kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

住吉大社・何度も行っているのに知らなかった・・・「社・寺跡」

2017年01月31日 | 大阪
「すみよっさん」には子供の頃から何度も行っているのに
いつもお詣りして帰るだけだったので、初めての所だらけでした。(^_^;)))


浅澤社(あさざわしゃ)

浅澤社は住吉大社の南にある東大鳥居を出てすぐの場所にあります。
弁天さんともいわれ、芸能・美容の神として親しまれています。


浅澤沼の中にある「浅澤社」

奈良時代からこの付近は浅沼とよばれ、細江川が流れる「かきつばた」の
名所で、奈良の猿沢の池・京都の大沢の池と並ぶ名勝地だったそうです。

多くの歌が詠まれています。
万葉集・・・すみよしの 浅澤小野のかきつばた 衣に摺りつけ着む日知らずも
津守国助・・・・・・すみよしの 浅澤水に影みれば 空行く月も草がくれつつ


浅澤社の南側にある「ひとつばし」を渡った左側に見えているのが・・・


大歳神社(おおとしじんじゃ)です。


素盞鳴尊の御子の大歳神(五穀の収穫の守護神)

大阪商人の間では、集金(収穫)の守護神として信仰されています。
拝殿右横に、願いが成就するかを占う「おもかる石」があります。


神宮寺跡

平安時代には、有名神社のほとんどが「神仏混淆(こんこう)」だったその跡です。天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758)創建と伝えられ、津守寺(廃寺)・荘厳浄土寺とともに住吉の三大寺に数えられていました。

明治初年の神仏分離令により廃絶、多くの著名な秘仏も散逸しましたが、そのうち西塔は徳島県切幡(きりはた)寺に売却、移築され現存しています。今も伝わっている住吉踊りは、ここの僧徒により広められたものだそうです。


楠珺社(なんくんしゃ)


ご祭神は宇迦魂命 (うがのみたまのみこと)

お稲荷さんです。境内の奥には、樹齢千年を超える楠 (くすのき) の大樹があり、江戸時代、人々は楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていました。その後、根元に設けられていた社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。


住吉大社の北側にある「大海神社」は、本社に次いで神格の高い神社です。


本殿は、本社の本殿と同じ住吉造で重要文化財に指定されています。


最後は、美しい姿の「 太鼓橋(たいこばし)」と呼ばれる反り橋です。

※ 他にも、五所御前の南側に日本三大舞台の一つといわれる重要文化財に指定されている「石舞台」があります。それは慶長年間(1596~1615年)に豊臣秀頼からの寄進だそうです。
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お初天神裏参道の「喜太郎寿し」に行ってきました。

2017年01月29日 | 大阪
私が行く機会のないお店に案内してくれると言うので付いていくと


えっ! お初天神に裏参道があったの・・・?
(写真:1月21日 土曜日)


小さい路地に、ところ狭しとお店が並んでます。


お店の中は、どこも満席のようです。


奥へと進んでいっても、人が途切れることがありません。
そして、20代~30代の女性が多いのに驚きます。


案内されたお店は、人気の「喜太郎寿し」さんです。

活トラふぐてっちりコースから、てっさ・湯引きの単品もあり
お造りの盛合せ、子持ち昆布・鱈の子。。。と種類も多くて好物ばかりです。

お寿司全品が250円均一(2貫で1貫位の小さいサイズ)で食べられるので
2人で7000円ほどのリーズナブルなお値段で頂けるそうですが・・・
よく食べる私たちはその倍以上の金額でしたが、リーズナブルで頂きました。
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住吉大社「京・江戸の書籍商が創建された 御文庫(おぶんこ)」

2017年01月28日 | 大阪
住吉大社は古く歌神とされ、『伊勢物語』や『源氏物語』など
王朝文学にも数多く登場する文学の神としても信仰されています。


御文庫

御文庫まえの説明書き には
御文庫(オブンコ)と呼ばれるこの土蔵造りの建物は享保8年(1723年)、書物を収める目的で創建された。施主は大坂を中心に京・江戸の書籍商たちである。この年、大坂の書籍商は排他的同業組合である株仲間の結成を公許されている。

これを機に仲間の店が上梓した書籍の成功を祈念して住吉神前に奉納した。それ以降、明治6年(1873年)の株仲間廃止まで、わずかな中断はあったものの奉納されて書物は膨大な数に上る。和書漢籍・洋装本を併せると一万点以上、数万冊に及び、研究者も注目する貴重書も多い。


御文庫の入口上に「文庫」の文字が・・・

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「学問の神様」と呼ばれる、菅原道真をまつる大阪天満宮境内の北西角にも「御文庫」と呼ばれる土蔵があり、大阪の出版元が江戸中期以来、奉納した和漢の書籍約10万冊が収められているそうです。

奉納の理由として、祭神への崇敬とともに大火への備えからであって、出版元が火災で版木を失った際は、奉納本を借り出して再版の原本にしたそうです。「かなりの出版元が両方の講に加盟していたことから、天満宮と住吉の距離を考えると、両方が同時に火事に遭う事は考えられず「原本を確実に残せた」といわれています。
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住吉大社・子宝の神さま「種貸社」は、一寸法師発祥の地

2017年01月24日 | 大阪
何度も行っている「すみよっさん」なのですが・・・


その住吉大社内に、今まで知らなかった「種貸社」がありました。


祭神倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)

種貸社が移設以前の元々の名前は「多米社」といって多米連の祖神を祭る
延喜式(10世紀の書物)に書かれている古い神社です。

創建は不明で、元は大阪市住吉区中居町中でしたが16世紀に火事があい
住吉大社の神饌(神様のご飯)を、この神社が持って行っていたことから
住吉大社に移設されたそうです。


私の知っている一寸法師の物語
子供のない老夫婦が子供を恵んでくださるよう住吉の神に祈ると、老婆に子供ができました。しかし、産まれた子供は身長が一寸(現代の3cm)しかなく、何年たっても大きくなることはありませんでした。子供は一寸法師と名づけられた。

ある日、一寸法師は武士になるために京へ行きたいと言い、御椀を船に箸を櫂にし、針を刀の代わりに、麦藁を鞘の代わりに持って旅に出ました[。京で大きな立派な家を見つけ、そこで働かせてもらうことになり、その家の娘と宮参りの旅をしている時に鬼が娘をさらいに来ました。

一寸法師が娘を守ろうとすると、鬼は一寸法師を飲み込んだ。一寸法師は鬼の腹の中を針で刺すと、鬼は痛いから止めてくれと降参し、一寸法師を吐き出すと山へ逃げていきました。一寸法師は、鬼が落としていった打出の小槌を振ると、身長が六尺(182cm)になり、金銀財宝も打ち出し娘と結婚して末代まで栄えたそうです。

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一寸法師が描かれた説明板には
昔話で有名な一寸法師は、室町時代から江戸時代にかけて成立したとされる物語集の「御伽草子」に出てくるお話で、その冒頭では住吉大明神にお祈りし、そのお陰で子供を授かるところから始まります。

この背景には、住吉大神の御加護を得て、無事に応神天皇をご出産になられた神功皇后様(第四本宮御祭神)や、薩摩藩主島津氏の祖となった島津忠久公が生まれた誕生石などの安産や子宝に関する説話が広く知れ渡っていたことが伺え、現在でも、ここ住吉大社境内の種貸社は、神種を授ける神様として、各種農業の種、子授けや商売の元手となる資本金、良い知恵を授けて下さる神様として篤く信仰されております。
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住吉大社の「千木鰹木のある公衆電話」

2017年01月18日 | 大阪

住吉大社の境内で見つけた、千木鰹木のある公衆電話です。

最近は公衆電話を見ることが少なくなってきていますが
住吉大社に溶け込んだ、素敵な公衆電話がありました。

※ 千木は屋根の両端で交叉させた部材で、鰹木は屋根の上に棟に直角になるように何本か平行して並べた部材です。どちらも本来は上流階級の邸宅にも用いられていたそうですが、今は神社でしか見られませんね。

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千木は古代、屋根を建造する際に木材2本を交叉させて結びつけ、先端を切り揃えずにそのままにした名残りと見られ、千木・鰹木ともに本来は建物の補強が目的だったと考えられています。「鰹木」の名称は、形が鰹節に似ていることが由来のようです。

千木と鰹木は、●女性神の場合、内削ぎ(水平に削られる)で、偶数本。
●男性神の場合、外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)で、奇数本。
(お伊勢さんの内宮は内削ぎで、 外宮は外削ぎだそうです。)
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住吉大社・島津氏発祥の地「誕生石」

2017年01月17日 | 大阪

住吉大社の反橋をわたった左手に、垣に囲まれた「誕生石」があります。



説明版によると 丹後局は源頼朝の寵愛を受けて懐妊したが、北条政子により捕らえられ殺害されるところを家臣の本田次郎親経(ほんだじろうちかつね)によって難を逃れ、摂津住吉に至った。このあたりで日が暮れ、雷雨に遇い前後不覚となったが、不思議なことに数多の狐火が灯り、局らを住吉の松原に導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。本田次郎が住吉明神に祈るなか局は傍らの大石を抱いて男児を出産した。

これを知った住吉の神人田中三宗は産湯を出して湯薬をすすめて介抱し保護したという。是を知った源頼朝は本田次郎を賞し、若君に成長した男児は後に薩摩・大隈二ヵ国をあてられた。これが島津氏の初代・島津三郎忠久公である。

この故事により、住吉社頭の力石は島津氏発祥の地とされ、「誕生石」の聖地に垣をめぐらせ、此の小石を安産の御守りとする信仰が続いている。

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北条政子は、伊豆(静岡県)の豪族・北条時政の娘に生まれました。
そして頼朝を支え鎌倉幕府をつくるのに貢献しました。

頼朝が死んでからは「尼将軍」として幕府を引っ張って頼朝が死ぬと出家し
政子自身が「尼将軍」として、承久の乱を勝利に導きました。

この誕生石をみて、北条政子が周りの反対を押し切り源頼朝と結婚したことや
政子が妊娠するたびに浮気され、怒って浮気相手の家を襲撃させたことなどが
あったようで、愛するゆえに嫉妬深い北条政子だったことを思い出されました。
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野見神社の「とんど焼き」

2017年01月16日 | Weblog
小雪の舞う道を歩いて「とんど焼き」に行ってきました。


毎年、とんど焼きは野見神社に行ってます。
(とんど焼きは、正月飾りや神社のお札などを焼いて神へ返す伝統行事です。)
2017年1月15日 日曜日


いつもは野見神社への近道を通るのですが
十日えびすの時も通れなかったので、中を見てみると・・・


公共下水道築造に伴う工事ですが、この場所は旧高槻城内なので
埋蔵文化財の仮設工事のようです。
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薄化粧した「竜のひげ」

2017年01月15日 | Weblog
北日本から西日本の日本海側を中心に3時間で10cmを超える雪が降るなど、大雪となっています。あす16日にかけても、北日本から西日本では、日本海側を中心に降雪が続き大雪となります。 の大雪注意報が出ていたので・・・


朝、玄関の庭先をみると「竜のひげ」が薄化粧してました。


門を出ると、雪道に足跡とタイヤの跡が残されています。


公園も、白い砂を散りばめたようになっています。

※ 屋根の雪下ろしなど、除雪作業中の事故が多発しています。
一人での除雪作業は危険です! 必ず2人以上でしてくださいね。

今日は、しめ縄を外して神社に持っていく「とんど祭」の15日です。
「どんど焼き」で無病息災を祈り、良い年を迎えましょう!
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住吉大社の「住吉鳥居(すみよしとりい)」

2017年01月14日 | 大阪
住吉大社には何度も行ってますが、今回は違う視点で見てきました。(^_^;)))


親しみのある「すみよっさん」と呼ばれている住吉大社に行ってきました。
鳥居前の路面に見えるのは、チンチン電車(阪堺電気軌道)の路線です。


鳥居の先に、住吉の象徴として有名で太鼓橋 (たいこばし) とも呼ばれる
境内に架かる住吉反橋(すみよしそりはし)が見えてます。


石の橋脚は慶長年間に 淀君が奉納したものであるといわれ
昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せ られていたそうです。

川端康成が小説『反橋』で「上るよりもおりる方がこはいものです」
と書かれているように、最急勾配は48度もあるそうです。


住吉鳥居(すみよしとりい)※題額は陶製。有栖川宮幟仁親王の筆

鳥居の左右を支える柱が角柱で作られていることから「角柱鳥居」とも
呼ばれる住吉大社独特の鳥居は、柱・笠木・島木が角材になり貫が柱を
突き抜ける、明神鳥居と同じ形式となっているそうです。


第一本宮
 
現在ある本殿は全て1810年(文化7年)に造られました。第一本宮から第四本宮にいたる4棟の御本殿は「住吉造」と称し、神社建築史上最古の様式の一つといわれ 、いずれも国宝建造物に指定されています。(昭和28年11月14日 指定)


投げたお賽銭が刺さっています。

刺さったのは偶然だそうですが、本当にそうなのかな・・・?
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幸せを呼ぶ「おたふく南天」

2017年01月13日 | 花・草・木・鳥 他

常緑樹なのですが・・・晩秋から赤くなって紅葉が楽しめるので
名前も分からず気になっていたのですが、分かりました!

それは、高槻えびすで売られていた「おたふく南天」でした。
「おたふく(お多福来)」に「南天(難転)」で縁起の良い名前ですね。
花言葉:私の愛は増すばかり

中国原産で品種改良のためか、ナンテンと違って実がつかないようです。
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