がんの予防や治療における漢方治療の存在意義を考察しています。がん治療に役立つ情報も紹介しています。
「漢方がん治療」を考える
898)がん細胞のフェロトーシス誘導(その5):ジクロロ酢酸ナトリウム
図:グルコースが解糖系でピルビン酸に変換された後、ピルビン酸脱水素酵素(①)によってアセチルCoAに変換される。アセチルCoAはミトコンドリア内でTCA回路と呼吸酵素複合体における酸化的リン酸化によってATPが産生される(②)。R体αリポ酸とビタミンB1はピルビン酸脱水素酵素の補因子として働く(③)。ピルビン酸脱水素酵素はピルビン酸脱水素酵素キナーゼによってリン酸化されることによって活性が阻害される(④)。ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害してピルビン酸脱水素酵素を活性化する(⑤)。メトホルミンは呼吸酵素複合体Iを阻害してミトコンドリアでの活性酸素の産生を増やす(⑥)。2-デオキシ-D-グルコース(2-DG)とケトン食は解糖系を阻害する(⑦)。抗がん剤や放射線治療は活性酸素の産生を増やす(⑧)
898)がん細胞のフェロトーシス誘導(その5):ジクロロ酢酸ナトリウム
【がん細胞は酸素があっても解糖系が亢進している】
正常細胞とがん細胞ではエネルギー産生の状況に大きな違いがあります。正常細胞ではミトコンドリアで酸素を使って効率的にエネルギー(ATP)を産生しているのに対して、がん細胞では酸素がある状況でもミトコンドリアでの酸素を使ったエネルギー産生(酸化的リン酸化)は抑制され、細胞質における解糖系によるATP産生が亢進しています。(下図)
図:がん細胞ではグルコースの取り込みと解糖系でのATP産生が亢進し、乳酸産生が増えている。酸素が十分に利用できる状況でも、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化によるATP産生は低下している。これをワールブルグ効果や好気的解糖という。
がん細胞における解糖系の亢進は、90年以上前にオットー・ワールブルグ博士(Otto Warburg、1883年~1970年)により発見されました。オットー・ワールブルグ博士は呼吸酵素(チトクローム)の発見で1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞したドイツの生化学者です。細胞生物学や生化学の領域で重大な基礎的発見を次々に成し遂げ、呼吸酵素以外の研究でも何回もノーベル賞候補になりました。そのワールブルグ博士が最も力を注いだのががん細胞のエネルギー代謝の研究です。
そして、がん細胞ではグルコースから大量の乳酸を作っていること、がん細胞は酸素が無い状態でもエネルギーを産生できること、さらに、がん細胞は酸素が十分に存在する状態でも、酸素を使わない方法(解糖系)でエネルギーを産生していることを見つけています。
がん細胞ではミトコンドリアにおける酸化的リン酸化によるエネルギー産生が低下し、細胞質における解糖系でのエネルギー産生が増加している現象はワールブルグ効果(Warburg effect)として知られていますが、この現象が発見されたのは100年近くも前(1926年)のことなのです。
ワールブルグ博士自身は、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化の機能欠損が細胞のがん化の原因だと考えていました。しかし、その後の研究で、多くのがん細胞においてミトコンドリアの機能自体は障害されていないことが明らかになっています。
そこで、がん細胞が解糖系を好む理由とそのメカニズムの解明が、がん研究における重要なテーマになっています。様々ながん遺伝子の異常や活性化が、がん細胞のワールブルグ効果の成り立ちに関与していることが明らかになっています。
【がん細胞はミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制されている】
ミトコンドリアでの酸素を使ったATP産生、すなわち呼吸鎖における酸化的リン酸化の過程で活性酸素が産生されます。がん細胞ではミトコンドリアでの酸化的リン酸化を抑えて酸化ストレスを軽減しています。酸化的リン酸化の抑制はフェロトーシスを起こしにくくする原因になっています。
がん細胞は酸素を使わないことによって死ににくくなるのです。がん細胞に強制的に酸素を使わせるとフェロトーシスを促進できます。
がん細胞が数を増やしていくには、莫大なエネルギー(ATP)と細胞を構成する成分(タンパク質や脂質や核酸)が必要です。増殖活性が高いがん細胞では、正常細胞に比較して数倍から数十倍のエネルギー産生と物質合成が行われています。
がん細胞では酸素が十分に利用できる状況でもミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制され、解糖系でのATP産生に依存しています。解糖系に依存したATP産生は非効率的で細胞の活動には不利のように感じます。1分子のグルコースから産生されるATPの量は、ミトコンドリアで完全に分解されると32分子であるのに対して、解糖系だけでは2分子しかできません。
しかし、がん細胞がエネルギー産生効率を犠牲にして酸化的リン酸化を抑制するのには訳があります。それは、細胞構成成分を合成する材料として多量のグルコースが必要になっているためです。
細胞が分裂して数を増やすには、核酸や細胞膜(主に脂質から構成される)やタンパク質(アミノ酸から合成される)などの細胞構成成分を新たに作る必要があります。細胞は解糖系やその経路から派生するペントースリン酸経路などの細胞内代謝系によって、グルコースの炭素骨格から核酸や脂質やアミノ酸を作ることができます。
つまり、エネルギー産生と物質合成を増やすという2つの目的を両立させるために、必然的にミトコンドリアでの酸化的リン酸化が抑制され、解糖系に依存したエネルギー代謝が亢進し、グルコースの取り込みが増えていると考えられます。
ミトコンドリアでグルコースの炭素骨格を全て二酸化炭素(CO2)と水(H2O)に分解すると細胞分裂のための細胞構成成分が作れなくなることが、酸化的リン酸化を抑制せざるを得ない理由の一つと言えます(下図)。
図:細胞はグルコースを分解してエネルギー(ATP)を産生し(①)、その炭素骨格を利用して脂肪酸や核酸などの細胞構成成分を合成する(②)。細胞が増殖を停止している場合は、細胞構成成分を作る必要がないので、取り込んだグルコースの多くをミトコンドリアで酸素を使って二酸化炭素と水にまで完全に分解してATP産生に使用できる(③)。一方、細胞分裂して増殖している場合は、細胞構成成分を合成する材料としてグルコースを使うため、ミトコンドリアでの完全分解は抑制され、解糖系とペントースリン酸経路でのエネルギー産生と物質合成の両方が亢進することになる(④)。
【低酸素になると解糖系が亢進し、ミトコンドリアの酸素呼吸が低下する】
細胞が低酸素状態に置かれると低酸素誘導因子-1(Hypoxia-inducible Factor-1:HIF-1)という転写因子の発現が誘導されます。転写因子というのは特定の遺伝子の発現(DNAの情報をタンパク質に変換すること)を調節しているタンパク質です。
HIF-1のターゲット遺伝子は100種類以上知られており、エネルギー代謝、血管新生、細胞増殖、アポトーシスなど細胞の機能と深く関連している遺伝子の発現を制御しています。細胞が低酸素状態で生存するために必要な遺伝子の発現を促進します。
低酸素の環境では酸素が使えないので、グルコース代謝は酸素が必要ない解糖系が亢進し、ミトコンドリアでの酸素呼吸(酸化的リン酸化)が低下します。
すなわち、HIF-1はグルコースを取り込むGLUT-1の発現を亢進し、解糖系酵素の発現を亢進します。一方、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を亢進してピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害し、ミトコンドリアの酸化的リン酸化を抑制します。(下図)
図:酸素分圧(pO2)が低下して低酸素になると(①)、低酸素誘導因子-1(HIF-1)の発現が亢進する(②)。HIF-1はグルコースを取り込むグルコース輸送体(GLUT-1)(③)と解糖系酵素(④)と乳酸を排出するMCT4(⑤)の発現を亢進する。HIF-1は血管内皮細胞増殖因子(VEGF)の産生を増やし(⑥)、血管新生を亢進する(⑦)。ペントース・リン酸経路を亢進し(⑧)、NADPHと核酸の合成を促進する(⑨)。HIF-1はピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を亢進してピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害し(⑩)、アセチルCoAの産生を低下させ、ミトコンドリアでの代謝を抑制する(⑪)。
【がん細胞では低酸素でなくてもHIF-1が恒常的に活性化している】
がん細胞の代謝の特徴は、酸素が十分に利用できる状況でも、酸素を使わない解糖系が亢進し、ミトコンドリアでの酸素を使ったエネルギー産生(酸化的リン酸化)が抑制されていることです。つまり、酸素があっても、あたかも低酸素のような代謝を行っているわけです。
このような代謝の特徴の根本的なメカニズムは、がん細胞では酸素濃度とは関係なく、恒常的にHIF-1が活性化しているためです。つまり、がん細胞では恒常的に低酸素シグナルがオンになっているということです。その理由は、がん細胞で活性化されているmTORやSTAT3がHIF-1の産生を促進するからです。
がん細胞の増殖シグナル伝達系であるPI-3キナーゼ/Akt/mTORC1シグナル伝達系においてmTORC1はHIF-1のタンパク質の産生(mRNAからタンパク質の翻訳)を促進します。また、増殖因子やサイトカインで活性化されるSTAT3という転写因子はHIF-1遺伝子の転写を亢進します。
mTORC1(哺乳類ラパマイシン標的タンパク質複合体1)はリボソームの生合成を促進するS6Kをリン酸化して活性化する作用によって蛋白質合成を促進し、HIF-1タンパク質の産生を増やします。
一方、STAT(signal transducer and activator of transcription;シグナル伝達兼転写活性化因子)は、様々な増殖因子やサイトカインを中心とする細胞外からの刺激によって活性化されたJAKなどのチロシンキナーゼによってリン酸化を受けると2量体を形成し、核内に移行してさまざまな遺伝子の発現を誘導します。
STAT転写ファミリーには7種類が存在しますが、特にSTAT3はほとんどすべての固形がんで活性化されており、細胞のがん化に重要な働きをすることが分かっています。
STAT3はHIF-1の遺伝子発現(転写)を促進することが知られています。つまり、がん細胞で活性が亢進しているmTORC1とSTAT3はHIF-1タンパク質の産生量を相乗的に高めることが報告されています(下図)。
図:増殖刺激や遺伝子変異などによってがん細胞で恒常的に活性が亢進しているSTAT3(シグナル伝達兼転写活性化因子)はHIF-1遺伝子の転写(mRNAの産生)を促進し、mTORC1はリボソームの生合成を促進するS6Kを活性化してHIF-1タンパク質の合成を促進する。
【低酸素誘導因子-1(HIF-1)がワールブルグ効果を根本で制御している】
急速に増大するがん組織の中で、がん細胞は常に低酸素と低栄養による細胞死の危険にさらされています。そこで、低酸素や低栄養による細胞死を起こさないようにするメカニズムとしてがん細胞はHIF-1活性を高めています。これは、HIF-1活性が亢進しているほど、がん細胞は低酸素や低栄養で生存できる(死ににくい)ということを意味しています。
がん細胞でもミトコンドリアでの酸化的リン酸化は正常細胞と同じレベルくらいには起こっています。しかし、がん細胞に取り込まれたグルコースの多くは解糖系で代謝され、物質合成に必要な中間代謝産物を多く作り出しています。
ミトコンドリアの呼吸鎖での酸素を使ったATP産生は必然的に活性酸素の産生を増やします。酸化ストレスは、増殖や転移を抑制するので、がん細胞は増殖や転移を促進するために、ミトコンドリアでの呼吸を抑えていると考えられています。
正常細胞ではHIF-1は細胞が低酸素状態におかれた場合しか活性化されません。
一方、多くのがん細胞では、低酸素状態でなくてもHIF-1の活性が亢進しています。がん細胞では、がん遺伝子のc-Mycの活性や増殖のシグナル伝達系のPI3K/Akt/mTORC1が恒常的に亢進しており、その結果としてHIF-1の活性が恒常的に亢進しているからです。
がん細胞の代謝の特徴である「解糖系の亢進とミトコンドリアでの酸化的リン酸化の抑制」というワールブルグ効果(Warburg effect)を根本で制御しているのがHIF-1と言っても過言ではありません。
HIF-1は乳酸脱水素酵素(LDH)などの解糖系酵素の発現を亢進し、一方、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼ(PDK)の発現を亢進して、ミトコンドリアでの酸素呼吸を抑制します。
解糖系で産生されたピルビン酸がミトコンドリアで代謝されるとき、その第一ステップとしてピルビン酸脱水素酵素(PDH)によってピルビン酸がアセチルCoAに変換されます。
このピルビン酸脱水素酵素(PDH)をリン酸化して不活性化するのがピルビン酸脱水素酵素キナーゼ(PDK)です。このピルビン酸脱水素酵素キナーゼはHIF-1によって発現が亢進します。
つまり、がん細胞では、HIF-1によってピルビン酸脱水素酵素キナーゼ(PDK)の発現が亢進し、PDKがピルビン酸脱水素酵素(PDH)の活性を阻害し、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換が阻害されるので、ミトコンドリアでの酸素を使った代謝が抑制されることになります。(下図)
図:正常細胞では、グルコースは解糖系でピルビン酸に変換され、ピルビン酸脱水素酵素(①)でアセチルCoAに変換され(②)、TCA回路(③)と呼吸鎖における酸化的リン酸化によってATPが産生される(④)。がん細胞では低酸素やPI3K/Akt/mTORC1シグナル伝達系の活性化によって低酸素誘導因子-1(HIF-1)の活性が恒常的に亢進している(⑤)。HIF-1は解糖系酵素や乳酸脱水素酵素(LDH)の発現を亢進し(⑥)、乳酸産生を増やす(⑦)。HIF-1はピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を誘導し(⑧)、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼはピルビン酸脱水素酵素をリン酸化してその活性を阻害する(⑨)。その結果、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換が阻止されてミトコンドリアでの糖代謝(酸化的リン酸化)は抑制される。
【ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害する】
ジクロロ酢酸ナトリウム(sodium dichloroacetate)は酢酸(CH3COOH)のメチル基(CH3)の2つの水素原子が塩素原子(Cl)に置き換わったジクロロ酢酸(CHCl2COOH)のナトリウム塩です。構造式はCHCl2COONaになります。
ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することによってピルビン酸脱水素酵素の活性を高める作用があります。
がん細胞ではHIF-1の活性亢進によってピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性が亢進し、ピルビン酸脱水素酵素の活性が低下し、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換が阻止されているため、ミトコンドリアでのエネルギー産生が低下しています。
そこで、ジクロロ酢酸ナトリウムでがん細胞のピルビン酸脱水素酵素を活性化して、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換を促進してTCA回路を回せば、乳酸の産生が抑えられます。さらに、酸化的リン酸化の過程で活性酸素の産生が増え、酸化ストレスの増大によってがん細胞を死滅できるという作用機序が報告されています。(図)。
図:低酸素誘導因子-1(HIF-1)はピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を誘導して(①)、ピルビン酸脱水素酵素(ピルビン酸をアセチルCoAに変換する)の働きを阻害するので(②)、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化によるATP産生が抑制されている。ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性を阻害することによってピルビン酸脱水素酵素の活性を高め(③)、R体αリポ酸とビタミンB1はピルビン酸脱水素酵素の補因子として働き(④)、ピルビン酸脱水素酵素の活性を高めてピルビン酸からアセチルCoAの変換を促進し、TCA回路での代謝と酸化的リン酸化を亢進する(⑤)。ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が亢進すると、活性酸素の産生が増え、乳酸産生が減少し、アポトーシスが起こりやすくなって、抗がん剤感受性が亢進する(⑥)。
【ジクロロ酢酸ナトリウムはペントースリン酸経路を阻害する】
ピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害してミトコンドリアを活性化するジクロロ酢酸ナトリウムがペントースリン酸経路を阻害することが報告されています。以下のような論文があります。
Inhibition of the pentose phosphate pathway by dichloroacetate unravels a missing link between aerobic glycolysis and cancer cell proliferation(ジクロロ酢酸によるペントースリン酸経路の阻害は、好気的解糖とがん細胞増殖との間の失われた関連を明らかにする)Oncotarget.2016 Jan 19; 7(3): 2910–2920.
【要旨の抜粋】
がん細胞は酸素の存在下でも解糖によるグルコースの発酵を行っており、これはワールブルグ効果と呼ばれている。このワールブルグ効果は、がんの治療法の開発において魅力的なターゲットになっているがん細胞に共通の特徴である。
本研究は、6つのがん細胞株において、DNA合成量によって評価した細胞増殖能は、解糖の効率と相関することを見出した。
解糖と増殖の関係をさらに調べるために、ペントースリン酸経路の薬理学的阻害を使用した。
我々は、ペントースリン酸経路の活性の低下ががん細胞の増殖を減少させ、その作用はワールブルグ効果の代謝が強いがん細胞ほど大きな影響を及ぼすことを実証した。
ペントースリン酸経路の最初の律速酵素であるグルコース-6-リン酸脱水素酵素に対するsiRNAを用いて阻害する実験で、がん細胞の増殖を維持する上でのペントースリン酸経路の重要な役割が確認された。
さらに、ジクロロ酢酸が、がん細胞の解糖系優位の代謝からミトコンドリアでの酸化的リン酸化を亢進するように代謝を変換させ、それに応じて増殖能が減少することを見出した。
ジクロロ酢酸がペントースリン酸経路の活性を低下させたことを実証することにより、ジクロロ酢酸ががん細胞の増殖を制御する新しいメカニズムを提供する。
正常細胞では解糖と酸化的リン酸化が連動して働き、ATPを産生しています。
がん細胞では解糖と酸化的リン酸化が連動していません。解糖の最終産物のピルビン酸は乳酸に変換され、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化は抑制されています。
増殖する細胞にとっては、エネルギー産生と物質合成を両立させるためにはグルコースの取込みを亢進し、解糖系とペントースリン酸経路を亢進する必要があります。
ジクロロ酢酸はミトコンドリアの酸化的リン酸化を促進し、その結果、解糖系とペントースリン酸経路を抑制する結果になります。(下図)
図:がん細胞では低酸素誘導因子-(HIF-1)の活性が亢進し、グルコースの取り込みと解糖系が亢進し(①)、乳酸産生が亢進している(②)。さらにペントース・リン酸経路が亢進し、核酸やアミノ酸や脂肪酸やNADPHの合成が亢進している(③)。HIF-1はピルビン酸脱水素酵素キナーゼの発現を亢進する(④)。ピルビン酸脱水素酵素キナーゼはピルビン酸脱水素酵素の活性を阻害し(⑤)、その結果、ミトコンドリアでの酸化的リン酸化は抑制されている。ジクロロ酢酸ナトリウムは、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性を阻害する(⑥)。その結果、ピルビン酸脱水素酵素を活性化してピルビン酸からアセチルCoAの変換を亢進してミトコンドリアでの代謝を亢進する。その結果、乳酸産生とペントースリン酸経路が抑制され、ワールブルグ効果が是正される。
【ジクロロ酢酸ナトリウムはフェロトーシス誘導を促進する】
ほとんどのがん細胞の特徴的な代謝異常である好気的解糖(ワールブルグ効果)は、PET検査(陽電子放出断層撮影)よるがん診断の基礎であるだけでなく、がん細胞の特徴である細胞死(アポトーシスやフェロトーシス)に対する抵抗性とも関連しています。がん細胞が死ににくいのは酸素を使わないからです。強制的に酸素を使うようにすると、がん細胞は死にやすくなります。
ワールブルグ効果をターゲットにしたがん治療法は、2012年にカナダのアルバータ大学のミケラキス(Michelakis)博士の研究グループが、ジクロロ酢酸ナトリウムでがん細胞のミトコンドリアを活性化するとアポトーシス抵抗性が低下することを報告したのが最初だと思います。
ジクロロ酢酸ナトリウムは経口投与可能な小分子で、ピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することでミトコンドリアへのピルビン酸の流入を増加させ、酸化的リン酸化を促進します。これにより、がん細胞における抑制されたアポトーシスが逆転し、がん細胞の増殖が抑制されることが示されました。
ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することによってピルビン酸脱水素酵素の活性を高める作用があります。ミトコンドリアの異常による代謝性疾患、乳酸アシドーシス、心臓や脳の虚血性疾患の治療などに使用されています。
前述のようにがん細胞では低酸素誘導因子-1(HIF-1)の活性亢進によってピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性が亢進し、ピルビン酸脱水素酵素の活性が低下し、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換が阻止されているため、ミトコンドリアでのエネルギー産生が低下しています。
ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼの活性を阻害し、ピルビン酸脱水素酵素を活性化します。その結果、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換を促進して乳酸の産生が抑えられます。さらに、酸化的リン酸化の過程で活性酸素の産生が増え、酸化ストレスの増大によってがん細胞を死滅できるという作用機序が報告されています。
ジクロロ酢酸ナトリウムはがん細胞における機能低下したミトコンドリアを活性化して細胞死を起こしやすくします。動物実験ではジクロロ酢酸ナトリウム単独で腫瘍の著明な縮小が観察されていますが、人間の腫瘍の場合はジクロロ酢酸ナトリウム単独では腫瘍を縮小させる効果には限界があるようです。
しかし、がん細胞を死滅する作用をもった医薬品と併用すると、がん細胞の細胞死抵抗性を弱めるジクロロ酢酸ナトリウムの効果によって腫瘍の縮小効果を高めます。実際に、抗がん剤や放射線照射の効き目(感受性)を高める効果が多数報告されています。
5-アミノレブリン酸(5-ALA)を用いた光線力学療法の抗腫瘍効果をジクロロ酢酸ナトリウムが増強することが報告されています。ミトコンドリアを活性化して活性酸素の産生を高めるためと考えられています。
【ジクロロ酢酸ナトリウムの使用法】
服用量は1日に体重1kg当たり10mgから15mgで、1〜2回に分けて服用します。体重60kgの人で600mg~900mgになります。ジクロロ酢酸ナトリウムは熱で不活性化しやすいので、水に溶かして服用します。胃粘膜に刺激になるので食後に服用します。
注意する副作用は末梢神経障害です。ピルビン酸脱水素酵素はビタミンB1を補因子として使用するので、ビタミンB1が消耗すると神経障害がおこります。この副作用を予防するために、ビタミンB1製剤を一緒に服用します。ビタミンB1は1日に100mg以上を摂取します。
ピルビン酸脱水素酵素の補因子であるR体αリポ酸を併用するとさらに抗腫瘍効果を高めることができます。R体αリポ酸は体内で合成されるのでサプリメントでの補充は必須ではありませんが、サプリメントとして補充するとミトコンドリアの活性化を増強できます。
ジクロロ酢酸ナトリウムの体内での半減期は約24時間ですので、1回服用したジクロロ酢酸ナトリウムが体内からほとんど排泄されるのに数日かかります。したがって、毎日服用すると少しずつ体内に蓄積して副作用が起こりやすくなります。高齢者では体内での代謝(分解と排泄)が遅くなる傾向にあります。がんの進行状況や体調などによって1日の服用量や1週間の服用回数などを調節します。1日おきの服用や、1週間のうち5日間服用して2日間休むというような服用法を考慮します。
副作用と思われる症状が現れたときは、その症状が消失するまで服用を中断します。副作用が消失した後、少量から再開します。副作用がでない低用量を長期間にわたって服用する方が抗腫瘍効果を得られやすいようです。
腫瘍の縮小がみられた場合は、ジクロロ酢酸ナトリウムの量を体重1kg当たり1日2~3mgに減らし、ビタミンB1を併用する維持療法が試されています。緑茶、紅茶、コーヒーを1日5~10杯くらい飲用するとDCAの効果が高まるという意見があります。これはカフェインによる効果であることが推測されています。ジクロロ酢酸ナトリウムはインターネット上でも販売されています。
【メトホルミン+2-デオキシ-D-グルコース+ジクロロ酢酸ナトリウム+ケトン食の相乗効果】
2-デオキシ-D-グルコース(2-DG)は、解糖系を阻害することによって乳酸とATPの産生を阻害します。さらにペントースリン酸経路を阻害して物質合成を阻害します。
経口糖尿病薬のメトホルミンはミトコンドリアの呼吸酵素を阻害してATP産生を阻害する作用があり、さらに2-DGと同様に解糖系酵素のヘキソキナーゼの活性を阻害します。
したがって、2-DGとメトホルミンを併用すると、がん細胞のエネルギー産生と物質合成を阻害する効果を相乗的に高めることができます。エネルギー産生と物質合成の阻害は抗酸化システムを弱体化し、フェロトーシスを起こしやすくします。
メトホルミンには乳酸アシドーシスを引き起こす副作用があります。乳酸が増えて血液が酸性になる状態です。大きながん組織があると乳酸の産生が増えています。乳酸アシドーシスを防ぐために、肝臓では乳酸をグルコースに変換する糖新生が亢進します。メトホルミンは糖新生を阻害する作用があるので、乳酸産生の増加した状態でメトホルミンを服用すると、乳酸アシドーシスを起こしやすくなります。
この場合、がん細胞の解糖系を抑制し、ミトコンドリアでの酸素呼吸を増やす2-デオキシ-D-グルコースやジクロロ酢酸ナトリウムやケトン食を併用するとメトホルミンによる乳酸アシドーシスの発生を防ぐことができます。特にジクロロ酢酸ナトリウムは乳酸アシドーシスの治療に古くから使用されています。(図)
図: がん細胞は乳酸の産生が増えている(①)。乳酸によるアシドーシス(酸性血症)を防ぐため、肝臓で乳酸をグルコースに変換する。これをコリ回路という(②)。メトホルミンは糖新生を阻害するので、乳酸アシドーシスの副作用を起こしやすい(③)。ケトン食はグルコースの利用を阻害し、脂肪酸とケトン体はミトコンドリアの酸素呼吸(酸化的リン酸化)を亢進する(④)。2-デオキシ-D-グルコース(2-DG)はがん細胞の解糖系を阻害し(⑤)、ジクロロ酢酸ナトリウム(DCA)はピルビン酸脱水素酵素を活性化してピルビン酸からアセチルCoAへの変換を促進する(⑥)。その結果、2-DGとDCAはメトホルミンによる乳酸アシドーシスを防ぎ、活性酸素の産生を高めて酸化ストレスを亢進する(⑦)。これらは相乗効果で、がん細胞の増殖を抑制できる(⑧)。
ケトン食だけでは抗腫瘍効果は弱いのですが、2-デオキシ-D-グルコースとメトホルミンとジクロロ酢酸ナトリウムを併用すると、がん細胞の増殖を抑制できます。さらに抗酸化システムを阻害するジスルフィラムやスルファサラジンを併用すると、がん細胞を酸化ストレスで自滅できます。
2-デオキシ-D-グルコースとジクロロ酢酸ナトリウム(+ビタミンB1+R体αリポ酸)とメトホルミンを併用したがん治療の有効性のメカニズムをトップの図にまとめています。
抗がん剤治療や放射線治療を行うときに、2-デオキシ-D-グルコース、ジクロロ酢酸ナトリウム、R体αリポ酸、ビタミンB1、メトホルミン、ケトン食を併用すると、抗腫瘍効果を増強できます。アルテスネイトを用いたフェロトーシス誘導の促進にも有効です。
この組み合わせはがんの補完・代替療法として今までに多くの患者さんに行っていますが、副作用はほとんど経験せず、顕著な有効性を確認しています。
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