kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

広島市のマンホール

2018年11月16日 | Weblog

設備の小型マンホール蓋
(広島城敷地内)


「消火栓」 中央に広島市の市章と広島市水道局の文字
(袋町小学校へ向かう道)

広島のマンホール設置地区、及びデザインはこちらでご覧下さい。

原爆ドームと、原爆投下の目標点になった「相生橋」

2018年11月15日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他
旧日本銀行広島支店を出て、原爆ドームに向かいました。


広島瓦斯株式会社跡 爆心地から210m

鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階のこの建物は、原爆の一撃により、南側の一部を残して崩壊し、屋内にた35人の職員は全員が死亡しました。すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちました。


元安川東岸のブロンズ像「原爆犠牲ヒロシマの碑」は
原爆の強烈な爆風に吹き飛ばされた犠牲者の姿を表現しています

地元の高校生たちを中心にした、原爆瓦のかけらを元安川から掘り出す体験学習が行われていました。 それをきっかけに、全国の小・中・高校生や一般市民に募金運動が広まって、1982年に建立された碑です。


元安橋の被爆した中柱2基

元安橋は、毛利輝元が広島城下を建設したときに架けられた橋です。
輝元の祖父・毛利元就の子の元康(もとやす)が架け渡したことから
その名が付けられたと伝えられています。

被爆した橋は1926(大正15)年に架けられ、両岸の親柱の上には、しゃれた球形の飾り照明が、その間には照明灯が設けられるなど、当時としてはとてもモダンな造りだったそうです。


元安川オープンカフェ

平和記念公園対岸、元安橋たもと水辺のオープンカフェです。
お洒落なお店が並んでいます。


動員学徒慰霊塔

平和の女神像と8羽のハトを配した高さ12mの有田焼の陶板仕上げで
末広がりの5層の塔の中心柱に慰霊の灯明がついています。

原爆投下当日、広島では大がかりな建物疎開が行われ
その作業に国民学校高等科、中学校、高等女学校の生徒8387人が動員され
うち6295人もの生徒が原爆の犠牲になりました。

原爆ドーム

原爆ドーム

写真などで何度も見たことのある「原爆ドーム」です。


原爆ドームの後ろ(写真右)に「おりづるタワー」が見えます。


現在の原爆ドームは、1915(大正4)年に広島県の物産品の販売促進を図る拠点とすることを目的として建てられたもので、設立当初は「広島県物産陳列館」という名称でした。その後「広島県立商品陳列所」「広島県産業奨励館」と改称されました。


大胆なヨーロッパ風の建物で、県下の物産品の展示・販売を行うほか、博物館・美術館としての役割も担っていました。

しかし、戦争が激しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、内務省中国・四国土木出張所や広島県地方材木・日本材木広島支社などの統制会社の事務所として使用されていたそうです。


路面電車側の、原爆ドーム前から見た「原爆ドーム」


世界平和を訴えようと市民が一丸となって働きかけ
1996年に世界遺産への登録が実現しました。

原爆投下の目標点になった「T字の相生橋」

相生橋(あいおいばし)
橋名の由来は、2つの橋が「相合う」ことから。

相生橋は、広島県広島市中心部を流れる本川(旧太田川)と元安川の分岐点に架かる、相生通りと広島電鉄が通る併用橋は、全国的にも珍しいT字型の橋です。


相生橋のT字型という特徴は上空からも非常に目立つことに加え
主要軍事施設近くということから、原爆投下の目標点になりました。

相生橋は、平和記念公園の北の入口にあたる橋です。本川の両岸を東西に結ぶ橋と、その中央から南に伸のびて、平和記念公園のある中島町に渡わたる橋、二つの橋が「T」字型なっています。

すさまじい衝撃波で橋桁は変形し、北側の欄干らんかんは川に落ち歩道の一部が持ち上がりました。被爆後の数日は、燃え盛る炎の熱さで川に飛び込む人、橋の付近と下を流れる本川にも、被爆して亡なくなった人たちの死体が無数に散乱し、地獄のような光景だったと伝えられています。


私たちが歩いた「原爆ドームへのルート」
①爆心地→②袋町小学校→③旧日本銀行広島支店→④元安川オープンカフェ

この後、相生橋を通って「平和記念公園」に向かいました。

古典様式の堅牢な歴史的建築物「旧日本銀行広島支店と金庫」

2018年11月14日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他
袋町小学校を出てから、旧日本銀行広島支店に向かいました。


旧日本銀行広島支店

爆心地から380mという近距離で被爆しながらも
その堅牢性から建設当時の姿を現在も残しています。


地下へ降りていくと


広島平和記念資料展


収蔵資料展に入っていくと


地下金庫

頑丈な金庫が当時のままで残っています。


金庫の扉


新収集写真が展示されています。


被爆資料「熱と炎のつめ跡」


熱で変形したガラス瓶と、王冠のかたまり


ここにも、広島護国神社の鳥居の写真がありました。


護国神社に行った時は護国神社は狛鯉でしたが・・・
この時は、狛犬だったのですね。


ミニライブ「ひろしま あかりの世界」が行われてた1階の内部

被爆時、1階と2階はよろい戸を閉じていたため内部の大破を免れましたが
3階は開けていたため全焼し、建物にいた20人が死亡されました。


旧日本銀行広島の外観

被爆当日は、食堂などが負傷者の収容所となりました。
そして、翌々日の8日には、早くも銀行の支払い業務が開始され、被災して営業が不可能となった市内金融機関の仮営業所が設置されました。
金融面からも広島の復興を支えた史実を伝える貴重な被爆建物です。

その後、平成4年(1992年)3月に広島支店が中区基町に移転し、旧広島支店は銀行としての役割を終えましたが、平成5年(1993年)6月に「旧日本銀行広島支店」として被爆建物台帳に登録されました。そして平成12年(2000年)7月に広島市の重要有形文化財に指定されています。入場料は無料。

広島市立袋町(ふくろまち)小学校・平和資料館

2018年11月13日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他

「えこ贔屓」でお昼を済ませた後、商店街を通って向かったのは
袋町にある「広島市立袋町小学校 平和資料館」でした。


爆心地から460mの位置にある袋町小学校は
爆撃によって大きな被害を受けました。


壁面に刻まれたヒロシマの証言

被爆後から被災者の救護所として利用された西校舎内の壁面には
被爆者の消息などを知らせる「伝言」が数多く記されていました。


炭化した木れんがが残っている壁です。


伝言文字が残されている壁

この壁は児童館(解体前)として使用されていた教室の黒板の裏にあったもので
被爆当時に書かれたと思われる伝言文字が残されています。


漆喰の下に今も残る伝言


1999年(平成11年)3月、壁面の漆喰の一部を剥がしたところ
「寮内」という文字が出てきました。


被爆により壊れた扉と窓


高いところからヒューという音がして、大きな爆弾らしいものが頭の上に落ちてきたなと思って。急いで目と耳を押さえ床に伏せ机の下にもぐりこんだ。

目を開いてみると周囲は真っ暗で、じっと見ていると一瞬はパッと明るくなったので「生きているか」と叫んだが、答えるものは誰もいなかった。
校庭に出てみると、ちょうど、夜明けぐらいの明るさであった……
袋町小学校創立100周年記念誌「ふくろまち」より一部抜粋


かろうじて焼け残った西校舎は翌日から被災者の救護所として


救護活動の重要な拠点の一つになりました。

戦争を知らない私は、原爆は怖いと思いながらも実感はありませんでしたが
1945年8月6日の忘れてはいけない「原爆の恐怖」が伝わってきました。

お昼は「えこ贔屓のカキフライ定食」

2018年11月12日 | 食楽
爆心地で写真を撮った後、南方向に歩いていくと正面に見えたのは


行列のできる「お好み焼き」のお店です。

広島をよく知る友人の予定では
広島焼きの美味しいお店は夜に案内してくれるそうです。


広島に行ったら牡蠣が食べたいと思っていたので
私たちが選んだお店は、カキのお店「えこ贔屓」です。


私が注文した「かきふらい定食」(1200円)
特選カキ4粒、鶏照焼とサラダ、御飯、お椀、お漬け物 広島産ジャコ添え。

お昼から歩きますので・・・(^^ゞ
「焼きかき」も食べたいのですが、ビールが欲しくなるのでやめました。


友人が注文したのは「カキ天ぷらカレー丼」です。
これも美味しそうでした。

「爆心地に残っていた鳥居」は、今も残っていました!

2018年11月11日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他

これは、昨日アップした「爆心地」の写真です。


写真の中に、被爆しても残っている鳥居が見えます。

その鳥居のことが気になり調べていくと
現在、中国放送の横にある広島護国神社の鳥居だと分かりました。


これは広島城広場に入る手前で撮った、中国放送の横にある鳥居です。
照らし合わせると、間違いなくその鳥居でした。


きれいになっていますが、被爆しても残っていた鳥居の社額です。

「爆心地」の一枚の写真から、被爆しても残っていた鳥居を見ることができて
広島の忘れられない事が一つ増えたような気がします。

ここが爆心地です!

2018年11月10日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他
広島城を出ると、もう~お昼になってました。
夜は広島焼きを食べるので、お昼は広島のカキを頂けるお店に向かいます。


天守閣から見えた「おりづるタワー」があります。
友人が、この右側は「旧市民球場跡地」だと教えてくれました。


旧市民球場跡地の前を通ると
人気のイベント(GOLF PARK)で賑わっています。

「おりづるタワー」は、旧市民球場跡地前の道路を挟んだ向かい側です。
タワー手前の道を左折して進んで行くと・・・


「ここが爆心地!」と、友人が教えてくれた場所の説明板

えっ!この写真は見たことがあり、原爆ドームのことも知ってますが
この爆心地のことは何も知らないことに気づきました。


爆心地と原爆ドームの位置です。


いまは病院が建ち、爆心地だったことを感じさせるものはありませんが
病院の前に、写真入りの説明板がたっていました。

二ノ丸の「大菊花展」と復元された「平櫓・多聞櫓・表御門・御門橋」

2018年11月09日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他
11月が近づくと、色んな場所で菊花展が開催されていますが
広島城大菊花展は、広島城二の丸及び表御門前で開催されてました。


今年の特作花壇のテーマは「夢の広島城下 華の舞」(10月28日 日曜日)


菊の花に囲まれた「広島城とお堀に鯉」


復元された二ノ丸の「平櫓 多聞櫓(たもんやぐら)」

太鼓櫓は木の後ろで隠れていますが
太鼓櫓と平櫓を結ぶ長い櫓で、総延長が35間(約63m)
広島城の二ノ丸は出撃の拠点である馬出しの機能を持ち
本丸の正面を守る役割を果たしていました。


櫂伝馬(かいでんま)の体験乗船

櫂伝馬とは「櫂」で操作する伝馬船のことで
その昔、水軍の早船として使用されていた船と言われています。


復元された「表御門」と


「平櫓・御門橋」です。

広島城をでると、空腹を感じる時間になってました。(^^ゞ
※タイトルに多聞櫓を追加して、復元された平櫓を多聞櫓に訂正しました。

故中沢啓治さんの作品「ユーカリの木の下で」のモデルになった木

2018年11月08日 | 花・草・木・鳥 他
広島護国神社を出て、二ノ丸の手前にあるお堀のところです。

マルバヤナギ

ここにも被爆した木があります・・・


爆心地から北東に約750mの場所で
被爆して生き残っているマルバヤナギは
このマルバヤナギだけです。

ユーカリ
「ユーカリの木の下で」のモデルになった木があるそうです。

それは、漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんが
二ノ丸・お堀の傍にあるユーカリの木をモデルにして
「ユーカリの木の下で」(汐文社)を描いたそうです・・・


被爆したユーカリの木が、お堀の近くにあります。


被爆して生き残っているユーカリはこの木だけと書かれているので
モデルになったのは、このユーカリの木だと思います。

広島に来て、被爆しても頑張って芽を出す樹木を幾つか見てきましたが
生命の力強さを伝えてくれているように感じました。

七五三で賑わう「広島護国神社は狛鯉でした!」

2018年11月07日 | 京都・大阪・神戸・滋賀 他

天守閣を出てから二ノ丸に向かっていますが
脇道から下へ降りて行くようです。


すると、ここは城内にある「広島護国神社」でした。


護国神社の本殿向かって、右側にある「昇鯉の像(しょうりのぞう)」

鯉が滝登りをする姿から
難関突破・目標達成・開運出世にご利益があり


本殿向かって左側にある「双鯉(そうり)の像」

鯉の寄り添う姿から
家内安全・夫婦円満・恋愛成就にご利益があるそうです。


七五三のお参りで境内は賑わっています。


寒くなると言われていましたが
青空の下を歩いていると、少し汗ばむ感じです。


社額


それでは、広島城大菊花展の方に向かいます。