京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

2013年6月24日の赤紫蘇畑

2013-06-24 13:50:43 | 赤紫蘇畑の様子

先週からの雨のおかげ

全体的に潤った紫蘇畑

6月28日から発送開始します

6月25日から注文受付開始です

ただし、最初は1本あたりの取れる紫蘇の葉の量が少ないのでコスト高です

でも、小さいから作業しやすい、若葉だから香りはいい。

 

もう少し待てる方。。。

7月10日以降、枝ぶりも大きく、大原で最盛期を迎えた紫蘇をお届けできます。

詳しくはこちら⇒http://www.tsujishiba.com/2_2.html

 

 

 


一言だけお願い。

2013-06-16 17:35:06 | 妻!日記

洛北岩倉・実相院奥にある石座神社の境内・・・

一言神社の小さな社があります。

 (左側奥に見えてるのが石座神社の本殿)

隠棲中の岩倉具視公がしばしば参拝していたそうです。

たぶん両側の灯籠が岩倉家から奉納されたものでしょう。

私も一言だけお願い。

こういう時は、可愛らしい(笑)お願いをします。

「今年も紫蘇がちゃんと育ちますように。」

 

空梅雨。

きのうおととい、ようやく解放されました。

もうちょっと降ってくれても良かったけど、しとしと良い雨でした

 

 


ここはどこでしょう?

2013-06-13 09:53:19 | 京都観光に役立つ?話

洛北のとある場所。

実は、この6月にリニューアルオープンされました。

先日までは、一時休館されてたんですよ。

 

ヒントは、この障子戸のガラスです。

昔のガラスだから高価らしいですよ~

独特の透明感をもっています

(だから、すでに入館された方にはすぐわかるかと思います


2013年6月10日の赤紫蘇畑

2013-06-11 11:31:05 | 赤紫蘇畑の様子

葉が増えて紫蘇らしい見栄えになってきました。

11日は曇り空に雨がぱらぱら。

このまま、雨が降って蒸し暑い気候が続くと、一気に大きく生育します。

梅雨の天候、人には不愉快ですが、夏野菜の生育には欠かせない。

ゲリラ豪雨など無く、適度な雨と湿度、日光が降り注ぎますように

京都・大原 辻しば漬本舗


ガイドブックを見て、小浜に行く。

2013-06-08 15:19:31 | 妻!日記

前回、福井県に行ったのは、半年以上前・・・

帰りに寄ったレストランに置いてあったガイドブックが、ローカル色強くて、

帰ってすぐに、ネットで中古品購入

 

「サーベイ福井」っていう本

聞きなれない名前だけど、旺文社発行で、全国でシリーズ発売されてるらしい?口コミ情報ガイドだそうです。

 

福井って、よく行くんですけど、

考えてみると、ガイドブックを見ていくことはなかった・・・

だから、どんな名物・名勝があって、どこのレストランが有名とか、全然分からないんですよね~

いつも、なんとなく行くので・・・

 

でも、ガイドブック見てますと、結構いろいろあって(そりゃありますがな)

とくに、グルメの海鮮丼の写真が頭に焼き付いてしまって

久々の休暇日に連れて行ってもらうことになりました。

 

食べログにも美味しそうな写真が出ていた

お食事処かねまつさん  食べログ

海鮮丼目当てだったけど、やっぱり食べやすい刺身定食にしました

特上 1800円です。

もっと安いのと、舟盛り ゴージャス版もありましたよ。

アラ汁おかわり自由・コメは福井米だそうで・・・

アラ汁のネギが美味しかったな~

 

普段は、家族7人盛で、子達がすごい勢いでさらってしまうので、

ひとりで、この量ゆっくり食べられるのはうれしいです

最後の方は、猫になった気分でウニャウニャ食べましたけど、

お魚満喫できて、幸せでした

 

さて、食後は、この店から1キロも離れていない(と思う)場所にある・・・

梅田雲浜生誕地に行きました。

小さな道しるべだけかと思ったら、一軒家がたつくらいの敷地に石碑が建てられていました。

公園ふう。

雑草ひとつない所を見ても、現在進行形で地元の名士であることが分かります。

 はっきりいってイケメンです

 小浜藩士、幕末の朱子学者で尊王攘夷派。

開国派で幕府第一主義の井伊直弼の逆燐に触れ、

安政の大獄で獄死。

 

私は、日本史の時間には聞いたことのない人物名でしたが(それは授業中寝ていたから?)

京都の霊山護国神社にも石碑があったり、維新ミュージアムにも常設展示があったり、

幕末の志士として有名です。

 

吉田松陰公とも因縁の強い人物で・・・

それほどの接触はなかったようですが、松陰の遺書「留魂録」にありありと綴られることとなりました。

 

「 一 七月九日、初めて評諚所より呼出しあり。三奉行出座尋鞠の件両條あり 

 (松陰も、安政の大獄で捕まり、尋問を受けた時のことです。)

 一に曰く、梅田源次郎(雲浜のこと)長門下向の節、面會したる由何の密議をなせしや。

 (雲浜は萩を訪れた際、松陰宅に数日滞在しました。松下村塾の看板の字を書いてもらってます)

 二に曰く、御所内に落文あり。その手跡汝に似たりと源次郎その外申立てる者あり、覚えありや。

 (松陰の字は右肩上がりの癖の強い筆跡でした。御所で見つかった幕府批判の落とし文の字に似ているという)

 この二條のみ。

 それ梅田は素より奸骨あれば、余、興に志を語ることを欲せざる所なり。何の密議をなさんや。

 (この辺は、雲浜に対する批判というか、怒っているというか・・・とにかく、性が合わないから、大した話はしていないと答えました。

 吾が性光明正大なることを好む。豈に落文なんどの隠昧の事をなさんや。

 余、是に於て六年間幽囚中の苦心する所を陳し、終に大原公の西下を請い、鯖江侯(老中)を要する等の事を自首す。

 鯖江侯の事に因りて終に下獄とはなれり。

 (で、梅田雲浜のせいではないけれど、勢いで老中暗殺計画を暴露してしまう松陰・・・・

  ほぼ釈放の見込みだったはずが、暗殺計画暴露で死罪になってしまった)

 

二十一回猛士と自ら名乗り、狂人たる勢いで奔走していた吉田松陰

 

この評定を、幕府の上役に、自らの憂国の思いを伝えるチャンスと捉えた松陰は、

奉行に尋ねられるまま、しゃべる、しゃべる・・・

その結果、巧みな誘導にかかり、幕府が求めていた過激行動を暴露してしまったのでした。

これが、ほんまの棚からぼた餅です

(松陰は、松下村塾の塾生たちとともに、京都に出陣しようと考えました。

幕府と朝廷が開国問題でもめている中、京都に滞在して圧力を加えていた・・・老中・間部詮勝を襲撃しようとしました。

 →長州藩に蜂起のための武器を求めたが、あっけなく却下され、藩内投獄されました)

 

雲浜も、連日の厳しい拷問に耐えかねて、松陰の名を出してしまったものの、

せいぜい微罪に過ぎず、すぐに釈放されるものと(おそらく)考えました。

それが、これほどの大事件に発展するとは、夢にも思わなかったことでしょう。

 

その雲浜も、松陰の処刑に前後して、獄中で亡くなりました。

 

井伊直弼の安政の大獄は、幕府の権威を守るという大義名分のもとで行われましたが、

現在の刑法はもとより、当時の訴訟慣例をも逸脱した、とんでもない裁きが横行しました。

 

それが、たった150年ほど前の出来事なのですから、

私たちも、のんびり平和ボケしている場合ではないのかもしれませんね。

                 ↑ ボケているのは、私だけかもしれませんが・・・

 

ところで、梅田雲浜公の・・・

お誕生日は、6月7日でした

偶然にも、訪れた日も6月7日

だから何?って感じですが、もう少し、彼について詳しく勉強してみようと思います。

まあ、旧暦の6月7日生まれですので、本当は7月13日ごろのお生まれだそうで…

新旧暦の違いはあるのですが、偶然の一致をうれしく思った私!なのでした

 

さて、梅田雲浜生誕地を後にして、帰路・・・

小浜駅前で気になっていた場所に寄りました。

 杉田玄白記念 公立小浜病院 だそうです。

 杉田玄白の像。

なぜ、この場所に?

杉田玄白が蘭学医、「解体新書」を出版したのは、よ~く知ってますが、

小浜藩医であったことは気付きませんでした。

小浜に住んでいた時期もあったのですね。

 

山脇東洋による日本最初の解剖にも、小浜藩が大きく関わっていたのですね。

知りませんでした。

 

古来、小浜のある若狭国は、朝廷の日本海側入り口として、海産物の調達をする御食国(みつけくに)とされてきました。

近世には、北前船の港として、海運の本拠地となりました。

日本海銀座とでも言って良いでしょうか。賑やかな街であったと思われます。

 

江戸幕府下の小浜藩では、初代藩主が京極高次(奥さんは秀吉側室淀殿の妹)であったことからして、小浜の優勢振りが分かります。

二代目忠高ののちは、家康の家臣であった酒井忠勝(のち大老職)が入封して、譜代大名下の統治が行われてました。

この地を重要な拠点としてとらえていたのでしょう。

 

太平洋側に賑わいを譲った現在でも、北海道~若狭の流通は盛んなようで、

敦賀からは、北海道への定期航路が出ていますし、

昆布飴とか、昆布〆の小鯛のささ漬けなど、昆布製品が特産となっています。

 

さて・・・小浜病院の向かいにある公園には、石碑がありました。

↑ 上の石碑は、明治期の新川柳運動の中心となった西田當百のものです。

「天下泰平 晩酌の 量が増し」

意味深い・・・

 

この石碑の向かい側・中央に・・・

杉田玄白顕彰碑と銅像

 

よく見ると、この銅像は、玄白ではなくて、梅田雲浜公。

どこでも、銅像は似ているけれど、どれもカッコいいな

 後ろに何か書いてアリマス。

  梅田雲浜の一番有名な詩だそうです。

妻は病床に臥し 児は飢に泣く
身を挺して 直(ただ)ちに戎夷(じゅうい)を払わんと欲す
今朝死別と生別と
唯 皇天后土(こうてんこうど)の知る有り

 

維新ミュージアムに行くと、志士の壮絶なパワーを感じる詩が並んでいますが、

公な事象や自然について書いてあることが多いと思いますし、やや無機質な印象を受けます。

それに対して、こちらは、いきなり「妻と児」と来ますから、(公私で言ったら、私の部分)

真に迫る、というのか、いきなりむき出しの情をぶつけられて、胸がキューンと来ますね。

 

その「妻と児」を犠牲にしてでも、国のために奔走してきた雲浜公なのでしょうが、

きっととても家族思いであったのだろうと思います。

それでこそ、小浜の人々に愛されてきたのでしょうね。

 

向かいは、小浜病院。

とても大きな病院です。

 

現在では、さらっと幕末風情を流す風の小浜ですが、

その奥底のオバマ魂をのぞいてみたいと思った私!でした。

 


もうすぐ入梅。

2013-06-06 08:50:24 | 大原の風景

梅雨入り宣言された関西地方ですが・・・

暦上の入梅(二十四節気のひとつ)は今年は6月11日だそうです。

宣言した途端、雨が降らなくなりましたが、

昨日はどこかで夕立があったらしくて、

今日は、朝から空気が重たいです。

 

お店飾りも、梅雨バージョンに変わっています。

    ↑ 洋ラン、デンドロビュームだったかな・・・

数年前に頂いたのち、一度も咲かなかったのに、今年初めて花が咲きました~

うれしすぎる

ほんま、どうしようもなく咲かへんかったので(葉っぱも増えへんし、まったく音沙汰なしで)、液肥やりも避けてましたが、

今年から、気まぐれに液肥をあげるようになったので、そのせいかな

 

朝の散歩

農道では、あちこちお花畑が出来ていて、長女を連れてきてやりたいな~と思います

名もない野花(いや、全ての花に名前はあるかな)かと思ってましたが、

よく見ると、ナデシコ科のよう

きれいです

誰か種まきしたの?

自然にこんなに植生するものなのか?

すごいですね~

ほら、この花だって・・・

誰か、品種改良したの?っていうくらい、可愛いです

 

 


2013年6月4日の赤紫蘇畑

2013-06-05 11:14:04 | 赤紫蘇畑の様子

関東4週間の催事から大原へ帰ってまいりました。若店主の辻和豊でございます。

その間、大原では赤紫蘇づくり

社長はじめ従業員一同で、植え替えが終わり、水やりと追い肥の作業をしてくださってます。

7月には皆様のお手元へまた赤紫蘇をお届けできるよう精一杯お世話をしております

スマホで撮影。指が入ってしまってます。申し訳ございません。

京都・大原辻しば漬本舗