kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・疎水沿いを歩いてきました・・・(*^^*)

2016年04月30日 | 京都
京都・夷川発電所を後にして、平安神宮を通って疎水を歩くことに・・・


琵琶湖疎水と合流した白川は、大鳥居前の慶流橋の先で分流しています。
現在地から、南西(左下)に向かって白川沿いに歩きますのでご一緒にどうぞ。


橋の袂に「白川と疏水を称える詩」 山田正三氏の詩碑


京都には数えきれないほど来てますが・・・
この道を初めて歩いたときに、京都だな~と思いました。


夏の暑い時に、ご婦人が疎水に足を投げ出し読書されていたのが
とても印象的だったので、今も昨日のようによく覚えています。


京都の夏はむし暑いですが・・・
疎水沿いを歩くと涼しく感じたこともありました。


写真左に見えるのは「並河靖之七宝記念館」です。

並河靖之七宝記念館は、白川沿いに建つ虫籠窓、駒寄せ、一文字瓦を伝える明治時代の町家です。明治期から昭和初期にかけて活躍した日本を代表する七宝家であり帝室技芸員にも任命された並河靖之の自宅兼工房です。


上写真のところで疎水沿いはとぎれますが・・・
三条通りを渡ると、また疎水沿いの道が続きます。


明智光秀の塚


何度も歩いた道ですが・・・明智光秀の塚があったんですね。


説明板には
天正10年(1582年)、本能寺にいた主君の織田信長を急襲した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹藪で農民に襲われ自刃、最後を遂げたと言われる。

家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまで来たが、夜が明けたため
この地に首を埋めたと伝えられている。 京都市



京町家を一棟貸切できる「白川庵」


ここも、テレビで紹介されていたことがあるので知っていた
白川の前で、京都をゆっくり寛げる一棟貸切りの町家です。
詳細はこちらでご覧ください。


テレビドラマの撮影によく使われる「一本橋」


この橋は、比叡山の阿闍梨(あじゃり)修行で千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を終えた行者が、粟田口の尊勝院の元三大師に報告し、京の町に入洛するとき最初に渡る橋であり、行者橋とも阿闍梨橋ともいわれる。
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551 蓬莱のパッケージが今だけ限定の「かわいい消防車&レスキュー車」

2016年04月27日 | Weblog
豚まんを買っていると、あれ・・・? パッケージが可愛くなってる。


そうなんです! 今年6月に開催される「IFCAA 2016 OSAKA」の
催しを応援するために、2種類の箱が今だけ限定の消防車&レスキュー車の
デザインになっていたのです!

IFCAA(イフカ)は、アジア地域(現在22ヵ国・2地域が加盟))の
消防の向上発展のために設立された国際的な組織なのだそうです。
2年毎に総会があり、2016年の大阪市での開催は約半世紀ぶりそうです。

「IFCAA 2016 OSAKA」は
2016年6月10日(金)・11日(土)の10:00から17:00
場所:大阪南港ATC 入場無料

IFCAA 2016 OSAKA は、6月8日からの4日間で開催され
その内の10日(金)・11日(土)の2日かんは、お子様から大人まで学べる
展示会や参加型の消防体験などイベントが盛りだくさんです。

当日、会場の551をご利用のお客様(各日先着1500名様)に
コラボパッケージ(4個入り&2個入りセット)がプレゼントされるそうです。
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京都の風景に溶け込んだレトロな建物「夷川(えびすがわ)発電所」

2016年04月26日 | 京都
仙洞御所参観の後、友人の案内で夷川発電所に向かいました。


夷川発電所は、冷泉通りを疏水に沿って東に行くとあるそうです・・・
(撮影:4月11日)


橋の上から、夷川発電所の排水口が真正面から見えています。

案内してくれた友人が、桜が満開の時に来られていたそうで
とても綺麗だったと話していました。


青い空、新緑の緑、少し散っていますが桜色・・・です。


今も関電で使われている発電所が京都のど真ん中にあって
長期にわたって京都市内に電力を送電していることは聞いて
知っていましたが・・・平安神宮のすぐ傍にありました。


日本では珍しい低落差式の発電所が、京都の風景に溶け込んだ
レトロな建物が発電所だとは、教えて貰わないと気付かないです。


取水口 (写真右側)


夷川発電所に説明板がありました。

夷川水力発電所

正面煉瓦造りの建物の夷川発電所は、大正3年(1914年)に建設されて以来、長期にわたって京都市内に電力を送電しています。

 この夷川発電所は、明治23年(1890年)に琵琶湖疎水が竣工し、翌年にその水力を利用した我が国最初の事業用水力発電所である蹴上発電所が建設された後、第二疎水計画と軌を一にして、下流の墨染発電所と同時に建設されました。

 初期は、水車が英国ボービング社製の4連フランシス水車、発電機が米国ウェスチングハウス社製の同期発電機でしたが、平成4年~5年(1992年~1993年)に取替工事を行い、現在の認可出力300kWで国産のS形チューブラ水車および同期発電機を使用しています。

平成7年(1995年)3月 関西電力株式会社・京都支店



対岸の中島に立って いる像が見えます。


北垣国道の像 (1836~1916)

その像は、琵琶 湖疏水を計画、周囲を根気強く説得して完成させ
京都の再生を推進させた 第3代京都府知事・北垣国道 氏でした。


観光客を乗せた「十石舟」が、夷川発電所に向かってました。
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神戸市・生田神社「生田祭神幸式(いくたさいおわたり)」

2016年04月25日 | 兵庫・神戸市ほか
Aちゃんがお稚児さんに扮して、生田祭神幸祭の行列巡幸に
参加すると聞いたので生田神社へ行ってきました。(撮影:4月16日 土 )


お化粧をしてもらって、お稚児さんの衣装を着ています。
かわいい!(*^^*)


天狗の面を着けた猿田彦を先頭に、獅子舞やよろい姿の梶原武者
稚児行列と続くので、お稚児さんたちが行列になって待っています。


天狗の面を着けた 猿田彦が、横になった子供を飛び越えて
健康祈願をしてもらっています。


飛び越えてもらった子供たちは、良い思い出になりますね。


梶原武者など、地域の伝統芸能などが奉納されます。


生田神社の氏子地域は神戸中央区と兵庫区の広域にわたるため
各11地区に分割されて1年ごとに当番地区で生田祭を迎られています。

11地区
1.宮元地区 2.三宮地区 3.東山地区 4.元栄海地区(元町・栄町・海岸通)
5.兵庫中部地区 6.諏訪山地区 7.兵庫南部地区 8.下山手地区 9.兵庫北部地区
10.葺合地区 11.兵庫岡方部

今年は、生田神社のお膝元である「宮元地区」が担当されていました。
神戸の安全と繁栄を願うお祭り「春の例祭」で、春の訪れを感じてきました。
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京都御苑は 古都の中心で特別な空間です。

2016年04月24日 | 京都

仙洞御所 正門

仙洞御所は焼失し、大宮御所の表門が使われているので
この正門は開けられる事がないのでしょう・・・。


京都御苑は、江戸時代200軒の宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町でした。

明治になって都が東京に移り邸宅は取り除かれ、戦後は国民公園として
御所と一体となった景観を維持し、散策等の場として親しまれています。


御苑内には百年を越える樹林が、たくさん育っています。
枝が、高さの2倍以上に横へ伸びて道へ飛び出ている木もあり
いま古都の中心で特別な空間になっています。


東の門へと向かう道から、毎年8月16日に行われる
五山送り火(ござんのおくりび)の「大」の字が見えてます。


寺町御門

京都御苑は、東側は寺町通り、北側は今出川通り、西側は烏丸通り
そして南側は丸太町通りに囲まれています。

3つの東門のうち、南にある門で寺町通りに面しているのが寺町御門です。
奥の築地塀は、仙洞御所の南側です。

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京都御苑・仙洞御所参観5 「南池・お冷し→柿本社→又新亭」

2016年04月23日 | 仙洞御所 参観
お冷し


お冷しは、冬に池から切り出した天然水を保存し夏に備えた氷室です。
奥行:7メートル余り、幅:4メートル弱、深さ:約4メートルほどの大きさで
二段に掘り下げて周囲を石垣で補強しています。(4月11日


柿本社(かきのもとやしろ)


桜の馬場を北に進むと、西側に簡素な社祠が南向きに建っていてます。
万葉の歌人・柿本人麿呂(かきのもとのひとまろ)が祀られていました。


又新亭(ゆうしんてい)


南池を右手に見ながら北に進むと、茶亭「又新亭」があります。
もとはここに、霊元上皇が宝永六年(1709)に修学院離宮上の御茶屋から
移築され、冬の景で仙洞十景に選ばれた止々斎(ししさい)が建っています。

写真下部分の左に、小さな石が置かれているのが見えます。


この石は、四つ目垣で囲むことで結界を設けているそうです。


外腰掛は、片庇(かたびさし)の柿葺の屋根に袖壁をつけ
左側の袖壁には竹格子のはまった下地窓が、右側は吹き抜きです。

下地窓のある方が上座で、正客用の踏石が置かれているのに対し
吹き抜きの袖壁に接する下座は竹張りの腰掛けとされています。
外腰掛は、結界を入った左上のところにあります。


又新亭の中門は萱門(かやもん)、利休杉といわれる構えで柱間いっぱいに
開閉する扉で、お茶事用の小さな中潜のついた凝ったつくりです。
庭はこの門を境にして内側を内路地、外側を外路地に見立てています。


急な傾斜の茅葺屋根をかけた入母屋造りの茶室は、近衛忠煕と親交の篤かった
裏千家・十一世玄々斎精中が江戸末期に創建したものといわれ、現在の裏千家に
ある茶室・又隱(ゆういん)によく似ているそうです。


ここは、大宮御所から潜り門(写真右側)を抜けて最初に北池を望んだ場所の
すぐ右手にあったのが、この四つ目垣に囲まれた建物「又新亭」だったのです。
これで、仙洞御所の庭園(北池・南池)をほぼ一周したことになります。


それでは、大宮御所への潜り門をくぐって仙洞御所参観を終わります。
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京都御苑・仙洞御所参観4「南池・最南端から南池を一望する醒花亭」

2016年04月22日 | 仙洞御所 参観
藤棚の八つ橋から中島を後にして・・・


中島を振り返ると小舟がありました・・・(4月11日


洲浜(一升石)の先に茶亭「醒花亭(せいかてい)」が見えます。


南池の最南端から、藤棚の八つ橋・中島・土橋が一望できます。


庭園の最も南にある数寄屋造りの「醒花亭」

北面に面した南池を一望できるように位置し 、正面の玄関には廂(ひさし)を
付けだし、腰高障子が入っています。柿葺(こけらぶき)の屋根が美しいです。


醒花亭東側の書院

醒花亭の「醒花」は、李白の詩から採られたもので鴨居の上に拓本の額として掲げられています。額の字は中国の明の時代の「郭 子章(かく ししょう)」の筆。


正面右半分に、玄関の土間をがついてます。


手水鉢と灯籠


灯籠から見る「醒花亭」

内部 は襖で仕切られ、天井は1つで繋がっています。


桜の馬場と呼ばれる「醒花亭の桜」

洲浜に沿って直線に広がる「桜の馬場」と呼ばれる広い道で、延享四年(1747)に桜町上皇が歌人の冷泉為村に選ばせた仙洞十景の一つに挙げられています。


醒花亭の西側に、使われていたような井戸があります。


醒花亭は、ここまでのようです。
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京都御苑・仙洞御所参観3「南池・藤棚のある八つ橋と一升石の洲浜」

2016年04月21日 | 仙洞御所 参観
紅葉橋を渡ると南池です。


仙洞御所の一番人気の「藤棚が美しい八つ橋」
(4月11日


「一升石」と呼ばれる石が敷き詰められた「洲浜」

一升石は、小田原藩主が領内の海岸の石を集めて献上されれたもので
直系約10センチほどの、平たくてきれいな円形・小判形をしています。


石一つにつき米一升を与えて集めさせた石

姫路城の石垣を集めるのは大変だったと書いたこともあります。
大きさ・色・形の石を揃えた石を、これだけ集めるのは(約11万個以上)
大変だったと想像はできますが、それほど必要な石だったのですね。


八つ橋が現在のような石橋に作り替えられ、藤棚がしつらえたのは
明治二十八年(1895)の頃です。


藤棚の高さが、入口と出口(写真左)で違っています。
入口が「下り藤」で、一段低くなっている出口が「上り藤」です。


これは「上り藤」ですが、私には「下り藤」との違いが分かりません。
花が咲いたら分かるのでしょうか?


八つ橋を渡った中島にある、水戸家からの献上された石灯篭です。
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京都御苑・仙洞御所参観2「大宮御所から北池へ」

2016年04月20日 | 仙洞御所 参観
大宮御所内庭の東側から南に向かって築地塀が長く伸びていたところに


仙洞御所の庭園へと続く潜り門がありくぐると・・・
(4月11日


その先は、仙洞御所の北池が広がっていました。

北池はもともと大宮御所の庭園だったが、延享(えんきょう)四年(1747)に大宮御所の北池と仙洞御所の南池が堀割で結ばれ、池と庭園が一つになったそうです。


阿古瀬淵(あこせがぶち)に架かる石橋「六枚橋」

六枚橋は、長さ1メートル90センチ・幅約1メートルの切石6枚を3枚ずつ二列に並べて、つなぎ目部分に短い橋脚を建て、やや反りをもたせてあります。


阿古瀬淵(あこせがぶち)

名前の由来は、平安時代の歌人の紀貫之の邸宅がこの近くにあったとされることから、貫之の童名「阿古久曾(あこくそ)」などと色々ありますが、女御所の造営前から伝わる名称のようです。


お手入れの届いたお庭・・・もう少し立ち止まっていたい気分です。


あっ! 池の向こうに見える白壁の左が、北池に入った潜り門です。
(上から2番目の、初めて北池を見た場所です。)


北池八つ橋

中島から八つ橋を通って東岸に渡たります。
橋は、長さ約5メートル、幅・厚さとも50センチ余りもある切石を二本ずつ稲妻型に並べてあり、太い石の橋脚二本で支えたどっしりとしたつくりです。

池に架かる他の橋とは趣が違い、もとは欄干のついた土橋が架かっていたが、大正三年(1914)に三条白川橋の石材を用いて架け替えたものです。


紅葉橋から南池の藤棚のある八つ橋が見えてます。

仙洞御所で一番人気の藤棚ですが、今日は藤の季節にはまだ少し早いです。


藤棚の下から見える「中島への紅葉橋」

紅葉橋は、大正三年に現在のような土橋に架け替えられました。
春は新緑の楓、秋は深紅に紅葉した楓が土橋を彩ります。


そして、雄滝(おたき)も見えています。

落差約2メートル30センチの小さな滝で、最上流には山神社が祀られ、滝口のすぐ南の池畔に三畳敷きほどの平らな円形の草紙洗いの石があるのですが、コースではなかったので見れませんでした。
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茨木市・総持寺 「山陰流庖丁式 (やまかげりゅう ほうちょうしき)」

2016年04月18日 | 大阪
★~ 総持寺 「山陰流庖丁式」 ~★
2010年4月18日(日) 総持寺「山陰流庖丁式」

五刀の鯉
庖丁士:塚原 巨司 ・ 後見人:高吉 政彦 ・ 後見人: 藤原   潤

山陰流庖丁式 (2010年4月18日)
第58代、光孝天皇の頃、四条山陰中納言藤原政朝郷がそれまでの宮中料理の
諸作法を一つの方式に整えられ四条流庖丁式と命名されました。

その始祖である山陰中納言を日本料理の祖神として崇敬するところから山陰流が誕生しました。古式によりますと来賓の前に俎(まないた)を持ち出して主人、又は調理に秀でた物が右手に庖丁、左手に真名箸を持ち、魚には手を触れずに目の前で調理する事を庖丁式と言い、これを饗応の第一としたものでした。

山蔭中納言が創建した「総持寺」(西国二十二番札所)が、大阪府茨木市にあり、当時奥の院にその御霊がまつられている処から、ここに庖丁式を修行する道場があります。

現在では京繁協友会の修行を得たものが毎年、山蔭公の命日である四月十八日の
御祭儀式に庖丁式を奉納し、その免許の許し状が当時より授与されています。
(総持寺のご住職様から頂いた資料より抜粋させて頂きました。)

※現在行われている包丁式の形体は室町時代からとも伝えられています。

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ご住職様のお言葉から
魚も牛も豚も、お野菜も命があるのです。殺生がなければ生きていけませんので、その生きている命を頂いているのですから、感謝しましょう。ゴキブリを殺す時には、ゴメンと言いましょう (^^ゞ

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*昨日ブログの友人から、山蔭流庖丁式の情報をメールで頂きました。
メールには『18日の正午から高野山真言宗補陀洛山(ふだらくさん)総持寺
(総持寺一丁目)に伝わる伝統行事の「庖丁式」が行われます。』

私は予定があって行けませんが、2010年に行った時のブログがありますので
ぜひ見て頂きたくて再投稿します。
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