↑ 私のデスクで藤由紀子。
本社から電話があったのは昭和37年(1962)の夏だったと思います。
「藤由紀子が沖縄から東京に帰る予定を変更して、福岡で降ろすから、連
絡するまでお前が預かってくれ!」ということでした。
あまり詳しくは聞かなかったけれど、彼女を大映が引き取る話し合いに、本
人が東京に居ない方がいいのだな・・・と理解しました。
福岡空港で彼女を待ち受け、そこで初めて藤由紀子と会ったのです。美人
だし、物事をはっきり言う人で、私は非常に好感を持ちました。
交渉事が早く解決したからでしょう、博多には2日間いて東京に戻しました。
福岡滞在中はホテルに泊めましたが、彼女はほとんど私のデスクの横に
座っていましたし、たまには一緒に散歩をしたり食事をしたり、夜は彼女が
麻雀が出来るというので囲んだりしました。
てっきりお嬢さん麻雀と思っていたらなんとなんとかけ声入りの江戸っ子麻
雀で威勢のいいこと・・・そんなことで楽しかった思い出があります。
彼女はそれからすぐに大映に入社し、約3年でしたが間貴重な存在だった
と思います。
私は月に一度は会議で上京していて、上京時に彼女から誘われて赤坂で
天麩羅をご馳走になったことがあります。
その時に話が田宮二郎のことになりました。私は随分前から田宮もよく知っ
ていて、礼儀は正しいし、身のこなしもスマートで、相手に名刺を渡す時は、
ポケットからさーっと出せば、相手がそのままで読める・・・そんな男だよ・・・
でも私はそんな男の人ってあんまり好きではないと言っていた人と、結婚に
至る訳ですから、やはり男と女の仲は判らないものです。
田宮と藤が結婚したのは昭和40年(1965)で、彼女はスッパリ女優業を辞め
て家庭に入りました。
新婚ほやほやの田宮邸に招かれて麻雀をしたこともありますが、そうこうし
ている内に田宮が「不信のとき」の序列で東京撮影所の舟橋所長(舟橋聖一
の娘婿)ともめ、それが退社へと繋がって行きました。
田宮が映画界から干され、ある時期キャバレー出演をしていたことがありま
したが、そんな時に私は渚まゆみと一緒に出演していたキャバレーへ激励に
行ったことがありましたよ。
田宮の退社事件は、本人も自己過信がありましたが、会社の取った手法も
大人気なかったと思います。
当時、双方の間に入って収める人が居なかったのが、今でも不思議でたまり
ません。田宮が生きていたら77才の筈。随分年月が経ったものです。
仕事の合い間を縫い、新婚旅行を兼ねて、勝夫妻と田宮夫妻が揃って九州
に来たことや、先述の渚まゆみと一緒に田宮と会った話は、またその内に書
くことにいたしましょう。
↑ 左から私、田宮、川崎敬三、藤巻潤 ↑ 合同?新婚旅行で九州へ。
↑ 田宮・藤の名前が入った結婚式引出物 ↑ 田宮の手紙。中々達筆です。
↑ 仕事中のスナップ。左から田宮、永田秀雅副社長、私です。
藤さんがマージャンを嗜まれるというのは意外でしたが。
最後の写真の赤ん坊は光太郎さんでしょうか?
藤由紀子さんのはチャキチャキ江戸っ子麻雀でした。
とにかく威勢がいいし楽しい麻雀だったことを覚えています。
赤ちゃんは勝夫妻のお子さんです。
「黒の超特急」で、初めて藤さんの作品を観ましたが本当に、きりっとした顔立ちの美人でした。
田宮さんが惚れるのも無理ないですね(笑)
お写真だけではお嬢さん的でしたが、このブログを拝読させていただいた限りでは、藤さんは、活発な方のようですね。
田宮さんのことを知って間もないころは、彼はハンサムで、インテリですし、もしかするとちょっと傲慢な方だったのかもと思いましたが、
このブログや、色んなお話を聞くたびにそうではないことがよくわかってきました。
その度にますます田宮さんのファンになります。
ですので、ご子息も応援しています。
長男の光太郎さんは、藤さんの方に似てらっしゃるのかな。
次男である俳優の五郎さんは、今は病気療養中とのことですが、田宮さんによく似てらしてびっくりしました。ぜひとも、カムバックしていただきたいですね。
田宮二郎は本当に紳士だったと思います。
ですから自死直前の彼の言動は、私にはどうしても理解できないのです。
現在、藤さんも体調を崩して療養中と聞きますので、心配しています。
お返事ありがとうございます。
田宮さんの精神的なご病気のせいもあったのだと思いますが、
中島さんのように親しくされていた方でも、納得しづらいことがたくさんあるんですね。
亡くなられた時は、相当驚かれたんでしょうね。
彼は、走り去っていったような気がしてなりません。
藤さんは、療養中ですか。今まで相当ご苦労されてこられたと思いますが、
お子さんやお孫さんのためにも、早くお元気になられることを望んでいます。
田宮が荒れていることは私の耳に入っていましたが、まさかの自死に驚きました。
田宮が独特の田宮二郎のポーズが取れなくなった・・・からでしょう。
藤さんは手足が少々不自由だそうで、気になっています。
田宮さんは、悪名のような三枚目役と、白い巨塔のようなニヒルな役とではどちらが、本当の田宮さんらしかったのでしょうか。
やりたい役と似合う役はまた違う場合もあるかもしれませんが、
どちらもぴったりはまっていて、まだわかりません。
あのような最期を迎えてしまうのはイメージを守り抜かれたような気もしますし…
ご次男の五郎さんも数年前のくも膜下出血で今はリハビリ中だと、ニュースて聞いておりましたが、
藤さんもやや不自由な生活をされているのですね。
中島さんもご夫妻と親しかっただけに心配ですよね。
天国の田宮さんがご家族を見守っておられると思います。
三枚目もニヒルな役柄も、すべては役の上でのお芝居であり、
本当の田宮は常識人で素敵な好青年でした。
私は個人的に、いい付き合いをしていた一人だと自負しています。
田宮さんと親しくされていた中島さんから、彼は好青年だったとお聞きし、
私なりに真の姿を想像できます。
彼のファンになったことで、大映作品や俳優さんなど色々な興味が沸き、
生活の中でも楽しみが増えました。
こうやって、ブログ上で中島さんとも交流でき、本当にうれしく思っています。
そのように言って下さるのが一番嬉しいです。
このブログは、私が大映の思い出話を書き、それを中心に皆様との交流が
出来たら・・・と思っていたからです。
これからも宜しくお願いします。
PS: 旅の途中さん、最初は男性とばかり思っていました。(笑)