kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

ガウディとサグラダファミリア展 ⑭「ステンドグラスから光に溢れた聖堂」

2024年02月07日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑬「樹木式構造 クーポラ・ヴォールト天井」の続きです。

サグラダ・ファミリア聖堂 光に溢れた聖堂

サグラダ・ファミリア聖堂の林立する18塔のうち12鍾塔を除く中央6塔は「採光塔」と呼ぶ。主身廊と翼廊大屋根上の7基と側廊屋根12基も同用語の「採光塔」で命名された。

これら合わせた25基の採光塔から聖堂内部の最も暗くなる天井に光を導くことがガウディの解決すべき重要な課題の一つでした。



これら採光塔は未完で、天井の明かりは人工照明にすぎない。



側廊外壁の大窓や高窓にはステンドグラスが設置され
堂内に彩を与えている。



これらを朝日や午後の陽光が直射すると
驚くほどの明るさとなる。



ガウディが理想とした瞑想の空間に近づけているのだろうか。透過する光量をいかにコントロールするかが今後の課題であろう。


採光塔から、この内観が想像できたでしょうか・・・
ステンドグラスが美しいと聞いたことはありましたが
図録を見て想像以上の採光の美しさに感動しました。
コメント (2)
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ガウディとサグラダファミリア展 ⑬「樹木式構造 クーポラ・ヴォールト天井」

2024年02月06日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑫「二重ラセン造形 円柱から二重ラセン柱 柱頭模型」の
続きです…長くなりますがお付き合いくださいね。

サグラダファミリア聖堂 「樹木式構造」

古代エジプトやギリシャ神殿の円柱が丸太を起源とするなら、その林立する空間は森でもあった。ガウディが使用したパラボラ形の立ち上がり、円錐断面や三角形断面では必然的に転び柱が生まれる。

逆さ吊り実験からも柱からの枝分かれが出現しており、コローニア・グエルでそうした枝分かれ柱が建設された。二重ラセン柱は樹木のように枝分かれし、その枝がさらに小枝に分かれて天井を構成する「平曲面」や「双曲放物線面」のヴォールを樹冠のように支える。

この天井ヴォールトには無数の孔が開けられ、それらの孔からは、樹冠のすき間に光が漏れるように、自然光が注ぎ込まれる森になった。

左ページ
グエル公園 ドリス式列柱廊「市場」

右ページ
上:コミーリャス キハーノ邸 玄関ポーチ
中:サグラダ・ファミリア聖堂
  降誕の正面、3扉口に分割する円柱
  (ラセン回転浮彫円柱とヤシの葉の柱頭)
下:グエル館、地下回厩舎



左ページ
左:側廊枝分かれ円柱と天井ヴォールト模型
  スケール1:10  2003年

右:中間案主身廊円柱の柱頭オリジナル模型
  スケール1:10  1913-15年頃


クーポラ・ヴォールト天井

サグラダ・ファミリア聖堂の天井造形は西欧一般のヴォールト架構では見られないが、この聖堂をビザンティン建築の構造単位に当てはめると、エフェソスの聖ヨハネ教会堂と同じ5個で構成できることがわかる。

この造形を「平曲面」や双曲線面に置き換えたと考えれば、この天井造形の不思議さも理解されよう。事実、主身廊や翼廊、および側廊身廊部側の各構造単位には採光塔が載る。

左ページ
左上:主身廊天井ヴォールト模型 2002年以降
左下:主身廊天井ヴォールト

中央:主身廊天井

右上:ビザンティンの構造単位複数構造に基づく
右中:主身廊天井、クーポラ構成からアレンジ
右下:側廊天井 クーポラ構成からアレンジ

私には分からない建築のことばかりなのですが、こうしてサグラダ・ファミリア聖堂が完成されていくのですね。建物を活かせる採光は、私も不可欠だと思います。(^^ゞ
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ガウディとサグラダファミリア展 ⑫「二重ラセン造形 円柱から二重ラセン柱 柱頭模型」

2024年02月05日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑪「聖堂模型の変遷 窓と採光」の続きです。

二重ラセン造形
ガウディには常に複雑にする傾向がある。しかも複雑にしたうえでシンプルにしようとする。その好例がラセン柱であり、初期の段階からこの造形に執着していた。

このねじれ柱はバロックの特徴だが、ソロモン柱とも言うように古代から存在する。この古き建築言語をねじれなしの無回転、右回転、左回転、そして左右両回転の二重にねじらせて造形を複雑にする。この複雑な二重ラセン造形から最も単純な円柱を生み出すというマジックをガウディはこの聖堂で実現しているのだ。

 

左ページ
左:バルセロナ大聖堂
  クリプタ(地下礼拝堂) 聖エウラリアの石棺
右:サグラダ・ファミリア聖堂
  ロザリオの扉口採光塔 内部の転び柱

右ページ サグラダ・ファミリア聖堂
上中:降誕の正面 内部側ギャラリーの柱頭模型 (複製)
中左:降誕の正面 内部側ギャラリーの柱頭模型 (複製)
中右:回廊の円柱柱頭模型           (複製)
下中:降誕の正面 内部側ギャラリーの柱頭模型 (複製)


カサ・ミラ 屋上の煙突 換気塔 階段塔 給水塔 1906ー10

左ページ
左:屋上の双体煙突 (複製) 1984―85年
中:屋上の単体煙突 (複製) 1984―85年
右:屋上煙突 ラセン曲げ

右ページ
左:屋上の換気塔 (複製) 1984―85年
中:屋上換気塔 二重回転+孔

右上から
屋上階段、給水塔、無回転
屋上階段、給水塔、ラセン回転
屋上階段、給水塔、二重ラセン回転
屋上階段、給水塔、二重ラセン回転


サグラダファミリアの円中円柱から二重ラセン柱へ

初期のネオ・ゴシック案では単純な円筒の円柱でした。
1917‐18年頃の「平曲面」導入時には一方向のラセン柱、そして最終案で二重ラセン柱になった。すべての柱は柱礎の断面をパラボラ先端部の星形とし、12星形を中央大塔の交差部柱、10星形を福音書作家塔の柱、8星形を主身廊柱、6星形を側廊柱にあてた。

右ページ
左:正方形角柱ラセン柱
中:二重ラセン柱(6星形)
右:二重ラセン柱(4星形)

右:主身廊円柱模型
  スケール1:10(複製)


4種類の二重ラセン柱

4種類の二重ラセン柱:左から
1.側廊円柱     (6星形 高さ12m)
2.主身廊円柱    (8星形 高さ16m)
3.福音書作家塔円柱 (10星形 高さ20m)
4.中央塔円柱    (12星形 高さ24m)

主身廊柱の8星形の半分(4m)の高さで1回転させると倍の16星形、次に4/2=2m上の6mの高さでもう1回転させると倍の32星形に、16mの高さまで続けるとその断面は円型になることを発見。

星形先端部の交差で生まれる稜線が縦溝となって現れ、上に行くに従い稜線が増大し最後には消えて円柱となる。


二重ラセン円柱

左ページ
左:側廊円柱模型   2005‐10年
右:主身廊円柱模型  2005‐10年

右ページ
上:二重ラセン円柱の雌型 1920‐26年頃


下:主身廊8星形二重ラセン円柱 柱頭模型

左:主身廊8星形二重ラセン円柱
右:主身廊円柱の柱頭模型
  スケール1:10 1918年‐22年頃

「ガウディとサグラダ・ファミリア聖堂展」で見た複製の数々が、図録を見ていると思い出されます。
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ガウディとサグラダファミリア展 ⑪「聖堂模型の変遷 窓と採光」

2024年02月02日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
1月31日投稿「⑩クリプタ」の記事に、下記を追加しました。

●追記 クリプタ(地下礼拝堂)
 キリスト磔刑像(たっけいぞう) 卓上十字架・燭台

未完の聖堂と知られますが、クリプタでの礼拝が可能で既に聖堂として機能していたからこそ、未完であることが許されたといえます。そのため礼拝用聖具が必要に応じて順次制作されました。錬鉄細工の卓上十字架「キリスト磔刑像(たっけいぞう)」や燭台などの聖具はガウディの手によるものである。

卓上十字架は十字架本体と2台の燭台の脚部からなる。この燭台のねじれ(ラセン)は最初錬鉄細工で、後に円柱で採用されたガウディの常套手段。銅・鋳鉄製のキリスト磔刑像はカサ・バッリョの祭壇用にガウディの指示で彫刻家カルロス・マニに作らせたもので、クリプタの主祭壇用にも利用された。

~~~~~~~~~~~~~~

聖堂模型の変遷


ガウディにとって石膏模型は建築創作に不可欠な道具でした。
カサ・バトリョやカサ・ミラの造形などは模型なくしては考えられない。ほぼ同年配の彫刻家リュレンス・マタマラ(1856ー1927)は1889年以来聖堂の模型室長として聖堂模型を担当した。


聖堂模型に関しては、1904年の最古資料によると「降誕の正面」の建設に並行してその模型が作られていた。 翌年の詩人マラガイの檄(げき)で聖堂の全体模型が着手され、1910年のパリでのガウディ展に際し「降誕の正面」の着色模型が制作された。

その後、1912年に全体模型外観と大屋根、1915年に全体模型外観と内観、1918年に身廊部模型、そして1922年最終案としての身廊部模型が公表された。


サグラダファミリア聖堂全体模型図

本身廊部模型(縮尺1/25)が制作された2001年-02年、建設工事は主身廊天井に達していた。したがって、建設された身廊部とほぼ同一と考えてよい。

身廊幅45m(身廊幅15m、各側廊幅7.5m)、同じ45mが主身廊天井高、側廊の天井高は30m、大屋根頂部までの高さは67.5m(45m×1.5倍)。

主身廊の二十ラセンの円柱は内転びし、左右の対柱を屋根まで延長して不動の三角形を形成させる。すべての円柱は枝分かれし、小分割された葉群のヴォールト天井を支え、全体で静寂な森をイメージさせる。

●コラム ガウディの制作方法
ガウディは膨大な石膏模型を製作し、空間やディテールのスタディを重ねていた。彫刻家ジュアン・マタマラによれば、1/200、1/100、1/50。1/25、1/10などのスケールを横断し、聖堂の全体から各部分の詳細模型が制作された。

多くは石膏で制作され、大きいものは数メートルの高さを要した。そのためガウディは「降誕の正面」地階や現場事務所兼アトリエの増築部を模型室にあてた。

後者の屋根を開閉式とすることで自然光を室内に導き込み、実際の空間に射し込まれる光と陰をスタディできるように工夫していた。ガウディにとって光がいかに重要な要素であったかを窺(うかが)い知る事ができる。



窓と採光  サグラダファミリア聖堂

左:㊧側廊東側ステンドグラス
  ㊨側廊西側ステンドグラス

右:主身廊高窓模型と側廊高窓オリジナル模型
  主身廊と側廊の高窓の起源は歴史上のゴシックにあり
  これを最新幾何学の線識面に置換して最終案にしている。


高窓模型と側廊屋根の採光

左上:側廊高窓外観頂部オリジナル模型
   スケール1:10 1918-1922
左下:側廊高窓模型
   スケール1:25 1883-1912年頃

右:側廊屋根の採光塔模型
  スケール1:10 制作年不詳(複製)
側廊屋根の採光塔は1917年公表の聖堂横断面図に出現し、同年公表の最終案大屋根模型にも見られる。この採光塔は側廊高窓から遠く最も暗くなる天井への採光を目的とした。また、主身廊天井が暗くなることにも配慮し、大屋根に5基の採光塔を配し、東西の翼廊大屋根にも1基ずつ設けている。

長くなりますが「サグラダファミリア聖堂」には行けなくても
行った気分で、図録を見てブログに残しています。(^^ゞ
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ガウディとサグラダファミリア展⑩「サグラダファミリアの軌跡 クリプタ」

2024年01月31日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
名古屋市美術館で「ガウディとサグラダファミリア展」が開催されています。2023年12月19日(火)~2024年3月10日(日)

私はWEB予約して、2023年年11月24日に佐川美術館開催の
「ガウディとサグラダ・ファミリア展」へ行きました。

滋賀展の佐川美術館では日時予約制でしたが
名古屋展では時間指定は無いようです。



数年前から図録は購入しないようにしていましたが
今回は購入した図録を見ながらブログに残しています。


クリプタ(地下礼拝堂)  1882‐87

ガウディ就任時(1883年11月)、ビリャール案で着工したクリプタ外周壁は付け柱の柱頭に達していた。貴重な財源を無駄にはできず、平面形は原案を活かしながらも、聖堂交差部からの大階段を端部の放射状祭室2ヶ所に移し、内陣の床を支える中央ホール天井を10m高くする。

これは採光を考慮してのことであり、クリプタ周辺にも採光と換気を兼ねた空堀を設けた。典型的なネオ・ゴシック様式のつくりで、柱頭はヴィオレ=ル=デュク著『フランス中世建築事典』を参考にした。


ステンドグラス

左:クリプタのステンドグラスはガウディの最初期の極めて時代がかったさ作品で、絵付け後に熱してガラスに密着させる技法がとられた。放射状7祭室中央の聖ヨセフ祭室(1885)が最初で、残りの6祭室ステンドグラスは1890年に設置された。

合計21個のステンドグラスはすべて同じデザイン、各窓8体の天使(祈り、歌う、奏でる、供えるの各2体)とユリが描かれる。

右:放射状祭室中央の聖ヨセフ祭室1885年完成
より有名なガウディのステンドグラスは、マリョルカ大聖堂修復(1904-14)で制作された内側のバラ窓や高窓で、3原色の色ガラスを重ねる技法が使われた。最高の出来栄えだが、費用と時間がかかるのに加え、重いという欠点があった。


サグラダファミリア聖堂   2023年6月現在

全体図の中で建設が完了している部分は白く
これから建設する部分は茶色に描き分けられています。


受難の正面


降誕の正面側



ガウディとサグラダファミリア展の①~⑨
は←でご覧ください。


●追記
キリスト磔刑像(たっけいぞう) 卓上十字架・燭台

未完の聖堂と知られますが、クリプタでの礼拝が可能で既に聖堂として機能していたからこそ、未完であることが許されたといえます。そのため礼拝用聖具が必要に応じて順次制作されました。錬鉄細工の卓上十字架や燭台などの聖具はガウディの手によるものである。

卓上十字架は十字架本体と2台の燭台の脚部からなる。この燭台のねじれ(ラセン)は最初錬鉄細工で、後に円柱で採用されたガウディの常套手段。銅・鋳鉄製のキリスト磔刑像はカサ・バッリョの祭壇用にガウディの指示で彫刻家カルロス・マニに作らせたもので、クリプタの主祭壇用にも利用された。
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サグラダ・ファミリア聖堂⑨「ガウディ事務所と付属仮設学校 ねじれ面の柱状面」

2023年12月17日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑧「コローニア・グエル 逆さ吊り実験と計画案のスケッチ」から少しあきましたが「サグラダ・ファミリア」の続きです。


ガウディ事務所
サグラダ・ファミリア聖堂 現場事務所 

ガウディは設計者であると同時に
施工者として建設現場の指揮も執りました。
(ガウディ事務所  1886-1900年頃)


現場事務所兼ガウディのアトリエ

CGによる復元



ガウディの事務所は右手前2階。
アトリエは、左奥の波打つ屋根から中央の天窓棟まで
      倉庫兼彫像・模型室

この事務所は同時にガウディの建築事務所になり、1906年、地下礼拝堂が地域の代理の教区教会堂に兼用されると、事務所には専属司祭の執務室もありました。

石膏彫像の倉庫になった増築部の屋根に波打つ柱状面が採用され「平曲面」の導線2直線を2曲線にすれば、この平面が得られる。ガウディ最初のねじれ面使用は自らの事務所でした。


サグラダ・ファミリア聖堂付属仮設学校 1908‐09

元来、バルセロナ サグラダ・ファミリア聖堂の建立理念には学校の併設が含まれていました。聖道完成の暁には、半地階の回廊部下層への学校の開設が予定されていました。



左:付属仮設学校 1908-09年 柱状面の壁体
右:付属仮設学校 1908-09年 柱状面の屋根


錘状面の天井・屋根(再建後の内観)

しかし、聖堂周辺に住民が増え、子供への教育の場が必要だという声が高まった時、学校の建設費と運営基金の提供者が現れ、この学校が建設されました。残念ながら、その提供者は急死し約束は不履行に終わりました。

結局、建設費の8千ペセタはガウディが負担し、建設場所は聖堂敷地内の将来大正面が占める一画であったため、仮設が条件になりました。

こうした諸条件から徹底した経済性が求められ、最小数量の安価なレンガで必要強度を達成する方法として、壁も屋根もねじれ面の柱状面が採用されました。

この曲面造形を可能にしたのが、薄いレンガを用いる「カタルーニャ・ヴォルト」と呼ばれる伝統的な技術でした。

サグラダ・ファミリア聖堂の建設には
知られていないことがいっぱいありますね。
長くなりますが、次へと続きます。
コメント (3)
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ガウディ ⑧「コローニア・グエル 逆さ吊り実験と計画案のスケッチ」

2023年12月09日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
「水族館のようなカサ・バトリョ」追記のつづきです。

逆さ吊り実験とガウディ建築
《コローニア・グエル教会堂》  1898-1908年

計画と逆さ吊り計画・逆さ吊り実験

コローニア・グエルは1890年に着工した商工業都市でした。
1893年、ガウディは最も高い場所に計画していた教会堂の設計は終えていました。

しかし、現在知られている建物は1898年に計画が着手され、有名な「逆さ吊り模型」に10年も要したのち1908年に着工するも、講堂として設計された半地階のみで未完に終わっています。

鎖の代わりに紐・おもり・薄い布を利用し、先ず紐を固定するためには、平面図の柱と壁の位置を決めないといけません。

次に計画された断面・立面の高さから紐の長さを決め、上階の床や屋根の形状などから荷重を算定し、それらを支える位置に荷重するおもりを垂れ下げます。

さらに高さや平面を変えながら最良案を探すことになりますが、すべてが生き物のように有機的に絡まっているので、一つ変えれば全体に影響します。


《コローニア・グエル教会堂 逆さ吊り実験》

写真 1984-85年 西武文理大学
左上:コローニア・グエル教会堂 逆さ吊り実験(部分)
左下:コローニア・グエル教会堂 逆さ吊り実験

右上:コローニア・グエル教会堂計画
   逆さ吊り実験、外壁面装着前の骨格
右下:コローニア・グエル教会堂初期計画
   逆さ吊り実験反転


《コローニア・グエル教会堂 計画案のスケッチ》

直筆のスケッチに基づき1979年に制作 (リトグラフ)
1979年(オリジナル1908年)ガウディ記念講座 ETSAB

薄い布で覆った模型を、当時の最新技術のカメラで写真に撮り、それを上下反転し、その上に内観外観のスケッチを描きました。当時の写真は写すだけで終わらず、ガラス・ネガを鉛筆で修正してから写真にしました。

複雑な修繕が必要な場合には、一度焼いた写真を修整し再度撮影して写真にしました。理念的には理想的な合理性が得られるはずですが、ガウディはこれで満足せず、さらに手を加えることになり、結果は不具合の部分も含まれることになりました。

ガウディ建築の内部空間を特徴づける放物線アーチは、コローニア・グエル教会やサグラダ・ファミリア聖堂にも、回転放物面として建築の外観の造形に展開されていきます。

長くなりますので、次へと続きます。
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ガウディとサクラダ・ファミリア「水族館のようなカサ・バトリョ」追記

2023年12月08日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑦「カサ・バトリョ内観の2階ギャラリー」の記事に
追加したい写真がありました。それは・・・

《パリ万博  1878年》 

ガウディは魚群の遊泳する様子を眺める手段として
ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設した。」と書き記し
この記述は、そのまま「カサ・バトリョ」にも
あてはまると言われていましたが・・・


追加写真
《カサ・バトリョ内観の2階ギャラリー》 

ギャラリー全体の構成は
パナマ太平洋万博(1913)の「海底の楽園」入場門と同じです。
※この写真は図録になかったのでお借りしました。


《カサ・バトリョ 2階ギャラリー大窓》

大窓は洞窟が海辺の断崖に口を開いたようになっています。


《カサ・バトリョ 2・3階彫朔的開口部》

カサ・バトリョの、2・3階彫朔的開口部です。
これも「ガウディの創造の源泉」の一部でした。

次は「逆さ吊り実験とガウディ」へと続きます。
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ガウディとサグラダ・ファミリア展 ⑦「カサ・バッリョ & 山の洞窟と家」

2023年12月06日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑥「 第2章 海底洞窟 水族館」の続きは
ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設したと言われる 
洞窟の水族館のような「カサ・バトリョ」です。


《カサ・バッリョ 正面図  1904 -06年》

1904年 ガウディ記念講座  ESTAB

バッリョ家はグエル家と同じく繊維業界の大企業家です。
1877年建設の旧ビルを、社会的ステータスにふさわしい建築を望み、ガウディに新築を依頼するが、旧ビルの増改築になりました。

この図面から直に施工することは難しく、図面から石膏模型を作らせ、それから石材に刻ませ現場で積み上げて完成させました。


《カサ・バトリョ》

オーナー1階住宅は同時代の水族館を連想させる空間で、大きな開口部や天井の明かり窓は海中へと通じているようで、建設中央の階段採光パティオは、白から濃紺へのグラデーションを有する青の空間では海底から海面を見上げているようです。

屋根裏階廊下から屋上へのらせん階段潜水艦を想起させ、前面に細身の窓枠の総ガラス張りの開口部を持ち、渦巻き天井の先端にシーリングライトが付くオーナー階正面両側サロンはノーチラス号のネロ船長室の記述に一致します。

2・3階彫朔的開口部は洞窟が海辺の断崖に口を開いたようで、2階ギャラリー全体の構成は、パナマ太平洋万博(1913)の「海底の楽園」入場門に一致。この入場門が2匹の魚で構成され、屋根がその鱗で葺かれているように、カサ・バトリョも鱗屋根です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

山の洞窟と家
19世紀後半の洞窟ブームは
地中の洞窟から山の洞窟まで広がりました。

《ギア(大カナリア島) グアンチェ族修道院》 

1898年、スペイン最大の画報誌にギアの原住民
グアンチェ族修道院が紹介されました。


《バルセロナ カサ・ミラ》

この無数の洞窟で重層的に形成された断崖造形は
カサ・ミラの外観を想起されます。


「ニンフの洞窟」
元来、グロッタの先例となった「ニンフ寝殿《ニンフの洞窟)」は、山奥の泉の湧き出す洞窟が起源とします。


カタルーニャの守護聖人「黒のマリア」
黒のマリアは、奇山モンセラーの奥深い洞窟で発見されました。キューバの在住のカタルーニャ人たちが、1894年に人工のモンセラーを建設しその内部の洞窟を礼拝堂にしました。

「逆さ吊り実験とガウディ」へと続きます。
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ガウディとサグラダ・ファミリア展 ⑥「 第2章 海底洞窟 水族館」

2023年12月04日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
⑤「 第2章 自然:大地の浸食造形」 の続きです。

海底洞窟・水族館
19世紀後半は水族館誕生の時代でした。
大型のガラス板とモーターの出現が、この施設を可能にしました。しかし、水温を維持する技術がなかったため、温度が一定となる地下に作られました。


《パリ万博 淡水魚水族館》  1867年

1867年パリ万博に登場した
海水と淡水の二つの水族館でした。

海底の洞窟がイメージされ
その洞窟の開口部を通して魚群が眺められました。


《パリ万博  水族館》  1878年

次の1878年パリ万博の際にも
水族館は好評でした。


《パリ万博  1889年》 

1889年のパリ万博でも使用されました。

現在、水族館から洞窟をイメージするのは難しいです。
しかし、当時の水族館を知っていた文筆家ジョゼップラは「水族館の内部にいると思わないかぎり、カサ・ミラの正面は理解できない。ガウディは魚群の遊泳する様子を眺める手段として、ねじれ曲がった壁面の通路や部屋を建設した。」と書き記しています。 

この記述は、そのまま「カサ・バトリョ」にもあてはまると言われています。長くなりますので「カサ・バトリョ」へと続きます。
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