kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・高台寺界隈の触れてご利益を受ける「東山 路傍の触れ仏」

2019年01月31日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
東山 路傍の触れ仏マップ

高台寺に入る所に、このマップが置いてありました。

その時は見てなかったので気付かなかったのですが、帰ってから見ると・・・
かわいいと思って撮っていた像が「触れ仏さま」だったのです。

高台寺 「秀吉とねねの像」

戦国時代を二人で仲良く駆け抜けた秀吉公とねね様の
夫婦円満にあやかりたい人。

皆に慕われ大らかな余生を送られた
「ねね様」にあやかりたい人。

高台寺 「マニ車」

マニ車は世界中で知られている仏教徒共通の仏具です。

高台寺のマニ車の中には「般若心経」が入れてあり1回まわせばご利益を受けられます。健康、長生き、その他願い事のある人、マニ車を右手でまわしながら時計回りの方向に歩いてください。

高台寺 「天満宮 牛

牛は天神さまのお使いです。

身体の調子の悪い部分を持っていってくれるといいます。
悪い部分の同じ場所を右手もしくは両手で触れてください。

円徳院 「大黒天」 

元はインドの神様。

護身・得財・勝利などのご利益があり、武士を中心に信仰をうけました。
勝負運などをあげたい方は右手もしくは両手で撫でてください。

月真院 「布袋」

中国の禅僧。

弥勒菩薩の化身といわれ、豊かな人生を与えてくれるとされています。


触れ仏脇の看板には、ご利益や触れ方の解説があり触れ仏マップもあります。

ハイキングなので、通り道でみつけた「触れ仏」さんだけですが
他にも「春光院 摩利支天」「岡林院 三地蔵」さんなどがあります。
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京都・高台寺の重要文化財の茶室「傘亭と時雨亭」

2019年01月30日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
霊屋より東の山にあがると、2つの茶室、傘亭と時雨亭があります。

傘亭(かさてい)重要文化財

傘亭は、利休の意匠による茶席で伏見城から移建したものです。

内部は、宝形造茅葺きの素朴な建物で
天井がなく屋根裏が竹と丸木が放射状にで組まれており
唐傘に似ていることから傘亭の名で呼ばれています。

時雨亭(しぐれてい)重要文化財

傘亭の右隣に位置し、こちらは珍しい2階建てです。

時雨亭も傘亭と同じく
千利休の意匠といわれ、伏見城から遺構されたものです。


高台寺には何度も来ていますが・・・
ここは、必ず立ち寄るところです。


いつものように中を覗いています。(^^ゞ


伏見城で「草堂」「高堂(学問所)」といわれ・・・
両亭を総称して「安閑窟(あんかんくつ)」と呼ばれていたそうですが


中に、その「安閑窟(あんかんくつ)」の文字が見えます。


南側の時雨亭(写真左)とは
小堀遠州作とされる高土間廊下で繋がっています。


2階南側の上段の間は柱間に壁や建具を設けない吹き放しになっています。

1階は茶室空間ではなく、伏見城に在った時は池に併設された
船着き場、舟屋として使われていたの説も・・・


伏見城では、この階上から景色を眺望していたのでしょうね。

※千利休が作ったと信じうる唯一の現存する茶室は、京都府・大山崎町「妙喜庵」にある、国宝の茶室「待庵(たいあん)」だと思っていたので、これは?ですね。(^^ゞ
機会をつくって、国宝の茶室「待庵」に行きたくなりました。
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京都・豊臣秀吉とねねのお寺「高台寺寿聖禅寺」

2019年01月29日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うために北政所(ねね)が出家して、慶長11年(1606)に開創したお寺ですが、寛政元年(1789)以後たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、今日残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台などになりました。

遺芳庵 (いほうあん)

北側に建っている灰屋紹益が妻である吉野太夫を偲んで造立したと伝えられ
西側の壁面に大きい円形の下地窓があけられているのが特徴です。

湖月庵と鬼瓦席

湖月庵の北東隅に、吉野太夫と灰屋紹益(はいやじょうえき)の茶室「鬼瓦席(おにがわらせき)」が建っています。樂四代一入作の鬼瓦が妻に掲げられたことから名付けられたといわれています。

方丈前の波心庭(はしんてい)
勅使門(表門)が見えてます。
勅使門と方丈は、焼失のため大正元年の再建されたものです。

前に来た時は、改修工事で古くなった「臥龍廊」の瓦を再利用して
波心庭に、雲海を模した白い砂の中に二匹の龍のオブジェがありました。
今日も楽しみにしてましたが、波心庭には何もありませんでした。

庭園 史跡・名勝
小堀遠州の作によるもので、桃山時代を代表する庭園です。

観月台(重要文化財

中央に位置する観月台は、檜皮葺き(ひわだぶき)の四本柱の建物で
三方に唐破風を付けた屋根の下から、観月するための建物です。

開山堂 (重要文化財)

開山堂は、高台寺第一世 三江紹益禅師が祀られている塔所です。

霊堂部中央の彩色天井には、北政所の御所車の天井と
前方の折上小組格天井には、秀吉が使った御船の天井が用いられています。

臥龍廊 (重要文化財)

臥龍廊(がりょうろう)は、開山堂と霊屋を結ぶ屋根付きの階段。
龍の背中に似ていることから名付けられたといわれています。


竹林があります。

霊屋(重要文化財)

霊屋(おたまや)は
北政所の墓所であり、秀吉と北政所をお祀りしているところです。
劣化が目立ってきたため修復作業が行われていました。
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goo スタッフさんから嬉しい 「ブログ記事が紹介されました!」

2019年01月29日 | 思い出・覚え書
昨日、編集画面を表示すると・・・goo スタッフさんから
嬉しい「ブログ記事が紹介されました!」が届いてました!



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今回で2度目のご紹介を頂いたので、嬉しさが倍です!
1度目は6年前の「2013年第19回神戸ルミナリエ」の記事でした。


紹介された記事:2013年第19回神戸ルミナリエ

goo スタッフさん、ありがとうございます。 (^^♪
これからも、私の五感?を発信したいと思っていますので
みなさんも覗きに来てください。(^^ゞ
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京都・高台寺を訪れて「大雲院の祇園閣てっぺんが目の前に・・・!」

2019年01月28日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
高台寺  庫裡 (くり)

庫裡は寺院の台所にあたる建物です。

大雲院の祇園閣てっぺん

この景色を前にして、数分動けませんでした。(^^ゞ

高台寺に入ってすぐの正面に
特別公開で見上げていた、祇園閣のてっぺんが見えたのです・・・!
高台寺には何度も行ってますが、初めて知りました。

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ここからは、第38回 京の夏の旅 文化財特別公開 「大雲院 祇園閣」 に
行った時の写真です、(2014年9月30日 撮)

龍池山 大雲院

祇園閣が建つ「龍池山 大雲院」です。

祇園閣は、大倉財閥創始者の「大倉喜八郎」氏が大好きだった
祇園祭の鉾を模した外観が特徴です。

祇園閣 (ぎおんかく

本堂の後ろにそびえる祇園閣は、信長父子供養塔です。

大雲院境内にありますが、そこは大倉財閥の創始者である大倉喜八郎の別邸で
昭和三年に大倉喜八郎(鶴彦翁)氏が、御大典記念にと建立されました。
(金の鶴は、大倉喜八郎氏の幼名が鶴吉、号が鶴彦なので鶴のようです。)

建築家・伊東忠太氏の設計による昭和初期の名建築です。
高さ36mの三階建ての、祇園祭の鉾をかたどった造りです。
祇園閣内部全体には、敦煌の壁画が描かれています。
そして、閣上からは京都の町が一望できます。

天正年間(1573-92)織田信長・信忠親子の菩提を弔うため父子の知遇を
得ていた貞安上人が、信忠の法名をもって二条烏丸に創建しましたが・・・
その後、豊臣秀吉の都市政策により寺町四条に移転しました。

だが天明・元治の大火で焼失し、明治初期に復興し、1973年(昭和48)に
現在地に移転されたのでした。
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京都・八坂神社界隈の史跡を巡って、お昼は「総本家 奥丹清水のゆどうふ 」

2019年01月27日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
京都散策ハイキングのお昼は「総本家 奥丹清水のゆどうふ」です。(^^♪

総本家 ゆどうふ 奥丹清水

創業は、江戸時代初期までさかのぼり西暦1635年。
代々受け継がれる味や雰囲気を変える事なく受け継がれ、先代で十五代目です。 


創業当時の名前は「奥の丹後屋」だったそうです。


お店に入ると、お庭の間から中へと繋がる廊下を通り
突き当りを左に行くと・・・


600坪のお庭が見える、貸し切り状態?のお部屋でした。
以前に来た時は、右手に見えるお庭に面した中央の席でした。(懐かしい)

「おきまり一通り」¥3000.(税別)

左から、とろろ汁・胡麻どうふ・木の芽田楽


ゆどうふ鍋は二人分です。


冬の京都で頂く、奥丹の湯豆腐と
ハイキングに参加された人たちとの楽しい会話で
心も体も暖まります。(^^♪


精進天ぷら


ご飯は、残しておいた「とろろ汁」をかけて頂きました。
「1月のハイキング」は、京都を散策して美味しいものを頂いてきました。
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京都 「法観寺・八坂の塔」を見下ろす八坂通りは撮影ポイント (^^♪

2019年01月26日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
八坂庚申堂から「八坂の塔」の横を通って「ゆどうふ 奥丹」へ向かいます。


「八坂の塔」の正式名は「法観寺(ほうかんじ)」です。
伽藍の1つが「八坂の塔」で、通称で呼ばれている五重塔です。


寺伝によると、聖徳太子が夢の中で如意輪観音からお告げを賜り、崇峻天皇2年(589)心柱の礎石に仏舎利(釈迦の遺骨)三粒を納めた五重塔を建造したのが始まりとされています。

592年創建と伝えられ何度か焼失したが、そのたびに再建されました。
現存する「八坂の塔」は、1440年に室町幕府6代将軍の足利義教によって再建。


京都市内には、五重塔が4カ所あるそうです。

1.国宝「東寺五重塔」:京都市南区 1644年建立 約55 m
2.国宝「醍醐寺五重塔」:亰都市伏見区 951年建立 約38m
3.重文「八坂の塔(法観寺)」:京都市東山区 1440年建立 約46 m
4.重文「仁和寺五重塔」:京都市右京区 1644年建立 約36 m


「八坂の塔」は、八坂神社と清水寺の中間に位置しています。


ここは何のお店でしょうか・・・?


八坂通りの緩やかな坂道を東側へ上るように進んでいます。
二年坂に差し掛かった手前です。


五重塔を見下ろす八坂通りは、撮影ポイントです・・・
上手に撮れていませんが素晴らしい景観です。
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京都・八坂の塔が見える夢見坂の「金剛寺 八坂庚申堂」

2019年01月25日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
建仁寺さんを出て、東大路通りの交差点から「八坂の塔」がある上り坂へ・・・
タイトル名を変更(追記:八坂の塔が見える)しました。(^^ゞ


その坂は、テレビドラマの中でよく見かける京都の風景で
八坂の塔まで約90mの坂でした。

くくり猿

坂道を上がっていくと、猿の手足を縛ってくくりつけているような
「くくり猿」が、軒先に吊るされています。

八坂庚申堂(やさかこうしんどう)の門前

夢見坂の右に位置する「八坂庚申堂」は
寺伝によれば、平安時代に浄蔵貴所(887年 – 946年)によって建立されたと
伝えられ 、庚申信仰発祥の地日本三庚申と言われています。

※追記
御本尊 青面金剛 (しょうめんこんごう)
本尊さんは、末法の乱れた世の人々を救おうとお釈迦様と阿弥陀様とお薬師様が相談され、その結果、青面金剛となって現れました。青面金剛は人を食う夜叉の姿で現れ、悪人を食らい、善人は食わないと言われています。

夢見坂

名前の由来は、法観寺(八坂の塔のある寺)の開基といわれる聖徳太子が
いつか京都に都が遷るという夢を見たという言い伝えからのようです。


境内には、カラフルな手作りの「くくり猿」が奉納されています。

自らの願い事を叶えるために努力を行う中で、余計な欲望に心を奪われてしまわないように、自らを戒める目的で、くくり猿に欲望をくくりつけておくのだそうです。


八坂庚申堂では、年に6回の「こんにゃく炊き」という行事が行われています。
こんにゃく炊きの言い伝えに、無病息災を願うものですが・・・


これは八坂庚申堂を建立したと言われる浄蔵貴所が、自らの父親の病気を治すためにこんにゃくを捧げたところ、父親の病気が治ったという言い伝えに由来するものだとされ、北の方角を向いて無言のままにこんにゃくを3つ食べると、無病息災で過ごせるようになるとも言われています。

「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿

庚申信仰において、猿(申)は神の使いと考えられ、自分たち人間の悪行を見たり
聞いたり、言わないで欲しいという願いを表現したものだと言われています。

猿が祀られていることから「病気がサル(去る)」「災難がサル(去る)」
「猿結び=縁むすび」などと、ご利益があると話題になっているそうです。


「八坂庚申堂」の門前から、八坂の塔を見ています。

それでは、昼食を頂く湯豆腐のお店で知られる「奥丹」に向かいます。
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京都・建仁寺さんの「三門・浴室・千鉢池・開山堂・平成の茶苑」

2019年01月24日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
建仁寺境内側の「禅居庵門」を出ると、すぐ左手に見えるのは建仁寺さんの・・・

江戸時代末期の建築物といわれる「三門と放生池」

静岡県浜松市の安寧寺から1923年(大正12年)に移築されたもので
楼上には釈迦如来、迦葉・阿難両尊者と十六羅漢が安置されています。
望闕楼(ぼうけつろう)とも呼ばれ、その額が架かっています。

浴室 京都府指定文化財

寛永五年(1628年)三江和尚(諱紹益)によって建立されました。


内部は待合と浴室(蒸し風呂、中央二間)土間(火炊場)に三分され


禅寺では入浴も修行として、厳しい作法が細かく定められていたそうです。

千鉢池
風呂と開山堂の間にあります。


千鉢池の水は、この石垣から流れ出る水。

開山堂

江戸期のものと伝わる楼門「宝陀閣(ほうだかく)」です。

柵横に「千光祖師栄西禅師入定塔」と彫られた石碑があります。
もともとは護国院、興禅護国院と呼ばれる塔頭の1つでしたが
明治に再建をして開山堂と改められたそうです。

平成の茶苑

栄西禅師は、宋(中国)からお茶の種子を持ち帰り日本に広めた方で
禅の祖というだけではなく、お茶の祖でもありました。


解説板には、平成3年の記念植樹とあります。
毎年五月十日ごろに、初摘の茶葉を挽いた茶をお供えしているそうです。

建仁寺境内図は こちら でご覧ください。
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京都・建仁寺の塔頭「禅居庵さんは狛イノシシがいっぱいのお寺でした」

2019年01月23日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
建仁寺の塔頭たっちゅう「禅居庵」

「日本三大摩利支天」の1つに数えられる「禅居庵」です。


「摩利支天(まりしてん)さん」とも呼ばれ開運勝利のご利益があり
亥歳生まれの方には、守り神として深く信仰されているそうです。


凛々しい「狛イノシシ」が迎えてくれます。

大鑑清拙正澄禅師が、海岸に到って遥かなるをご覧になって
彼の国の因縁は如何であろうかと思慮されたところ
尊天、猪の背に坐し忽ち現れ告げられたことからでした。


禅居庵は元弘3年(1333年)に、建仁寺第23世の元国からの来朝僧
大鑑清拙正澄禅師だいかんせいせつしょうちょうぜんし 」を開基として、小笠原貞宗が開いた寺院です。
写真では暗くて見えてませんが、欄間にもイノシシがいっぱいです。


こちらは、愛嬌のあるカワイイ系の狛イノシシです。
狛イノシシの写真は少ないですが、狛イノシシがいっぱいでした。


天文の兵火で焼かれ、天文十六年(1547)に
織田信長の父である、信秀が再建したと伝えられています。

創建時代の禅宗様仏殿の遺構が残されており中世様式の貴重な建造物として
平成七年、京都府より文化財の指定を受けています。

ゆずりあいの道
境内の東側の出入り口があり、常燈の横に矢印の上に
「建仁寺境内から花見小路に抜けられます。」


この道は、建仁寺さんから来た時の「禅居庵」へと続く道。

建仁寺境内側の禅居庵の門

毎月座禅会があり、参加費は無料で予約の必要もないそうです。
ホームページは こちら でご覧ください。
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