以前に書いたかも知れませんが、数年前に北原義郎さんとお会いして昔話をした
際に、北原さんが「あなたが東京撮影所の宣伝課にいた時に・・・」を連発するので
「私は九州支社の宣伝課ですよ」「でもいつも東京撮影所に居たじゃない」の会話
がありました。そう思われるほど仕事で東京や京都撮影所には行ったものでした。
そして仕事で新人俳優の売出しにもかかわりましたたが、それでも会ったことがな
い俳優さんが結構いました。今回の市川和子さんもそんな一人です。
なんといっても50年くらい昔のことですし、この女優さんの資料は手元に全くない
状態ですが、大映社員があまりにも美少女ぶりに中学生だった彼女に声を掛けた
ら逃げ出した…の伝説?があります。それがきっかけで中学を出て大映に入ってき
た彼女ですが、期待されて早速昭和29年に「眞白き富士の嶺」でデビュー、その後
は小憎らしい役柄が多かったのですが結構人気が出ました。
昭和30年(1955)には9本、昭和31年(1956)は11本、昭和32年(1957)7本、昭和33年
(1958)には9本、昭和34年(1959)に2本と5年間になんと39本に出演しているのです
が主演は一本のみです。一本の映画には主役に加えて相手役・敵役・取り巻き・その
他と大勢の俳優さんが必要になりますが主演一本は可哀想。これから想像すると、
とにかく仕事に追われて自分の時間なんてほとんど無かったのではないか、明けて
も暮れても準主役でやる気を失ったのではないかとも想像するのです。
会社は当時力を入れていた京マチ子・若尾文子に山本富士子や叶順子らが加わっ
て主役陣を固め、次の女優を上手く育てることが出来なかった状態で、気の毒なの
は近藤美恵子・八潮悠子・仁木多鶴子・若松和子・浦路洋子・紺野ユカ・市田ひろみ・
渚まゆみらだったと思います。彼女は昭和34年には大映を去り、そのご松竹・東映・
東宝に何本が出演しましたが、いつの間にか姿を消しました。
当時私は市川和子が若松和子・紺野ユカの親戚だと聞いていたので、最近になって
ユカさんに聞いたら、親戚ではなくお母さん同士が友人だった由です。昭和14年(19
39)の東京生まれですから既に76歳の筈、元気で暮らしているといいのですが・・・。
↑人気雑誌の表紙 ↑ブロマイドも人気
おつかれさまです
大映の俳優さん達はスカウトさん達の絶え間無い努力と、オーディションでの厳しい選考の下で粒揃いの方々が大勢いらっしゃいますね。
だからこそ主演クラスに劣らない技量や容貌を持ちながらも中々大きな配役や作品が巡って来なかったのでしょうか・・・
市川さんも大変に御綺麗なのに残念ですよねぇ・・・
小三太夫、市川さんの作品は全く拝見していないなぁ・・・と残念に思っていましたら、この記事の右上のモノクロ画像、テレビ映画「ウルトラQ」の「SOS富士山」でのシーンですね。
岩石怪獣ゴルゴスを徒手空拳同然で退治してしまう青年タケルを心配する、美人の姉役でのご出演でしたね。
これは小さい頃から何度も観ていました(^。+;
ちなみに、この作品(ウルトラQ)はモノクロ作品なのですが近年、カラーライズ(人工着色)され、天然色に近い色合いで市川さんが拝めます(^。+;
準主演クラスをもっと上手く生かして行く方策が、会社として上手くなかったように
思っています。
それから今月7日のこのブログに、夏木章さんの息子さんから貴兄あてのコメントが
ありますので、ご覧ください。
御知らせ ありがとうございます
榎さんからの コメント拝見しました。
大学時代に過ごした杉並や世田谷を思い出して とてもとても懐かしく感じました
綺羅星の様に沢山の俳優さんが所属していた あの当時の大映でもテレビと言う未曽有の怪物にどう対処してシフトし、大勢のスタッフを守って作品を制作していったものか・・・と悩んでいたとも思います。
他の映画関係者の方々からもテレビからの影響が非常に大きかったとも聴いていますから・・・・
私も、モノクロのスチールに写っているのはどう見ても桜井浩子さんで、そうすると大映退社後の東宝での作品かと思いましたが、「SOS富士山」でしたか。岩の怪獣というのがインパクト大でした。ウルトラシリーズで常連のスーツアクターだった泉梅之助さんや荒垣輝夫さんはガメラシリーズにも出演されていますね。ゴルゴスのスーツアクターは中村晴吉さんで、中村さんはカネゴンやブースカが持ち役で、円谷プロ専属という感じでした。
市川さんからずれてしまいました。申し訳ありません・・・。市川さんのデビュー作である「眞白き富士の嶺」は、歌が好きなので、ぜひ見たいと思っているのですが、スカパーでも放送されません。DVD化はされているのでしょうか。美少女である市川さんの、鎌倉の女学生というのはさぞかわいかったことと思います。歌詞の、「御霊よいずこに迷いておわすか 帰れ早く母の胸に」というところは、いつ聞いても涙腺が崩壊します。いい年をして恥ずかしいのですが。
楽しい仲間が増えて良かったですね。
今頃になって私の本が、もと大映関係者の間で話題になっているようですから、
反応が楽しみです。
市川和子のことを覚えている方は少ないと思いますが、短い間でしたけど大活躍して
パッと消えたユニークな女優さんなので取り上げました。
演技もしっかりしていて私は期待していたのですが…。
お言葉に甘えてお邪魔させて頂きました。
どうぞ宜しくお願い致します。
市川和子さん、 八潮悠子さん
宝塚を受験したら 合格しそうな方達に感じました。
月刊誌のニッコリポーズを見たら 子供の頃の
父の 定番お土産の 「少女」を想い出しました。
表紙が松島トモコさんで やはり ニッコリで (笑)
トモコさんと言えば 千葉の千倉出身の友人が
子供の頃に 三益愛子さんの映画のロケで
近所に トモコさんが宿泊しているのを知り
何人かで 玄関口で 『松島さぁ~ん!』と
2. 3回呼びかけたら お母様と一緒に ロビーに現れ
ニコニコ 手を振ってくれた事があったそうです。
純朴な子達にとって それが一瞬の出来事でも
宝物の想い出になったようで
私に 夢を見る様な目で 話してくれたが事ありました。
映画って素晴らしいです。
何回も申し上げますように、どうかお気軽にお立ち寄りください。
八潮悠子さんは現在ニューヨークに住んでいまして、レストランを開業、盛業中です。
昨今はタレントとファンの間に垣根を作るのが当たり前ですが、当時は出来るだけ
ファンに接触させたものでしたが・・・。
書き忘れましたが、八潮悠子はSKDの出身です。
レスを有難うございました。
沢山の作品に出演された俳優さん達は
それぞれ精進の積み重ねだったのだなぁ。
と感じました。