JR京都駅です。
今年の「京の冬の旅」は
西本願寺さんの「飛雲閣」へ向かいます。
西本願寺さん・東寺へは駅から近いので
私はいつも歩いて行きますが
西本願寺さんの御影堂門(みえいどうもん)へ向かう道で
この新しい建物を初めて見ました。
この建物は、2023年9月1日にオープンした
「デュシタニ京都(Dusit Thani Kyoto)」でした。
古い街並みが残る京都にも
新しいホテルが数多くできているようです。
デュシタニ京都の角地にあるのは
「植柳小学校の碑 二宮金次郎像」でした。
二宮金次郎像は
植柳小学校(しょくりゅうしょうがっこう)正門の横に長く設置されていたものでした。
植松町と柳町から校名がつけられた植柳小学校は、平成21年度末に閉校し、平成22年度から下京渉成小学校に統合されました。
植柳小学校の碑
植柳小学校は明治2(1869)年9月16日、明治政府による明治5年の学制発布に先立ち、 下京第十九番組小学校として町衆によって山川町に開設された。
明治7(1874)年9月、児童数急増により柳町の本願寺寺内町奉行所跡のこの地に移転、 教室は本願寺より伏見城の遺構である関雎殿の寄贈を受けて開設、同年植柳小学校と改称された。植松町と柳町から校名がつけられたとされる。
当時の小学校は、京都府より一部の援助はあったが原則地元負担であり、土地購入・建築費・運営費は寄付金や各家の分担金、および教育の重要性をよく理解していた本願寺からの多額の援助でまかなわれた。
開校以来、校名は植柳尋常小学校、植柳国民学校、植柳小学校と変遷したが、学区民の物心両面の支えと教育関係者のたゆまぬ教育実践により、一万余名の卒業生を輩出した。
平成22(2010)年3月31日、地域住民の活動の中心としても長くしまれてきた植柳小学校であったが、児童数の減少から、子どもたちの教育充実を願い統合校である下京渉成小学校に後を託して140年の歴史の帯を閉じた。
隣に立つ二宮金次郎像は、正門の横に長く設置され多くの児童を見守ってきたものであり、卒業生にとって想い出のモニュメントである。 設置日 令和5(2023)年5月
(原文がありましたので、転記させて頂きました。)
西本願寺さんの総門と、国道1号線を渡ったその奥に
「御影堂門」と、目隠し塀が見えています。
そして、御影堂門からは「目隠し塀」が見えています。