kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

むかご

2019年12月14日 | 食楽


むかごは
自然薯などの山芋の種類の植物の葉の付け根にできる球芽で
むかごができた山芋の種類によってうま味や味が違うそうです。

私は数年前に「むかご」を知って
店頭で買ったものしか食べていませんが
「むかご」の味は一種類ではなくて・・・
自然薯の葉にできた「むかご」なら自然薯の味がするそうです。

見た目はコロンした豆のようですが
少し粘り気がある、ジャガイモや里芋のようなクセのないお芋の味で
皮はとても薄いので、そのまま調理して頂けます。

昨日、ハイキングでご一緒した人が
少し前のハイキングで、「むかご」を見つけたので
家に持って帰り食べたそうですが・・・
買った「むかご」より、粘りがあって美味しかったそうです。

毒のある「むかご」もあるそうですが
食べられないほど苦みがあるので、すぐに分かるそうです。
美味しかったので、次の日お店に行くと売り切れでした。
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2019年 今年の漢字「令」

2019年12月13日 | Weblog
清水寺(京都市東山区)で12月12日、「今年の漢字」の発表が行われました。



1995年(平成7)から「いい字、一字」という語呂にあわせ
12月12日に、日本漢字能力検定協会が一年の出来事を振り返り
その年の世相を表す漢字を一字選び始まって今年で25回目です。

「令」の字は、日本最古の歌集、万葉集から決まった「令和」を理由に
挙げる人が多かったほか、法令遵守や警報発令や避難命令なども理由です。
2位以下は「新」、「和」、「変」、「災」、「嵐」、「水」でした。

私の2019年の字は・・・と考えましたが
このブログの中に残されています。(^^ゞ


昨日、富士通(株)さんから「2020年のカレンダー」が届きました。
今年も、新しい年への準備1番は「世界の車窓から」のカレンダーでした。(^^ゞ
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プチプチ食感が美味しい「子持ち昆布」

2019年12月12日 | 食楽
この季節になると、毎年「子持ち昆布」を扱っていたお店があったのですが
ご主人が高齢で閉店になり、プチプチ食感の美味しい「子持ち昆布」は
おせち料理で頂くだけになっていました・・・

味付 子持昆布

プチプチ食感が美味しい「子持昆布」をデパ地下で見つけました!
味付なので、好みの味にはできませんが嬉しくて買ってきました。(^^♪

子持ち昆布は、ニシンが卵を産み付けた昆布を塩漬けにしたもので
ニシンの卵は粘り気があり、海の中で海藻などに付着します。
そして、孵化するまで昆布についたままで過ごします。


以前の「子持ち昆布」は、もっと厚みがあったのでチョッと残念ですが
懐かしく美味しく頂きました・・・

大好きな「数の子」と、同じニシンの卵ですが
数の子は、雌のニシンから卵を取り出して塩漬けにしているので
産卵した卵の「子持ち昆布」と、お腹から取り出した卵という違いがあります。
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奥村寛純氏の伏見人形「腹帯をした神馬」

2019年12月11日 | Weblog

右側の大きな腹帯をしているのが「神馬(しんめ)」です。

令和3年と見込んでいた想定より2年も早く・・・
令和元年の出生数が87万人を下回る可能性があるそうです。
明治32年の統計開始から初めての90万人割れのようです。

出生率のニュースを見る度に、思い出す伏見人形があります。
それは、奥村寛純氏の伏見人形「腹帯をした神馬」です。
その時に初めて見ましたが、とても優しい表情の神馬です!
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尼崎市・寺町「太閤記伝 高徳寺」

2019年12月10日 | Weblog
「甘露寺」を素通りしたあと、尼崎七福神めぐりの「常楽寺」の前にいます。


振り返ると・・・


常楽寺南側のお寺に「太閤記伝 秀吉由緒寺」


このお寺は、甘露寺の隣にあったお寺で・・・
尼崎七福神めぐりのお寺ではないので
甘露寺と同じく素通りした「高徳寺」でした。

信長様が明智光秀に討たれたことを知り
豊臣秀吉が備中高松城から京へ駆け戻る途上、この高徳寺で
髪を剃り僧に化けて、明智方からの追手から逃れたとか・・・


甘露寺(写真左側)から高徳寺の前を素通りした道です。
高徳寺の山門が写真左に見えています。

高徳寺は、政権争いに敗れた細川高国が切腹した場所でもありました。
高徳寺の「太閤 記伝」が知りたくて、尼崎市の資料を探しました。

【伝 説】 資料:尼崎市
 秀吉と尼崎の関係は絵本大功記十段目の「尼崎の役」として知られています。
本尊は桧材の坐像で、かまくら時代の作とも、当寺創建ごろの明徳年間(1390~1394)の作ともいわれています。他に秀吉画像、朱印状、寺領目録などが残されています。

◎豊臣秀吉朱印状(とよとみひでよししゅいんじょう)
・法 量 29.9×48.3cm
・形 態 紙本墨書軸装
・年 代 天正18年10月8日

 豊臣秀吉が有馬温泉での湯治の見舞いに贈られた松茸200本の礼を建部寿得軒(たけべじゅとくけん、寿徳・高光)ら3人に述べたものです。建部氏は豊臣秀吉の時代に尼崎郡代をつとめた武士で、はじめは近江六角氏、続いて織田氏に属し、本能寺の変後は秀吉に仕えて、若狭郡代を経て尼崎に入りました。

 天正14年(1586)の島津攻めでは小西隆佐とともに兵糧や馬の調達・運送を担当しました。慶長12年(1607)に尼崎で没し、尼崎郡代は息子の光重に引き継がれました。秀吉は湯治のために度々有馬を訪れましたが、10月前後に出かけているのは、天正18年(1590)だけで、本文書はそのときに出されたものと推定されます。

◎太閤の味噌すり鉢
 1582年、本能寺の変の時、豊臣秀吉は中国地方から大急ぎで軍勢を引き返します。急ぎすぎた秀吉は1人になってしまい、明智勢に襲われます。

 そのとき秀吉が逃げ込んだのが当時大物にあった広徳寺。敵に囲まれた秀吉は、急いで髪をそり落とし、僧に化けます。そして寺の僧と一緒に台所で味噌をすり、負っ手の目を欺いたとされるすり鉢とすりこ木が今も広徳寺に残っています。

◎大物くずれ(だいもつくずれ)
・所在地:尼崎市東大物町1丁目4
・阪 神:「大物」西約150m

 戦国時代、室町幕府の実権を握った細川氏も、内部で対立がありました。細川政元の養子高国と同じく養子の澄元・晴元父子が対立し尼崎の地でたびたび戦火を交えています。

 享禄4年(1531)の両者決戦では、高国勢は総くずれになり、尼崎へ逃げ込む程の大敗となりました。追撃は激しく高国は大物の『広徳寺』で自刃しました。この戦いを「大物くづれの戦い」とよんで語り伝えられてきました。

にとって、尼崎市は町工場の大気汚染による公害の悪いイメージしかなかった所ですが、かつては大阪を守護する親藩城下町であり、寺町を歩いて今までのイメージが払拭しました。
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尼崎市・寺町「甘露寺に・・・金色の鳳凰がありました!」

2019年12月08日 | Weblog
歴史クラブで、尼崎市寺町の「尼崎七福神めぐり」に参加した時に
桃山時代の優雅な様式を取り入れた「甘露寺」が、寺町にありました。
甘露寺は「七福神めぐり」ではないので、素通りするのですが・・・

甘露寺(かんろじ)

桃山時代の優雅な様式を取り入れ、浄土堂(本堂)を改築した甘露寺。
200年余りを経た山門も解体修復されています。

軒の丸瓦にも鳳凰

開基は延徳2年(1490)円誉上人により開かれた寺で
もとは大物(だいもつ)町にあり、尼崎城築城にともない寺町へ移転しました。

龍の棟瓦で飾られた山門

第十五世寂誉上人により、江戸中期の質素だが優雅な浄土堂に中興され
近年老朽が進んだこともあり開基500年、改築300年を記念し
住職、檀中一体となり、西方極楽を再現した浄土堂を完成しました。


屋根に金色の鳳凰が見えます。


鳳凰を見たのは、「平等院の鳳凰」と「金閣寺の鳳凰」
そして「平安神宮の鳳凰」に「勧修寺(かじゅうじ)観音寺の鳳凰」は
聞いたことはありますが・・・


尼崎市で、鳳凰を見たなどの話しは聞いたことが無かったので(驚!)


鳳凰に惹かれて撮ってきましたが
屋根頂に鳳凰が飾られている建物が、西方極楽を再現した「浄土堂」です。


尼崎新城の築城で、現在の寺町が形成され多くのお寺が移築されています。
七福神めぐりで「大覚寺→法園寺」から、甘露寺を通り過ぎました。
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神奈川県・日本で最古の橋梁「箱根登山鉄道 早川橋梁(出山の鉄橋)」

2019年12月07日 | Weblog
私のPCデスクトップに、紅葉シーズン前から何度も表示されていた画像です。


塔之沢の早川渓谷にかかる早川橋梁の車窓から見下ろす紅葉と渓谷。

一般には「出山の鉄橋」として知られており、箱根観光名所の1つです。大正6年に完成した日本で最古の橋梁として「登録有形文化財」に指定されています。


神奈川県のホームページを見ると
箱根登山鉄道に架かる橋で、大正6年に架けられて以来、実に多くの観光客に親しまれてきた。早川の渓谷に架けられているので、早川橋梁とも呼ばれる鋼ダブルワーレントラス橋。この橋は、明治21年に架けられた天竜川橋梁19連のうちの1連を転用したもので、上下の弦材は鋼材、腹材は錬鉄である。

橋長は60mの大橋梁で、架設に際しては、川床から43mの高さまで全支保工によって施工された。ただし、架設完了直後に蒙雨があり、川の増水によって支保工がすべて流出したという。なお、当初は景観を考えてアーチ橋が計画されたが、経済上の理由で転用橋が用いられた。

12月7日は二十四節気の一つ「大雪(たいせつ)」です。
山形市の蔵王温泉スキー場・米沢市の天元台高原スキー場が滑走可能・・・
我が家の今朝の温度は13度、今晩は水餃子にしようかな。(^^ゞ
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阪急電車・和モダン観光特急「京とれいん 雅洛(がらく)」

2019年12月06日 | Weblog

福田美術館を出て
渡月橋に向かっています。


渡月橋から桂川上流を撮りました。


渡月橋から、嵐山が一望できる法輪寺さんが見えています。


雨の中、嵯峨嵐山文華館→嵐山琥珀堂→福田美術館を巡り
渡月橋を後にして


阪急・嵐山駅から帰ります。


あれ~? あの電車は・・・


やっぱり「京とれいん 雅洛(がらく)」です!


阪急京都線で運行中の観光特急「京とれいん」として
2019年3月から、大阪・梅田←-→京都・河原町で導入されています。


紅葉シーズンなので、嵐山駅からも乗車できるそうですが
いまから40分後に出発すると聞いて・・・諦めました。(^^ゞ

「雅洛」という名前は、みやびな都へ向かう列車という造語だそうです。
「京とれいん 雅洛」のホームページはこちらでご覧ください。
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京都 嵐山・2019年10月に開館した「福田美術館 福美コレクション展」

2019年12月05日 | 観戦・鑑賞・参観ほか
フレンチレストラン「嵐山琥珀堂」で美味しいランチを頂いた後
「歴史クラブ」の人達と別行動して、行きたかった「福田美術館」へ・・・

天龍寺前

次の目的地は、川沿いの道を上流に行った場所にあるので
渡月橋に向かって戻っていきます。


雨の日は傘いらずで観光が出来るので・・・と思っていると
雨の日にしか出会えない風情あるとっておきの情景があるそうです。
機会があれば乗ってみたいですね。

福田美術館

嵯峨嵐山文華館に向かう時に川沿いから
写真右の案内板で「福田美術館」の入口を確認していたので・・・


川沿いから見える「福田美術館」の
手前の坂道を上がっていきました。(11月28日木 撮)


「網代文様」のガラスが見える右側が
福田美術館の入口です。

福田美術館開館記念の「福美コレクション展」

[Ⅰ期] 2019年10月1日(火)~11月18日(月)
[Ⅱ期] 2019年11月20日(水)~2020年1月13日(月・祝)

俵屋宗達(生没年不詳)や尾形光琳(1658~1716)の琳派、狩野山楽(1559-1635)、狩野探幽(1602-1674)などの狩野派、円山応挙(1733-1795)、長沢芦雪(1754-1799)、呉春などの(1752-1811)円山四条派など江戸時代の絵画から、竹内栖鳳(1864-1942)、上村松園(1875-1949)など明治以降に活躍した画家たちの名品を一挙公開します。


館内の1階から階段を上がった
2階と3階が展示場になっています。


2階に上がるとホームページで見ていた「縁側のような廊下」と


92%の高透過率で、継ぎ目がほとんどないガラスです。


展示室に入ります。


写真を撮る事ができます。

●「群鶏図押絵貼屏風(ぐんけいずおしえばりびょうぶ)」〈1797年〉



屏風六曲一双


 伊藤若冲(いとう じゃくちゅう)〈1716年〜1800年〉

●「大天狗図(だいてんぐず)」〈1839年〉

葛飾北斎(かつしか ほくさい)〈1760年〜1849年〉

●「富士図(ふじず)」〈1945年頃

横山大観(よこやま たいかん)〈1868年〜1958年〉

●「春眠(しゅんみん)」〈1921~25年〉

速水御舟(はやみ ぎょしゅう)〈1894年〜1935年〉

●「駅路之春(うまやじのはる)」〈1913年〉

絹本着色金泥 屏風六曲一双


 約80年前に公開されたきり行方不明となっていました。
 木島櫻谷(このしま おうこく)〈1877年〜1938年〉

●「巌頭飛雁図(がんとうひがんず)」〈1767年〉

円山応挙(まるやま おうきょ)〈1733年〜1795年〉

●「黄蜀葵鵞鳥小禽図(おうしょっきがちょうしょうきんず)」〈1773年〉

円山応挙(まるやま おうきょ)〈1733年〜1795年〉

他にもいっぱい撮っていますが、これで終わります。
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世界の車窓・12月オランダ南部 モミの木の横を走る「南リンブルク蒸気鉄道」

2019年12月04日 | 世界の車窓
FUJITSU さんから頂いたカレンダー2019年「SEE THE WORLD BY TRIN」 です。

12月の車窓は、オランダ南部のリンブルク州を走る「南リンブルク蒸気鉄道」

クリスマスの装飾に彩られたモミの木の横を蒸気機関車が行きます。

オランダ南部のリンブルク州を走る「南リンブルク蒸気鉄道」が
週末ともなれば蒸気機関車やレイルカーが何往復も運転されます。

今年のカレンダーが・・・1枚になりました。
昭和生まれの私が、平成から令和をスタートした年です。

数日前、FUJITSU さんに「2020年のカレンダー」を申し込みました。
2020年も「世界の車窓」を、このブログに残したいと思っています。
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