CLASS3103 三十三組

しがない個人ホームページ管理人の日記です。

名古屋風を考えるのこころ

2021-05-13 21:19:16 | 食べ物飲み物
小沢昭一的な感じのタイトルにしたわけだけども、
最近、いちおう故郷にあたる名古屋について
あれこれ考える機会があったので書いておく

最近、コロナのせいもあって、
部屋の中で楽しむ何彼として、甘いものを食べてるんだが、
ふと、「みたらし団子」が食べたいと願ったのであります

子供の頃に、近所にあった親戚の家でよく食べてたんだが
その店が今でもあるなんて話を聞いて、
もう一度食べたいなと思ったりしたんだが、
まぁ、このご時勢なので、そこまで行くのもなんだし、
そもそもみたらしなんてどこでも食べられるだろうと
探してみたんだが

ない

いや、「みたらし団子」というものはあるんだが、
俺が食べたいそれではない、なんか甘さが違うし、そもそも冷たい
しかも3個しかついてないし、串の先が突き抜けてない、
焦げてて、ちょっと味噌辛さのある甘いタレで
茶色というか、むしろ黒いくらいの団子が見当たらない

よもやと思って調べたら、案の定というか、驚きというか、
知っているみたらし団子は「名古屋風」というジャンルに属するらしいとわかって
慄いたのであります、名古屋まで行かないと食べられないということか
食べられるところはどこだと探してみたら、
「名古屋風」と唄われているみたらしを食べられる店の上位に、
ガキの頃親戚の家で食べてた店が入っていて、
骨の髄から名古屋風で育っていたと驚愕したのでありました
あれを食べたいと思ったら、やっぱりそこまで行かねばならぬのか
なんで、そんな特殊なものを食べて育ってしまったんだ
ちょっと食べたいときに食べれないとか、拷問ではないか

スガキヤについてもそうなんだが、
子供の頃に親しんだものというのは、何かしら刻まれたものがあるのか、
時折無性に食べたくなる、それが美味いとか、まずいとかではない、
それを食べてたんだから、それを食べたいのだ
これは味がどうこうの問題とは別なんだと思うところ、
いや、味の論点をずらしたような言い方になるのも変なんだが、
自分としては、凄い美味しいと思ってるから、それはそれなんだけども、
おそらくは子供の頃に食べたというそれが、
味というものに大きな影響を与えているのだと
思わざるを得ない、食べたいという気持ちは美味しいにプラスして、何かあるのだ

と、そんなことを考えたりしながら、手に入らないみたらし団子を夢見つつ、
その店で売っているたこ焼きもついでに食べたいなと考えていたら、
そのたこ焼きもまた「名古屋風」なんだそうで、
こちとら、関西に出てきてしまったから、しょうゆ味のカラっとしたたこ焼きなんて
食べることができないのがまた、悲しいというべきか、なんというべきか
あの、お好み焼きを玉にしただけのようなたこ焼きも
また恋しいと思うのであるが、
ここで挙げる「お好み焼き」というのもまた、
世に言う、大阪風、広島風ではなく、名古屋風であるということを知り
もう、なんというか、おやつの時間だけ名古屋にいけないか
そんなことを考えるばかりなのであった

出前がどれだけ発展しようと、こういうのは食べられないのだな
現地で食べることの大切さも思うが、
そういうレベルではない、B級とかでもない、ただ、
子供が食べる駄菓子のようなそれらが、愛おしいというお話である


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