京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

辻しばホームページについて

2010-08-30 17:19:02 | 若の日記
辻しば漬本舗ご利用の皆様へ

平素はご愛顧を賜りまして、まことにありがとうございます。

小社ホームページのついてですが、メインパソコンのトラブルにより、十分な対応ができない状況ですので、ひとまずカートシステムを閉じております。

皆様に大変ご不便をおかけいたしますが、全力で復旧に努めておりますので、いましばらくお待ちくださいませ。

辻しば付漬本舗
辻和豊

緊急)HPの操作、更新ができません。

2010-08-30 00:01:09 | 若の日記
辻しば漬本舗WEBSHOPをご利用の皆様へ

緊急のお知らせです。
8月30日零時現在、メインパソコンの故障により、ホームページの操作、更新、受注確認等が一切出来ない状況となっております。

新規注文も数件受け付けていることは携帯メールで確認しておりますが、お客さまの情報(メールアドレス、電話番号等も含む)は事務所のパソコンが復旧できるまで、把握することが出来ず、ご連絡をすることもできません。また、HPを閉じることもできませんので、お気づきの方は御利用なさらないようにお願い申し上げます。

本ブログを見て、お心当たりある方は、お電話にてご連絡をいただければ幸いです。

その他メールやデータも早急に復旧できるよう対処をいたしますが、お急ぎの用件はメールではなく、お電話にて御取次くださいませ。

まことに御不便をかけて申し訳ございませんが、何卒御理解の程、よろしくお願い申しあげます。

辻しば漬本舗
担当 辻和豊


安芸吉川氏・万徳院跡。

2010-08-27 15:24:26 | 中国・四国地方の石垣。
もういい加減締めくくらないといけないと思う・・・

3月24日(かな?)
里帰りついでの広島旅行

北広島町の吉川元春居館跡など見学に行き
ガイドさんオススメで
その近くの万徳院跡にも行って来ました。



うら寂しい感じのところ

雨がしとしと降っていて
誰もついて来たがらなかったのですが

あんまりにも寂しいので
次男についてきてもらいました。



石碑の写真のとおり
山の中

吉川氏の持ち城
日山城(ひのやまじょう)の南麓にあたります。

晴れてれば、そんなにも気にならないのでしょうが・・・
今となっては、うら寂しい感じの場所です。



吉川元春の長男
吉川元長が1575年に建てた寺跡。



吉川氏お抱えの石垣職人
「石つき之もの共」による、独特の積み方

この地域独特の特徴があります。



大きな縦石を適当な間隔で配置
縦石と縦石の間に、石を横積みしていく・・・

           

すでに毛利家を支える「両川」として
吉川家の政務全般を任されていた

元長でしたが

戦いに明け暮れる乱世に疲れ
仏の道に救いを求めていたと言われています。

建立後、10数年で早世した後は
弟の広家が元長の菩提寺として改修しています。


(本殿跡の礎石)


(あとから、長女と若!が来ました)


(庭園跡)

石組みの素敵な造りです。
手前は池になっています。



ぼこぼこと
畑を耕したようになっていて
造成中?と思っていましたが



イノシシが原因のようでした。

意外なことで
史跡保存の難しさを痛感しました



広島旅行後
時代小説ですが
毛利関係・戦国関係・・・読みあさって

ついには
毛利の宿敵
尼子氏の山中鹿介までたどり着きました。

そこに書かれた
吉川元長は
中国統一後、続く戦勝で、やや傲慢気味の姿に描かれていましたが
実像はどうだったのでしょうか?



毛利元就と息子(吉川元春・小早川隆景)による中国統一
その後の、織田信長との対決

その対毛利戦線の最前線として
旧尼子派が向かいます。

尼子の籠る上月城と、別所氏の三木城
そして、鳥取城の陥落の後
備中高松城の長期戦

最後は本能寺の変にて大どんでん返し

毛利の領土安堵・・・
その後の秀吉の治世を経て

吉川広家公、関が原の戦い・・・


*話は変わりますが

この夏休み
岡山城(宇喜多・小早川)、岩国城(吉川広家)にも行って来ました。

春休みからの関連で、いろんな視点から見学することが出来
楽しかったです。

後ほどレポートしますね。
(9月も、城旅行を予約中、それまでに仕上げなくては・・・)



店前エダマメの収穫。

2010-08-27 09:37:21 | 妻!日記
店前農園
プランター栽培のエダマメ

まだまだ大きくなりそうでしたが
所詮は鉢植えですから
そのうちに肥料も尽きるだろうと思い

少し早いけど、半分収穫しました。



結構な収穫



茹で上がりは
とうもろこしと同じ
あま~い香り



小粒でしたが
味は最高

香りも良くて、甘かったです

今年は、液肥を10日ごとくらいあげてました。
油粕もやりましたが、8月前後だったし、遅かったかも。

液肥がどう効するか、心配でしたが
エダマメ栽培には向いていたようです

店前農園の近況。

2010-08-24 07:58:21 | 妻!日記


今年は、梅雨時期までの天候不順のせいか
トマト・カボチャはさっぱりでしたが

もうすぐ秋を迎える、この時期は
それなりに賑やかしい店前農園です。



普通のカボチャは
根腐れで全滅してしまったのですが

この大きな葉っぱ
鹿ケ谷カボチャ?
強い品種なのか、病気にもめげず、元気です。



でも

結構、雌花はつくんですけど
きちんと受粉させても
数日で腐って落ちてしまう・・・
何ででしょう?



残念な思いをしていたのですが
先日、先が黄色くなって
あ~腐っちゃうのかな?という感じの実をとってみて
鉄板で焼いて食べたら
これが何とも美味しかったのです


コリコリしてて、実がしまってて・・・
ズッキーニっぽいです

お客様談で・・・
胡瓜の苗をいくつか買ったら、
その中に、丸いズッキーニの苗が混じっていたみたいで
ちょうど、うちの店の鹿ケ谷カボチャの葉っぱとよく似ているんだそうで・・・
「葉っぱに、白い斑点があるのは、ズッキーニ」なんだそうです。

そういえば、葉っぱはズッキーニに似ているし
ズッキーニ=カボチャ科
鹿ケ谷カボチャは、ズッキーニに近いの?
てことで
私も試してみました


まだまだ雌花がついてるので
ズッキーニ調で食べようと思います。
(未熟果・・・焼いて、オリーブオイル&荒塩で食べるとグ~



大漁のエダマメ

種を買ってきて、全部植えました

毎年、植えても、梅雨時期に腐らせてしまうので
今年は、蒔き時に用心して・・・

(大原は、やっぱり寒いので、標準時期では発芽しません)
(で、芽が出ないうちに雨季が来ると、腐ってしまうんです)

苗を数えてみると、全部で46本ありました

一苗一個の収穫でも
全部で46個


でも
一苗にこんなにた~くさん実がついてるから
全部で何個???




お~~~


あともう一息です。

この実がパンパンに膨らんだ頃に収穫ですが

もしかして
猿も狙ってるかも?


今年は
我が家も、はぐれ小猿の襲来がありました。

噂によると
小猿は、お菓子・加工品の美味しさを知っていて
冷蔵庫のものを狙ってるとか
(猿も現代っ子なのですね)

だから
野菜は大丈夫
だそうですが・・・

果たして、どうなのか?

それに、お米が実ってきたら
皆、そっちを取りに行くから
野菜はもう大丈夫
と励まされたのですが

大丈夫か?

これで、エダマメ横取りされたら
どーしよう

今一番の心配事です。





お知らせ、と言うほどではないですが
この夏休み
行事の手伝いばかりで
家族でどこにも行けなかったのですが
(気持ち的に・・・)
その割には(反動で?)
お城写真をいっぱいゲットしました。
(結局、お出かけしてるか・・・)
のちほど、じっくり報告しますので
お付き合いの程
よろしくお願いします

京の北、F市から。

2010-08-11 08:14:31 | 京の石垣。
さる7月の19日
福知山に行ってきました。

長男のサッカー練習試合の応援のため(大義名分)
監督に付き添われて電車で行く子供たちに便乗して
(他の保護者は車だったが、うちは若!仕事なので、電車!)
長女と一緒に行ってきました。
(ちなみに次男は留守番)

その前
17日も、同様に大阪豊中で練習試合
この時も電車で追っかけしました

サッカーの子達にしてみれば
「なんで、この親子ついてくんの~」
て感じだったでしょうが
そこは、応用力の高い子供のこと
自然と受け入れてもらえたので、助かりました。

普段の練習試合は、車移動が多いですし
長時間の電車移動はかなり珍しいことでした。

ちょっとした遠足ぽくて楽しかったです。

福知山までは、電車で約2時間
途中乗り継ぎもあり
15人ほど、子供がいたら
一人くらい忘れ物する子がいるし
だんだん動きが活発になってきて・・・
(でも、うるさく注意されるのもカナンやろうから)
ここぞという所で、おばさんの苦言を呈してやった・・・

普段もかわいい子達ですが
より一層愛着が増したのでした~



というわけで
快晴の福知山に到着

試合会場に向かうサッカー部員と分かれて
私たちは、目的の場所へと向かいました。

すぐ来たバスに乗って数分ほどの場所

じゃ~ん



福知山城!!

いつかは行ってみたい場所でしたが
こんな風にして来れるなんて!

まさか電車で来るとは思いませんでした。



非常に整備された公園

この登城口は、
本来は、城内の神社に向かうための参道であり
本当の登城口は、反対側?にあったみたいです。



どうりで、きれいな道
すっかり観光気分です


と一口で言っても、平城・山城いろいろですから
母子二人で行くには、心細いようなところもあります。

そういうとこは、まず長女が歩いてくれませんから(怖がって)
こういう整備は助かりました。



新しい石垣に混じって
古っぽい石垣が見えてきます。



さすがは明智光秀の城だけあって
なかなかの構えです。


(ちなみに、城のアップはこれで終わり



上がると本丸

奥に見えてる小さな建物は
二の丸にあった銅門番所が移築されてきたものです。



復元天守の天守台

かなり特徴的な石垣です。
城は見ずとも、石垣は見てこい
とまで言い切ったら怒られるかな・・・



転用石による石垣

五輪塔や梵字の入った石が見受けられます。

ついでにいうと、穴太積み
大原三千院や坂本などで多用された積み方ですが
転用石なので、かなり趣が異なります。
(言われてみればそうか、位)



転用石の使用例は
安土城が有名
石仏が、登城道の石段に使われていますが
ここほど大量の使用例は、奈良の大和郡山城くらいだそうで
非常に珍しいそうです




なぜ、これほどまで転用石が用いされたか
諸説いろいろあります。

明智光秀が城郭整備を急いでいて
とにかく石という石をかき集めてきたかった・・・
(石が確保されたされた際には、元の場所に返す、と約束してあったらしいです)

それとも、神仏おそれない豪快さゆえ、なのか

たぶん、どっちもなのかな?
やっぱり、五輪塔の現物を見ると
なんか罰があたりそうですし、使いにくいと思います。

それに、多少、神仏の信仰心があれば、
縁起担ぎで
少しでも、縁起に外れそうな行為は慎むかと思うのですが・・・
それも許されなかったのは
戦国の渡世の厳しさゆえでしょうか?

明智光秀のような、権勢を奮った人とはいえ
多少切羽詰まったものを感じずは居られません。


(小天守の石垣:細かめの石です)



以下、大天守の石垣



これでもか~というほど、多用の転用石



お城の東側には、
豊磐の井という、大きな井戸がありました。



深さ50メートル、日本一の深さです。
現役で、水が湧き出しています。



光秀君
ちょっとキャラが違うような・・・

マンガ「忍たま乱太郎」の作者:尼子騒兵衛によるキャラクターです。

光秀公にあやかってか、
城内・市街のあちこちにキキョウが咲いていました。



天守閣最上階から、由良川方面

大きな橋の向こうで、長男がサッカーをしています。



お城の西側
緑の多い部分が、たぶん伯耆丸の跡地です。
(公園になっている)



とても良いお城でした。

市街地も、昔の情緒が残っていました





お寺からは読経が聞こえて・・・



由良川堤防から眺める
大迫力の福知山城

難攻不落?の雰囲気を漂わせます。
伊達に市街部に建てたわけではないようです。



途方もなく大きな由良川
お城の外堀の役目も果たしていたのでしょう。

長女と渡るのに随分時間がかかりました



橋を渡った先に、サッカーの試合会場

炎天下の中、頑張っていました

見た目涼しそうな河川敷ですが
今まで経験したことのないくらいの酷暑でした

大原で魚つかみ 大原青年会

2010-08-09 13:43:23 | 若の日記
8月8日。大原を流れる高野川で魚つかみ大会を開催しました。

私も所属する大原青年会の企画です。



朝からドカタ。スコップで掘りほり、石を運んぶ運ぶ。まるで江戸時代の治水事業のようです。

人の力ってすごい。即席のイケスが出来上がりました。





大勢の皆様にご参加いただいて大成功。

子どもは大喜びの様子でした。