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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

続・大映宣伝部 (6) 私のこと

2019年07月15日 | 日記

    
               ↑ 左から田宮二郎、永田秀雅副社長、私

    会津若松市が私の本籍地です。そんな私が昭和29年に大映九州支社へ赴任したのも、
    戦後台湾から引揚げて高校時代を九州で過ごしたことや、当時は両親が健在で九州に
    住んでいたことに対する会社の温情だったのかもしれません。
    私はもともと監督志望でしたが、お前は宣伝部に向いている・・・と言われての商売?変
    えでした。
    当時は毎週2本立で月8本の新作が出てきますし、加えてディズニー作品の配給もして
    いたので本数が更に多かったし、生易しいことではありませんでした。支社の宣伝課だ
    けでも11人いたなんて今では考えられない人員です。いつも何か面白いこと、他社や大
    映の他支社が考えつかないことをやろうと考えていました。

    私が宣伝部に入った時の宣伝部長は加賀さん、加賀まりこのお父さんです。まりこさん
    のお兄ちゃんも宣伝部にいたし、水泳の橋爪四郎もいました。その他に右翼で超有名な
    人の息子、著名建築家や大会社社長の息子、もと警視庁総監の甥などなどもいて宣伝
    部は多士多彩でした。
    私が仕えた宣伝部長は加賀さんをはじめ、野田・舟橋(舟橋聖一氏の女婿)・浜本(「浅草
    の灯」の浜本浩氏の息子)・船橋(九州で私の前任者)部長ですが、この上に"ゴールデン
    ウイークの名付け親"である松山専務、そして永田雅一社長という構成で、つまりは社長
    直轄の集団だったと言えるのです。

    
                    ↑ 永田副社長と私

    
               ↑ 池広支社長(池広一夫監督の父君)と永田副社長
    
                ↑ 左から私、安田道代(現・大楠)、松山専務









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