京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

サムゲタンと白あんカップケーキ。

2013-09-26 14:19:06 | 妻!の料理

オフシーズンの料理です。

 

あれだけ料理なんて嫌だ!と思っていたのに、やりたくなるのは、

暇になったせいなんでしょうね

 

最近ネットで取り寄せている鶏肉屋さんの丸どりが気になったので、購入して・・・

一度は作ってみたかったサムゲタンを作ってみることにしました

 材料と道具を並べてみました。

シャトルシェフ(保温鍋)で作る予定やったんですけど、

思った以上に丸どりが大きかったので、業務用の鍋を使いました。

もっと大きい鍋もありますよ

朝鮮人参とかの購入先が分からなかったので、ネットで買うことにしました。

このサムゲタン漢方セットは、韓国食材のお店で数百円です。

朝鮮人参は、もっと高価なイメージでしたが・・・

朝鮮人参とナツメは分かるけど、あとの木材のようなもの、二種、これはなんなのでしょうか?

木の削ったようなものは、煮出した後にかじってみると、猛烈に甘かったです。

カンゾウかな?

鶏肉のお腹の中に、もち米(30分ほど浸水)、栗・ナツメ・朝鮮人参・ニンニクを入れました。

塩などの調味料は加えません。

丸どりをザルの中に入れて作業すると、グラグラしないので、オススメですよ

ちなみに、煮込んでいるうちに、もち米が水分を含んで膨れてくるので、詰め込むのは七分目くらいが良いそうです。

爆発するので・・・

(実際爆発してしまいました

お鍋に材料を入れて、お水を加えて煮込みます。

アクを取りながら、ひたすら煮込んで3時間・・・

 

3時間のうちに、道具の片づけをしたり、洗濯物を片づけたり、お風呂の用意をしたり・・・

同時進行で準備を始めていた手亡豆の調理もしました。

シャトルシェフで加熱した豆の皮むきを済ませて、再加熱してました。

すっかり芯まで柔らかくなっているので、つぶして、布でこします。

これに、砂糖と塩を加えて、再加熱。

これで、白練あんの完成

 

で、そうこうしているうちに、丸どりの煮込みが完了~

一旦、鶏肉を取り出して、スープをこします。(シンプルなスープにします。)

 余ったもち米で団子?も作りました。

で、シンプルなスープに丸どりを戻して、お塩で調味。

そして、シメジ・白ネギ・クコの実を加えて、完成です

丸どりは、ほぐしてしまったので、迫力はありませんが、

スープの白さが、渾身の作~といった感じかな

ついでに、翌日には、上記のサムゲタン漢方セットを買った店で、ついでに購入した牛テールを使って、

テールスープを作りました。

美味しかったけど、しばらく煮込み料理はしたくないな、というのが本音です

でも、テールスープで作ったハッシュドビーフは、家族に大好評で、飛ぶように売れて行きました

 

さて、サムゲタンと一緒に作った白練あん。

次の日に、カップケーキを作りました。

昨年に作っておいた渋皮栗の甘煮と一緒に・・・

ホットケーキミックスを使った、カップケーキ。

近頃は、甘くないホットケーキミックスというのが売ってあって(たぶん、おかず系をサンドして食べる用途)

そちらは、あんことミックスして作ると、甘すぎないし、香料が入っていないので、気に入って使っています。

生地は、白あんを練りこんだ甘い生地と、加えていないプレーンな生地を交互に重ねます。

一番上に、黒蜜をかけて焼き上げました

 

焼き立ても美味しかったけど、半日たってから食べたら、コクが出て美味しかったです

白あん、もう半分残っているので、もう一回作りたいと思います

 

 

 


百井のハッカ。

2013-09-25 10:18:30 | 大原の風景

むかし・・・

百井にいっぱい生えてたハッカ

株分けしてもらいました

 ラベンダーとタイムと一緒に

今もまだ生えてるのかな・・・

ミントとは似て非なり?(ミントの一種でしょうけど

ハッカの名前にふさわしい、控えめだけど清々しい香りがします。

 


大久野島 ~広島 その2~

2013-09-11 15:09:47 | 妻!日記

お盆の広島帰省

2回目の遠出は、瀬戸内海の大久野島

前回・お正月は、休暇村に泊まったけど、今回は節約

 

日帰りで行ってきました

うちからは、最寄駅から鈍行列車で約2時間かかります。

下車してからは、港に移動して、フェリーに乗ります。

今回は、大久野経由で愛媛県の大三島(隣島)まで行くフェリーだったので、大きかったです。

 

着いて、休暇村でお昼ご飯を食べた後に、自転車を借りてサイクリング・・・

見た目爽やかですが、かなり暑いです

         ↑ この人はすごく機嫌が良い

なぜなら、お目当てがあるから

 うさぎちゃん

たぶん、春に生まれたところかな。

かなり自転車にひかれそうになって、近づいてきました。

島のはずれにいたから、お腹が空いてるのかな。

とりあえず、島一周し・・・(約40分ほどかな)

休暇村に戻って、うさぎの餌を買って、もう一周しました。

暑いので、あまりうさぎの姿を見かけないのですが、

島ハズレに行くと、エサが少ないためか、もらえるのを待って?表に出てきています。

島の展望台にも登りました。

数百メートル上り坂を行きます。

判断間違ってたかという位辛かったのですが、頂上の景色は素晴らしいです

きれいだけど、バテテます

さすがに、展望台はかんかん照りで、ウサギはいませんでしたが、

展望台下の影には居ましたよ

だんごになってます

可愛い

うさぎの餌は、一人分紙コップ一杯分だったのですが、

5人分もらうと、小さなレジ袋いっぱいで、大変でした

 

二時間のレンタサイクル返却後、海水浴をして・・・

帰りは、残りのエサを、海水浴場の横の神社にたむろしていたウサギに全部あげました

こっきり17時頃まで遊んで、帰途につきました。

 

帰りのJR・・・

行きと同じ行程で帰ろうと思ったら、すっかり乗り遅れてしまって

(本数が少ないんです)

結局、反対方向の三原まで出て、新幹線に乗って、帰りました

贅沢な日帰り旅行になってしまいましたね~

楽しかったけど

怒りン坊の次男の癇癪が起こらなかったから、ハッピーかな~

 


わたし的・鞆の浦。

2013-09-07 16:36:56 | 妻!日記

広島県福山市にある鞆の浦・・・

わたし的には、歴史あふれる街、というイメージですが、

近頃はすっかりポニョの街?

そして、今回(8月12日)の福山駅発・鞆の浦行きのバスは、夏休みということで、観光客に混ざって、海水浴客みたいな若者グループも多かったです。

雑多!(良い意味で)

 

今回は、終点のひとつ前のパス停「鞆の浦」で下車して、山中鹿之助首塚に一番近いコースをとることにしました。

表のバス通りから、手前に戻り、味のあるスーパーのところから路地に入って、沼名前神社にまっすぐ向かうコース・・・

 

道は基本的に真っ直ぐなのですが、

中間地点あたりで・・・

 

教習所であるようなS字クランク。

なんで真っ直ぐでないのでしょう。

軽自動車でも、結構曲がりにくそうでした。

神社の参道と思われますが、基本的には住宅街。

でも、ずっと石畳が敷かれていますから、すごい!(すぐにソロバンはじいてしまう悪い癖

やはり名の通った名勝地だなと思います。

 

で、沼名前神社→首塚、と向かう前に、昼食。

暑い季節、子供のストライキを予測した保険のようなものです。

かなりこじんまりした食堂でしたが、アットホームな雰囲気で良かった。

ご飯も丁寧で美味しかったです。

 

そして、神社に向かいます。

どういう由緒のある神社か知りませんでしたが、ガイドブックには必ず出ているし、とても有名な神社らしいです。

すごく広いです。

登った先には・・・

良い景色

 

階段下にある、こちらの鳥居は少し変わっています。

 

さて、神社の門前から港側(メインの観光地)に向かう道は寺町のようになっていました。

そこここに古そうなお寺が建っています。

ここも、クランク。

クランクの先に、お目当ての山中鹿之助首塚がありました。

山中鹿之助さん、すごい人です。

戦国時代、毛利に滅ぼされた尼子氏の家臣でしたが、再興を願って、挙兵しました。

捕まっても、すさまじい手段で脱走し、また兵を募りました。このへんの話はすごいです。

(亡くなるまで、3回のお家再興を図りました)

赤痢を装い、トイレに百回以上通って、敵を油断させたところで、肥溜めから脱走したそうです。

「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈った人、といえば、ご存じの方もいるでしょうか?

最後は、毛利攻めをする織田信長の先方となって戦かっていましたが、ついには落城の憂き目に・・・

捕えられ、鞆の浦の毛利輝元の陣中まで護送される途中、だまし討ちの目にあい、殺されました。

(通常、位の高い大将の命は保障されていましたが。)

山中鹿之助の子孫は、鴻池財閥だそうです。

息子か孫が、偶然どぶろくから清酒を発明し、財を成したとか、小説に書いてあったけど、実話ですかね。

歴史って面白い。

 

そうそう、↑ 上の看板見て、思い出しました

織田信長から疎まれ、京都から追い出された形の足利義昭は、毛利氏をたよって、ここ鞆の浦に滞在していたのでした。

なにげに鞆の浦って本当にすごい!

陸路をとらない、時間短縮をねらった移動手段をとった人は、ほぼ鞆の浦を経由していたと思われますから、

ここに来たら、そういう意味で、いろんな歴史的著名人に出会えます。

(太平洋経由だと、ジョン万次郎のように嵐に遭って漂流の危険も多分にありました

 ちなみに、鹿之助さんはかなりのイケメンだったそうです

ウイキペディアを調べたら、こんなことも分かりました

直系の子孫の方には、広島市出身の女性で、昭和初期に、アメリカから日本にパーマを伝えた美容師さんがいらっしゃるそうです。

そのようなご縁もあって、鞆の浦の他にも、広島にはあと2か所、山中鹿之助の供養所があります。

 

ここは地味なスポットでしたが、力が入りました。

ここも、総石畳

石垣も素晴らしかったです。

この辺は、観光地的には地味ですけど、ゆっくり散策するには良いですね。

写真・絵画の題材には事欠かないと思います。

ひとつ難を言えば?電線がむき出しなので、どうやっても写真に入り込んでしまいますが、

それもご愛嬌でないかなと思います。

昭和的風景には欠かせませんものね。

 

さて、とにかく暑い中、地図を見い見い、次のお目当て、平賀源内生祠を探してましたが、見つかりません。

行きすぎて、戻ると、ようやく入り口の路地を発見しました。

      ↑ これが道しるべ

道しるべがなかったら、入るのを躊躇しますね

でも、わくわくする道。

ここを50~100メートルほど上がったところに、ありました。

向かって、上の部分が入口で、手前が生祠の敷地です。

民家の畑の横にあります。

 なんと地味なスポット

平賀源内が鞆の浦滞在中に、源内焼という陶器の製法を伝えた、

その業績をたたえて作られた祠のようです。

生きながらにして、神としてまつられました。

 良い景色のご褒美付き

この辺は、昔ながらの港町情緒がそのまんま残っていました。

あちこちに、小魚をさばくお店があります。

小さい道なのに、結構交通量多いし。

私が見た限りでは一番旧式の設備のパン屋さんとか、

道から海に向かって、通り抜けの出来る(軒下利用というのか)昔ながらの商店があって、感動しました

 

生祠の辺の集落から、海辺に沿って進むと、次第に賑やかになってきます。

 

鞆の浦名物保命酒の建物。

このへんから、観光地スポットです。

ここがメインストリートの常夜灯からの景色です。

前回行った、龍馬のいろは丸記念館の横。

先ほどまでとは、うって変わって人が多いです

 

幕末の八・一八の政変後の七卿落ち

京都から追放され、九州方面に向かった、尊王攘夷派の公卿たち・・・

三条実美らの滞在した商家です。

 大田家住宅、行きたかったけど、お盆のため、休館してました。残念。

鞆の浦も、時代の変わり目には、様々な論議・謀略でひしめき合っていたことでしょう。

瀬戸内海の真ん中に位置して、潮待ちの港として知られた鞆の浦。

まだまだ掘り出し物がありそうです。

次回にも期待(いつ行くのだろう)