9月22日
岐阜県・恵那の岩村城
登城レポートの続きです
太鼓櫓~土岐門までの記事
登城口の太鼓櫓から
大手道を登っていくこと
10分少々でしょうか。
(もっとかかってるかもしれません
)
土岐坂を登りきると
傾斜が緩やかになり
歩きやすくなりました。
(土岐門跡)
九十九折になってます。
(土岐坂~土岐門~畳橋に至る道)
土岐門から先
大手門を抜けるまでは
どうも
往時の登城口でなく
後から遊歩道として付け替えられた道のようです。
(だから、正確に往時を偲ぼうと思ったら
前勉強と集中力、想像力が必要です
)
(実は私も勉強不足
後から写真と資料をにらめっこさせて、ようやく全体像が掴めたのでした
)
(手前が畳橋跡~空堀の跡~奥に見える石垣が大手門跡)
写真右側手前の大きな木
そこから奥へと延びる土盛り
それが、畳橋の旧跡で
本来の登城道のようです。
畳橋の向こう側には、空堀が作ってあり
その奥にある大手門には
畳橋(木橋)を渡らないと進めない仕組みになっていました。
(空堀の方から見た、畳橋の遺構)
(手前が畳橋、奥が大手門の石垣群)
遊歩道になっている部分が、往時は空堀となっていた)
(上の写真とほぼ同じ位置になってます)
さあ~、想像力を働かせて
上の写真と見比べてください
手前左の石垣が畳橋跡
そして
中央の石垣が枡形跡
枡形の向かって右側の面に
畳橋がかけられ
そこに、平重門という門がありました。
奥・右側の大きな石垣の上に
三重櫓が建っていました。
(枡形跡
写真・右側の側面に、平重門があった)
(三重櫓跡)
三重櫓は、大手門に付属する施設です。
天守閣と見紛えるほどの立派な作りでした。
畳橋は、戦時には切り崩して
即座に分断することができました。
岩村城を代表する要のひとつであり
なかなか複雑な作りとなっています。
(枡形の奥、平重門から入って、真正面にある高石垣)
早々突破のしようのない高さです
高さのある石垣を積めるというのは
築城者が、高度な築城能力を持っていた証です。
(さっきの高石垣の、上の段の石垣)
(左側・高石垣、奥の右側の石垣は、大手門の石垣です)
(大手門の石垣)
枡形から大手門をくぐり抜けると、
すぐに右折して
登城道が上に伸びていました。
~~~ つ づ く ~~~