京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

丸すぐきの販売を始めました

2010-11-26 16:22:16 | 若の日記
冬の京漬物。

「すぐき」 今年の初物が漬けあがりました。
WEBSHOPで販売開始です。

刻んでそのままでも。お好みで醤油をかけたり、七味をふってください。
ご飯にのせて、わさび茶漬けにしてもおいしいです。



辻しば漬本舗WEBSHOP

熊谷直実めいた一日。

2010-11-22 10:33:13 | 大原の風景
昨日の・・・
行楽日和で賑わう大原
三千院の門前です




その門前から
勝林院方面をのぞむ・・・



律川を渡る手前の大木



その木の根元に、うら寂しく
あまり人に気付かれない石柱があります。



熊谷直実・鉈捨藪(なたすてやぶ)跡。



熊谷直実とは・・・
平家物語で有名な
一の谷の戦いで、貴公子・平敦盛を打ち取った
元武将

我が子ほどの敦盛を殺めたこと
武士として、ながら
殺りくを繰り返す日々に
世の無常をつのらせ
仏門に入ったと言われています。

法然に初めて出会ったとき・・・
彼は、己の過ちの責任をとって
決死の覚悟をしていたそうです。

しかし
法然に、念仏を唱えることで、罪が報われ、極楽浄土に行けると諭され
感銘を受けた直実は、法然の弟子になりました。

彼は、非常に実直・激情家であったそうで
裏を返せば、融通が効かない?
法然の叱りを受けることも多々あったそうですが
それすら喜びであったと言います。

そんな彼の実直さを表すかのような
鉈捨藪のエピソード

大原勝林院で、かねてから対立姿勢にあった
旧来からの仏教勢力の高僧と、
新興派である法然が、仏教のあるべき姿について話し合う
「大原問答」が執り行われました。

そこで、対立派が法然を襲来するかもしれない、と
噂を聞いた直実は、袖のうちに鉈を持って
師の法然を守ろうとします。

勝林院に向かう途中
手前にかかる場所で、法然一行が休息をとった時
師に、鉈を隠しているところを見咎められました。

「それは仏門にある者のとるべき姿ではない」

法然にそう言われた直実は、近くの藪に
持っていた鉈を投げ捨てました。



彼のその後の人生もすさまじいもの

後年
京の都から、出自の地・埼玉県熊谷に帰るとき
お釈迦様のおられる西方浄土に背を向けては失礼にあたる、として
(日本の西から東方に向かうと、当然、西に背を向けることになります)
馬の鞍を反対に向けて、逆さ向きになって、馬を走らせて帰った
という、強烈な逸話が残ってます

 さらに詳しくはコチラ


さて
昨日、配達に行って、三千院前で写真を撮り
帰ってから、この鉈捨藪と熊谷直実について調べていたのですが

夜になって
久々に、人様のブログを拝見してましたら
驚くべき記事を発見 
                you_saiさんのブログ

簡単に説明しますと
京都七条の耳塚の前にある烏寺のお話。

お寺の由来についての説明書きがあり


旅の僧が、この地で休んでいると
カラスが木に止まって話をしていました。
それを聞いてみると・・・
「今日は、蓮生坊(熊谷直実)が極楽往生を遂げる日だそうな
 私たちも見に行ってみようか」
そういって、カラスは飛び立って行ったそうです。
その後、蓮生坊がその日の同時刻に亡くなっていたことを知り
何かただならぬ縁を感じた僧は
この地に、お寺を建立しました

とのこと。

ブログで拝見して、とても驚きました。
なかなかマニアックな直実ネタ

ブログにお邪魔するの、半月ぶりくらいだったのに・・・



時々こんな偶然てありますよね。

それから、もう一つ
偶然が・・・・

熊谷直実に関連して

私は、別件で、漫画「風雲児たち」で
最上徳内(江戸時代の探検家)のことを調べていましたら

徳内が、即興で幸若舞の敦盛を舞うシーンが
バ・バ~ンと出てきたではありませんか!

歌詞はどんなんか忘れたけど
「熊谷直実の~~」とか言って舞うシーンでした



ま、そんな偶然
取るに足らないことですが

ちょっとだけ、因縁めいたものを感じた妻!でした。



さて
今回、熊谷直実の鉈捨藪を取り上げた
そもそもの理由

熊谷氏

熊谷直実の子か孫の代で
安芸(今の広島西部)の地頭職を任じられて
本拠地を移します。

その後、戦国の世
西の大内・東の尼子に挟まれて
安芸国人の各勢力の、実力ひしめく時代・・・

安芸熊谷氏は
当初、安芸守護の武田氏に仕えており、
姻戚関係も結んでおりましたが

毛利元就の初陣となった
北広島・有田の戦いにおいて
熊谷氏の主将・熊谷元直は
武田の有力武将ともども討死してしまいます。

この「西の桶狭間」と言われた戦いの敗戦を契機に
武田氏の守護職としての権威も急速に弱まりました。

そんな中
毛利氏と熊谷氏は、対尼子姿勢を強化するために、同盟を結ぶこととなり・・・

熊谷元直の息子、信直の娘が
元就の息子・吉川元春に嫁ぐこととなりました。

信直の娘は、世に知られる不器量であって
その娘を嫁にしたいと申し出た元春に、
信直はとても感謝して、
息子ともども、すぐれた忠臣として
毛利・吉川に仕えたといいます。

吉川元春の居館跡
吉川元春の奥さんの墓所・岩国



というわけで

な~んと
鉈捨藪跡から・・・
私の大好きな吉川元春がつながってしまうという
大スペクタクル(ちょっと強引
で、結構感動したのでした~

ただ今ね
私のマイブームは、
昔の大河ドラマ「毛利元就」DVD借りてきて見ること

松重豊さんの吉川元春が超ハマリ役で
かっこいいんです
 

徹夜で見ているのですが

一つだけ腑に落ちないシーンがあります

それは・・・
毛利元就が、客人として招かれた先で
大好物の餅に毒を盛られて死にかける、というシーンなのですが

戦国の時代
いつ命を落とすかわからぬ、誰に狙われるか分からぬという状況で
元就ほどの策略家が
そうやすやすと相手の術中に陥るとは思えないのですが・・・

大好物、ということで、あまりに無防備な食べ方をしていたので
気になってしまいました
(ま、ドラマだから良いけど)

で、ここで、このシーンの引き合いに
先ほどの、「風雲児たち」の最上徳内が出てくるのですが

彼は、蝦夷地開発をめぐって対立していた松前藩に
常に命を狙われていて
出先で出てくる食事には、嘘かまことか?
すべて毒が盛られていたそうです。

(でもって、即座に雪隠に行って吐き戻し、難を逃れていたそうです、強烈

もっと詳しく最上徳内

トホホなお話ですが

そう考えると、元就の毒殺未遂シーンはやっぱりおかしい!
もうちょっと警戒しろよ~と
突っ込みを入れてしまう妻!なのでした

速報!三千院参道の紅葉。

2010-11-21 09:21:58 | 大原の風景
思わぬ快晴で
行楽日和

紅葉狩りの人たちで賑わっている
三千院周辺の参道です。



カメラマン一番人気の紅葉
青空とのコントラストが最高です

三千院と勝林院との間を流れる
律川から
三千院の石垣を一望できます。



この律川をはさんで
手前が三千院の石垣



奥が後鳥羽・順徳天皇陵の石垣です。



こちらから
勝林院に向かう風景が最高に美しい



私が大原に来て
一番感動した風景です



実光院の石垣構えも見事






かぜの結
「ネイティブフルートとギターの饗縁」
さとやまの秋に捧げる心の音with大原宝泉院

12月10日(金)19時開演



詳しくはこちら紹介ブログ



早めの滞在で
この素敵な風景を満喫してみませんか?

待ってま~す

岩村城登城口~一の門~土岐門まで。

2010-11-19 17:35:20 | 石垣のある風景(大原以外の!)
去る9月22日

岐阜県恵那市岩村町
岩村藩・藩主邸跡



岩村のシンボル・太鼓櫓と表御門

子どもの建っているところが大手筋になっていて
そこから真っ直ぐに岩村城に上がる道があります。

門の奥が、旧藩主邸の敷地・・・


(城下町を一望できます)

今は、岩村歴史資料館となっています。

関ヶ原合戦後の戦後処理
岩村城は廃城を免れたのですが

1601年に大給松平家の家乗が二万石で入封して
岩村藩が成立した後は

山上の生活は不便として
岩村城の北西山麓に藩主邸を構え
そこを居館としました。

(恵那市発行・資料館で購入したパンフレット参照)



歴史資料館の裏手には、民俗資料館とお稲荷さんがあります。

さて
歴史資料館・元藩主邸の敷地に車を置いて
そこから、岩村城への登城をしました。



今宵のお宿
岩村山荘

登城口にあります。



しばらく歩くと
すぐに、それらしくなってきました。



石畳と土壁・石垣



復元された下田歌子勉学所



下田歌子女史は、明治の人
実践女子大学の創始者です。

藩士の娘であったが、藩校の知新館は男子しか入門を許されなかったため
祖母から学問の手ほどきを受けたそうです。

宮中の女官となったが、ある時詠んだ歌が
「万葉時代の歌と遜色ない」と評価を受け
歌子の名を賜ったそうです。



さて
登城口・石畳の道を登っていきますと



ひたすら真っ直ぐ石畳
「藤坂の険」と呼ばれる個所です。

途中で、ぐっと左折する場所がありまして



戦になると、ここに初門が構えられ、
攻防の第一とされました。

初門の急カーブの後
再び、ひたすら真っ直ぐの石畳



よくもまあ、こんなに沢山石を運んだものだと思います。

真っ直ぐの石畳の先に
石垣が見えてきたと思ったら



ここが、一の門



ここから先が城内とされました。



ポイントごとにある看板は、イラスト入りでとても親切
往時の姿を想像しやすいです



一の門の先
次の土岐門まで、逆くの字に続く坂を
土岐坂と言います。

ここの石垣が
岩村城の中で一番古いらしく
中世末期のものと言われています。



この湾曲が時代を感じさせます



いったい
木が先に生えていたのものか?
後から生えてきたものか?




上から見たところ





この逆くの字の坂を上がると
土岐門跡に着きます。



門から、九十九折になって
追手門に続きます。


(一の門

(追手門方向)

土岐門の由来
初期の城主の遠山氏が、土岐氏に侵攻した際
その居城の城門を奪い、ここに移した、という伝承があるそうです。

現在も、唯一残存する城郭建造物として
岩村町飯羽間の徳祥寺に移築されています。



さて
土岐門の先は
わりと平坦な道



進行方向のちょっと先に
空堀があって
岩村城の見どころの一つである
畳橋の遺構が見えてきます。


~~~~~ つ づ く ~~~~~


12月10日イベント・インフォメーション!

2010-11-19 09:34:23 | 大原の風景
紅葉観光シーズンが一段落した12月10日
大原・宝泉院さんでコンサートがあります。




詳しくはこちら主催者・平井さんのブログ
(辻しば・若!のことも載せてもらってます



確かにムッチャ冷え込みそうですから
防寒対策は必須ですね

私も行きたいけど
某・大事な忘年会が~っ

若!&息子二人で行ってみたら
と声かけてみようかな

リズム音痴の長男ですが、リコーダーはなぜか得意!
周りにフルートの先生も二人いるし
人生どう変わるかもわかりませんしね~
(なんも変わらんかも

虹がかかりました

2010-11-17 17:36:50 | 若の日記
11月16日のこと。

夕暮れ前に虹がかかりました。

とてもきれいな虹の橋。






端から端までくっきりと見えました。

この時期の大原では、気温が下がると霧雨が降ります。

晴れているのに、雨が降る。

「狐の嫁入り」などとよく言われますが、


ここいらでの呼ばれ方は

大原名物「北山時雨(きたやましぐれ)」 チャーミングな表現だと思います

晴れているからといって、洗濯物を干しているとえらい目にあいます。



さて、

この虹の端のたもと。

なんと我が家ではありませんか。




「それがどうした!」

と言われればそれまでなのですが、

なんだかうれしかったですねぇ


辻しば漬本舗WEBSHOP

見守りウオーキング。

2010-11-16 11:47:42 | 大原の風景
子供たちの登校見守りを発端に
なんとか半月続けているウオーキング(半分自転車ですが・・・)

その中でも、一番のお気に入りのコースを紹介します。




手前が、高野川の木橋。
国道沿い・ガソリンスタンド大原ジョモの横から
階段があります。

そこから、寂光院の入り口
乙が森まで一直線

我が家から寂光院方面の近道でもあります



寂光院への入り口にある
乙が森



森、てほど鬱蒼とはしてませんが
おつう伝説を彷彿させる迫力があります。

薄暗くて、入るのをためらう雰囲気です



若狭の殿様に捨てられて、恨みながら川に身を投げた
おつうの化身として現れた
大蛇の体の一部が埋められていると言われています。

その乙が森から、高野川方面に一直線に伸びている農道を行くと・・・



収穫時期のすぐき畑



京都に来て一年目には
いったい何が植えてあるんだろう?

かぶら?大根?

なんて思っていましたが
これが、京野菜すぐき、だったんですね~



我が上野町と大長瀬町をのぞむ

比叡山のならびの山です。



農道をまっすぐ進むと
高野川の木橋



木橋の横には、整備されたばかりの
くぬぎの森があります。

まだ、ぴよぴよの赤ちゃんの森です



高野川沿い・くぬぎの森のもうちょっと先には、
おおはら里の駅があります。

とても良いお散歩コースです。

高野川の整備が進んでからは
川遊び・レジャーの家族連れの姿も見かけるようになりました。



ガソリンスタンドから、辻しばに帰る国道沿い
バス停の横の変わった桜です。



上は葉っぱで、下が花
で、この季節に咲いています

根元に、犬がオシッコかけたら枯れてしまって
枝を落とした後から、こんな風になったそうです。



今が見ごろです。

ちなみに、ここ大長瀬町バス停周辺には
パン屋さんが二件

老舗のモミの木さんと、新人さんのクルミのパン工房さん

朝から、とてもいい匂いがしています

岐阜・恵那の城。

2010-11-12 10:27:51 | 石垣のある風景(大原以外の!)
9月連休、岐阜旅行の続き。

JRパンフレットの写真に一目ぼれしまして
岐阜旅行の目的は、恵那の岩村城に即決!!!

日本三大山城のひとつ
剛健な石垣が多く残っているとのこと・・・

これは行くしかありません!


旅行二日目午後からたっぷりの登城計画で、
照準合わせて行動していたのですが
やっぱり欲張りがたたって、岐阜市内で思わぬ時間超過

お昼ごはんを食べたのが、もう2時前だったと思います。

天気予報も、午後から曇りのち雨、みたいな感じで
やっぱり雲行きが怪しくなってきました

ホームセンターで、傘4本買っての登城になりました。
(車なんだから、持っていけばいいのに・・・・

で、中央道恵那インターから20分ほどの所にある
岩村町

岩村藩城下町を横目に見ながら、山手に行くと
まず目に入るのが
立派な太鼓櫓です!


(最近再建された建物)

剛健な山城の「岩村城」は、江戸幕府以後は使われてなくて
山麓のこちら周辺で、藩政が行われていたようです。




江戸幕府・岩村藩は、三万石の小藩であったが
勉学に秀でた文教藩として知られていたようで
今、私が読んでいる、漫画「風雲児たち」ワイド版13巻にも
幕府の昌平坂学問所の塾長など務めた秀才として、佐藤一斎など
岩村藩出身者が出てきます

風雲児たち


こちらの建物が
1702年に開設された藩校「知新館」の正門(移築)



佐藤一斎をはじめ、多くの門人を輩出しました。



岩村藩では、知がものを言ったようで
武学が多少出来なくても、勉学を積んでいれば
武学修了と同等の地位が与えられたといいます。





知新館を創設した大給(おぎゅう)松平家の家紋:蔦(つた)

江戸幕府・太平の世をほうふつさせる岩村文教藩ですが
戦国時代は
武田信玄ならびに織田信長の勢力圏のはざまに位置し
天下の権力争いに翻弄された悲劇の地でもあります。
  

 
太鼓櫓・藩主邸からほど近い登城口
「女城主」というのが、なにやら意味深です。

森蘭丸が一時期拝領賜ったとも言われています。

ちょっと艶めいた雰囲気を残しつつ
続きは、次回投稿のおたのしみ~
                

9月岐阜旅行。

2010-11-09 14:36:07 | 妻!日記
9月お彼岸の祝日を利用して
岐阜に二泊三日の旅行に行ってきました。

祝日の前日が、学校の参観日の代休になってました。
(参観日~普通日~代休、という変わった休み方)

なので、普通日の学校が終わってから、出かけました。

そんなわけで、宿に着いたのは、20時過ぎ。
(素泊まりなんです・・・)

でも、宿は私たちにはもったいないような所で
朝起きると、最高の景色



長良川畔・金華山を目の前に臨む
岐阜グランドホテルでした~



朝はや~くに目が覚めたので
夜明け前から、岐阜城を眺めることが出来ました。

全くの素泊まりで、朝食も食べなかったので
代わりに?、岐阜ご当地の信長ポロシャツを買いました。

で、朝食はどこで食べようか、ウロウロ探してましたが
ホテルから岐阜公園に向かう手前の、懐かしい感じの喫茶店で
モーニング食べました。



「ブルドンネ」

たまたま入ったお店でしたが
ここがサイコ~なお店で

駐車場はあるし、店は広いし
何より個性的!!!



東海地方?ならではの
ドリンクを頼むと、自動的にトーストなどのモーニングセットが出てくる仕組み

接客もとても丁寧だし
朝からとても得をした気分でした
(旅行中の一食一食、大事ですもんね)

地元の人御用達、といった感じで
金華山に行ったときは、おすすめのお店です


道路向かいに、岐阜公園の大型駐車場があり、便利です。



駐車場から、岐阜公園を散策しながら・・・
歴史博物館に行きました。

ここが、思わずツボとなり

一時間くらいの滞在予定が
お昼前まで、たっぷり遊ばせてもらいました。



時代コスプレ?
平日だったので、とても丁寧に対応していただき

家族全員で変装を



4年の長男にも勧めてたんですが、
恥ずかしがって逃げられてしまいました



この博物館は、最近作られたばかりなのか、対応がとても丁寧
説明ボランティアさん?がたくさんおられて
子供には、いろんな話を聞かせてもらいました。

初対面の人と話すのは苦手なのですが
心を開いて会話したことは、なにより一番の思い出・勉強になりました。
(見るだけの知識は、すぐに忘れてしまいますもんね)

最近の旅行は、子連れのせいか
お声をかけてもらうことが多くて、とても充実しています

で、たっぷり遊んだあと
高速道路で恵那に移動


「道の駅 らっせい みさと」

手打ちそばが自慢の道の駅です。

子達は、いつも通り
天ざるを頼んだのですが、その天ぷらが特大!!!で
ビックリしました



季節の野菜がたっぷり!
この玉ねぎのかき揚げは、サイコーでした

昼食後
今回の岐阜旅行のメインイベント
お城めぐりに行きました。



さあ~て、どこのお城でしょうね~

続きは、次回投稿で!

猿騒動。

2010-11-01 20:19:42 | 妻!日記
現在進行形のお話。

近頃、クマが街に出て人を襲う、というニュースがよく流れますが
我が家も、ちょっと似たような感じで・・・
(熊じゃないですけど)

大原で猿が出ることは別に珍しいことではなく
我が家の百メートル近辺での出没は毎年見られていたのですが

昨年(おととしだったかな)
二階のベランダに、枝豆や野菜の苗を置いていたのを荒らされたのが
初の被害

それ以降は、こちらの警戒も実ってか
我が家で見かけることはなかったのですが
(あいかわらず、ご近所さんでは出没してたけど、あくまで他人事の話・・・)

今年
夏の初めに、侵入未遂事件発生!!!
二階の網戸を開けて入ろうとしたところ
がたっと外れてしまって、びっくりして逃げ出しました。

やばいやばい

近頃、お菓子の味を覚えた子ザルが、大原のそこらじゅうの家に侵入して
荒らしまわっているそうです。
(そいつは、農作物には興味がないらしい)

入られたら、お菓子の袋を開けて、散らかしほうだい
何もない場合は、やけくそに?荒らして行くらしい
最悪のサルです。

幸い、我が家は、侵入未遂事件の後は姿を現さず、被害なしだったのですが

ここに来て
よっぽど食べ物がなくなってきているのか
二、三日に一度くらいの周期で、我が家に来るようになったんです。

その
初日の日

たまたま、虫の居所の悪かった私・・・
突然出没したサルに、「ちょうど良かった」と言わんばかりに
威嚇をしてしまいました。
(歯をむき出して、シーッとやる位ですが)
(以前、農作物を荒らされた恨みもあるので、サルとは相性悪いんです)
(基本的には動物好きです、あしからず)



相手は、子ザルだったし
ビックリして逃げるだろうと思ったら
なんと!!!
サルも怒って
窓に向かって、ジャンピングアタックしてきました・・・

何回も・・・


思いっきり引いてしまった私
(そうや、サルと目を合わせたらあかんかったんや!)
冷や汗たら~、でしたが
サル、本気モードで、やばい・・・

私の横で、子達3人も騒ぐので
余計サルも興奮して
ジャンピングアタックを繰り返す
(子達も、私の真似して、シーッとかやるし

全く怖がる様子もないし、
子達の顔覚えて、外でちょっかい出されたら、カナンので
カーテン占めて落ち着くことにしました。

サル、うんち残して去る・・・

数日後
またもや現れ
私、たいして怒ってないのに
サル本気モードで、ジャンピングアタック
&睨み・・・

しまいに、オシッコとウンチして去る・・・

という感じで
困っています。

どう見ても、おちょくられてますね・・・・
(最初の自分の行動を反省

今日は、子達3人と窓際でファイティングモードに
(子達は、必死で窓のロックをしようとパニクってただけですが)

そのうち、ガラスも破られるんじゃないかと心配になってきました。



オモチャのエアガンが効くらしい
ねずみ花火でもよいのか?

石を投げるのは、逆効果らしいです。

動物虐待まではしたくないですけど
猿蟹合戦みたいに
「やられたあ~」ぎゃふんと言わせてやりたい
今日この頃です。
(基本、来ないでくれたら、それでいいのですが)
(糞尿垂れ流しは、攻撃の正当事由になりますよ~主婦的には

何か良い方法あれば、教えてくださいね~