kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

奈良・寅のお寺 信貴山「マンホール蓋・成福院の金銀福寅」追記 完

2023年10月30日 | ハイキング・登山
「奈良・寅のお寺 信貴山」の追記です。

仁王門まで、昔の門前道を歩いた時に見たマンホール蓋です。

能因法師の 百人一首に
「嵐ふくみむろの山のもみじ葉はたつたの川の錦なりけり」

「みむろの山」とは、龍田大社背後(信貴山南側)の山とされ、「たつたの川」とは大和川をかつてはこう呼んだらしいことから、この歌を表現したもので、もみじは町木でした。



生駒郡平群町(へぐりちょう)の町章と
町の特産である菊の花、町の木カシのデザインですが
平群町は、奈良県西北部に位置する生駒郡の町です。


成福院「金銀福寅」 

案内してくれた友人から
数年前に撮られた写真を送ってくれました。



そして場所の説明もありましたので見ると
成福院の「金銀福寅」は、成福院の「お砂踏み霊石」を
抜けた成福院の出口にありました。

長くなりましたが、案内してくれた友人に感謝して
私の歩いた「寅のお寺 信貴山」でした~。 完
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奈良・寅のお寺 信貴山⑩「開運橋に開運バンジー」  

2023年10月29日 | ハイキング・登山
プロ野球・SMBC日本シリーズ第1戦は、28日に京セラドーム大阪で、阪神8ー0オリックス でした。

⑨「成福院~千手院・下の世話にならない石・・・」の続きです。



赤門を出て、大寅を後にします。



この参道を歩くのは2回目です。


開運橋

赤門へ向かう時は横目にして通り過ぎましたが



信貴山門前の大門池に架かる全長106mの銅製橋です。

三郷町側の親柱には「昭和六年十二月竣工」と刻まれています。橋の形式は「上路カンチレバー橋」といい、開運卿橋がその形式としては現存する最も古い橋です。

また鉄骨を組み合わせた「トレッスル橋脚」を用いていることも珍しく、これらのことから平成19年7月に国の登録有形文化財に選定されました。
平成19年 平群町(へぐりちょう)・三郷町



開運橋から信貴大橋が見えています。


開運バンジー

文化財に指定されている開運橋に
30メートルバンジージャンプ台があります。



ここがバンジージャンプの下です。



開運橋から「信貴山頂と朝護孫子寺」が見えました。



橋を渡って、右の道に行くと「お食事処」があります。


信貴山観光ホテル

そして、ホテルも近くにありました。



少し歩いていくと・・・



バス乗り場がありました。



このバス停は「信貴山門バス停」でした。
次のバス停は、白虎前にある「信貴大橋バス停」。



友人に「バスの行先表示器は、LEDの電光掲示板だから」
と、神戸市立森林植物園へ行った時の話をすると
上写真は、友人が手動で設定して撮られた写真です。



これも友人が撮られた写真ですが
私のカメラでは、設定を変えるのは?です。(^^ゞ


JR王寺駅で見たオブジェ

かわいいですね。



あっ!セミが途中で切れてます。ごめんなさい・・・。

今日で「奈良 寅のお寺 信貴山」は終わる予定でしたが
追記がありましたので、次回の投稿になります。(^^ゞ
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奈良・寅のお寺 信貴山⑨「成福院~千手院・下の世話にならない石・胎内くぐり」

2023年10月27日 | ハイキング・登山
⑧「融通堂・大地蔵菩薩・三重塔霊明殿・玉蔵院」のつづきです。

玉蔵院の渡り廊下と石段



成福院

成福院では、如意融通尊が祀られています。
「融通がきく」は、如意融通尊が由来のようです。



成福院の前を通って



千手院へ向かいます。


大本山千手院には
厄除観音・護摩堂・銭亀堂・貧乏神よけ神社・三寅の福
胎内くぐり・大悲閣・千手院高山分院・吉祥院があります。

厄除観音

大正時代に、16世眞叡大和尚が奈良の長谷寺から観音様の御分身を授かられ、お堂を建て厄除観音としてお祀りされました。



特に子授け、子育て観音として霊験灼かです。



「千体地蔵」ずらりとお地蔵様が並んでいます。


願かけ地蔵尊



下の世話にならない石

この石に腰かけると
「下の世話にならない」言い伝えがあったので
迷うことなく腰かけてきました。(^^ゞ


三寅の福 胎内くぐり

父寅、母寅、子寅が一体となっている胎内めぐりです。

ここをくぐれば三寅の福に与うることが出来ます。
足元には四国八十八ヶ所のお砂踏みになっています。



くぐって出てきた所です。
中に毘沙門天王がお持ちの如意宝珠がお祀りされています。


大本山千手院

山内では最も古く由緒あるお寺でした。


護摩堂

護摩堂では、命蓮上人の開壇以来1100年間
毎朝欠かさず毘沙門護摩が修されています。

永きに渡り代々続いてきた護摩は千手院だけの伝統です。
そのため信貴山では「護摩の千手院」と呼ばれています。


笑寅

千手院の玄関前には朝護孫子寺最古と伝わる「笑寅」の像



そして信貴山寺を代表する住職の住坊でした。



ここは赤門を入った最初の場所です



赤門の中から見ています。

今回は「銭亀堂」に行きませんでしたが
行く機会があれば、ぜひ行きたいと思います。(^^♪

次回で最後になりますので
最後の「信貴山参り」をご一緒してください。
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奈良・寅のお寺 信貴山⑧「融通堂・大地蔵菩薩・三重塔霊明殿・玉蔵院」

2023年10月24日 | ハイキング・登山

信貴山山頂から下って「玉蔵院」へ向かいました。

玉蔵院は、浴油堂・融通堂・地蔵堂の御堂を中心に
祈願成就に通じる祈りの場が設けられています。


金集弁財天

えっ! お金が集まって融通もかなえて下さいます。



初めて見ましたが、色んな弁財天さまがあるんですね。


玉蔵院融通堂

平安時代覚鑁上人により蔵められ
玉蔵院の寺号の由来ともなった如意宝珠。



どんな願いでも融通いただける
ありがたい宝珠がこのお堂のご本尊さまです。


大地蔵菩薩

総丈14.54mに及ぶ大地蔵菩薩です。

子宝・安産・子育て霊験あらたかなお地蔵さまで
夏には地蔵盆供養が開かれるそうです。



菩薩さまの下入口左には「子授祈願」や
「阪神タイガース優勝祈願」がありました。


三重塔霊明殿

大和十三仏霊場 第11番札所 
七回忌の御本尊 阿閦如来様をお祀りしています。


萬願の虎

全ての願い事が叶います。



「一億円」を口に銜えています。
触って来たので、ご利益を楽しみにしています。(^^♪


浴油堂(よくゆどう)

秘仏双身毘沙門天をお祀りし、真言密教の最秘法とされる毘沙門様の浴油を修法(拝む)されるお堂です。

毎日護摩祈祷が厳修され、春と秋には浴油祈祷が行われます。堂内には、出世毘沙門天(刀八毘沙門天)・八臂弁財天・三面大黒天もお祀りしております。


玉蔵院

玉蔵院は、平安末期の創建が伝わる信貴山の山内塔頭です。

平安時代の興教大師覚鑁(かくばん)上人が信貴山に参篭した時、毘沙門天さまより摩訶不思議な「如意宝珠」の珠を授けられ、この寺に蔵さめられたことか玉蔵院と呼ばれるようになりました。



玉蔵院を出て振り返った時の「玉蔵院」を撮りました。

この後「成福院」へ向かいますが
長くなりますので、次へと続きます。
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奈良・寅のお寺 信貴山⑧信貴山山頂は「空鉢護法堂と信貴山城址」

2023年10月19日 | ハイキング・登山
⑦ 信貴山雄岳頂上に立つ「空鉢護法堂への参道」の続きです。

朝、雨戸を開けると金木犀の良い香りがして
幸せな気分で1日を迎えています。


星祭り本尊8体の石像



信貴山城址

石像の後ろに碑が見えています。

今は整備された道ですが、昔の人は山道を一晩も二晩も歩いていたのです。そんな事を思いながら・・・上がってきましたが、コロナ騒動から運動不足になっていたのを実感しています。"(-""-)"



建物の中に、100年前の写真がありました。



そして空鉢護法堂が目の前にあります。(^^♪



朝護孫子寺の「手水舎」で
ポットに入れたお水はお供えして



お供え後のお水は、この中へ入れます。


空鉢護法堂(一願成就)

「朝護孫子寺」と同じ南方向の



標高437m「雄獄(おだけ)」からの眺望です。
正面に見えるのは、本殿からも見えた「葛城山」です。



3体の石造の蛇(巳)は、龍神の姿を蛇に見立てたもので
「一願成就」の霊験あらたかな守護神として信仰されています。


空鉢護法堂
命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻 「飛倉の巻」の如く、空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の心を諭して福徳を授けたという出来事に由来します。 朝護孫子寺のHPより


空鉢護法堂の周囲には十数体の祠があります。

八王大龍王大神



天龍大神



白瀧大神



空鉢宝龍



ここは「空鉢護法堂」の裏側です。



空鉢宝龍



「空鉢護法堂」を後にして下山しますが



上がって来た時に見た「信貴山城址」へ行きました。

信貴山城址の碑は、信貴山城の本丸跡です。
東西550m、南北700mもあり、奈良県で最大規模の山城は
奈良県下最大規模を有する中世城郭でした。

永禄2年(1559)この城の新たな主として松永久秀が入城、信長が久秀の命と引換えに望んだ天下の名器「平蜘蛛の茶釜」に火薬を仕込み爆死したともいわれているます。

その日は、久秀が筒井・三好三人衆との戦いにおいて
東大寺大仏殿を焼いたとされる日と一致していることから、その因果(仏罰)だといわれています。


この後、信貴山山頂から下って「玉蔵院」へ
長くなりますので、次へと続きます。(^^ゞ
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奈良・寅のお寺 信貴山 ⑦ 信貴山雄岳頂上に立つ「空鉢護法堂への参道」

2023年10月18日 | ハイキング・登山
⑥「毘沙門天を祀る本殿 朝護孫子寺」のつづきです。
鞍馬山へ行った後だったので、頂上へ行くかはその時に決めようと話していましたが行くことにしました。



友人が「お供えのお水を持って・・・」の言葉で、朝護孫子寺手前左の「手水舎」で、備えの入れ物にお供えのお水を入れて



手水舎横の階段から
「空鉢護法堂」へ向かって階段を上がって行きました。


多宝塔

江戸時代に建てられた本格的造りで
内部は「大日如来」さまが安置されています。



多宝塔の横の道は「奥の院 毘沙門天王道」です。



鳥居の扁額に「空鉢護法(くうはつごほう)」



鳥居と階段が続いています。



途中には小さな祠が祀られています。



「よう おまいり」の言葉で元気を貰いますが
左の椅子が備えられている所で休憩しました。



ここにも扁額が・・・



鞍馬山へ先月に行きましたが



あの時のような勾配のある階段はなかったので
参道を撮ることができました。



参道を上がって行くと



「雌岳入口」の道標が立っていました。



信貴山城への道と、雄獄と雌獄の説明版があり
ここは雄獄と雌獄への分かれ道でした。



信貴山は標高437mの「雄獄(おだけ)」と呼ばれる
北峰の山頂に「空鉢護法堂」があります。



左の道は
標高400.5mの「雌獄(めだけ)」と呼ばれる南峰でした。



あと200mで「空鉢護法堂」です。



この道は、昔に使われていた道だと教えてくれましたが
道が残っているのは、今も誰かが使っているのでしょうか?


「空鉢護法堂」へは、もうすぐなのですが・・・
長くなりますので次へと続きます。
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奈良・寅のお寺 信貴山 ⑥「毘沙門天を祀る本殿 朝護孫子寺」

2023年10月15日 | ハイキング・登山
信貴山は広くて長くなりましたが
⑤「成福院 寅柄のポスト・お砂踏み霊石・寅大師」の続きです。


朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)

902年(延喜2年)醍醐天皇が「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の、祈願寺としたことから「朝護孫子寺」の勅号を賜りました。


朝護孫子寺前の右側に「三寅像」

寅の年、寅の月、寅の刻が重なる12年の時を信貴山では
「三寅の福」と呼び、聖徳太子が祀った奥秘仏本尊の開帳や、毘沙門潅頂を始め全山挙げての法要が執り行われます。



写真左に少し見えているのは「手水舎」で
階段の左側に少し見えている建物が「霊宝館」です。


経蔵堂

左に手水舎、右側の屋根が見えている霊宝館の間にあります。



本殿への階段を上がった所から撮りました。


朝護孫子寺 本殿

902年(延喜2年)に醍醐天皇が
朝廟安穏・守護国土・子孫長久 の祈願寺としたことから
「朝護孫子寺」の勅号を賜りました。



本堂内陣の奥には
毘沙門天王のお使いである二十八使者像が安置されています。



朝護孫子寺本堂の「毘沙門天王」と書かれた
寺額や欄間に、巨大なムカデが彫られています。


戒壇巡り

本堂横に位置する戒壇巡りは
約900年の昔、覚鑁上人(新義真言宗の開祖)が、当山に籠って修行されたとき、毘沙門天王より授かった「如意宝珠」を、本堂の地下にお祀りされています。

真っ暗な回廊を進み、宝珠を納める錠前に触れると
心願成就のご利益が大変あらたかだそうですが
巡りはしないで、本堂に上がり手を合わせてきました。



本堂からの眺めは 大和平野・・・



そして、眼下には大寅と剱鎧護法堂の入口が見えています。



友人が「あそこに剱鎧護法堂も見えてるよ。」の声に



左側を見ると、最初に行った剱鎧護法堂がありました。



福神毘沙門天王さま



右手に如意宝珠の棒、左手に宝塔を持っておられます。
信ずる者の願いに任せて与えてやるとの福徳の御印です。

この後は、信貴山雄岳山頂の空鉢護法堂へお供えのお水を持って向かいますが、長くなりますので次へ続きます。

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奈良・寅のお寺 信貴山⑤「成福院融通殿 寅柄のポスト・お砂踏み霊石・寅大師」

2023年10月12日 | ハイキング・登山
④「赤門→聖徳太子御像→榧の木→本坊」のつづきです。
本坊を出て「成福院(じょうふくいん)」に向かいます。


右に寅の姿があります。



そして左にも寅! 信貴山は寅のお寺ですね~



左に行くと「玉蔵院」ですが



友人の後について正面に見える
「成福院融通殿」へ向かいました。



融通殿の前で、左に見えたのは「寅柄のポスト」です!
タイガースファンには、嬉しくて堪らないですね。(^^♪



成福院は信貴山の「塔頭(たっちゅう)」として建立されました。
成福院融通殿の玄関ですが、ここにも寅が・・・(^^♪

追記
「塔頭」とは「お墓」のことを指し、高僧のお墓で、弟子たちがお墓を守るために建てた庵を「塔頭」と呼びます。



融通殿の玄関右横に、かわいい「七福神」



その前に「寅大師(とらだいし)」

昔より大切なお金のことを「寅の子」と云います。
この修行大師は別名「寅大師(とらだいし)」と言われ、傍らに「撫で寅」があり、足を撫でれば出ていったお金が直ぐもどる、頭を撫でてはボケ封じ、牙を撫でては立身出世、尻尾を撫でては延命長寿のご利益があります。



お砂踏み霊石 
融通殿の横道に、霊石の下には八十八カ所のお砂が納められた、1枚1枚が四国八十八ヶ所のお寺さんの石がありました。

ここを通るだけで八十八ヶ所のご利益があるそうです。
私も一歩々有難く歩かせて頂きました。



もうすぐ「毘沙門天王 本堂」のようです。

私は初めての信貴山ですが
皆さんが信貴山参りをされている本堂へ向かいます。

長くなりますので、次へと続きます。
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奈良・寅のお寺 信貴山 ④「赤門→聖徳太子御像→榧の木→本坊」

2023年10月11日 | ハイキング・登山
③「大寅→劔鎧護法堂(けんがいごほうどう)」の続きです。
劔鎧護法堂から赤門前の大寅へ戻ってきました。


今から1400余年の昔、聖徳太子がこの山で毘沙門天王をご感得され、ご利益を頂かれたのが「寅の年、寅の日、寅の刻」であったといわれています。

張り子の寅は
ゆらゆらと首を振る姿から「よく首が回る(何事にも不自由しない)」というご利益があると云われています。



赤門前に小寅がいました。
小寅の上に「本堂」が見えています。



寛政5年(1793年)7月再建。
赤門を入って本堂に向かいます。



赤門を入って振り返ったところです。



矢印の所が、劔鎧護法堂への参道になります。



私たちは、左の道から本堂へ向かいました。



信貴山はとても広いですが、心強い友人が一緒なので
体力の許す限り歩きたいと思ってます。



参道右から寅が少し見えています。



まだ信貴山の入り口ですが
参道から「寅」が見守ってくれているようです。



本坊に向かっていますが
写真の左上に、何か見えています。


聖徳太子御像

その像は「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けた
横笛を吹く「聖徳太子(厩戸皇子(うまやとのみこ))」です。

彫刻家・北村西望(きたむらせいぼう)氏の作で
あの有名な「長崎平和祈念像」の作者でした。



「かやの木稲荷稲荷大明神」の石碑があります。



樹齢1500年の「榧(かや)の木」です。
蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた大和朝廷の時代に、一粒の榧の実が萌芽して以来、有為転変する世相を鳥瞰してきた御神木です。



この御神木を敬い稲荷社を建立されていました。



本坊は、1854年頃に大阪堂島の木綿屋・梅蔵が寄進されました。



本坊の玄関です。
奥には生花が飾られ、寅が迎えてくれています。



「銘木 梅の木」   樹齢400年余年

西暦1540余年、織田信長の攻略にあい灰じんになった本堂を豊臣秀頼公が再建し、この地に梅の木を手植えして祈願所にしました。




長くなりますので、次へと続きます。
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奈良・寅のお寺 信貴山 ③「大寅→劔鎧護法堂(けんがいごほうどう)」

2023年10月10日 | ハイキング・登山
②「仁王門~信貴大橋~西方守護神白虎」のつづきです。

西方守護神白虎

朝護孫子寺のシンボル「西方守護神白虎」を
後にして・・・



駐車場の中を通り



多聞天へ向かいます。



毘沙門の名は「全てのことを一切聞き漏らさない智慧者」の
意味を持ち、多聞天とも称されています。



左に見えたのは、信貴山西の大門池に架かる橋「開運橋」です。

三郷町大字南畑と平群町信貴山を結ぶ
信貴山朝護孫子寺への参道でもあります。



正式名は
「信貴山歓喜院(かんきいん)朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)」



一般には「信貴山の毘沙門さん」の名で親しまれています。



寅の姿が少し見えています。



納経所のようですが、中は休憩所になっています。



寅のようです。



信貴山と言えば、「大寅と朝護孫子寺」さんです。



大寅と赤門を前にして、少し引き返すようなので
遅れないようについていきます。


劔鎧護法堂(けんがいごほうどう)

この写真は、撮ったつもりでしたが無かったので
信貴山のHPからお借りしました。



劍鎧護法堂への道です。



劍鎧護法堂は、もうすぐのようですが・・・



まだ、鳥居が続いています。



ここが「劍鎧護法堂」です。

往古、毘沙門天王を信ずる者には、八大龍王の上首・難陀竜王(なんだりゅうおう)と人間を災厄から守護する護法・剱鎧童子(けんがいどうじ)が守護をすると言われています。



劍鎧護法堂の中です。

国宝「信貴山縁起絵巻」中巻「延喜加持之巻(えんぎかじのまき)」で描かれた醍醐天皇の重病、命蓮上人による病気平癒の加持祈祷の物語には剱鎧童子は現れます。命蓮の加持満願の日、童子が天皇の枕元に出現して霊感を授けると、たちまち天皇の病は癒されました。



剱鎧護法を当病平癒の守り本尊として祀り、無病息災、病気全快の霊験あらたかな神として、人々に篤く信仰されています。

剱鎧堂の周りを巡ってお百度を踏み、病気平癒の祈願をします。お唱え「南無剱鎧護法(なむげんがいごーほー)」と唱えます。



劍鎧護法堂から「朝護孫子寺」が見えています。



友人が見つけたカタツムリです。



参道横に「寅」



その足元に、イノシシの姿がありました。



「赤門と大寅」の所に戻りますが
長くなりますので、次へと続きます。
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