→⑤SBC提携による自己資本拡充→失敗→資産圧縮・収益力増強→資産の飛ばし・収益操作→⑥マーケットの不信→株価下落・金融大量解約→資金繰りの困難(pp33-34)。

 二部では70年入行、法律室、企画室、ニューヨーク支店副支店長、企画室長、営業二部長、取締役、取締役新宿支店長の経歴のなかで自身の感じたこと、批判、悔いが綴られています。辞める直前に部店長宛に送ったEメールをそのまま引用していますが、ここに想いは集約されています。それによると、長銀の経営戦略ミスは、①不良資産対策、②SBC対策、③合併再編への対応の遅れであり、この戦略ミスの要因は①理念に走りすぎ、現実を見失ったこと、②天動説(外から自分を見ることができない体質)です(pp.296-301)。

 金融債解約に殺到する預金者、外部格付けの急落と株価暴落、有能な人材の流出、UBSとの業務提携話とその解消、長銀ウォーバーグ証券による長銀株の大量売りが引き金となった株価暴落、バブル期におけるリゾート物件等への巨額融資、系列ノンバンクを介した迂回融資、粉飾決算、不良債権の飛ばし、などどれもこれもあまりにリアルで驚愕の連続です。


深刻な日本の財政問題

2008-01-27 00:46:41 | 経済/経営
富田俊基『国債累増のつけを誰が払うのか』東洋経済新報社、1999年
                              
国債累増のつけを誰が払うのか
 著者はまず,1997年に成立した財政構造改革法を,景気対策を理由にわずか1年で凍結したことに懸念を示し,次いで98年度に「政府債務の対GNP比100%超」と「財政赤字の対GDP比9.8%」という事実に問題の深刻さをみています。

 理論的問題としては2章「国債累増は破綻をもたらすか」が刺激的です。著者によれば,国債と税とはそれらを誰が負担するのかという点を問うと、両者は等価でないと主張されています。また,景気拡大策としての国債発行による政府債務累増は非ケインズ効果(大幅で持続的な財政収支の変更のもとでは減税や財政支出の拡大が個人消費抑制の方向に働く[p.116])に結果するので、政府債務が多い状態での財政健全化措置を構ずることは、資産効果と信任効果を通じて景気回復につながる(プラスのケインズ効果)と論じています(p.241)。
 さらに,各国の財政赤字の拡大は世界的な金利上昇と成長の抑制に結果するとも指摘しています。

 著者の改革の方向性は財政構造改革の各国の経験(アメリカ:OBRA[包括財政調整法]、イギリス:コントロール・トータル導入、ドイツ:モラトリアム制度導入、フランス:予算凍結、イタリア:オブリコ・コペルツーラ[財源確保義務制度])を踏まえ、予算制度の見直し、予算ルールの導入、大蔵大臣の権限強化の提案です。

 日本の財政問題は「もはや知的怠惰と無為は許されない臨界点まで来ている」(はしがき)のです。

須田慎一郎『長銀破綻 エリート銀行の光と影』講談社、1999年

2008-01-13 00:33:07 | 経済/経営
須田慎一郎『長銀破綻 エリート銀行の光と影』講談社、1999年
        長銀破綻―エリート銀行の光と影
  1952年に石炭、電力、鉄鋼などといった産業部門への集中的融資を担う銀行として設立された長期信用銀行は、同時に池田首相を中心とする宏池会に集う政治家の肝いりで創られた「国策」銀行でした。

 その長銀は、1997年10月23日、長銀、金融再生法36条の「破綻」認定に基づいた特別公的管理下におかれます。実質上の破綻でした。24日、東京証券取引所は、長銀株の上場を廃止。総資産26兆円の巨大銀行は一端「国有」化され、次いで米国資本に譲渡され、「新生銀行」として生まれ変わることとなりました。

 本書はその当時のリポートです。3部からなります(第一部「ドキュメント・長銀『最後の夏』」、第二部「飛ばされた不良債権」、第三部「長銀はなぜ『政争の具』となったか」)。

 長銀救済に固執する自民党、大蔵省、日銀。財政・金融の分離を怖れた旧大蔵省の思惑、日銀のなりふりかまわぬ長銀対策、ペーパーカンパニーを利用したバブル期の「飛ばし」の実態、不動産融資のさい長銀の「別働隊」としての役割を果たした日本リースなどのビヘイビア、住友信託銀行やUBSと長銀との合併構想、金融機能早期健全化法案の意味、長銀の超過債務認定をめぐる攻防、長銀のプロジェクト・ファイナンス(リゾート、ゴルフ場など)への傾斜、など難しい問題が息もつかぬ勢いで活写されています。

 まさに、裏表紙にあるような「エリート銀行と日本の金融システムの闇に迫る衝撃のドキュメント」でした。

おしまい。おやすみなさい。

山家悠紀夫『景気とは何だろうか』(新書)岩波書店、2005年

2007-12-30 01:10:18 | 経済/経営
山家悠紀夫『景気とは何だろうか』(新書)岩波書店、2005年
         景気とは何だろうか (岩波新書)
 景気循環を引き起こす要因を①市場の力,②海外からの影響,③政策の力に整理し,戦後日本の経済を「戦後復興の時代」「高度成長の時代」「低成長の時代」に区分して解明しています。

 橋本内閣の「財政構造改革」が1996,97年不況を招き,深刻化させたという分析,また1999-2000年の政策転換による景気回復,2002-04年の米中の経済活動の高揚による景気回復という状況のなかで一貫していたのが97年からの家計部門の需要低迷という分析は鋭いと思います。

 これらの分析の延長で、いわゆる「構造改革」論の論理と現状認識を批判し,格差拡大,景気回復の阻害という現状を憂えています。

 不良債権処理政策の誤り,欺瞞も徹底的に暴いています。最初の2章「1章・景気はなぜ波を打つか」「2章・景気を何でとらえるか」は論点整理が行き届いていますし,最終章「暮らしの視点から景気を見る」での「景気がよくなることが即暮らしがよくなることではない」とする着眼点は傾聴に値します。

おしまい。

山家悠紀夫『「構造改革」という幻想』岩波書店、2001年

2007-12-29 01:07:11 | 経済/経営

山家悠紀夫『「構造改革」という幻想』岩波書店、2001年
                          「構造改革」という幻想―経済危機からどう脱出するか
 小泉政権のおりに盛んに喧伝された、いわゆる「構造改革」路線を徹底的に批判しています。

 構造改革の内容は,「規制緩和政策の推進」「競争政策の積極的展開」「ダイナミックな企業活動を促す環境整備」に要約されます。著者はその本質がサプライサイド強化論であり,アメリカの近年の経済成長政策を模したものとみています。

 その上で,日本経済に今必要なのは需要喚起政策であること,またアメリカに成長をもたらした条件と現在の日本経済がおかれている環境とでは相違があることを主張し,「構造改革」には組しえないと断言しています。

 またバブル崩壊後,2度景気回復の兆候があったにもかかわらず,消費税率引き上げを含む「構造改革」政策がこれをつぶしたこと,不良債権処理の強引さが景気後退を余儀なくさせたことを糾弾しています。

 構造改革推進派は財政構造も改革しなければならないと宣伝していますが,それも誤解であることを解明しています。まことに小気味がよいです。

 以上のように。著者の意見にはおおむね賛成で、同意できますが、ひとつだけ指摘しておきますと、財政分析で若干楽観的にすぎる記述があるように思いました。

おしまい。


高橋義夫『覚悟の経済政策』ダイヤモンド社、1999年

2007-12-20 11:32:16 | 経済/経営
高橋義夫『覚悟の経済政策』ダイヤモンド社、1999年
                              覚悟の経済政策―昭和恐慌 蔵相井上準之助の闘い
 浜口内閣の蔵相を務めた井上準之助。列強が金本位制に復帰するなかで,金輸出解禁策を打ち出します(1930年)。

 「金解禁」とは一度封鎖した金本位制を再度とるという政策で「金の自動調整作用」に期し,輸出の拡大をはかり,不況からの脱出をはかろうというものです。

 浜口内閣のもとでの緊縮財政で経済に体力をつけたあと,この策を構じ,経済の体質改善をはかったのでした。しかし,井上のこの策は旧平価を維持した金解禁であったこと,またおりしも世界恐慌が進行していたことなどのため,思うような経済効果は出ず,結果的には失敗,金輸出は再禁止となりました(1931年)。

 世情が悪化するなかで,浜口首相は狙撃され,井上も凶弾に倒れます(1932年)。

 本書では経済恐慌下に咲いた文化,例えば経済ジャーナリズムの発展,改造社の円本,銀座カフェーの隆盛,人絹の生産増にも言及があり、面白くかかれています。

著者は作家。第106回直木賞を受賞しています。

『経済白書』の歴史にモノ申す

2007-10-16 01:06:18 | 経済/経営
岸宣仁『経済白書物語』文芸春秋社、1999年。
        経済白書物語
 昭和22年「経済実相報告書」に始まる戦後の52冊の「経済白書」を論じた本です。

 「経済白書」は現実経済の忌憚のない分析を目的とするのですから,「経済白書」の分析は戦後日本経済の分析になるはずです。が,必ずしもそうならなかったと、著者は書いています。ここに大きな問題があります。

 「国も赤字,企業も赤字,家計も赤字」の「都留白書(22年度)」は,平易な言葉で経済の実態を説明した定評のある白書です。

 「もはや戦後ではない」と指摘した白書(31年度)を執筆した後藤誉之助は,33年度白書で景気判断を誤り,失意の晩年を過ごしました。

 円切上げを指摘しなかった「敗北の白書」(46年度),インフレを過剰流動性で置き換え,現実を歪曲した48年度白書,バブル経済への警告に無頓着だった91年度白書,「消費税不況」を認めなかった98年度白書。

 著者は白書の権威失墜の理由を,この「十年近くにわたる日本経済の長期的な下り坂を最後まで認識しえなかったこと」(p.302)にあるとし,「経済実体を赤裸々にカ活写した『都留白書』の原点に戻るべき」(p.307)と力説しています。

おしまい。