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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (117) 水原浩一さん

2016年06月12日 | 日記

     

   

 

    長谷川先生をラストにして4月で「大映の思い出の欄」は止めるつもりでしたが、よく

    よく考えるとユニークな脇役俳優さんとか、フリーや他社の俳優さんが大映に出て話

    題になった方とかが随分いることに気付きました。もう暫くは続けられそうです。

    そう言った意味で今回の登場者・水原浩一さんは映画製作の生き字引というか、彼の

    アドバイスが非常に役立った俳優さんです。映画好きな方でしたら、あの如何にも悪党

    面で敵役専門の俳優を、名前は知らなくても顔は覚えておられる筈です。

    水原浩一さんは明治42年(1909)に広島県呉市で生れました。大正13年(1924)には

    15歳で新国劇に参加しています。そして大正15年に映画に転向、当時は人気スター

    だったのです。

 

    映画会社はタカマツ・アズマを振り出しに、主な所だけでも東亜キネマ→宝塚キネマ→

    極東映画→マキノ→日活→大都映画と渡り歩き、昭和17年(1942)に大映入社となりま

    す。大映に入る前に一時は映画界の暴れん坊の異名を持ち、数々の逸話が伝説じみて

    残っていますが、大映に入ってからは円熟味を得て温厚な人物として信頼を受けました

    し、時代劇や賭場の撮影では皆さんが彼に教えを乞うぐらい頼りにされました。

    そんな彼も昭和44年(1969)に肝臓がんで60歳の生涯を終えましたが、生涯の映画出

    演本数は250本、その中で大映は138本ですから、如何に大映に尽くしてくれたか、

    その数字が現しています。水原さんの掲載写真を随分と探し回ったのですが見つからず、

    上記の写真でお許しください。

 

 

 

コメント (2)
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