kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京の冬の旅・西本願寺⑧「飛雲閣ペーパークラフト・天の邪鬼・埋め木」完

2024年02月27日 | 京都
京の冬の旅・西本願寺⑦の続きです。

本願寺=西本願寺=お西さん

左:御影堂   右:阿弥陀堂
パンフレットの表紙から撮りました。

西本願寺と東本願寺は、一つの「本願寺」でした。
第11世 顕如上人(けんにょしょうにん)の時代に、織田信長との石山合戦で和睦か徹底抗戦かで親子の対立が起こりました。

そして、元々の本願寺は 顕如(けんにょ)上人の三男、准如(じゅんにょ)上人が12世となりました。

長男の教如(きょうにょ)上人は隠居していましたが、徳川家康から寺地の寄進を受け、東本願寺を作り12世となりました。



飛雲閣のことを知ったときは
工事中でネットに囲われていました。



国宝・飛雲閣のペーパークラフトは
修復中の国宝・飛雲閣の特別公開の時に記念品として
受付で飛雲閣のペーパークラフトが配られたものです。


飛雲閣(右)と、四阿(あずまや) 2024年2月11日



四阿と鐘楼(左)



鐘楼

滴翠園(てきすいえん)の東端から見たのは
この鐘楼と階段で、出入り口になっていました。



この鐘楼は、現在も法要の前に撞かれているのですね。


●西本願寺さんへ、今までに行った時の写真と記事です。

「愛嬌たっぷりの天の邪鬼(あまのじゃく)」
この記事は、上画像をクリックしてご覧ください。



「縁側と廊下の埋め木は大工さんの遊び心」
この記事は、上画像をクリックしてご覧ください。

「京の冬の旅」西本願寺さんは、これで終わります。
コメント (4)
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京の冬の旅・西本願寺⑦「大玄関門→書院→本願寺中央幼稚園」

2024年02月25日 | 京都
⑥「書院→旧仏飯所→国宝・唐門」の続きです。


「国宝 唐門」を後にして



「大玄関門」へ向かいます。
唐門と同じく、北小路通に面しています。



大玄関門の前は「書院」です。

書院の一番規模の大きい広間「白書院」は、ご門主との対面に使われたところから「対面所」とも呼ばれます。



そして黒書院・能舞台などがありとても広いです。



書院前の石碑「明治天皇行幸所」



西南の方に小さな門が見えるので行ってみます。



門を潜ると、世界遺産のお寺に「本願寺中央幼稚園」
そして、西側には「龍谷大学図書館」がありました。



小さな門の外から見える「書院」と



いま通ってきた「大玄関門・唐門」と、一番奥に見える突き当りが、旧仏飯所横の飛雲閣のある「滴翠園」の入口が見えます。



書院の前を通って戻ります。
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京の冬の旅・西本願寺 ⑥「書院→旧仏飯所→国宝・唐門」

2024年02月23日 | 京都
⑤「四阿(あずまや)胡蝶亭から見る 飛雲閣」の続きです。
滴翠園を出て、国宝「唐門」へ向かいます。


写真右の建物「龍虎殿」と「滴翠園」の間の道を
通っていくと、正面(西)に見えるのは「書院」でした。



書院の前から、東方向を撮りました。

この写真では、向かって左が「龍虎殿」で
右に見えるのは「飛雲閣のある滴翠園」です。


西本願寺さんの境内図

上写真は、赤い●から撮りました。



書院前の道を南へ向かって行くと「国宝 唐門」ですが・・・



立札があるので見ると、ここは「旧仏飯所」でした。

両堂にお供えする仏飯の炊事していた建物でしたが
今は、別の所に膳所が建てられているそうです。



旧仏飯所を立札の中から見えた写真ですが
写真右端に「滴翠園」の茶室が見えます。



境内図の旧仏飯所の左横に入口と書いてある所は
北小路通から入った所にある「滴翠園」の入口でした。



茶室「澆花亭」が西側の入口から近くに見えます。
「滴翠園」の入口は、見ただけでも4ヶ所ありました。



これは ③「茶室 澆花亭」の写真ですが
澆花亭の後ろに「旧仏飯所」の建物が少し見えていました。

「澆花亭・清浄亭(しょうじょうてい)」へは
この入口が近いので、きっと使われていたのでしょうね。


南側の道からみた「書院」

本願寺の書院は、対面所(鴻の間)国宝のほかに、白書院国宝・黒書院国宝・能舞台国宝重文などがあり、桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の様式です。



桃山時代に発達した豪壮華麗な書院造の様式の代表的なもので、座敷飾(床、違棚、帳台構、付書院)を完備し、金碧障壁画や彫刻で飾られています。

対面所は寛永年間(1624~44)の造立で、白書院はそれよりやや古く、もとは別々の建物でしたが、後になって今のように接合されました。

書院の特別公開にも行きたくなりますね。


国宝「唐門(からもん)」

迎賓館のような役割をした書院の前にあります。



国宝・唐門が約40年ぶりに修復され
桃山時代を象徴する華麗な姿がよみがえりました。



桃山時代1573~1614 年  四脚門前後唐破風造側面入母屋
檜皮葺. 境内の南側、北小路通に南面して建っています。



唐門は
高さ:約8.7m、幅:約5.4m。



唐獅子に牡丹、鳳凰、麒麟、虎、豹、孔雀、波に龍、鶴など
豪華な彫刻が施されています。



ユニークな表情ですね。



その見事さに日が暮れるのも忘れることから



「日暮らし門」とも呼ばれているそうです。



「国宝の桃山三唐門」(京都国宝三唐門)は
西本願寺の唐門・豊国神社の唐門・大徳寺の唐門 です。

この先に「大玄関門」があるので行ってみます。
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京の冬の旅・西本願寺 ⑤「四阿(あずまや)胡蝶亭から見る 飛雲閣」

2024年02月19日 | 京都
④「国宝 飛雲閣・浴室 黄鶴台・鐘楼」の続きです。


飛雲閣の前に、四阿があるので行ってみます。(^^♪



四阿には、東側と西側に階段があります。



西側の階段を上がって行くと「鐘楼」も見えます。



四阿「胡蝶亭」から、飛雲閣を見ています。



二層目の周囲に回縁が見えます。



二層部分の向かって右側は「花頭窓(かとうまど)」
そして、左が軒唐破風屋根になっています。



それでは、滴翠園の「滄浪池(そうろうち)」に
映る飛雲閣を後にします。



出入口が同じ場所で、左に「木戸」があります。
その先に見えている屋根は「御影堂」の屋根です。



滴翠園を出て、約40年ぶりに修復された
世界文化遺産「国宝 唐門」へ向かいますが
長くなりますので次回へ続きます。
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京の冬の旅・西本願寺 ④ 「国宝 飛雲閣・浴室 黄鶴台・鐘楼」

2024年02月18日 | 京都
西本願寺・飛雲閣の庭園 ③「茶室 澆花亭」 の続きです。

世界遺産・西本願寺は
浄土真宗本願寺派の本山で、正しくは「龍谷山本願寺」です。


少し横から見た「飛雲閣」です。
写真左下の所が、舟に乗るところだったそうですが
そんな形跡は見当たりませんでした。



国宝 飛雲閣(国宝)は
不規則な中にも巧みに調和が保たれた非対称の姿形や、全体的に柱が細く障子が多いために空に浮かぶ雲のようだということから名づけられました。

●一層 主室の招賢殿(しょうけんでん)
 向かって右が付書院の入母屋造り、左が唐破風屋根。

入母屋造りに唐破風(からはふ)と千鳥破風を左右に八景の間、舟入の間、さらに後に増築された茶室・憶昔(いくじゃく)からなります。

●二層 歌仙の間
 右が花頭窓、左が軒唐破風屋根と
 左右アンバランスな構造になっています。

●三層 摘星楼(てきせいろう)
 


一層 柳の間 主室の招賢殿(しょうけんでん)

西本願寺書院対面所を小規模にした形式の
上上(じょうじょう)段。


二層 歌仙の間 

三十六歌仙が描かれた歌仙の間。


浴室 「黄鶴台(おうかくだい)」 重文

飛雲閣から西にのびる渡り廊下で結ばれている黄鶴台は
柿葺寄棟造りの床の高い建物です。



黄鶴台の下部分には、別棟の浴室があり
西南隅に唐破風をもつ蒸風呂と鉄釜があります。


茶室 「憶昔(いくじゃく)」

1795年(寛政7)ころに付属された茶室。

「舟入りの間」とも呼ばれ
舟から直接「茶室・憶昔」に入れるように造られています。



茶室「憶昔」は、飛雲閣の左(東側)にあります。



滴翠園(てきすいえん)の東端には鐘楼と門
写真左端(北側)には、四阿(あずまや)が見えます。
チョッと行ってみます。



上に見えているのは、立派な「鐘楼」です。

現在の鐘は二代目で
1150年頃に鋳造されたという初代の鐘は、太秦の広隆寺から譲られたもので、木の竜頭(吊り下げ部分)をもっています。
現在は、西本願寺境内の安隠殿に保存されています。



門は立入禁止なので覗いてみると
鐘楼への階段と、左には入口のようなものが見えます。

四阿から「飛雲閣」を見てきましたが
長くなりますので、次へと続きます。
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京の冬の旅・西本願寺 飛雲閣の庭園 ③「茶室 澆花亭」 

2024年02月16日 | 京都
②「国宝 飛雲閣(ひうんかく)」へ・・・の続きです。


飛雲閣は後から行くことにして



飛雲閣の建つ、約4900㎡の庭園「滴翠園」の



右(西)側に見える道へ行きます。



白壁の前に「梅の花」が咲いています。



道の先に見えるのは
茶室「澆花亭(ぎょうかてい)」でしょうか?



立入禁止なので見えるのは



左の方に「腰掛待合」と



その左にも、茶室が見えています。



それでは、飛雲閣の前へ戻ります。
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京の冬の旅・西本願寺 ②「国宝 飛雲閣(ひうんかく)」へ

2024年02月15日 | 京都
京の冬の旅・西本願寺さんへ向かう道 の続きです。

2024年の「京の冬の旅」は
何度も行きたいと思いながら公開時期が終わっていたことがあった、西本願寺さんの「国宝 飛雲閣」へ行ってきました。


国道1号線に面した西本願寺さんには
御影堂門と阿弥陀堂門があります。
それでは、御影堂門から入って行きます。



御影堂門を入ると、右に見える目隠し塀と大イチョウ。
左に見えるのは「御影堂」です。



大イチョウは、御影堂と阿弥陀堂前にもあります。



京都市指定の天然記念物で、樹齢はなんと約400年。

低い位置から枝が伸び、根っこを天に広げたような形から“逆さ銀杏”と呼ばれ、天明8年(1788)と元治元年(1864)、本願寺(西本願寺)に火災があった時、このイチョウが水を吹いて消火に貢献したという逸話から「水吹き銀杏」とも呼ばれています。



飛雲閣は、西本願寺境内の東南に位置する
「滴翠園(てきすいえん)」内にあります。



飛雲閣(外観だけ)・・・ですね。



京の三名閣の一つと言われる「飛雲閣」です。
三名閣:鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・飛雲閣

飛雲閣は、名勝 滴翠園にある池「滄浪池(そうろうち)」に面して建てられた三層柿葺(こけらぶき)の楼閣建築です。
飛雲閣前に数人の姿が見えるので、後から行くことにして



右に行けば、茶室「澆花亭(ぎょうかてい)」が
あるので行くことにします。
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京の冬の旅・西本願寺さんへ向かう道・・・2月11日(日)

2024年02月13日 | 京都

JR京都駅です。



今年の「京の冬の旅」は
西本願寺さんの「飛雲閣」へ向かいます。



西本願寺さん・東寺へは駅から近いので
私はいつも歩いて行きますが



西本願寺さんの御影堂門(みえいどうもん)へ向かう道で
この新しい建物を初めて見ました。

この建物は、2023年9月1日にオープンした
「デュシタニ京都(Dusit Thani Kyoto)」でした。

古い街並みが残る京都にも
新しいホテルが数多くできているようです。



デュシタニ京都の角地にあるのは
「植柳小学校の碑 二宮金次郎像」でした。

二宮金次郎像は
植柳小学校(しょくりゅうしょうがっこう)正門の横に長く設置されていたものでした。

植松町と柳町から校名がつけられた植柳小学校は、平成21年度末に閉校し、平成22年度から下京渉成小学校に統合されました。


植柳小学校の碑

 植柳小学校は明治2(1869)年9月16日、明治政府による明治5年の学制発布に先立ち、 下京第十九番組小学校として町衆によって山川町に開設された。

 明治7(1874)年9月、児童数急増により柳町の本願寺寺内町奉行所跡のこの地に移転、 教室は本願寺より伏見城の遺構である関雎殿の寄贈を受けて開設、同年植柳小学校と改称された。植松町と柳町から校名がつけられたとされる。

 当時の小学校は、京都府より一部の援助はあったが原則地元負担であり、土地購入・建築費・運営費は寄付金や各家の分担金、および教育の重要性をよく理解していた本願寺からの多額の援助でまかなわれた。

 開校以来、校名は植柳尋常小学校、植柳国民学校、植柳小学校と変遷したが、学区民の物心両面の支えと教育関係者のたゆまぬ教育実践により、一万余名の卒業生を輩出した。

 平成22(2010)年3月31日、地域住民の活動の中心としても長くしまれてきた植柳小学校であったが、児童数の減少から、子どもたちの教育充実を願い統合校である下京渉成小学校に後を託して140年の歴史の帯を閉じた。

 隣に立つ二宮金次郎像は、正門の横に長く設置され多くの児童を見守ってきたものであり、卒業生にとって想い出のモニュメントである。   設置日  令和5(2023)年5月
(原文がありましたので、転記させて頂きました。)



西本願寺さんの総門と、国道1号線を渡ったその奥に
「御影堂門」と、目隠し塀が見えています。



そして、御影堂門からは「目隠し塀」が見えています。
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ガウディとサグラダファミリア展 ⑭「ステンドグラスから光に溢れた聖堂」

2024年02月07日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑬「樹木式構造 クーポラ・ヴォールト天井」の続きです。

サグラダ・ファミリア聖堂 光に溢れた聖堂

サグラダ・ファミリア聖堂の林立する18塔のうち12鍾塔を除く中央6塔は「採光塔」と呼ぶ。主身廊と翼廊大屋根上の7基と側廊屋根12基も同用語の「採光塔」で命名された。

これら合わせた25基の採光塔から聖堂内部の最も暗くなる天井に光を導くことがガウディの解決すべき重要な課題の一つでした。



これら採光塔は未完で、天井の明かりは人工照明にすぎない。



側廊外壁の大窓や高窓にはステンドグラスが設置され
堂内に彩を与えている。



これらを朝日や午後の陽光が直射すると
驚くほどの明るさとなる。



ガウディが理想とした瞑想の空間に近づけているのだろうか。透過する光量をいかにコントロールするかが今後の課題であろう。


採光塔から、この内観が想像できたでしょうか・・・
ステンドグラスが美しいと聞いたことはありましたが
図録を見て想像以上の採光の美しさに感動しました。
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ガウディとサグラダファミリア展 ⑬「樹木式構造 クーポラ・ヴォールト天井」

2024年02月06日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑫「二重ラセン造形 円柱から二重ラセン柱 柱頭模型」の
続きです…長くなりますがお付き合いくださいね。

サグラダファミリア聖堂 「樹木式構造」

古代エジプトやギリシャ神殿の円柱が丸太を起源とするなら、その林立する空間は森でもあった。ガウディが使用したパラボラ形の立ち上がり、円錐断面や三角形断面では必然的に転び柱が生まれる。

逆さ吊り実験からも柱からの枝分かれが出現しており、コローニア・グエルでそうした枝分かれ柱が建設された。二重ラセン柱は樹木のように枝分かれし、その枝がさらに小枝に分かれて天井を構成する「平曲面」や「双曲放物線面」のヴォールを樹冠のように支える。

この天井ヴォールトには無数の孔が開けられ、それらの孔からは、樹冠のすき間に光が漏れるように、自然光が注ぎ込まれる森になった。

左ページ
グエル公園 ドリス式列柱廊「市場」

右ページ
上:コミーリャス キハーノ邸 玄関ポーチ
中:サグラダ・ファミリア聖堂
  降誕の正面、3扉口に分割する円柱
  (ラセン回転浮彫円柱とヤシの葉の柱頭)
下:グエル館、地下回厩舎



左ページ
左:側廊枝分かれ円柱と天井ヴォールト模型
  スケール1:10  2003年

右:中間案主身廊円柱の柱頭オリジナル模型
  スケール1:10  1913-15年頃


クーポラ・ヴォールト天井

サグラダ・ファミリア聖堂の天井造形は西欧一般のヴォールト架構では見られないが、この聖堂をビザンティン建築の構造単位に当てはめると、エフェソスの聖ヨハネ教会堂と同じ5個で構成できることがわかる。

この造形を「平曲面」や双曲線面に置き換えたと考えれば、この天井造形の不思議さも理解されよう。事実、主身廊や翼廊、および側廊身廊部側の各構造単位には採光塔が載る。

左ページ
左上:主身廊天井ヴォールト模型 2002年以降
左下:主身廊天井ヴォールト

中央:主身廊天井

右上:ビザンティンの構造単位複数構造に基づく
右中:主身廊天井、クーポラ構成からアレンジ
右下:側廊天井 クーポラ構成からアレンジ

私には分からない建築のことばかりなのですが、こうしてサグラダ・ファミリア聖堂が完成されていくのですね。建物を活かせる採光は、私も不可欠だと思います。(^^ゞ
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