京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

おはようございます。

2007-01-21 07:34:40 | 妻!日記
 先日、(受難)の項で、息子たちのお世話について、書きましたが。
 あれから、2日は、夜「おしっこー!」で起こされることもなく。
 平和だったのですが・・・

 また、今日も起こされやした。
 6時。
 今日は、朝市の日だから、おばあちゃんも起きてるし良いんですけどね。
 まだまだ寝よう、と思っていたのを起こされると、しんどいもんです。
 やっぱり、赤子の腕枕外したら、起きてきよったし。
 ああ・・・

 トイレ、二人のオムツがえを済まし。
 (次男、昨日は一人で欲張って、高級章姫イチゴを食べていたので、しー出てました。私の分まで食べていたぞ!)
 まだ寝ると言うので、布団に連れて行き。
 寝かせていたら、お兄ちゃんが鼻血を出して、起きてきた。

 「ティッシューぅ・・・」
 「自分で取ってよ!」
 「ううううぅ・・・・」
 「だああーーーーー!!!(心の声)」

 ここらで神経はカン立ち、やっぱり目が覚めてしまいました。
 
 というわけで、寒いけど、起きてます。
 あー、お腹もすいてきた。




 そうそう!
 こないだは、書き忘れてました。
 なんか、忘れてるなーと思ってたんですが・・・
 思い出しました。

 お父さんが居なくて、困ったこと。
 もひとつ、大きいのがありました。

 それは。
 次男のお風呂いれ。
 冬だから、寒いし、たいして汚れてないし。
 余計に入りたがらないのか。
 いつもは、お父さんと喜んでお風呂に入る次男ですが。
 なかなか入ろうとしてくれません。

 それなのに。
 「誰と入るの?」と聞くと。
 「お母さん。」と答えよる。
 答えんでいい。入らないなら、入らないで、もう構へん!
 なのに、「お母さんと入るー。」と駄々コネよるから、困ったもんです。

 私の番になったとき、「さあ、一緒にはいろー。」と誘うんですよ、もちろん。
 なのに、「今、本読んでる。」とか、うだうだしているのです。
 「これが終わったらー。」とか言うて。
 だのに、いつまでたっても入らない。
 とうとう、業を煮やして、私も風呂に入り、そして、出る。

 「あーあ! 今日は、お風呂なしやね。」
 と、言いましたら。
 「今から入るー。」と。
 「じゃあ、おばあちゃんと行けば!」と言いましたら。
 「お母さんと行くの!」と。
 「いや、だから。お母さんは、今入ったって! もう行ったよ。」
 「いーやーだ! お母さんと。」 
 「あほか! 子捨て山に行け!」
 「行ーかーへん! お母さんと!」

 とまあ、こんな押し問答を繰り返しまして。
 どうにもこうにもならないので。
 結局、私が折れまして。
 もう一度、お風呂へと入るわけです。

 こんなことが、ほぼ毎日。
 やめてほしいです。
 早く、お父さんに帰ってきてほしいです。
 あー、でも巨額売り上げと一緒で無いと、やっぱり嫌か。
 どーにかしてほしいです!

じいちゃんドライブ パート2

2007-01-20 17:16:47 | 妻!日記
 先週に引き続き、この土曜日もおじいちゃんにドライブに連れて行ってもらいました。
 お父さんが出張中で、子供たちが退屈だからです。
 じいちゃん、千枚漬の仕込を済ませてから、連れて行ってくれました。
 母と赤子も便乗。

 今日は、白川にビデオを返しに行ってから、市原・鞍馬を抜けて、花背まで行きました。
 一言で言って、山奥。

 この暖冬で、大原も雪無しですが、鞍馬を過ぎ、九十九折になっている山道を登っている頃から、積雪の名残が見え始めました。
 これには、びっくり。
 大原も寒いんけど、ここはもっと寒いんですね。
 
 花背峠の最高地点付近では、今朝あたりも降っていた模様。
 斜面にうっすらと雪が積もっていました。
 確かに、昨日から急に冷え込みましたしねー。



 で、花背の別所集落に入ります。
 ここは、ここらの山奥では急に開けていて、ちらほら喫茶店などもあります。
 古くからの茅葺住宅も多く残り、美しい風景です。
 
 記憶違いでなければ、鞍馬の木の芽煮の原料である、山椒が多く栽培されていたはずです。
 主要産業?とまで言うと、大げさなのかな。
 どこにあるのかはよく分かりませんでしたが。
 いつ通っても、ちょっと下りて、散策したいなと思う所です。

 さて、今日の目的は、このすぐねきにある「花背山の家」だったのですが、行きし見過ごしてしまい、通り抜けてしまいました。
 ここから、さらに奥へと進みまして。
 京北町との分かれ道あたりから、桂川の源流沿いに上がりました。

 着いたのが、「花背山村交流の森」とかいう所でした。

 一言で言いまして。
 誰もいなくて、寂しいところでした。
 夏は賑わってるのかな?



 で、こんな不思議なジャングルジムみたいなのがあったり。
 あとは、大型施設が2,3点在してました。
 「本日入浴できます。」みたいな看板あったし、お風呂もあるのかな。
 きっと、夏は賑わってるんでしょうね。

 さて、子供たちが退屈気味でしたので、横にある河原に下りてみると。



 動物の足跡やら、豆のようなフンが落ちていました。
 ひづめのような形だし、これは鹿ですかね?
 
 鹿やら、いのししやら多いみたいです。
 じいちゃん、子供たちに見せたかったみたいです。
 お猿さん親子は見つけました。
 きっと、夜になったら、賑わってるんでしょうね。
 まあ、魑魅魍魎のたぐいでなければ・・・
 驚きません。
 でも、熊は怖いか・・・

 帰りは、花背から、百井峠を抜けて帰りました。
 百井峠も、最高点から大原側に積雪がありました。
 寒いでーす。

 ブルテリア軍団?の皆様
 春になったら、是非百井の奥まで行ってみましょう。
 強烈なヘアピンカーブですけどね。
 都会の方には、いい土産話になるかもしれません。

 ただ、すごく怪しまれそうなので、(数少ない住民の方に)
 そのへん対策を考えましょう。(あと、動物対策も)
 でも、ワンちゃんたちは、野生の甦りそうな所です。

出張の受難

2007-01-19 11:31:24 | 妻!日記
 お父さんの出張時。
 普段はわからなくとも、居なくなってしみじみ分かる不便さがあります。


 ひとつ。
 これを書くと、あたかも私が尻にひいているかのようですが。
 布団を上げてくれる人が居ない。
 これ、夏はまだしも、冬場は布団が多いので、身にしみます。

 いえね。
 別に、布団あげてくれと頼むわけじゃないんですよ。
 朝、皆が起きてから、最初に寝室に入るのがお父さんでして。
 自分の着替えついでに、布団を上げてくれるのです。
 ですから、まだ、息子たちが寝ている時は、私が後から上げに行きます。


 その他、不便なことは沢山ありますが。
 一番困ること。
 それは、夜寝ているときのことです。

 わが寝室は、6畳くらいか。
 そこに、わが夫婦と子供たち3人が寝ますので、布団しいて、川の字プラス2、になって寝ます。
 たいていは、私が真ん中で、両端に赤子と長男、次男はお父さんと寝ます。

 この次男が曲者でして。(すっかりお馴染み?)
 すごく神経質。
 夜中に必ずおしっこに行きたがります。
 正直、夜はおやすみパンツ(おねしょ防止の)をはいてるんだから、勘弁してほしいのですが・・・

 必ず、うめきながら起きてきて、ぎゃーぎゃーと泣きます。
 何事かと思ったら、夜泣きの末に、「しっこー。」
 でもって、眠いし、寒いので、「だっこー。」させられます。
 それが毎晩。

 大変だし、寝る前には水分や冷たいものを控えるよう言っているのですが。
 お風呂上りのアイスクリームと、寝る前の水(これは、冬場はなくなったのですが)が習慣になっていて、言う事聞きません。
 逆らうと、えびぞりになって抵抗します。

 でも、お父さん子なので、大抵はお父さんに世話してもらってます。
 で、出張となると、この役目が私に回ってくるのです。

 正直、「うるさい! 我慢しなさい! 自分でしろ!」と突き放したい気分なのですが、次男の強情っぷりは尋常でないので、近頃は言いなりになってます。
 (というか、結局は意見を尊重してやるほうが、近道なので。)
 でまあ、私が、夜中にトイレに連れて行くわけです。

 しかしね。
 うちのトイレ。
 すごく家の構造が不便になってまして。
 つまるところ、家相で、南向きにしかトイレが設置できないので、そこにトイレがあるわけなのですが。
 南北に横長になっている、我が家。
 の、トイレから一番遠くの、北端にある我が部屋。

 自分も寝ぼけているのに、体重約15キロの次男を抱っこして、トイレまで行くのは大変です。
 自分で歩けよ!と、心から思います。
 まあ、それでも、奉公かと思って、我慢しているのですがね。

 困ったことに。
 次男の妹の、赤子もまた、次男に輪をかけて、神経質なのです。
 私が隣りから居なくなると、探知機に反応したかのように、起きてきよるんですわ。
 これが。

 私と次男がトイレに行っているうちに、起きてきて、ぎゃーおーーと呻きながら、トイレに向かって探しにくるのです。

→ 家中、みんなが起きる大騒ぎっ!

 これじゃあ、気いも使うし、大変です。
 あげくの果ては、性根疲れ果て、神経はカン立ち、目が覚めてしまうのでした。
 夜中、子供たちが寝ていった後も、一人寂しく、となりの部屋でウダウダしてます。
→ しばらくすると、赤子がまた泣いて起きてくるし・・・

 ちなみに、次男と赤子が同時に起きてしまった時は、赤子(約8キロ)を抱っこしてから。
 次男も、「だっこー。」というけど、それは勘弁してほしいから。
 何とかなだめて、手をつないで行きます。

 はっきりいって、大変です!
 早くお父さんに帰ってきてもらいたいものです。
 (理由はそれだけか!といわれそうですけど。)
 (それだけだったりねー

 シアワセなのは、よく食べ、よく眠る長男です。
 顔を踏んづけられても起きません。
 そんな幸せーな彼は、よく育って、大変ふくふくしい顔。
 ぷりぷりしてます。
 いーねー。
 
 


 さあ! 気分を変えて。
 そんな曲者、次男君もお気に入り。
 絵本を紹介します。



 PHP研究所・出版
 香川元太郎 作・絵
 「恐竜時代から江戸時代まで  時の迷路」

 我が家、ひさびさのヒット作です。
 同時に、ポケモンの絵本と、旭山動物園のDVDつき絵本もあげたのですが。
 こちらの圧倒的人気でした。

 子供向きとはもったいないくらい、細かな描写や、作者のユニークな「おまけ」があったりで、大人も一緒になって楽しめます。
 読むのは、順番待ちです。
 
 次男は、目次の「~時代」というのを、上から順番に読むのが、流行りです。
 (字が読み書きできるようになったので。)
 長男は、間違い探しを超!スピードでしたり、人に教えるのが楽しいみたいです。
 赤子といえば、破ったり、投げたり・・・
 なので、危険信号が出たら、非難させてます。

 よく生協さんで紹介されてるけど、確かに面白いので、是非本屋さんで覗いてみてくださいね。

朝刊を見て・・・

2007-01-18 17:58:57 | 妻!日記
 今朝、起きまして。
 いつものように新聞を手に取り。
 中からチラシを抜きまして。
 見ておりまして、あれっ?と思うことが。

 毎週木曜日には、京都新聞 もくよう版の「KOTO KOTO 」 が入れられてまして。
 そのおもて表紙には、絵本作家の永田萌さんの絵とエッセイが掲載されているのですが。
 今日の絵は、何かいつもと感じが違う?と思ったのです。
 (いつもは、優しい雰囲気ながら、わりとはっきりとした色使いをされている。)

 なんでだろう?
 いぶかしく思いながら、エッセイを読んでみますと・・・

 永田さんは、透明感あふれた美しい色彩を持つ、カラーインクを好んで使われているそうなのですが。
 しかし、光に弱い特徴があるそうで。
 永田さんの絵は、「時間がたつと色あせる」のだそうです。
 だもんで、彼女の絵の展覧会場は、絵の保護のために明かりを落としてあって、薄暗い・・・

 どうにかならないものだろうか、と考え続けてこられた永田さん。
 「カラーインクとそっくりの魅力を持つ画材」にめぐりあったのだそうです。
 それが、染色の街京都ならではのもの、「染料」なんだそうです。
 


 「絹に描き、色を定着させた後は表具の技術で裏に和紙を張る。

  絹は紙のようには扱えず失敗も多いが、
  たくさんの優れた技術を持つ方たちの力を借りて出来上がった絵は、
  わたしの理想に少しずつ近づいている。
 
  カラーインクそっくりのグラデーションを絹の光沢が支え、いっそうの深みが出る。」






 「何より嬉しいことに、これだと明るい場所に展示できる。」

 亡くなられたお母様と同じ、「絹絵」(お母様は、「きぬゑ」さん。)と名付けられたそうです。
 とっても素敵ですね。
 たまたま朝刊で見かけた絵画に、そのようなストーリーが育まれているなんて。
 きっと、他にも、様々な絵画、お着物、彫刻、音楽その他芸術エトセトラ・・・
 いろんな物語があるんでしょうね。

 知りたくなった妻!でした。

今日から、立川催事です。

2007-01-17 11:07:25 | お漬物の話
 皆様、おはようございます。
 先ほどより、立川伊勢丹 「第6回 京都展」催事出店がスタートいたしました。
 今回は、立川店開店5周年記念だそうで。
 
 今、電話をもらったら、「ムチャクチャ売れてるで!」ということだそうです。
 ああ、その勢いが最後まで続きますように・・・
 (初日サービス品は売れます・・・)

 まあ、今日は雨(東京もかな?)、出足が悪いのではと心配していましたが、大丈夫みたいで安心しました。
 立川店、記憶違いでなければ、JRの駅と直結していて、アクセスが良いみたいですしね。(どうだったかな?)
 お近くの皆様、是非お出かけついでにお立ち寄り下さいませ!

 立川。
 正直申しまして、どのへんに位置するのか、あまり知りません。
 こないだ、関東マップで調べてみたのですが、いまいち距離感がつかめません。
 しかし、東京郊外と申しましても、北へ西へと拡がっているのですね。
 広い関東平野。

 たしか、JR中央本線ぞいでしたね。
 「あずさ2号でー」の、中央本線。でしたっけ?
 そうでしたら、一度だけ通り抜けしたことがあります。
 
 今から10数年前。
 合宿から合宿への移動。
 北アルプス・穂高連峰縦走合宿を終え、中央本線にて東京に出、そこから、東北本線へと乗り継ぎ、北海道へ。(ずーっと鈍行です!)
 釧路川にて、ラフティングの川下り合宿。
 (あんまり、本文と関係ないですね。ちょっと、かっこよく書きたかっただけです。)

 若い時は良かったですな。
 好奇心のかたまりで。
 若いから、それに体力もついていくし。
 金は無くとも、ヒマはあり。
 ああ、その報いか。
 今は、とんとお休みというものがございません。

 そういえば、埼玉の大きな駅で。
 乗り継ぎの時間待ち。
 昼ごはんを食べに、隣のデパートの食堂街へ。
 わたくし、Tシャツにジャージというスタイル。
 「寄るなー!」と言われましたっけ。
 今もですが、そんへん何にも気にしない女子です。

 さて、立川。
 一昨年、長男のクラスメイト君が東京にお引越しされるとき。
 「どちらへ?」とお聞きして、お話してましたら。
 ご実家が立川だそうで。
 よく分からんなりに、盛り上がりました。
 どうしておられますかね。ボンも大きくなってるんでしょうね。

 お父さんの宿。
 今回は、幽霊部屋でなかったらいいですけど。
 (「出る」部屋に泊まったことのある若!です。)
 霊感なくて良かったねー。
 特技に近いです。
 
 さてさて。
 どうか、トラブルなきよう・・・
 今回も、売り子さんに「大原女」衣装着ていただくのかな?
 きつくて辛そうですよねー。
 きちんと、後フォローしてるんだろうか。
 母のように、心配になります。

 Tシャツが間に合わないので、送ってくれと言われまして、先ほど荷造り。
 お鼻チーン、する用のポケットティッシュも入れといたげました。

 
 

バイオリン。

2007-01-16 16:36:34 | 妻!日記
 バイオリンの音色は良いですね。
 難しいことはよく分からないんですが。

 今日のNHKスタジオパークで、バイオリニストの川井郁子さんが出ておられました。
 初めてお目にかかりましたが。
 藤あや子と、戸田恵子を足して、二で割ったような(この表現は適当か?)美人である。ちょっと目元がきつめの美人とでもいうところか。

 この、すごく美人な方が、まず演奏されました。

 だいたい、聞く耳素人の私は、誰の演奏を聞いても、あまり区別が付かないのですが。
 この人の演奏には、葉加瀬太郎さん以来の衝撃を受けました。
 そのスレンダーな体つきからは想像できない、力強い演奏。
 そして、この楽器は、これほどの音色を出せるのかと、驚くほどの表現力。
 聞いていて、鳥肌が立ちました。

 葉加瀬太郎さんと同世代、同じ東京芸大出身だそうで。
 「似ている」というのは失礼ですが。
 すばらしいバイオリニストだと思いました。
 
 もー、次に買うCD、決まっちゃいましたね。(買うとすれば。)

 お子さん、7ヶ月だそうで、そういう意味でも親近感が。
 お子さんに贈られた曲も、優しい音色で素敵でした。

新宿催事、無事終了いたしました。

2007-01-16 10:35:15 | お漬物の話
 おかげ様で、昨日、新宿伊勢丹での催事販売が無事終了いたしました。
 今年で6年目だったか、場所慣れしたこともあってか。
 これといったトラブルもなく、順調でございました。
 ご来場いただきました皆様には、この場を借りまして、厚く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。

 今回、初の試みの「発酵もの」特集。
 一番恐れておりました、販売後の苦情、「まずくて食べられない」といった電話お問い合わせもなく、胸をホッとなで下ろしております。
 (けっこう、秋のシーズンにはあるんですよ。ナスのしば漬けはね。)
 ベテラン売り子さんとの、バツグンの連携プレーのたまものでしょうね。
 
 遠方での出張販売では、売り子さんは、当地でのマネキン派遣会社さんから来ていただいております。
 だいたい、場所は決まっておりますので、こちらとしては当然売り子さんも毎回同じ方に来ていただくほうが、何かとスムーズなわけでして。
 よほどの事情がない限り(ケンカしたとか?)、同じ方を指名させていただいております。
 ですから、売り子さんとも、「つー」と「かー」の仲であります。
 (でも、主人は催事者としては未熟ですから、なにかと助けていただいていることかと思います。)
 (しかも、臭かったり、傷みやすかったり、扱いにくい商品ばかりで、売り子さんのご苦労多きことでしょう。)

 だもんで。
 きっちり商品説明もしていただいたおかげか。
 ありがたいことに、一切の苦情、ございませんでした。

 

 さてさて。
 例の「発酵もの」特集でございますが。
 その場に居合わせたわけでないので、よくわかりませんが。
 
 今回、茄子のしば漬けや、細かい味付しば漬けが大変よく売れました。
 いえ、まあ、味しばが一番売れるのは、どこの催事場に行っても同じなわけなんですけど。
 (なんてったって、自家製で、3ヶ月日持ちもして、傷みにくいし。胸張って薦めやすい商品であります。)

 特筆すべきは、当店の販売商品の中で、冬催事のメインである千枚漬よりも、販売の勢いがあったことかと思います。
 これは、しば漬け屋としては嬉しい事で。
 看板商品が売れてくれるのが、やっぱり一番うれしいです。


 まあ、成功といっても、豪遊するにはほど遠いのですが。
 (もう一桁多く、売らないとねー)
 カタい成果をあげることができました。
 お世話になった皆様、ありがとうございました。
 (また、どこかで誰かにおごってもらったり・・・してるんでしょうねー。おごられることはあっても、おごりませんから、ウチは。財布のひも、奥さんがギューっと握ってますから!)
 
 
 

八瀬(やせ)

2007-01-15 13:41:53 | 京都観光に役立つ?話
 今日は、朝から幼稚園の自由参観に出かけました。

 冬の風物詩、凧(たこ)作り。
 折り紙で凧作って、外で一緒に飛ばす、というもの。
 いやはや、晴れてて良かった。
 庭がぬかるんでたら、嫌ですもんね。
 憂き目にも会わず、楽しく終わりました。

 帰りは、バスで。
 ブログのネタに、八瀬の風景でも撮りますか。



 紅葉まっさかり!



 って、これは昨年11月の画像です。
 

 今はといえば。



 冬枯れ、まっさかり!でございます。

 上の写真は、比叡山ケーブル駅の下手(京都市街側)からのもの、
 下の写真は、駅の上(大原より)から撮りました。

 そのケーブル駅から、バス停5つほど通過したあたり。
 八瀬の本集落に入ります。



 車で京都市街から来ると、八瀬バイパスのトンネルと信号を過ぎたあたりから、わりと勾配のある坂道を上がりまして、国道から集落を見下ろすことが出来ます。

 ここに、有名な八瀬のかまぶろがあったり、由緒正しき神社があったり。
 八瀬集落は、八瀬童子で有名な、(ひょっとすると大原より歴史的重要かも)歴史あるところです。
 ざっと、ホームページで検索してみましたが、「よくわからん。」
 難しすぎて。

 ともかく、壬申の乱の折に矢傷をいやした天武天皇や、南北朝の混乱の際、住民にかくまわれた後醍醐天皇の話など、宮中にゆかりが深く、現在でも、「八瀬童子」としての役目をおおせつかっている、そうであります。

 秋には、これらにゆかりのある赦免踊りが行なわれております。(毎年かな?)
 うーーん、勉強不足で。
 分からないことが沢山あります。
 今度、地元の人に聞いてみましょう。



 そうそう。
 最近、気になっていることがあって。
 聞いてみました。

 その地元、鞍馬の人に。(幼稚園のクラスメイトのお母さんなんですけどね。)
 「最近の木の芽煮って、甘くないですか?」って。

 10年くらい前に買った、木の芽煮は「だだ辛く」って、そんなにたいして量があるわけでもないのに、食べても食べても、減っていかない。
 閉口するくらいに辛かったのですが。
 最近のは、普通の佃煮みたいに、甘口になって。
 いつまでも無くならない、なんてことがない。

 それはそれで良いのですが。
 なんだか、昔みたいなのを急に食べたくなりまして。
 あちこち探したのだけど、見つからない。

 そこで、聞いてみたのですが。
 その奥さんも、お店で買うことがないから、よく分からないそうでして。
 ただ、買ったものは辛味が少ないから、物足りないそうで。
 新物が取れたときに、そこのお祖母さんがおうちで炊くそうです。

 ってことは、やっぱり地元で食べるのは辛いのね。
 「今度作ったとき、おすそ分けしましょうか?」
 といっていただきました。
 「やったね!」
 がしっと掴んで、離しませんよ。
 是非、お漬物と交換しましょう。


 

先日の、木曽三川治水事業の話の続き。

2007-01-14 14:44:10 | 風雲児たち!
 こないだ、わたくし、途中で沈没してしまいましたので。
 その続きから。

 いやね。
 私が思うに、「忠臣蔵」より大きく扱うべき史実だと思うんですよ。
 (言葉足らずで稚拙な表現をしますと)
 忠臣蔵より、もっと泣けます。
 (薩摩の皆さん、ごめんなさい。こんな表現で。)
 史実の悲惨さはもとより、藩士の忠義の厚さに胸を打たれます。
 比べてもしょうがないんですけどね。
 こんなに地味な扱いでいいんだろうかと思うわけです。

 さて。
 話は戻り。
 (資料は、全て前回と同じく漫画「風雲児たち」から用いております。)
 (ブログを初めて御覧の方、1月11日分も併せ持って御覧下さいませ。)

 薩摩藩。
 七十七万石の大国ではありましたが、それも名前だけ。
 裏返してみると、度重なる桜島の大噴火で米の取れ高も保障されず。
 いったん被害が出れば、イモ食って飢えをしのぐ。 
 そんな半農半士の侍の集まりでありました。
 借金、七十万両あるのみ。

 ですから、幕府が、おんしらの金使って、他所さの川の治水工事を行なえというのは、どだい無理な話なのでした。
 幕府による見積もりは、十四、五万両・・・
 「工事ば受くればわが薩摩は潰れもす。」

 かといって、断れば、即反抗とみなされ、藩の御取り潰しもされかねない。
 「進むも地獄、退くもまた地獄・・・」
 まさに、非常事態でありました。

 おのれ、幕府よ。
 今こそ、さつまっぽの御意地かけて、公儀と一戦交え、海の藻屑と散ってしまおうではないか。
 一同、決起の時。

 まて。
 ここで早まれば、先の戦いで散った1500余命の命を、犬死とすることとなるぞ。
 「すまぬ。耐えてくれ。」
 かくして、薩摩藩士、遠く見知らぬ地、濃尾の地まで旅立ったのであった。

 一か月あまりの陸路、海路を経て、続々と「戦場」に到着した。

 当初の幕府による工費見積もりは、15万両(現在のお金で、100億円前後)。
 だが、さらに同額程度の追加工費が必要であることが通達されました。
 莫大な費用。

 それを上方から資金調達してきたのが、勝手方家老の平田靱負(ゆきえ)でありました。
 三十万両の金策。
 それは、密貿易品の売りつけと、奄美・与論・沖永良部から採れる砂糖を担保にした借金でした。
 悲しきかな。
 封建社会の宿命か。
 上は下を責め、下は、またその下を責め立てる。
 薩摩もまた、植民地への圧力をもって、資金調達せからしめたのでした。
 (ごめんなさいね。あげたり、さげたりで。だけど、ここもまた外せない歴史の一部分であります。)


 話、半ばですが。
 うん百年続いた江戸幕府も、封建制度により支えられたものでした。
 近代的な国家成立は、まだまだ明治を待たねばなりません。

 武家社会の厳しいご法度に着目。

 よく、「法治主義」とか「法の支配」とか新聞で耳にしますが。
 時々、意味を混同して、用いられております。
 簡単に説明しますと。
 「法治主義」とは、おもに、主君による絶対主義的国家の中での、主君が国民を縛り付けるための、法律使用の考え方です。
 それに対し、「法の支配」は、現代のような民主主義国家の中で、国民が(あるとすれば)主君の絶対的支配を防止すべく作られた法律使用に基づく考え方です。

 さすれば、江戸幕府のそれは、法治主義。
 まさしく、幕府が各藩や民衆を絶対支配するための、がんじがらめの法体制でありました。
 守らなかったら、お取り潰しだよーん、それとも斬っちゃおうか?なーんてね。

 当然、閉塞感でいっぱいです。
 常に恐怖や不安に怯えていなければいけません。
 種まきゃ、必ず作物がとれるというものでなし・・・
 厳しい幕藩体制。
 たまるは、お金か、恨み辛みか。
 内側から、膨張。
 爆発してしまったといっても、言い過ぎでは無いかもしれません。



 ああ、また、わたくし、沈没しそう。



 さてさて、家老平田公の資金調達に勇気付けられた藩士たち、見知らぬ土地での、慣れない作業を次々こなしていきました。
 第一期は3ヶ月、逆川洗堰締切工事。
 第二期は6ヶ月、大ぐれ川洗堰工事と、油島突端から川を二筋に分ける大堤防工事が行なわれました。
 重機の無いこの時代、しかも素人によるもの、いかに大変な難工事であったか想像に難くありません。

 そんななか。

 「度重なる屈辱に耐えきれず 工事の難航に絶望し 
  病死していく友のあとを追い
  望郷の念止みがたく
  幕府への恨みとやり場のない怒りを己にむけて」 
 憤死するものが相次ぎました。

 「しかし、このことが公となれば、幕府への批判、抗議と受け取られる。
  あくまでも、反抗の意思がないことを示さなければならなかった。」
 
 彼らの死は、「腰のものにて怪我」として処理されました。

 「工事終了までに、薩摩藩士の殉難は、切腹52名、病死32名にのぼったのである。
 この中には、事故死者は一人もいないから、あるいは犠牲者はもっと多かったのかもしれない。
 そして、切腹したのは薩摩藩士ばかりではなかった。
 何と、幕臣のなかからも二名、薩摩藩士に同情したか、幕府に抗議して切腹した役人がいるのである。」

 かくして、宝暦5年、3月28日。
 木曽三川改修工事は終わりました。



 疲れ果てた薩摩藩士のほとんどが立ち去ったあと。
 工事総奉行 平田靱負
 「川普請一切の責任を果たし終えて自刃」

 藩主 島津重年
「彼自身 病弱な体質であり いままた平田を失い 
 二年に及ぶ極度の心労のため 
 わずか一ヵ月後 27歳の若さで彼の後を追った。」

「この薩摩藩の悲劇は、幕府を刺激せぬよう、および領民の動揺を恐れて、関係者にも一切の他言を禁じ。
 工事の詳細は、すべて闇に葬られていったのである。
 
 百十年の後、明治維新が起こり、薩摩藩は徳川幕府を倒し、関が原の怨念も消滅したが。
 その頃はすでに宝暦年間の治水工事を知る薩摩人も消え去っていたのである。
 
 子孫にこの物語を語り伝えたのは、濃尾の民、百姓たちであった。
 岐阜の人々が「薩摩様」と感謝をこめて語り継いだ治水工事の物語は、しだいに人々の知るところとなり、資料の発掘、収集により、やがて全容が明らかになっていった。」

 

 治水事業。
 水を制するものは、権力を制する。
 太古の昔から、文明あるところでは、治水権を行使する権力者がおり・・・

 あんまり、現在の治水行政なんかに触れますと、権力がらみになってしまいそうで、何も語ろうとは思いませんけど。
 現在、治水事業は、主として、水害を防ぐための河川改修と、環境問題との間で揺れ動いております。

 もちろん、大きな目で見れば、地球の環境問題は大切なことなんだけど。
 流行的世論に流されやすいという側面もあるような・・・

 水あるところ、歴史アリ。
 隠れた歴史に目を向け、現在の問題についても考えていきたいかなと、考えた妻!なのでした。

 

 
 

じいちゃんドライブ。

2007-01-13 17:42:10 | 琵琶湖に行きました!
 子供とじいちゃんのドライブについて行きました。
 いつもの米プラザ。



 好物ゲット!
 このコンニャク、初めてお目にかかりました。
 いろんな味があって。
 豆板醤味とか、ほうれん草、よもぎなんてのもありましたよ。
 100円だし安い!
 刺身で頂きます。

 あと、黒大根(西洋種)というのが売ってありました。
 サラダで美味しそうだけど、まだ冬だし、やめておきました。
 (でも、すごく後ろ髪惹かれました。)


 米プラザ・注釈。
 いつも、じいちゃんたちと行く、お決まりのドライブコース。
 我が家からは、20分強で着きます。
 大津市今堅田。
 琵琶湖大橋畔にある、道の駅です。
 すごく、見晴らしの良い、(いや、そうでもないかな?)リゾートっぽい景観です。

 ファーマーズ・テーブルという産直ショップが出来、妻!御用達であります。
 買い物定番は、エビ豆、シジミ佃煮、うずら豆、野菜に近江茶、お餅系。
 運営されてるのが、どうも花屋(栽培農家)さんのようで、鉢花も豊富にあります。
 
 子供たちは、必ずじいちゃんに、ソフトクリームやたこ焼き、焼きそばを買ってもらいます。(これが目当て!)

看板づくり

2007-01-13 09:43:22 | 妻!日記
 昨晩、赤子の寝ている隙を見計らって、工作をした。

 お父さんの新宿催事。
 おかげ様で、しば漬けはよく売れているのですが、代わりに、浅漬けがサッパリ。
 今回、場所取りの関係から、いつもより冷蔵ケースが小さいため、商品が目立たないんだそうです。
 千枚漬が売れないと。
 金かさが上がらない・・・(現実的な話ですみません。)
 だもんで、すこしでもよく売れるよう。
 一念奮起して。



 今はやりの、くずれ風。
 しかできないんですが。
 大筆がなかったもんで、調理用の刷毛で四苦八苦。

 ただなので・・・
 これで我慢してもらいやしょう。

 でもね。
 ひとつ、テクニック。
 書いた下絵をカラーコピーにかけると。
 あら不思議。
 それなりに様になるもんで。
 けっこうな出来に、自己満足しております。







 ここで、重要なお知らせ。

 先ほど、ホームページの管理をしておりましたところ、「丸すぐき」についての記載に誤りがございましたので、ここに、訂正とお詫びをさせていただきます。
 現在、丸すぐきの在庫不足も解消されまして、WEB SHOPでの販売も、システム上は再開されていたのですが。
 説明文が、「在庫不足で、販売休止」のままになっておりました。

 単純なミスでございます。
 販売再開をお心待ちにしておられた方、申し訳ございません。
 すぐに、訂正させていただきました。
 妻!、初めてのホームページ更新でして、ちゃんと更新できたか自信が無いのですが。恐る恐るやってみました。

 もし、文章「在庫不足」のままでしたら、一度画面左上の更新ボタンをお押し下さいませ。画面が切り替わるはずです。

 丸すぐき、お待ちになっておられた方、申し訳ございません。
 現在は、在庫どーんとございますので!
 今後とも、宜しくお願い申し上げます。
 

郵便貯金。

2007-01-12 16:55:53 | 妻!日記
 昼から郵便局にいきました。
 子供たちのお年玉を貯金するため。

 大原の郵便局。
 民営化政策のあおりか?、4月から主要業務を、下の大きな郵便局に譲ることとなったそうです。
(あまり、詳しいことは分からないんですが。)
 少なくとも、金融業務はここで出来なくなるらしいので、早めに定額貯金を作ることにしました。

 昨今の情勢からして、必ずしも郵便貯金なら安心、とはいえなくなりましたね。
 さすれば、郵便局にこだわる理由も無いわけで。
 少々リスクはあっても、銀行などに預金するほうが、金利が高い分お得といえるか?
(でも、私らの小口定期では、すずめの涙ほどしか付きませんけど。)
 どっちが良いのかわかりませんが、4月以降、大原もんとしては、駐車場を確保しやすい、信用金庫あたりに駆け込むことが多くなりそうです。
 (郵便局さん、ごめんなさいね。)
 (でもさ、おまけも沢山くれはるし、信用金庫が好きです。)

 さて、いろいろ貯金計画を考えて居る際。
 金利を調べてみました。
 郵便局と、某信用金庫。
 まあ、やっぱり民間のほうがちょっと金利が良いわけなんですけど。

 いつでしたっけ。
 たしか、最近景気が回復したから?(実感無いですが。)、金利政策が緩和されたんですね。
 そうなると、お金を借りる側としては、金利が上がって、都合が悪くなることもあるかもしれないんですが。
 反対に。
 お金を預ける側としては、利率が上がって、利子が沢山付き、バンバンザイなわけですね。
 もちろん、バブル最盛期のようなわけにはいきませんけど。
 ちょっとでも、利子が増えるとうれしいですよね。

 赤子が生まれて、すぐにお金を預けたとき。
 ちょうど、一年前くらいですが。
 そのとき、定額貯金の利率が、0.07%でした。
 
 それが、それから数ヶ月して、また新たに貯金しに行くと・・・
 利率が0.3%に跳ね上がってたんです。
 これ、かなり驚異的だと思います。
 まあ、小口貯金ですから、利息分はしれてるんですけど。
 ここ5年くらいは、金利0,08から0.1%あたりで、「すげー高金利!」と喜んでましたから。
 どれだけ、金利が回復したか、お分かりいただけるかと思います。

 まあ、今時、利息で生活するなんて、夢のまた夢ですから、どうでもいい話ではあるんですけどね。
 投資信託(株におきかえても良い)してみようか・・・
 ああ、ヒマな主婦の陥る罠でしょうかね。
 まあ、窓口で、鼻で笑われるがオチですな。
 化粧して、宝石くらいしていけば、金持ちやと思ってくれたりしますかね。

 と、ゆーか。

 お父さんが、商売で大もうけしてくれれば、一番いいわけです。
 ついでに言うと、わが3人の子供たちも。
 大出世して、豪華住宅に住まわせてくれないかな。
 今は、その投資のときだ。

 ユダヤの格言?
 (新聞か何かで見て、おお!と思いました。)
 「金とは、貰うものではない。金とは、自分で稼ぐものだ。」
 みたいな言葉である。
 まさしく。

 子供たちも、「わが所有物」ではなく、「社会の宝」だと思って、育てております。(そのわりに貧相な育て方ですが。)
 
 ここらのことをお父さんに言うと、「素晴らしい!」と褒めちぎってもらえますが。

 新年から、強欲な話でしたね。
 とにもかくにも、今日は少ない貯金をしに、郵便局に行ってきたのでした。
 トーマスの貯金箱、2個貰いましたよ。
 戦利品!
 

木曽三川・治水事業 (漫画「風雲児たち」から)

2007-01-11 16:55:34 | 風雲児たち!
 話はさかのぼって。
 江戸時代。

 美濃の国の民をたびたび困らせていた、暴れ川。
 木曽川・長良川・揖斐川。(でしたっけ。)
 この三つ並びの川。
 隣り合わせでありながら、それぞれ海抜が違うため、ひとたび大水となれば、堤防が決壊し、一つの大海と化してしまうのでありました。

 そんな暴れ川の中に出来た中州集落。
 水害起こるたびに、家や人が押し流され・・・

 住民の知恵として、輪中が作られたり。
 江戸幕府が成立してからは、木曽川の東にある駿府城を水害から守るため、お上による大規模な治水事業が行なわれました。

 しかし、このお上による堤防が木曽川の東端に作られたため、かえって、西側の水害がひどくなる結果となりました。
 住民の必死の嘆願の末。
 幕府は動き。
 なぜだか、薩摩藩に治水工事の命が下りました。

 なぜなら、薩摩藩いぢめ。
 に、他ならない。

 関が原以来。
 薩摩は、敗戦国でありながら、唯一領土を搾取されなかった。
 西の大国。
 敗者の苦肉の策。
 (関が原では、直接戦を交えることのなかった薩摩藩だが、撤退時、藩のプライドかけて、家康陣地のまっ正面を突っ切って、退却したのであった。)
 そして、必死の外交のおかげである。(ハッタリとしかいいようがない。)
 (当時、戦に勝利したからとはいえ、まだまだ形勢不安定であった家康陣、そうそう簡単にはつぶせなかった。)

 逆に言えば、幕府からすると、鼻持ちならない存在に他ならない。
 ああ、チャンスさえあれば、よこっぱな、へし折ってやりたい。
 そう思っていたわけで。

 薩摩藩の金による、薩摩藩の人による、大工事が行なわれることとなった。
 しかも、宿賃、メシ代、水一杯まで、びっちり向こう側にお金を取られるシステム。
 必要人員として、地元の民も雇うが、とうてい役に立ちそうに無い子供、年寄りにいたるまで、雇わなければならないお達しで、しかもたかーい人件費を払わなければいけなかった。
 尋常でない、幕府の締め付け。
 (ここらへんは、参勤交代システムによる、各藩締め付けと同じ性質だろう。)
 要は、難癖、けちつけ放題、びた一文でも多く薩摩藩から搾取し、隙あらばつぶしてしまおう、という腹である。


 書くのに、ギブアップ。
 これ、まんが「風雲児たち」第3巻の受け売り。



 とにかく、ひどいんですわ。
 最後の最後まで、ひどい話で。
 何度読んでも、涙を禁じえません。

 そのなかで、薩摩藩必死の生き残りをかけて、何十万両という膨大な金策に走り回った重臣たち。
 そして、この過酷な状況の藩内にありながら、その命に従い、見知らぬ土地の治水工事の重労働に耐えた藩士たち。
 その求心力とは、何だったのか。
 
 薩摩藩士。
 関が原退却時。



 向こう数万人とも、数十万人ともいわれる家康陣を突っ切って。
 当主ただ一人を、生きて領地まで帰すため、自ら盾となり、身代わりとなった藩士たち。
 死してなお、その場を塞ぎ、動かなかったそうです。
 1600余の兵が、帰ったときには、数十人しか残っていなかったといわれています。

 そんな逸話が、藩内で語り継がれ。
 子から孫。孫からひ孫へ・・・



 でもさ。
 そんなに嫌なら、逃げたらいいのにさ。
 そんな借金まみれの藩なんて、勝手につぶれりゃいいじゃん。



 どうして、過酷な状況にありながら、彼らは逃げなかったのでしょう。



 考えれば考えるほど、涙を禁じえません。

 


 文章力が無いので。
 どこまで伝わったか・・・

 一人でも多くの方に、この漫画を読んで欲しいわ。
 この歴史知らずして、日本の歴史は語れない・・・と思うんですわ。

 私は、ネットのアマゾンで検索して、買いました。
 「風雲児たち」
 作者は、みなもと太郎という人です。
 すぐ出てきます。

 てゆーか、読みたい方は、貸しますので、いつでも辻しばにお越しください。
 ほんとにね。

 
 

お片づけ

2007-01-10 13:11:50 | 妻!日記
 正月も過ぎ、朝のニュースでは、しきりに長浜盆梅展について、やっていました。
 ぼんばいてん。
 「猪木ボンバイエ!」を連想した方、何名くらいいらっしゃるだろうか。
 頭の中で、そんな想像をしていたところ。
 隣に居った、直情的な男が言いおった。
 「長浜ボンバイエ!」
 こやつと同じことを思ったしまった自分が悲しい・・・
 もう、十年以上一緒におるから、考え方も似てくるんだと。
 おお、嫌だ、嫌だ。

 また、別のニュースで。
 今年から、時代祭で、室町時代の行列を新たに加えるんだそうです。
 あれ、今までなかったのね。
 室町幕府の創始者である足利尊氏が、後醍醐天皇を倒した朝敵であるというのが、その理由らしい。
 時代祭が、いつの時代から始まったのか知りませんが。
 高山彦九郎(三条京阪横で、御所に向かって土下座をしている銅像の人)あたりの尊皇論の影響を受けているのか。
 もっと遡ると、水戸光圀公の日本史編纂事業など。
 その後の人たちに多大な影響を与えたと言います。
 あくまで、漫画「風雲児たち」の受け売りではありますが。

 その復活する、室町時代行列。
 イメージ図を見ると、豊かな文化、風俗、衣装があったことが分かります。
 華やかな衣装。
 現代でも十分通用するモダンなデザイン。
 こんなものが今まで封印されていたんですね。
 これは、披露の時が楽しみです。

 さて、本題。
 今日、正確に言うと深夜から。
 うっとうしい、お父さん部屋の片づけを開始しまして。
 赤子の寝ている隙をねらって。
 兄弟の勉強部屋に改造すべく。
 いらない、お父さんの荷物を追いやり。
 机の横に、子供用整理棚を配置。
 前からしたかった作業だ。
 どうもお父さんが居ると、遠慮してしまうので。
 居らぬ間に。

 一通り作業を終えると、スッキリした反対側の壁にも、次男用の机を配置したくなってきた。
 大移動。
 重たい本棚2つを動かし、窓際に玄関横においてあった黒い机を持ってきた。

 完成。
 この作業。
 本当は、次男入学時にする予定だったけど。
 勢いでやってしまった。
 どうせ、「僕も、勉強机が欲しい。」とか言い出すに決まってるから。
 文句言う前に、場所作ってやったよ。

 
 どうです。
 一面オープンビューにして、すっきりさせました。
 今まで息苦しかったタンス部屋が、嘘のようです。

 だけど、机の隣りにテレビあるし・・・
 配置はまた今度考えましょう。

 あー、疲れた。
 今夜はよく眠れそうです。

しみずストアー

2007-01-09 13:47:13 | 妻!日記
 今朝、子供たちを幼稚園に送り出しつつ、新宿へと旅立つおとうさんを、地下鉄の駅まで送りにいった。
 その帰り、前から気になっていたパン屋さんへ寄り道。
 国際会館駅から、狐坂を下り、北山通り、東大路から、北大路に出て、白川通りから、東鞍馬口通りに入る。
 一つ目の信号で、南に左折、50メートルほどのところだったか。
(寄り道といっても、かんなり、「ついで」ではないですな。)

 清水米穀店、別名しみずストアー。
 ここらで、ピーンとくる方は、せいぜい3名くらいだろうと予想される。
 you_saiさんに教えてもらった、お店である。
 米屋なのに、パンに力を入れている、という・・・
 ここらに、そんな店あったっけかな。
 ???
 
 すごーく気になってました。
 だけど、you_saiさんちのすぐ近くだそうで。
 何だか、場所をお聞きするのも、ストーカーのようで聞きづらかったのです。

 ですけど、何かのコメントついでに、聞いてみました。
 だって、すごく行きたかったんですもん。
 でもね、まわりはマンションだらけだったし、you_saiさんのお宅がどれかなんて、かいもく見当付きませんでした。

 さて、しみずストアー。
 やたらと、「米」マークだけは大きく目立っていたけど、普通の商店で、奥まった構造になっていたので、「パン屋」を探していけば、通り過ぎてしまうところだったでしょう。
 (そうそう、セブンイレブンの信号はいつも通っていたけど、あそこで、左折進入するのは初めてでした。いや、昔、すごーく酔っ払って、百万遍までダッシュしたことがあります。)
 普通の、オバアたちの集会所のような商店だ。

 が、しかし。
 中に入って、奥右側に、所狭しとパンが並べられていた。
 わからないー。
 あれまー。
 
 とりあえず、チェックは、あんぱん、クリームパンのお味。
 で、オススメされてたトマトデニッシュを買いました。
 だけど、すごい種類ありましたよー。

 あと、特筆すべきは、普通のスナック売り場。
 なにげに、見たこと無いお菓子が売ってあったぞ!
 赤子のおやつを買いました。(しょりしょり系)

 わたし、こういう昔からある商店、大好きです。
 だって、お宝発掘するのが楽しいんですもん。
 きょうも、スミからスミまで舐めつくすように見てまわる、怪しい客であったに違いありません。

 パンとお菓子を買って、他の用事を済まして帰宅。
 袋から、香ばしーい香りがしてましたよ。



 トマトデニッシュね。
 私はあまりおかず系のパンを食べないのですが・・・
 息子が帰ってきたので、一緒に食べてみました。
 長男はトマト嫌いなので、一口だけでしたが、悪童次男に「ピザのパン」と言って食べさせたら、ぜーんぶ食べてしまいました。
 (トマト、と言ったら、食べてくれないので。たぶん)
 あれは、生のトマトが入ってるんですね。
 甘口の味付けで、美味しかったです。
 皮もパリッとしていて、非常に香ばしい。
 
 とにかく。
 いままで、この商店を見逃してきたことに、非常にくやしさを覚えました。はい。