kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

2017年 わが家の年越しそば (*^^*)

2017年12月31日 | ひとりごと

江戸時代に定着した日本の風習だそうですが
大晦日には、お手軽で美味しい「年越しそば」が良いですね。
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新名神高速道路「走行ロボットカメラ ・移動点灯のグリーンのライトなど」

2017年12月29日 | Weblog
新名神高速道路開通イベント、いばきた・高槻ハイウェイウォーキングの
両方に参加しましたが、その後で開通前を走行するTV番組を見ました。


写真は、グリーンのライトが移動点灯する様子です。

放送では、川西トンネルでは最新のトンネル設備としてトンネル内の状況を
映像で確認することができる自走式の「走行ロボットカメラ」の紹介です。

平常時は充電設備のある入り口付近で待機しているロボットカメラが、照明設備とともに併設された走行レーンを20km/hで移動することができるので、トラブルが発生した現場に急行して映像を撮影、タブレット端末でトンネル内の状況を確認できる様子を見ることができました。

新名神では、このような走行ロボットカメラを1500m程度未満のトンネルに設置し、1500m程度以上のトンネルには固定式の双眼監視カメラを50m間隔で設置して、トンネル内の安全を見守るそうです。

勾配のあるトンネルではグリーンのライトが移動点灯するペースメーカーライトの設置。茨木千提寺PAでは、ベビーコーナー、男子トイレには洗髪コーナーや着替えのコーナーなどもありました。

ハイウェイウォーキングでは見られなかった所が紹介されていました。
その時の取材陣を乗せたバスの記事がありますので こちら でご覧ください。
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京都・今年最後のハイキング最終地「紙屋川→JR円町駅」

2017年12月28日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
大将軍八神社からJR円町駅に向かっていると「紙屋川」・・・


紙屋川に反応して思わず写真を撮りました。(^_^;)))

それは「しょうざん」に行った時に、昼食で入った紙屋川別館の横を
流れていた「紙屋川」の渓流を思い出したからです。


紙屋川は北区鷹峯大谷町を源に南流し、西ノ京円町を経て太秦東南で
御室川と合流して、 南区吉祥院で桂川に流入します。


川の名前は、平安期 にこの川のほとりで禁裡御用の紙を漉いた
紙座があったことに由来するそうです。


これは、何の実なのでしょう?
写真を撮っていると、横から「よく見る実だけど・・・名前は?」

あの時は言えなかったけど、一緒になって見て考えてくださった人に
「ありがとう~ (*^^*) 」

北野天満宮西付近から上流を紙屋川、下流を天神 川と呼ばれるそうですが
現在の河川法では、上流から天神川と総称し全長14キロ余だそうです。


「紙屋川」の渓流を思い出した「しょうざん」は、 こちら でご覧下さい。

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ここがハイキングの最終地「JR 円町駅」です。

この日(12月15日 金曜日)は、暖かくてハイキング日和の1日でした。
来年もいっぱい歩いて、歩かなければ見えないものを見たいと思ってます。
長くなりましたが、2017年最後のハイキングでした。\(^.^)/
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京都・ハイキングで見た「大将軍八神社と妖怪ストリート」

2017年12月27日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
北野天満宮をでて、円町駅(えんまちえき)を利用して帰りますが・・・


その途中で「大将軍八神社」の前を通りました。

大将軍八神社は、平安建都の際に都城の方除守護神として
陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に造営されたそうです。


大将軍とは、陰陽道にいう星神天大将軍で方位をつかさどる神で
建築・移動・旅行などの方除け、厄除けの神として世間に崇敬されています。

陰陽道に基づく古天文暦道資料(京都府指定文化財)が収蔵され
5月と11月には、方徳殿(収蔵庫)収容の神像80体(重要文化財)など
陰陽道安部家に関わる古天文暦道関係資料が特別公開されるそうです。


ここは妖怪ストリートのようです。

大将軍商店街では、毎年の恒例イベントとして百鬼夜行を現代によみがえらせる妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」と、妖怪アートフリーマーケット「モノノケ市」を、毎年10月の第3土曜日に開催されるそうです。

妖怪ストリート・・・これも歩かなければ気が付かなかったですね。
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北野天満宮さんは、チョッと早い「終い天神」のハイキングになりました。

2017年12月26日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座

上七軒から、北野天満宮さんに入りました。


本殿の横になるのでしょうか・・・とても立派な建物です。


国宝・本殿は慶長12年(1607)に豊臣秀頼 が造営したもので
八棟造と称され絢爛豪華な桃山建築です。


御守りなどの授与所


三光門
日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ば れているそうです。


なで牛は牛が横たわった臥牛像で、 境内に十数体奉納されています。

菅原道真が生まれたのが845年(承和12年) の丑年で、亡くなったのが903年(延喜3年)2月25日です。「丑の月の 丑の日」などの理由から天神さん(菅原道真)のお使いとされています。

頭をなでると頭が良くなると伝えられていることから
受験や資格試験を控えた学生たちが訪れて合格祈願されています。


楼門


楼門に、来年の干支「戌の絵馬」があります。


絵馬所


北野天満宮は、神仏分離令後の1871年は「北野神社」でした。

「宮」を名乗るには、祭神が基本的には皇族であり勅許が必要であったため
旧北野天満宮の呼称が復活したのは、戦後の神道国家管理を脱したあとです。


一之鳥居

TVニュースでも放送されてましたが、昨日は北野天満宮の今年最後の縁日「終(しま)い天神」が行われ、私たちが歩いた境内には年の瀬を感じさせる露店が並び多くの参拝者でにぎわっていました。

私たちはこのハイキングで、チョッと早い「終い天神」のお参りしてきました。
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京都・上七軒で目に留まった「五本の筋塀」

2017年12月25日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
上七軒から北野天満宮に向かっていると、五本の筋塀が目に留まりました。


そこは北野天満宮の東、花街上七軒内にある西方尼寺(さいほうにじ)でした。

筋塀(すじべい)は、定規筋(じょうぎすじ)と呼ばれる白い水平線が引かれた
築地塀のことで、皇族が出家して坊さんになっている「門跡寺院」のことです。

茶道と関わりが深く「茶の寺」として知られ、境内に再興された本光院門跡
(蔵人御所)があり、本尊の「阿弥陀如来」さまは椅子に掛けていることから
腰掛如来と呼ばれているそうです。(今日の予定に入ってないのでスルー)


「上七軒歌舞練場」は、五花街の一つでもあり
上七 軒の芸妓、舞妓さんたちが日頃の稽古を発表するところです。


上七軒には、3階建の白いレースの見えるお店もありました。
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私の好きな写真「第二十七章 クリスマス・カロル」

2017年12月24日 | ひとりごと
今日は、残り少なくなったハイキングをチョッと休憩して
クリスマスになったらいつも思い出す、私の好きな写真の一つでもある
2009年12月に、平安女学院のクリスマス カンタータで撮ったものです。


<<MARQUEE direction="up" scrollamount="1" onmouseover="this.stop()" onmouseout="this.start()" width="390" height="330">
第二十七章   クリスマス・カロル

一.  きよし このよる ほしは ひかり
    すくいの み子は まぶねの なかに
  ねむり たもう  いと  やすく

二.  きよし このよる みつげ うけし
     まきびと たちは み子の みまえに
     ぬかずきぬ    かしこみて

三.  きよし このよる みこの えみに
     めぐみの み代の あしたの ひかり
     かがやけり    ほがらかに
<</MARQUEE>


いつも訪問させて頂いてるブログに ♪きよしこの夜♪ が生まれた教会 があり
誰でもが知っているクリスマスの名曲はここで生まれました。19世紀の初め、ザルツカンマーグートのオーベンドルフという小さな村にある「聖ニコラス教会」の司祭が作詞し、司祭の友人であるオルガン奏者がギターで作曲して、あの名曲が生まれたそうです。

写真と一緒に書き留めたくて、JFKさんのブログから抜粋させて頂きました。
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京都の五花街の一つ「上七軒(かみしちけん)」

2017年12月23日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
おかめ発祥地の千本釈迦堂から、上七軒へ向かいました。


上七軒は千本釈迦堂の西にある花街で、京都五花街の一つです。


わぁ~!
屋根の上に数えきれないほどの鍾馗(しょうき)さまです。

鍾馗さまは、中国の唐の玄宗皇帝の夢枕に現れて鬼を退散したという魔よけ
火除けの神さまで、大切な家を守ってくれるといわれて京都では中屋根の上に
置かれていることが多いですが、こんなに置かれているのは初めてです。


京都の花街では最も 古く室町時代に北野天満宮の造営に使った残木で
7軒の水茶屋を作ったのが起こりとされ、名前の由来になっています。


外観は見た通りの和風の造りですが・・・
中にはいると、BAR風のカウンターやカラオケ施設があるそうです。
外から見ているだけでは分かりませんね。


あっ! ここは郵便局です。


100余年続く京菓子の老舗.「老松」さんです。

「御茶菓子」「御干菓子」などと染め抜いた紺の暖簾の 店構えが
老舗の風格を感じさせる、北野天満宮御用達のお店です。


桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を
献上したところ大いに誉められました。
その由来として団子の紋章が上七軒の紋章になったそうです。


上七軒は京町家の佇まいと石畳の道・・・
夜の上七軒茶屋が見たくなりますね。(^_^;)))
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京都・おかめ発祥の地「大報恩寺 千本釈迦堂 」

2017年12月22日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座

釘抜地蔵→おかめの発祥の地で知られる「千本釈迦堂」へ


千本釈迦堂の正式名は大報恩寺(だいほうおんじ)といいますが
近くに千本通 があることから、 千本釈迦堂と呼ばれているそうです。


山門をくぐって、本堂前の右にあるのが「阿亀桜(おかめざくら)」です。
阿亀桜の由来は、この寺を建てた棟梁の良妻の物語に由来します。


千本釈迦堂大報恩寺は今から約800年前、鎌倉初期安貞元年(1227)
義空上人によって開創された、京都市内最古の本堂で有名な寺です。


幾多の戦火を免れた本堂は、安貞元年(1227)の創建時からのもので
京都市内(京洛)最古の木造建築物として昭和二十七年に国宝に指定されました。


七福神の布袋さん
千本釈迦堂は、京都の七福神巡りのお寺さんでもあったのですね。


阿亀(おかめ)さんは、鎌倉時代に本堂を建てた大工の棟梁・長井飛騨守高次
(ながいひだのかみたかつぐ)の奥さんの名前さんです。


おかめ塚の由来によると
本堂を建てる時に棟梁は誤って親柱の寸法を短く切り過ぎてしまいました。棟梁は自らの過ちに苦悩しました。そんな夫を見ていたおかめは棟梁に枡組みを使うようアドバイスして、無事に本堂は完成します。しかし、おかめは女性のアドバイスで男の仕事が救われたことが知られたら棟梁の恥になると口封じをします。おかめは本堂の上棟式を待たずに自害してしまいます。嘆き悲しんだ棟梁は上棟の日に妻の冥福を祈っておかめのお面を御幣に付けて飾りました。


阿亀桜はおかめさんが見えるように、この前にあります。

千本釈迦堂の大工の妻「おかめ」の伝承が、全国のおかめ信仰に繋がり
特に美人・女徳の象徴として良縁、子授け、夫婦円満などに功徳があります。

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おかめさんが、棟梁にしたアドバイスが気になって調べてみました (^_^;)))
それは枡組みを使うようアドバイスして、無事に本堂は完成したそうです。
枠組みを知っているなんて、棟梁の嫁としても賢い女性だったのですね。

今の女性だったら、アドバイスが棟梁の恥だと思わないでしょうし
自害するよりも、今まで以上に「かかあ天下」になるのでしょうね。
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京都・苦しみを抜き取ってくれるお地蔵様「 釘抜地蔵(石像寺)

2017年12月21日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座
建勲神社→船岡山公園でお昼をした後→石像寺(釘抜地蔵)へ・・・


釘抜地蔵は、現在地から千本通りを左に行ったところにあります。


石像寺は、弘法大師・空海によって弘仁10(819)年に創建されたお寺です。

遣唐使として唐に渡った弘法大師は、日本へ帰国の際に石を持ち帰りその石に地蔵菩薩を自ら彫り、人々の「諸悪・諸苦・諸病を救い助けん」と祈願されたといわれ、諸々の苦しみを抜き取ってくださるお地蔵様ということから、「苦抜(くぬき)地蔵」と呼ばれるようになり、その後「くぬき」がなまり「くぎぬき」の名で知られるようになりました。


また室町時代に、ある大商人が両手の痛みに悩まされ、その痛みを治そうと様々な治療を行いました。しかし痛みは治まらず、苦しみを抜いてくれると評判であったお地蔵様に7日間、願掛けに訪れました。7日目の夜、夢の中にお地蔵様が現れ、「この痛みは、お前が前世でわら人形に釘を打ち人をのろったむくいだ」と手の中に刺さっていた恨みの釘を抜き、2本の釘を見せました。

目覚めると両手の痛みが治まっていたので、不思議に思った商人は急いで石像寺に行きました。すると、地蔵像の前に血のついた2本の釘が!それは夢の中でお地蔵様が抜いてくれた釘です。大商人はお地蔵様に感謝し、100日間お礼参りをしました。その時から人々から「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったのです。


ここの手水は、うしろの井戸から汲み上げたお水でした。


入口の門をくぐると、大きな釘抜きの像が迎えてくれます。
その奥に、本尊の釘抜地蔵が安置されています。


体や心の痛みを治癒に願をかける人が絶えず訪れるようになり
苦しみがなくなった人は2本の八寸釘と釘抜を貼り付けた絵馬を
奉納する習わしになりました。


本堂の壁前面に、絵馬がぎっしりと並んでいます。


本堂を取り巻くように
奉納された2本の八寸釘と釘抜の絵馬が貼り付けられています。


祈願する人たちが、この棒のようなものを数え年の本数をもち回り
本堂後ろのところにトンとつけ1周回るごとに一つずつ戻していました。
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