もと大映・三角八郎の訃報に接しました。虚血性心不全だったそうで80歳。彼は丸井太
郎と一緒に昭和33年(1958)大映に入ってきた人ですが、二人を見た会社が、これはまさ
しく丸・三角だと、今だったら漫才コンビにでも通用するように芸名をつけたのです。
しかしその割には役に恵まれず、彼が出演した作品は脇役で約20本ですが、まともな役
はほとんどないという状況。
外観の印象で、悪役や三枚目が多い彼でしたが、生の彼は真面目で律儀な青年でした。
大映では浮かばれず、大映倒産後はテレビを主体に活躍しました。むしろテレビでの彼を
覚えている方も居られると思います。
彼の他に、大映では不発で後年になって名をなした人は、平泉成・峰岸徹(故人)などが居
ます。当時の大映関係者がどんどん鬼籍に入ります。寂しいです。合掌
三角さんは旧名の「伊藤直保」名義でも30本以上出演されています。殆ど端役ですが。「処刑の部屋」(1956年)「くちずけ」(57年)では学生役、「おーい中村くん」(58年、川崎敬三主演)と言う映画では準主役の田宮二郎さんと絡むチンピラ役を演じていました。
私の文章を補っていただき有難うございます。
大映OBの数がどんどん減っていきます。寂しいですね。
三角さんはテレビでよくお見かけしていましたが、スタートは大映だったのですね。調べたら、「あゝ江田島」の生徒役でご出演でした。後年のふっくらした姿からは及びもつかない、スリムな役でした。
三角さんの出演作で大きな役としては、大映後の「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」があります。三波伸介さんの相棒で、大食いの怪獣ダイゴロウを何とか助けようとする大工さんの役でした。ラスト、三波さんと乾杯して飲むビールがとてもおいしそうでした。
ご冥福をお祈りします。
いつも拝見しております。
今日父と食事中に三角さんの話をしたところでした。
今年の4月に会食をしたばかりだったのに残念だと話しておりました。 ご冥福をお祈りいたします。
北原は元気にしております。
ユニークな脇役の一人でした。北原義郎さんのお譲さんからのメールで、
北原さんと4月に会食をしたばかりだった・・・とありましたが、また大映の戦友の死です。
お久しぶりです。三角さんの訃報は寂しい限りでした。
でもお父様がお元気と伺い、嬉しさが込み上げます。
11月の大映会は出来るだけ出席したいと思っていまして、
お父様にもお会いしたいです。宜しくお伝え下さい。