176)嫌気性解糖系を阻害するとがん細胞は死滅する

図:乳酸脱水素酵素(LDH)は嫌気性解糖系の最終段階であるピルビン酸 ⇔ 乳酸の反応を触媒する酵素。がん細胞のLDHを阻害すると、エネルギー産生が低下し、死にやすくなり、抗がん剤感受性が高くなることが報告されている。抗がん生薬の半枝連が嫌気性解糖系を阻害することが報告されている。ピルビン酸脱水素酵素の活性を高めるジクロロ酢酸ナトリウム(DCA)やαリポ酸、酸化的リン酸化を活性化するカフェインと併用すると、がん細胞のアポトーシスを促進できる。


176)嫌気性解糖系を阻害するとがん細胞は死滅する


【がん細胞のワールブルグ効果をターゲットにした治療が注目されている】
前回の175話で、がん細胞のエネルギー産生の特徴であるワールブルグ効果について解説しました。
がん細胞のエネルギー産生の特徴として、1)がん細胞ではグルコースから大量の乳酸を作っている(嫌気性解糖系が亢進している)、2)がん細胞は酸素が無い状態でもエネルギーを産生できる(がんは低酸素の所に発生する!)、3)がん細胞は酸素が十分に存在する状態でも、酸素を使わない方法でエネルギーを産生している(ミトコンドリアでの酸化的リン酸化反応の低下)ことを80年ほど前にオットー・ワールブルグ博士が発見し、
ワールブルク効果と呼ばれるようになりました。ワールブルグ博士の言葉では、「がんとは嫌気的な生き物」ということです。
がん細胞が酸素が不足した状態でも増殖できる理由は、
嫌気性解糖系という酸素を使わない化学反応でエネルギー(ATP)を産生する活性が高くなっているからです。そして、酸素が十分に利用できる条件でも、がん細胞は酸素を使わない嫌気性解糖系を主体にしたエネルギー産生を行い、ミトコンドリアでの酸素を使ったエネルギー産生を低下させているのが特徴です。ミトコンドリアでのエネルギー産生系が低下していると細胞死(アポトーシス)が起こりにくくなるというのが、がん細胞でミトコンドリアの活性が低下している理由の一つと考えられています。
そこで
ミトコンドリアのエネルギー産生であるTCA回路(クエン酸回路、クレブス回路)を活性化するとがん細胞が死にやすくなることが明らかになっています。
TCA回路を活性化する方法としては、
ピルビン酸脱水素酵素を活性化するジクロロ酢酸ナトリウムαリポ酸、酸化的リン酸化を活性化するカフェインなどがあります。
さらに、嫌気性解糖系酵素を阻害する方法は、がん細胞のエネルギー産生を枯渇させて細胞死を誘導することや、抗がん剤感受性を高めることが報告されています。

【乳酸脱水素酵素を阻害するとがん細胞の増殖を阻害する】
乳酸脱水素酵素(Lactate Dehydrogenase: LDH)は嫌気性解糖系の最終段階であるピルビン酸 ⇔ 乳酸の反応を触媒する酵素です。
乳酸脱水素酵素を阻害すると、嫌気性解糖系でのエネルギー産生が低下し、がん細胞の酸化的ストレスが増大し、腫瘍の増大が抑えられることが最近の米国科学アカデミー紀要(Proc. Natl. Acad. Sci. USA)に報告されています。この雑誌は、生物化学・医学の分野ではサイエンスやネイチャーとならぶトップクラスの学術誌です。以下に要旨の訳を紹介します。


Inhibition of lactate dehydrogenase A induces oxidative stress and inhibits tumor progression (乳酸脱水素酵素Aの阻害は酸化ストレスを増大し、腫瘍の進展を阻害する)PNAS 107(5):2037-2042, 2010
要旨】
がん細胞における遺伝子変異と腫瘍組織の低酸素によって、がん細胞の多くは、グルコースを大量に取り込み乳酸の産生量が高まっている。この反応はグルコースから解糖系酵素で産生されたピルビン酸から乳酸を作る乳酸脱水素酵素Aの作用によって行われるが、この乳酸脱水素酵素Aはがん遺伝子のc-Mycと低酸素に反応して発現するhypoxia-inducible factor 1(HIF-1:低酸素誘導性因子)によって、発現が誘導される。(つまり、がん細胞が低酸素になると乳酸脱水素酵素Aの活性が高くなって、嫌気性解糖系が亢進することになる)
以前の研究によって、乳酸脱水素酵素Aの発現亢進ががんの発生に重要な役割を果たすことが明らかになっているが、がんの維持や進展における乳酸脱水素酵素Aの関与や、乳酸脱水素酵素Aの活性を阻害すると発がんやがんの進展が抑えられるのかどうかなど、不明な点も多い。
この研究では、
乳酸脱水素酵素Aの発現と活性を阻害すると、細胞内ATP量が減少し、酸化的ストレスが増大し、細胞死が誘導されることが示された。この効果は抗酸化剤のN-アセチルシステインによって部分的に阻害された。
乳酸脱水素酵素Aの活性を阻害するFA11をがんを移植したマウスに投与すると、移植したヒト悪性リンパ腫や膵臓がんの増殖が抑制された。
以上の結果から、乳酸脱水素酵素Aの活性を阻害すると、がん細胞を死滅させることができることが明らかになった。

さらに、タキソールに抵抗性のがん細胞に、乳酸脱水素酵素Aを阻害する薬を投与するとタキソールに感受性になる(抵抗性が減弱する)ことが報告されています。


Warburg efefct in chemosensitivity: Targeting lactate dehydrogenase-A re-sensitizes Taxol-resistant cancer cells to Taxol.(抗がん剤感受性におけるワールブルグ効果:乳酸脱水素酵素Aを阻害するとタキソール抵抗性のがん細胞をタキソールに感受性にできる)Molecular Cancer 9:33, 2010 http://www.molecular-cancer.com/content/9/1/33
【要旨】
背景:タキソールは乳がんの治療に有効な抗がん剤の一つである。投与初期にはその抗腫瘍効果が著明であるが、多くの場合、がん細胞はタキソールに抵抗性を獲得してくる。乳酸脱水素酵素Aは乳酸脱水素酵素のアイソフォームの一つで乳腺組織に多く発現している。この酵素はグルコースの嫌気性解糖系においてピルビン酸から乳酸を作るときに働く。この研究では、乳がん細胞におけるタキソール抵抗性の獲得における乳酸脱水素酵素Aの役割を検討した。
結果:ヒト乳がん細胞株のMDA-MB-435から、高濃度のタキソール存在下で増殖するタキソール抵抗性のサブクローンを得た。このタキソール抵抗性の乳がん細胞株は、もとのMDA-MB-435と比べて、乳酸脱水素酵素の量と活性が高くなっていた。タキソール抵抗性の乳がん細胞に乳酸脱水素酵素Aの阻害剤のoxamate(オキサミン酸:ピルビン酸と拮抗して乳酸脱水素酵素を阻害する)を投与すると、タキソールに対する抵抗性が減弱し、オキサミン酸とタキソールを併用すると、タキソール抵抗性の乳がん細胞のアポトーシスが相乗的に増強した。
結論:乳酸脱水素酵素Aは乳がん細胞のタキソール抵抗性の獲得に重要な働きを行っている。乳酸脱水素酵素Aを阻害すると、タキソール抵抗性の乳がん細胞をタキソール感受性に変えることができる。
つまり、
ワールブルグ効果がタキソール抵抗性の原因の一つになっていることをこの研究結果は示しており、乳酸脱水素酵素Aの活性を阻害することはタキソールの感受性を高める上で有効な方法である

がん細胞のタキソールに抵抗性を示すためには、タキソールを排出する細胞のポンプ作用亢進が関与していますが、それには多くのエネルギーが必要です。がん細胞はエネルギーの多くを嫌気性解糖系で産生しており、その生化学反応を行うのが乳酸脱水素酵素です。この乳酸脱水素酵素を阻害すれば、がん細胞はエネルギー産生が低下し、タキソールを細胞外に排出することができなくなるので、タキソールに感受性になると考えられています。
(オキサミン酸はピルビン産と拮抗して乳酸脱水素酵素を阻害する実験に使用しますが、人間では安全性が確かめられていませんので、使用されていません。)
以上の2つの論文は、今年発表された論文です。すなわち、
がん治療における最近の動向として、ワールブルグ効果をターゲットにした治療法に対する関心が高くなっていることを示唆しています
嫌気性解糖系を阻害する生薬として
半枝蓮(はんしれん)が知られています。漢方治療もワールブルグ効果を利用したがん治療に役立つ可能性があります。

【半枝蓮はがん細胞の嫌気性解糖系を阻害してアポトーシスを誘導する】
半枝蓮(はんしれん)はがんの漢方治療で頻用されている抗がん生薬の代表です。
この半枝蓮の熱水抽出エキスはBZL101(FDA IND# 59,521)という治験薬名で米国食品医薬品局(FDA)に登録されて、進行乳がん患者を対象に、半枝蓮の抽出エキスの効果を検討する臨床試験が米国で行われています。
その途中経過が最近報告されています。この研究では、抗がん剤抵抗性で転移のあるステージ4の進行乳がん患者を対象に半枝蓮抽出エキス(BZL101)を検討しています。効果を評価できた14人中3人(21%)は120日を超えて病態安定(stable disease)で、このうち一人は700日を超えて病態安定が続いています。3人の患者は客観的な腫瘍の縮小(objective tumor regression)がみられました。(Breast Cancer Res Treat. 120:111-118, 2010)
(半枝蓮の抗がん作用の詳細についてはこちらへ)
半枝蓮の抗腫瘍作用のメカニズムとして、がん細胞の嫌気性解糖系を阻害してがん細胞にアポトーシスを誘導することが報告されています。


Molecular mechanisms underlying selective cytotoxic activity of BZL101, an extract of Scutellaria barbata, towards breast cancer cells.(乳がん細胞に対する半枝蓮抽出エキスBZL101の選択的細胞毒性活性の分子メカニズム)Cancer Biol Ther. 7(4) :577-586, 2008
【論文の抜粋】
BZL101は米国食品医薬品局(FDA)に登録されている治験薬としての名称で、半枝蓮の熱水抽出エキス。
BZL101は乳がん細胞を殺すが正常の乳腺細胞には傷害作用を示さない特徴を持っている。
正常細胞は、エネルギー産生に主にクエン酸回路(クレブス回路)を用いるが、がん細胞はこれとは異なり、嫌気性解糖系を経て生産されるエネルギーに多くを依存している。
培養したがん細胞にBZL101を添加すると、培養液中に蓄積する(がん細胞か産生される)乳酸の量が減少し、ATPが枯渇する。半枝蓮ががん細胞の嫌気性解糖系を阻害してエネルギー産生を低下させ、がん細胞を死滅させる効果が示唆された。

がん細胞で嫌気性解糖系が阻害されると、エネルギー産生をミトコンドリアでの酸化的リン酸化反応に移行せざるを得なくなります。元々がん細胞は抗酸化酵素の発現が低下しているので正常細胞よりも抗酸化力が低い特徴があります。したがって、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化が活性化して活性酸素の産生が高まるとがん細胞内で酸化ストレスが増大し、アポトーシスが起こりやすくなります。
ミトコンドリアを活性化するジクロロ酢酸ナトリウムやαリポ酸やカフェインと、嫌気性解糖系を阻害する半枝蓮を使った漢方治療の併用は有効かもしれません。
さらに低酸素の状態になって発現が誘導されるhypoxia-inducible factor-1 alpha(血酸素誘導性因子1α)という転写因子はトランスフェリンレセプターの発現を高めて、低酸素のがん細胞内に鉄が蓄積しやすくなります。
鉄を含んだ細胞に対して選択的な毒性を示す薬物としてアルテミシニンが知られています。
嫌気性解糖系を阻害してエネルギー産生を低下させ、酸化ストレスを増大させると同時に、がん細胞に多く含まれる鉄を利用した酸化ストレスを増大させるアルテミシンンの併用はがん細胞を選択的に死滅させる効果が期待できます。
さらに、最近の論文で、脂肪酸の代謝を阻害する方法を併用すると、アポトーシスを誘導する効果が相乗的に増強することが報告されています、(これに関しては次回に紹介する予定です)


(文責:福田一典)

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