2013年に角川大映撮影所(もと大映東京撮影所)で大映親睦会が開かれることになり、
私にとっても懐かしい撮影所なで上京して参加しました。撮影所そのものが当時の四
分の一以下の面積に縮小されていることと、俳優さんたちの多くが健康を害し療養中
であることを知らされたて驚きました。もちろん元気な人もいて、この会合に出てきた
丹羽又三郎さんもその一人でした。
東京出身の彼は大学生のころから俳優志望で新東宝に入り、数本に出演しますが2
年後には新東宝を退社しテレビに仕事場を変え、1957年にテレビドラマに出演しなが
ら大学を卒業します。1960年に田端義夫さんの弟の口添えで大映に入社、その時か
ら芸名を丹羽又三郎に変えてで京都撮影所に所属、端正な顔立ちと妖しげな雰囲気
をもつ独特の個性が話題になり、準主役・主役が続きます。
大映では、「大菩薩峠」「釈迦」「銭形平次捕物帳」「斬る」「忍びの者」「新撰組始末記」
「座頭市シリーズ」「眠狂四郎シリーズ」など40本以上の作品に出演していて、彼は新東
宝の人だという印象が強いのですが、どう考えても大映で育った俳優だと私は思ってい
ます。雷蔵さんや勝ちゃんの作品にも多く出ていて大映で重宝がられますが、その頃か
ら邦画全体が衰退しはじめ、彼は悩んだ結果にテレビドラマの悪役として活躍の場を変
えて行きます。
テレビでは映画と違って殺し屋とかギャングのボスなどやりましたが、「仮面ライダー」(1
972)でのブラック将軍が当たり役となり名を上げます。それから暫くして彼は何を思った
のかアメリカに移り住んだり、帰国しては事業を始めるなどして芸能界からは消えました。
長い間消息が無かったのですが、彼は久しぶりで上述の大映懇親会に顔を出してくれた
のです。1934年生れですから現在81歳、まだまだ何かをやりたいと思っている表情のよう
に見受けましたが・・・。
↑ 「大映懇親会」(2013)最後列の右から3番目が丹羽又三郎、真ん中の列の右から7番目が私
私にとって丹羽さんは、東映テレビの「ジャイアントロボ」の敵幹部スパイダーとして、あるいはブラック将軍として認識したのが最初です。その後大映の作品を見るようになって、時代劇の多くの作品でお見かけするということになりました。「妖しげな雰囲気」というのはまさに丹羽さんにぴったりだと思います。邪剣の使い手といった役がお似合いだったと思います。
それにしても、丹羽さんをはじめ、宇津井さんに天知さんに万里さんに久保さんと、新東宝から大映に移った方が多いですね。社風が合うといった感じだったのでしょうか。新東宝から最初松竹に移った菅原文太さんが大映に来ていたら、どのような作品に出演したか、想像して楽しんでいます。
「大映スコープ」の文字が懐かしいです。 (笑)
私が中学時代の ある日、 川津祐介さんのファンの友人が便箋を持ってきて
ーーーー川津祐介さんにファンレターを出してみたいの。
と持ち掛けてきたので 仲良しグループ 4 ・5人が ワァー・・・となって
ーーー そういう時は 切手を同封するのが礼儀らしいわよ。
ーーー 自分宛ての住所と、名前を書いた封筒を同封すれば
確実な気がしない?
ーーー 切手も貼っておけば? お手間とらせないよ!
などと 盛り上がり 手紙の内容で 唯一覚えているのは
>川津さんの映画を見に行きたいけど
両親が許可してくれないので残念です。
と 書いてあったことです。
一ヶ月位して その友人が返信の封筒を片手に大喜びで 見せてくれ
ーーー その年齢で返信用の気遣いが とても偉いですね。
早く僕の映画が見られるといいですね。その時は是非見て下さい。
それまでは勉学に励んでください。
と言う内容の文でしたが 中学生相手の たわいない文に対して
それも 毛筆での返事を下さり 全員感激したのを覚えています。
ですから 中島様の川津さんの「番外編の番外」の項目を拝見して
「やはりね~~^^」 と 何だか嬉しくなりました。
もともと新東宝は東宝の主だった俳優や監督が、労働争議のために抜け出して
作って会社ですから、そのまま順調に推移したら凄い映画会社になってた筈です。
川津祐介さんに限らず、昔のスターさんは人間味のある人が多かったと思います。
そんなことをひっくるめて映画界のよき時代だと感じます。
新国劇出身の方が主宰していらっしゃるワークショップで聞いてきたと話してくれました。
新国劇の島田省吾さんは映画にもご出演されておいででした。丹羽さんがご出演の「大菩薩峠」にも…。
タイトルの件ですが、この方も島田先生とご一緒に大映映画にも東映の映画にも出られたそうです。(現在喜寿に近いお年とか)
大映のセットはとてもしっかりとした作りであったのにお隣はそうではなかったらしいとか。そのために、セットでのアクションやスタントの方で(個人の不注意や未熟を除き)ケガをすることはなかったが、
お隣の会社ではケガをしたスタントの方が去ってしまわれたとの話を聞いてきたそうです。
スクリーンを通して感じたセットの違いに頷いた次第です。{映画は大映}を改めて確認した思いです。
仰る通りです。大映の技術は他社を圧倒していたと思います
。監督も俳優たちもそれをよく判っていますので、益々張り切る・・・ということで、
相乗効果が更に上がることになるのです。
あの技術がどうなったのか、余計なことですが心配になります。
知らなかったんですが、毎日新聞に「馬場正男と撮影所・京都カツドウ屋60年 」と題して大映美術におられた馬場さんのインタビュー記事が連載されてますね。当時2400万円もしたビスタカメラを大映がいち早く導入した話など興味が尽きない内容です。
http://mainichi.jp/articles/20160315/dde/012/200/008000c
貴重な情報を有難うございます。当時を思い出しながら読ませていただきました。
本当に大映は色々ありましたね~。
なく 最後は伊太郎や(小林勝彦)お加代(近藤美恵子)と
も親友になるという筋書き 良い映画です