266) シコニンの腫瘍性ピルビン酸キナーゼ-M2の阻害作用

 図:ピルビン酸キナーゼは解糖系の律速酵素で、正常では4量体として存在する。がん細胞では腫瘍特異的な2量体のM2というアイソフォーム(PK-M2)が多く発現している。2量体のピルビン酸キナーゼ-M2はホスホエノールピルビン酸からピルビン酸の変換ができない。解糖系の途中におけるグルコースの代謝産物は、核酸や脂肪酸やアミノ酸の材料になる。細胞分裂によって増殖するがん細胞は、エネルギー産生と同時に細胞を構成する核酸や脂肪酸やアミノ酸の合成を増やす必要がある。腫瘍特異的に発現するピルビン酸キナーゼ-M2はがん細胞におけるエネルギー産生と物質合成のバランスを調節している。生薬の紫根に含まれるシコニンがピルビン酸キナーゼ-M2を特異的に阻害し、がん細胞を死滅させることが報告されている。

266) シコニンの腫瘍性ピルビン酸キナーゼ-M2の阻害作用

【紫根に含まれるシコニンとアルカンニンはピルビン酸キナーゼ-M2を阻害して、がん細胞を死滅させる】
生薬の「紫根(しこん)」は日本各地や中国・朝鮮半島に自生するムラサキ科の多年草「ムラサキ(Lithospermum erythrorhizon)」の根を乾燥してもので、ナフトキノン誘導体のシコニンアセチルシコニンなどの紫色色素が含まれています。
シコニンやアセチルシコニンには抗菌・抗炎症作用や肉芽促進作用などの創傷治癒促進作用があり、紫根を主薬とした紫雲膏(しうんこう)は、火傷や凍傷、痔などの外用薬として有名です。
経験的に紫根には抗がん作用が認められており、がんの治療にも古くから使用されています。紫根に牡蛎(ぼれい)や忍冬(にんどう)などを配合した紫根牡蛎湯(しこんぼれいとう)という処方は乳がんなどのがんの治療に使われています。
培養細胞を使った実験で、紫根の抗がん成分の
シコニンが、様々な種類のがん細胞の増殖を抑え、アポトーシスや壊死性の細胞死を誘導する作用があることが報告されています。その作用機序に関しては様々な報告があり、細胞増殖や細胞死のシグナル伝達における複数のターゲット(NF-κB、トポイソメラーゼ、プロテアソームなど)に作用することが報告されています。(詳細は238話参照)
紫根あるいはシコニンの抗がん作用には様々な作用機序が報告されていますが、がん細胞のエネルギー産生と増殖・生存において重要な役割を果たしている腫瘍特異的なピルビン酸キナーゼ-M2に対して阻害作用を示すことが報告されています。その論文の要旨を以下に紹介します。

Shikonin and its analogs inhibit cancer cell glycolysis by targeting tumor pyruvate kinase-M2.(シコニンとその類縁成分は腫瘍特異的ピルビン酸キナーゼ-M2に作用してがん細胞の解糖系を阻害する)Oncogene 30 (42): 4297-4306, 2011

中国の浙江大学(Zhejiang University)医学部のがん研究所からの報告です。

【要旨】紫根(シコン)の成分であるシコニン(shikonin)はがん細胞に壊死性の細胞死を誘導し、抗がん剤抵抗性を回避できることが報告されている。しかし、がん細胞内におけるシコニンのターゲット分子については明らかにされていない。この論文では、シコニンとその類縁成分が、ピルビン酸キナーゼの腫瘍特異的なアイソフォームであるピルビン酸キナーゼ-M2(PKM2)の阻害剤であり、その中でも特に、シコニンとその光学異性体であるアルカンニン(alkannin)が最も強い阻害活性と特異性を示した。すなわち、シコニンとアルカンニンは、ピルビン酸キナーゼ-M2(PKM2)の活性を50%阻害する濃度では、正常細胞で発現する他のアイソフォームのピルビン酸キナーゼ-M1(PKM1)とピルビン酸キナーゼ-L(PKL)の活性は阻害しなかった。
シコニンとアルカンニンは解糖の速度を顕著に低下させ、ピルビン酸キナーゼ-M2を発現しているがん細胞における乳酸の産生とグルコースの消費を低下させた。
正常タイプのピルビン酸キナーゼ-M1(PKM1)を導入したHeLa細胞ではシコニンとアルカンニンによる細胞死の誘導は抑制された。(つまり、シコニンとアルカンニンは、PKM2を発現しているがん細胞において、PKM2を特異的に阻害することによって、がん細胞を死滅させるということ)
PKM2の活性を阻害する作用において、シコニンとアルカンニンは、今まで報告された中で、最も強力で特異性が高い物質であることが示された。
ピルビン酸キナーゼ-M2は多くのがん細胞に過剰発現しており、この酵素は解糖系の最後の段階で働き、解糖系の速度を調節する律速酵素として働いている、解糖系でのエネルギー産生はがん細胞の増殖と生存に不可欠であるため、シコニンとアルカンニンの2つの光学異性体は、がんの治療薬として使用できる可能性を持っている。

この論文では、生薬として漢方治療に使用される紫根(シコン)に含まれるシコニンとその光学異性体のアルカンニンが、がん細胞に特異的に発現して、がん細胞に特徴的なエネルギー産生に重要な働きをもつピルビン酸キナーゼ-M2という酵素を阻害する、ということを報告しています。
この論文が発表されているOncogeneという雑誌は分子生物学の領域ではレベルの非常に高い学術雑誌です。このようなレベルの高い雑誌に天然成分のシコニンに関する論文が掲載された理由は、ピルビン酸キナーゼ-M2ががんの治療のターゲットとして近年注目されているからだと思います。つまり、多くのがん細胞に特異的かつ普遍的に発現しているピルビン酸キナーゼのアイソフォーム(isoform)であるピルビン酸キナーゼ-M2(PKM2)を阻害するとがん細胞を死滅させることができることが明らかになっており、その阻害剤に関する研究はインパクトが高いからです。

【ピルビン酸キナーゼ-M2とは】 
解糖系というのは、1分子のグルコースが2分子のピルビン酸になるまでの過程です。
この反応過程では、グルコース → グルコース-6-リン酸 → フルクトース-6-リン酸 → フルクトース-1,6-ビスリン酸 → 1,3-ビスホスホグリセリン酸(2分子) → 3-ホスホグリセリン酸(2分子) → 2-ホスホグリセリン酸(2分子) → ホスホエノールピルビン酸(2分子) → ピルビン酸(2分子)と変換されます。この反応の過程で2分子のATPが産生されます。
ピルビン酸は酸素が十分にある状態では、ミトコンドリアに入ってTCA回路で代謝され、酸素が無い状態では嫌気性解糖系で乳酸になります。
がん細胞では酸素が十分にある状態でも、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化は抑制され、嫌気性解糖系が亢進しているという特徴があり、これはワールブルグ効果として知られています
がん細胞ではピルビン酸から乳酸に変換する乳酸脱水素酵素の活性が高く、TCA回路に向かう最初の段階のピルビン酸脱水素酵素の活性が低下していることが知られています。ピルビン酸脱水素酵素を活性化するとがん細胞が死にやすくなることは前回(265話)で解説しています。
その他、ワールブルグ効果関係に関しては、69話168話175話176話177話215話などでも話題にしています。つまり、がん治療において、このワールブルグ効果をターゲットにした治療法の可能性は高く、多くのがん研究者に注目されているのです。
さて、ピルビン酸脱水素酵素も乳酸脱水素酵素も、ピルビン酸から先の話(TCA回路に行くか嫌気性解糖系に行くか)になりますが、今回の話は解糖系の最終段階のホスホエノールピルビン酸をピルピン酸に変換する際に働くピルビン酸キナーゼの話です。
前述のごとく、ピルビン酸キナーゼは1分子のブドウ糖から2分子のピルビン酸に変換される解糖系の最終段階で働く酵素です。
ピルビン酸キナーゼ(PK)は、哺乳動物では L型、R型、M1型、M2型と呼ばれる4種類のアイソザイムがあります。 アイソザイムというのは、酵素としての活性はほぼ同じでありながら、タンパク質としては別種(アミノ酸配列が異なる)であるような酵素です。
ピルビン酸キナーゼのアイソザイムは酵素学的な性質と発現の制御機構が異なっています。成体では L型は肝臓、腎臓、小腸、膵β細胞で、R型は赤血球で、M1型は骨格筋、心筋、脳で特異的に発現していますが、M2型は多くの組織に存在します。 胎児期の初期においてはどの組織も M2型のみが発現していますが、組織の分化・発達が進むにつれて上記の組織特異的アイソザイムに置き換わっていきます。 細胞ががん化すると、逆に組織特異的アイソザイムは減少あるいは消失して、M2型が出現あるいは増加します。
ピルビン酸キナーゼ-M2は一つのタンパク質が4つ重合した4量体と、4量体が2つに分かれた2量体があり、2量体になるとホスホエノールピルビン酸をピルビン酸に変換する酵素活性がありません。がん細胞では2量体のピルビン酸キナーゼ-M2が多く発現しており、腫瘍マーカーとしても利用されています。解糖系の最終段階でピルビン酸に代謝されないと、その上流の代謝産物が蓄積しますが、これらの代謝産物は核酸や脂肪酸やアミノ酸の合成の材料になります。つまり、がん細胞の細胞分裂で増殖するとき、大量のグルコースを取り込み、エネルギー産生と同時に、細胞の構成成分である核酸や脂肪酸やアミノ酸を増やす必要がありますピルビン酸キナーゼ-M2は、4量体と2量体の比率を変えることによって、エネルギー産生と物質合成の調節を行うことによって、がん細胞の増殖に重要な役割を担っていると言えます。つまり、がん細胞における特徴的なエネルギー産生の複雑なネットワークの中で、腫瘍性のピルビン酸キナーゼ-M2は中心的な役割を担っているのです。
発見者であるOtto Warburg博士に因んで命名されたワールブルグ効果(Warburg effect)は、がん細胞の異常な代謝状態を示すものです。これは、がん細胞が正常細胞よりも高速で大量にグルコースを取り込むにもかかわらず、酸化的リン酸化に用いるグルコース量が少ないという現象のことを指します。このワールブルグ効果におけるピルビン酸キナーゼのM2アイソフォーム(PKM2)の関与が近年明らかになっています。
例えば、RNA干渉法によって内在性ピルビン酸キナーゼをノックダウンしたがん細胞にピルビン酸キナーゼ1(PKM1)ないしPKM2を発現させて比較すると、正常な酸素濃度の状態では両者の増殖速度に差はありませんが、低酸素条件にするとPKM2を発現している細胞の方が増殖が早いことが認められています。
さらに、ヌードマウスにがん細胞を移植する実験でも、PKM1を発現しているがん細胞に比べて、PKM2を発現しているがん細胞から生じる腫瘍の方が増殖が早いことが確かめられています。このように、腫瘍の形成においては、PKM2アイソフォームの発現が必要であることが示されています
また、低酸素になると発現が誘導される低酸素誘導因子-1(HIF-1)やがん遺伝子のc-MycがPKM2の発現を誘導することが報告されています。
HIF-1はピルビン酸脱水素酵素キナーゼ遺伝子の転写を促進することにより、TCA回路を介した代謝を能動的に抑制しています。ピルビン酸脱水素酵素キナーゼは、ピルビン酸脱水素キナーゼを阻害することによってピルビン酸をアセチルCoAへの変換を阻害し、TCA回路を回らなくします。HIF-1はmTOR(哺乳類ラパマイシン標的蛋白質)によって発現が誘導されます。(mTORについては233話参照)
がん細胞のエネルギー代謝の特徴であるワールブルグ効果を是正するような治療薬はがん細胞の増殖を抑制し、細胞死を誘導できる可能性があります。
PI3K/Akt/mTOR経路、低酸素誘導因子-1(HIF-1)、ピルビン酸脱水素酵素、乳酸脱水素酵素、ピルビン酸キナーゼ-M2などをターゲットにした治療を組み合わせることはがん治療として有望であり、その目的において、生薬成分でも有効なものが多く報告されています。がんの漢方治療の方法として、ワールブルグ効果を阻害する生薬の利用は極めて重要になっています。ワールブルグ効果に作用する生薬やその成分が多く見つかっており、そのような成分を組み合わせることによってがん細胞を死滅させる効果を高めることができます


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