kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

神戸元町・相楽園の日本庭園 ④「白松 と大楠(樟)」完

2022年06月30日 | 兵庫・神戸市ほか

ここは広場の北側で・・・


現在地はここです。
総門から入った先にある三差路へ向かいます。


三差路の道に、市民の木「白松 」
幹周:2.35m(根元周 1.9m) 高さ:16m 枝張:10m


マツの仲間で、樹皮が白くなるのが特徴で
これほどの大木は、日本では珍しいそうです。


松のクロマツ、アカマツは見たことはありますが
白松 は初めて知り・・・見ることができました。


原産地は中国北西部。 
神戸市内では最大級と思われ、こんなにも白かったです。


大楠(クスノキ)


相楽園の一本楠よ かぐわしき緑の枝を 四方に張り 
                     仲郷三郎


大楠と大灯籠

「大楠」は、荒木村重(あらき むらしげ)が
花隈城築城の際に植えたと伝えます。


荒木村重は安土桃山時代の武将。

初め足利義昭に仕えたが,1573年織田信長に属し摂津(せっつ)一国を与えられ,石山本願寺(大坂御坊)攻撃に当たりました。


ここは、相楽園の①で投稿した時の総門から入って
「蘇鉄園」を見ていた三差路です。


元町に「相楽園」があると知ってから行きたいと思っていましたが、今度はイベントや公開がある時に行きたいです。
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神戸元町・相楽園の日本庭園 ③「船屋形から浣心亭へ・・・」

2022年06月25日 | 兵庫・神戸市ほか

保存のために移築された船屋形(重要文化財)後にして


浣心亭に進みます。


石橋を渡りながら、水の流れや灯籠を見ています。


画像左から上がってきましたが
ここは・・・池の南側です。


浣心亭の前に来ました。


池から見ていた浣心亭は


戦後、離れのあった場所に完心亭が新築されています。


池から見た時の「茶室 浣心亭」です。


日本庭園では、水の流れと灯籠が行く所々で見られます。


浣心亭から見える「船屋形」です。


それでは、石橋を渡って進んで行きます。


順路が見えていますが
右の道へ行くと、滝のあった上の道に戻るので
左の道を進みます。


道の先に階段が見えています。


階段を上がると、今度は右側に階段があって


階段の先には、広場が見えています。


アッ! 花嫁さんです。(^^♪


私が下りて来た階段とは別に階段があります。


この広場は、相楽園の南端にあります。

次へつづいて・・・相楽園を一回りして終わります。
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神戸元町・相楽園の日本庭園 ②川御座船として現存する「船屋形」

2022年06月22日 | 兵庫・神戸市ほか

浣心亭の見える池の鯉・・・


「船屋形(ふなやかた)」が近くなってきました。


左に舟屋形が少し見えています。
その奥に見えるのは「浣心亭」です。


いま現在地まで来ています。


上画像の、現在地から見ています。


右に見える滝を見ながら・・・飛石を渡ります。


飛石を渡った所から振り返っています。

右に見える石段を下りてきましたが
左上にも道があり通れるようになっています。


舟屋形へは、この中を通っていきます。


大きな石で組まれています。


そして道が見えてきました。


石組のトンネルを通り抜けると(右側が池)・・・

保存のために移築された船屋形(重要文化財)

見たかった中の一つ「舟屋形」が現れました。


船屋形は、江戸時代、姫路藩主が河川での遊覧に使っていた『川御座船(かわござぶね)』の屋形部分だけが陸上げされたものです。

建造年代は、1682~1704年の間と推定されます。
昭和55年に保存のため移築されました。木造2階建、切妻造桧皮葺(きりつまづくり ひわだぶき)で内部は1階2階とも3室に分かれていて、前方より「床机の間」「上段の間」「次の間」となっています。

木部は内外とも全てを春慶塗(しゅんけいぬり)と黒漆塗に塗分け、長押(なげし)や垂木(たるき)の先には金箔を施した飾り金具を打つなど非常に華麗で繊細な造りとなっています。

現存する川御座船としては、国内で唯一のものです。
(昭和28年8月29日重文指定)


正面です。


反対側から撮りました。

この船屋形は明治初年、飾磨港付近にあった川御座船から取り外され、高砂市の民家に移築されて茶室として使われていた。1939年に牛尾健治氏(牛尾治朗ウシオ電機会長の父)に所有が移り、神戸市内の邸宅に移築。78年に牛尾家から神戸市に寄付され、現在の相楽園に移りました。

春と秋に、窓からのぞき込む形で内部を一般公開しているそうです。
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神戸元町・相楽園の池泉回遊式庭園①「鹿威し 水琴窟 浣心亭」

2022年06月18日 | 兵庫・神戸市ほか
パソコン不調でブログ更新が滞っております。<m(__)m>
神戸元町・相楽園に残る建築「旧ハッサム住宅 重要文化財」の続きです。

相楽園の日本庭園

日本庭園の入口です。


神戸市の都市公園で


灯籠と


豊富な水の流れる中に


飛び石がある


唯一の日本式庭園です。


日本庭園へは、総ケヤキ造の正門から
→欧風建築の旧小寺家厩舎(重要文化財)
→旧ハッサム住宅(重要文化財)の順路で


カフェ相楽パーラの南側にある「日本庭園」へ来ました。


神戸迎賓館のお庭といわれる「池泉回遊式庭園」です。


「鹿威し」があります。
日本のお庭ですね~


橋に向かって歩いて行くと


池沿いに「水琴窟」がありました。


1.つくばい(水のたまっている所)から
  しゃくで水をすくってください。
2.その水を、小寺家の家紋の入った瓦のまわりに注いでください。
3.竹の筒に耳をあてて、音色を楽しんでください。

 色んな所で水琴窟の音色を楽しんでいますが、良いですね~(^^♪


橋手前の正面に見えるのは
「茶室 浣心亭(かんしんてい)」です。

離れだった「浣心亭」と、茶室又新亭(ゆうしんてい)・本館は戦災で消滅しました。戦後、離れのあった場所に完心亭が新築されています。


大きな鯉が、餌をもらえると思って近くへ来ています。


池の右側に見えるのは
保存のために移築された「船屋形(重要文化財)」です。

橋を渡ってからは・・・次へ続きます。
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神戸元町・相楽園に残る建築③「旧ハッサム住宅 重要文化財」

2022年06月12日 | 兵庫・神戸市ほか
神戸・元町「相楽園」には重要文化財があります。


それは、「旧小寺家厩舎」と「旧ハッサム住宅」です。


旧ハッサム住宅は、インド系イギリス人貿易商 K.ハッサム氏が
明治35年に自邸として、北野町に建てた洋館(異人館)です。


昭和36年に当時所有者であった神戸回教寺院より寄贈をうけ
神戸市が、後に相楽園に移築保存しています。


設計者は、神戸で多くの洋館を手掛けた
イギリス人建築家 Alex.N.ハンセル氏の設計です。


このガス燈は、明治7年(1874年)
神戸の外国人居留地に外国人によって立てられたものです。
燈柱基台には製造地としてロンドンの名画あり
わが国では最も古い時期に属する貴重な街燈です。

今回の復原に際しては、大阪瓦斯株式会社の協力を得ました。
昭和38年10月1日 (平成28年9月改訂)  神戸市


平成7年1月17日 午前5時46分 阪神・淡路地域を襲ったマグネチュード7.2の大地震により、「旧ハッサム住宅」も大きな被害を受けました。

この煙突は、屋根、2階の床を突き抜け、1階まで落下し北西の部屋を大破しました。建物の修理の際に部屋の中から取り出しましたが、地震の激しさを後世に伝えるためにこの場所に保存しています。
平成8年10月   神戸市教育委員会

旧ハッサム住宅 南面全景

前庭にガス燈が2本見えています。
そして、1階まで落下した煙突も・・・


神戸で多くの洋館を手掛けた英国人A.ハンセル氏の設計です。
入口の大きなアーチと、2階の窓の連なる広いバルコニーが
とても開放的で美しい姿をしています。


西側にも門があります。
「旧ハッサム邸」は重要文化財として、当時の貴重なデザインや
外国人の生活様式を保存管理されていますが・・・


2021年10月に内部でのクラシックコンサートが開催予定だったそうですが、今年は開催されるのでしょうか?
もし開催されるのなら・・・行きたいと思ってます。
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神戸元町・相楽園に残る建築②「旧小寺家厩舎 重要文化財」

2022年06月10日 | 兵庫・神戸市ほか
神戸・元町へ行った時に、行きたいと思っていた「相楽園」です。


順路は、入口を進んだ三差路の正面にありました。
後ろに見えているのは、見たかった「旧ハッサム住宅」です。


旧小寺家厩舎・旧ハッサム住宅へは
右の道からになっているので向かっていると


木の間から、建物が少し見えてきました。


右に見える建物が「旧小寺家厩舎」で
左の建物が「旧ハッサム住宅」です。

旧小寺家厩舎(きゅうこでらけきゅうしゃ)重要文化財

明治40年頃に建てられた旧小寺家厩舎は


相楽園に残っている創建当初の数少ない遺構のひとつです。

設計者の河合浩蔵氏は、明治・大正期官庁建築を中心に関西で活躍した建築家で、神戸地方裁判所も河合氏の作品でした。


昭和55年には、建物の詳しい設計図が約60枚も見つかり、貴重な資料として建物と共に重要文化財に指定されました。

L字型の建物南側に突出した翼部は
高い吹き抜け天井をもつ馬房です。


正面1階は馬車庫、2階は厩務員のための宿舎です。


煉瓦の赤と御影石の白とのコントラストが美しい


急勾配の屋根、豊富な切妻飾りにドーマ窓。


円形の塔屋の中は螺旋階段で、ウロコ状のスレートで葺かれ
通気口のための屋根窓も設けられています。


ドイツ風民家がもつ
量感のあふれる変化に富んだ意匠で飾られていました。
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神戸元町・明治時代に主と庭師が作った「相楽園」①ソテツ園

2022年06月07日 | 兵庫・神戸市ほか
元町「神戸市立 花と緑のまち推進センター」の続きです。


今回のハイキングは、皆さんが「相楽園」を出たところから途中参加させて頂いて、諏訪公園・金星台・諏訪神社から「神戸市立 花と緑のまち推進センター」までご一緒させて頂きましたが、ここから別行動させて頂いて「相楽園」へ行くことにしました。

相楽園 5月20日(金)

相楽園は、元神戸市長小寺兼吉氏の
先代小寺康次郎氏が本邸に居まれた庭園でした。

総ケヤキ造の正門

昭和16年以降神戸市の所有となり、中国の古書「易経」の一説にある「わしてよろこびあいたのしむ」からとって「相楽園」と名付けられ、一般に公開されるようになりました。


平成18年1月26日に
相楽園が国の登録記念物(名勝地)に登録されました。

19.566㎡の敷地の中にある庭園は、池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)日本庭園で、飛石や石橋を渡り、流れや滝など深山幽谷(しんざんゆうこく)の風景を見ることができます。


そして保存のために庭園に移築された、旧小寺家厩舎(きゅうしゃ)・舟屋形・旧ハッサム住宅のほか、茶室「浣心亭(かんしんてい)」「舟屋形(重要文化財)」などを見ることができます。


それでは、相楽園の庭園を散策してきます。


庭園の右側には、大きな蘇鉄が見える「蘇鉄園」です。


私の背丈より大きな蘇鉄がいっぱいです。


奥の方まで大きな蘇鉄が・・・


庭園では、5月初旬に約4000株のツツジが見頃になり
色んなイベントが開催されます。


今年は相楽園がハイキングのコースになっていたので
ツツジの見ごろには行きませんでしたが見ることができました。


剪定されて、こんな形になるのでしょうか・・・?


蘇鉄園の中に女性が入って行かれてます・・・


見ていると、日本のお庭だと思えないです。


ここは三差路になっていて
私は右に見える道(正門入口がある)を歩いてきました。

あっ!上写真と同じ蘇鉄を撮られていますが
蘇鉄は、人がこんなに小さく見えるほど大きかったです。
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「大変やけど…食べるの楽しみ」

2022年06月03日 | Weblog
「特認校 樫田小学校」の記事がありました。
この樫田小学校は、2019年にブログで紹介した小学校でした。

記事には
大阪府高槻市の市立樫田小学校の児童52人が、学校近くの水田で田植えを体験した。昔ながらに手で苗を植え終えた児童らは、収穫の秋を待ちわびている様子だった。

体験は新型コロナウイルス感染拡大の影響で3年ぶりの実施。同校では、授業の一環で米作り体験を行っており、地元農家らが苗の植え方を指導した。児童らは歓声を上げながら「キヌヒカリ」の苗を植えた。

同校では9月ごろに稲刈りを行い、収穫したコメをイベントなどで食べる予定。児童らは「大変だったけど、最後までやり切れてよかった。みんなで食べるのが楽しみ」と話した。



~ 高槻市樫田地区・ 特認校 樫田小学校 ~ 2019年09月27日

由緒古き種善館 祝 樫田小学校創立145年周年

明治10(1877)年4月 校舎を改築し
「種善館(しゅぜんかん)」と名づけたそうです。

かしたようちえん

小学校へ向かう道の右には、幼稚園もあります。

特認校 樫田小学校

子供が通う学校は、通学区域により指定していますが、校区の違う地域からでも入学できる運営体制をとっている公立学校を特認校といい、豊かな自然に恵まれた環境と少人数の特徴を活かし、「特色ある教育活動」の取り組みをしています。

このような教育環境の中で、子供を学ばせたい、学びたいという保護者や児童に、一定の条件のもと、他の校区からの入学・転学を認めています。

高槻市立樫田小学校もそのひとつで、高槻市内全域から入学が可能です。
現在(2018年)全校児童47名、内33人が校区外の児童です。

同校校長の今泉弘さんのお話では
毎年、9月末に児童の募集を開始し、10月から11月には見学会と体験入学を行い、12月には面談を行い、1月には入学決定の案内が送られるそうです。

※ 明治時代の町村合併により、樫船神社の「樫」と、田能村の「田」を
   組み合わ「樫田」の村名が名付けられました。

樫田小学校では全校児童47名(2018年)の内33人が校区外の児童でした。
いま少子高齢化等で廃校になっている所も多いですが、2022年は全校児童52名の「大変やけど…食べるの楽しみ」のたくましい児童達でした。
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