映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外(118) 中村 豊さん

2016年06月19日 | 日記

      

  

 

    日本舞踊には花柳・藤間・若柳・西川・坂東の五大流派をはじめ、泉、吾妻などなど

    約200を超える流派があります。それらの連絡協議会的な立場にある日本舞踊連

    合の現・理事長をされている方が猿若流8世家元・猿若清三郎さんです。

    この人こそ、昭和35年(1960)に高校卒業直前の18歳で大映に入社、芸名を中村豊

    とし、早速「虹之介乱れ刃」で主演デビューし、「透明天狗」「競艶八剣伝」と、立て続け

    主演をしています。大映入社以前の彼は猿若流家元の長男であり、その美少年ぶり

    が話題になっていて、小さいころからテレビ・ドラマに出演していたのです。

 

    大映では時代劇のスターとして活躍を期待されましたが、線の細さが災いして人気が

    不発、翌年からは助演にまわりました。「オールスター物」「座頭市シリーズ」「忍びの

    者シリーズ」などに出演したのち、昭和39年(1964)に大映を退社し、その後は猿若清

    三郎として踊りに専念されています。昭和16年(1941)生れ、今年で74歳、お元気で

    活躍中と伺っています。

 

        

 

 

 

 

 

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素敵なご本を頂きましたのでご紹介。

2016年06月18日 | 日記

   

 

    フェイスブックやミクシィでお付き合いしていますと、素晴らしいお友達が沢山出来ま

    す。つい最近ですがそのお友達が書かれたご本や、編集に関わられたご本を頂戴し

    ました。2冊とも素敵なご本なのでご紹介します。

 

    衛藤夏子さん(船団の会)が編集に関われた「坪内稔典百句」(稔典百句製作委員会・

    編)です。俳人・坪内稔典氏は俳誌「船団」の代表ですが、ご専門は日本近代文学で、

    特に正岡子規や夏目漱石に関する研究でも著名な方です。最近の芸能人では誰が

    好きですかの問いに、「阿川佐和子さん」と答えるなどユニークな坪内先生、大学時

    代にはパチンコが大好きだったという逸話も残っています。最近は第十二句集「ヤツ

    とオレ」を刊行されていますが、まだ72歳の坪内先生です、これからのご活躍を期

    待しながら、私もこのご本を読ませていただきました。

  

    長谷川照子さんが書かれた「愛しの貴婦人ヴィエト ナム号」(新風舎)は、海外渡航の

    交通手段が、海路から空路に替わろうとしていた時代、海路の殆ど終焉時代の定期

    客船での船旅の模様を書かれたものです。

    1964年に横浜港からフランス郵船極東航路(日本側から言うと欧州航路)の定期客船

    『ヴェトナム号』で、33日もかかってフランス南部のマルセイユ港へ。それからホーム

    スティ先のハンブルグへ行かれています。大きなユースホステルや、スイス・グリンデ

    ルヴァルトのユースホテルで、初代日本人スタッフとしてアルバイトをしながら、ヨーロ

    ッパ中を旅行されたそうです。旧西ベルリンにも3年間住まれたそうで、長谷川照子さ

    んは、「私は元祖日本人女性ヒッチハイカーであると自負しています」と仰っておられま

    す。2003年の発行ですが、素敵なご本です。

 

    PS: 去年の本日、6月18日が拙著「スタアのいた季節/わが青春の大映回顧録」の発行

       日でした。早いものでもう1年が経ちます。

        

 

 

 

 

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映画 「団地」

2016年06月17日 | 日記

   

 

    阪本順治監督が藤山直美と15年ぶりにタッグを組み、事情があって三代続いた漢

    方薬局を廃業し、団地に越して来た清治とヒナ子夫婦にまつわる噂が引き起こす一

    大騒動を描いた作品。

    ヒナ子、清治夫妻に藤山直美、岸辺一徳。団地の自治会長夫妻に石橋蓮司と大楠

    道代。謎の男には斎藤工とユニークな出演陣です。

 

    監督にはいささか不安がありましたが、藤山直美と岸辺一徳の掛け合い漫才風の

    やり取りが面白く、前半はとても楽しく見ました。後半は俄然調子が変わり、主演の

    二人が頑張っても詰まらなくなりました。いくら何でもお話が無茶苦茶です。率直に

    言いますが独り善がりの失敗作です。

 

 

 

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お詫びと訂正です。

2016年06月17日 | 日記

 

    昨日16日のこの欄で、クリムトの最高傑作といわれる「接吻」の展示場をシェーンブル

    ン宮殿と書きましたが、私の記憶違いでナイゲン公の夏の離宮ベルヴェデーレ宮殿上

    宮(世界遺産)で展示されています。誠に申し訳ありません。

 

     

 

 

 

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楽しかった旅の一コマ (101) ウィーンのシェーンプルン宮殿

2016年06月16日 | 日記

  

    

    

    

 

    オーストリアの首都ウィーンこそ神聖ローマ帝国の皇帝所在地として中央ヨーロッパを

    統治し、600有余年にわたるハブスブルグ家の帝都であり、建築・音楽・絵画などの独

    自文化が花咲いた芸術の都です。

    このハブスブルグ家の夏の離宮シェーンプルン宮殿は世界遺産であり、クリムトの名画

    「接吻」などの展示でも有名ですが、寅さん映画で唯一の海外ロケ作品となった「男はつ

    らいよ 寅次郎心の旅路」にはシェーンプルン宮殿が出てきます。

    18世紀~19世紀のハブスブルグ家はマリア・テレジアの時代に入り、即位して40年の間

    で、男子5人、11人の女子を生みますが、第9子がフランスのルイ16世に嫁いだマリー・

    アントワネットであり、19世紀~20世紀になって、フランツ・ヨーゼフ1世に見初められて皇

    妃となったのが有名なエリザベ-トです。

    1859年のイタリア戦線で敗北した時から、ハブスブルグ帝国に暗雲が立ち込めはじめ、第

    1次世界大戦にも破れ、長期に亘り中央ヨーロッパに君臨したハブスブルグ帝国は崩壊し

    たのです。

          

          

  

 




 

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