映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外 (134) 南美川洋子さんの大映回顧

2016年10月31日 | 日記
 
   

           

    

    11月2日は久しぶりに開催される大映0B会に出席します。以前にも書きましたが、私は
    大映後に音信不通だった南美川洋子さんを連れて参加することにしていますし、翌日3日
    には有志の方々が開いてくださる、「南美川洋子との懇親会」に出ることにしています。
    そこで、今回は数日前に彼女が綴っていた大映の思い出をアップしますので、お読みいた
    だけると嬉しいです・・・。(中島)

    1968年か9年だったでしょうか。アジア映画祭がインドネシアで開催され、映画五社から1
    名ずつが選出され大映からは私が選ばれました。東映からは宮園純子さんで、他の3社
    は覚えておりません。
    インドネシアの空港に到着後、各社1名ずつが5台の黒塗りの車に分乗し、前後とサイドに
    パトカー20台くらいを配し、自分が国賓にでもなったかの錯覚をさせるような扱いを受けま
    した。
    全員和服を持参し、自分で着付けしてパーティに出席。毎日がパーティ三昧の賑やかな数
    日間でした。帰りは、永田社長からのご褒美にと香港滞在3日間をゴールデンハーベスト
    社長ご夫妻のご案内で過ごし、用意されたホテルはお部屋がいっぱいあり、各部屋のマッ
    チを集めたら7個もあり、トイレも2つありました。初めての海外、国賓待遇のインドネシア、
    日本語の通じない大プロデューサーご夫妻との会食、だだっ広い超豪華なスイートルーム
    に一人ぼっちの私はホームシックでした。

    やっと羽田に到着し涙が出そうな私の目に入ってきたのは何と松山専務ともう一人スーツ
    を着た重役の方でした。「何が起きたの」と自分でも訳が判らず、車に迎え入れられ後部座
    席に腰を埋めたら「南美川君、この台本を読んでもらいたい。そして次回作はこれで行こう
    と思っている」と台本を渡され自宅まで送り届けていただきました。
    映画祭の話もそこそこに台本に目を通すと、今まで守ってきてもらった清純派からは程遠
    いイメージの役でした。そしてその台本こそが「高校生ブルース」だったのです。私にはあま
    りにも衝撃的で、会社から捨てられてしまったかのようなショックで、その役は絶対に受け
    入れる事ができませんでした。

    後日正式に「自分には出来ません」と、親にも誰にも相談せずに伝えました。翌年のカレン
    ダー撮影は、いきなり四分割の中の四人込みの配置。田宮二郎さんの例もありましたが、
    私の居場所は、もはやどこにもありませんでした。そんな時に木下恵介監督から「会って
    みたい」と言われジーッと見つめられ二言三言お話しして「椿の散るとき」が決定しました。
    映画界には嫌気が差していた私は、辞める口実ばかり探していたのかもしれません。結婚
    もその一つだったような気さえします。

    何年か前にテレビで関根恵子ちゃんがデビューの「おさな妻」の前に「高校生ブルース」で
    デビューの話を聞かれて、その時に「主演が決まっていた女優さんが怪我をされて…」と話
    してた時「???」「そういう事になっていたんだ」とショックを隠せませんでした。そして先日、
    上妻祥浩氏のご著書P142にも同様な事が書かれてあり、知らないところでこうなっていたん
    だと、改めて知った次第です。
    まだ19歳の世間知らずな自分が、母にも誰にも相談する事もせず、たった一人で決断した
    引退でした。幼い頃から母と二人だけの環境で、心配させまいと精一杯背伸びした結果だ
    と思います。
    あんなに恵まれた環境、女優としてもいいポジションにいたのに…。若気の至りとしか言い
    ようがありません。もっと色々な方に相談し、意見を伺い、いくらでも知恵は集められたと後
    悔しています。
    大好きだった大映。大好きだった女優業。だから今、中島さんのブログで、昔の大映や、先
    輩の方々のお話、私を覚えてて下さる数少ない大切な方々のお話が、私の傷を癒してくれ
    る気がしてならないのです。これからもよろしくお願いいたします。(南美川洋子)

           

          
            ↑ 現在の南美川洋子さん(右)








コメント (27)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ばってん荒川さんの思い出。 | トップ | 映画 「手紙は憶えている」 »
最新の画像もっと見る

27 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
正しいかったのでは、 (bunn)
2016-10-31 12:02:25
南美川洋子様

3日にお目にかかれる事を楽しみにしています。
その前に洋子さんの決断を拝読して、正しい判断だと
思います。
それにしてもインドネシアで一人で着物を着たとあり
驚いています。
洋子さんとのオフ会着物で、と思っていますが、着付けが、心配なんです。
けんさんに着物姿見ていただきたくて、
綺麗どころを見ておられるお二人には、目の毒???
中島様 (タム親父)
2016-10-31 15:50:10
こんにちは。

2日は盛会をお祈りします。3日はよろしくお願いします。

南美川さんの引退にそのような事情があったこと、初めて知りました。末期の大映の差し迫った状況がうかがえます。私などの投稿が少しでも癒しになっているのであれば、とてもうれしいです。

関根恵子さんの大映での活躍ぶりは周知のとおりですが、いかにも脱いでいそうに思わせて全く脱いでいない「成熟」の宣伝は面白いと思います。関根さんは増村保造監督が東宝で撮った「動脈列島」にもご出演で、こちらでは脱いでいましたね。「動脈列島」は田宮さんが主演の1人で、大映専属俳優と東宝専属俳優の混成チームといった趣でした。同時期の東映の「新幹線大爆破」の方が一般的な評価は高いようですが、私は「動脈列島」の方が好きです。
このころは邦画でもパニック物をとっていた時期で、東宝の「東京湾炎上」では東宝専属俳優と日活専属俳優の混成チームといった趣でした。

以前、日本ハムの監督だった大澤親分の本を買ったのですが、大澤親分は現役最後のシーズンは東京オリオンズに移籍して引退、コーチに就任します。そして、オリオンズの監督に南海の鶴岡監督を連れてくるというプランを永田社長が大澤親分に明かすという場面が書いてありました。これが実現していたら、パ・リーグの歴史がどうなっていたか、感慨深いです。

3日は皆様と沢山映画の話をしたいと思います。
こんばんわ。 (中島けん)
2016-10-31 18:40:45
タム親父さん

幹事からお聞きしましたが、当日は私たち二人を含んで11名だそうです。
中華料理を食べながら、楽しいオフ会になりますよう期待しています。
永田社長は映画だけではなく、プロ野球もそうですが、彼の活躍ぶりというか
暗躍ぶりは、実に痛快です。もっと長生きしてもらいたかった永田社長です。

19歳 (わすれな草)
2016-11-01 10:02:41
中島さま

中島さまのご著書の中に 渚まゆみさんとたまたま地方での仕事先で
田宮二郎さんがクラブへ出演されているのを知り
花束を持って客席に着かれ、田宮さんが気がつき皆さんに紹介し 
田宮さんが感激されていた様子が掲載されてましたね。

南美川さまのお気持ちも、いかがばかりだったか想像つきます。
19歳で世間知らずは 当たり前ではないでしょうか。
19歳で世知に長けた人って、何だか油断ならない気がします。
ご自分で決めた道を撰んだ 南美川さまに
【これからも幸いありますように】  と願う一人です。

それから外国での着物の着付け、同性として敬服いたします。
中島様 (タム親父)
2016-11-01 12:05:47
こんにちは。

大映テレビの春日千春プロデューサーの訃報に接しました。中学生から高校生のころにかけて、「赤シリーズ」等で楽しませていただきました。何かに書いてありましたが、大映ドラマは起承転結ではなく、起転転転…結だそうです。春日P等の作劇法ということでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

大映ドラマは、芥川隆行さんや来宮良子さん、城達也さん等の重いナレーションがぴったりですね。今はお三方とも天国にいらっしゃいます。芥川さんは、金曜日が「ザ・ガードマン」、土曜日が「キイハンター」、日曜日が「兼高かおる世界の旅」と、TBSに出ずっぱりでした。
皆様の優しさに… (南美川 洋子)
2016-11-01 19:16:57
中島さん
私の拙い思い出を一部 吐露させていただきました。
夢のある世界ですのに、夢を壊してしまったのではと心配しております。
bunnさま、タム親父さま、忘れな草さまの優しくてあったたかいお言葉に
ものすごく感激してしまいました。
本日お昼に、ふとお茶をしに立ち寄ったカフェで、昨日のブログを読ませていただき、そのあたたかさの文面に思わず泣いてしまいました。お昼過ぎでけっこう人が多かったのですが、不覚にも…。
今まで誰にも言う事もなく、一人胸の奥にしまいこんでいた出来事でした。
34年前に亡くした母にも言ってなかった…。
何だかおセンチになってしまいました。
明日と明後日は元気な私になってます。
みなさまにお会いできるのを楽しみにしております。
こんばんわ。 (中島けん)
2016-11-01 20:00:42
タム親父さん

あの時に18歳で、しかも誰にも相談できず一人で決めた・・・を聞くと、私としては感無量です。
みんなで温かく楽しく囲んであげたいものです。


こんばんわ。 (中島けん)
2016-11-01 20:06:42
わすれな草さん

一人で決めた話を聞いた時に、私もズーンときました。もっと周囲に相談が出来る人が居なかったのかと思うと、彼女が
とても気の毒に思えてなりません。
でも今の彼女は明るく元気で前向きで素敵な女性です。
皆さん仲良くしてあげてください。


涙がとまらない (bunn)
2016-11-02 22:45:11
南美川洋子様

私の拙い文を読んで頂きありがとうございます。
お母様を34年も前に亡くされたとか
悲しかったでしょうね〜
母は95歳、元気に一人実家を守って暮らしていましたが、94歳から施設に入居、でも、母が生きていてくれて、背中を見せてくれるからありがたいなぁと。
でも、南美川さんは、けんさんに再会できたから幸せ、けんさんだけの方はそうそう居ませんもの。
今日「夜の蝶」観てきました。
大映があったから文芸作品で今こうして日本人の素晴らしさを再発見出来るのですもの。
その大映の女優さんでいらしたことを南美川さん誇りに思ってくださいね。財産とも、
愉しい楽しいオフ会 (bunn)
2016-11-03 20:53:29
けんさん
南美川洋子さん
素晴らしいオフ会、ありがとうございました。
けんさんが見込んだだけありますね〜
南美川洋子さんの美しいさ。お綺麗でいらして
心配りが半端ではないのでおどろいています。
日本女性って素敵ですね〜
私がいかに駄目な女かよーく分かりました
で、けんさん、南美川洋子さんを見習って素敵な人に
なりますね〜何年かかるかわかりませんが!
奥秋様、幹事お疲れ様でした。
参加者全員いい方ばかり、二次会のお茶、けんさんごちそうさまでした。
盛り上がりましたよね〜
楽しい時間を過ごしました皆さんと再会出来ることを
願っております。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事