京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

大宮御土居。

2009-02-28 21:46:13 | 太閤御土居めぐり。
今日も、子達をダマくらかして
御土居めぐりに行きました。



住宅地図をコピーして
北区の御土居を網羅することにしました。

この「御土居」
主に
普通の住宅街の中に残っており
(もしくは、御土居が消失した上に家が建っている)

あまりにも生活に馴染んでいるから?
そこに「御土居」という史跡があることにも
気付いてもらえてないようでした。


(後ろの分譲住宅?は、明らかに御土居跡の上ですよね)

ただの住宅街で
写真をパシャパシャと撮っている私は
挙動不審者
以外の何者にも見えないでしょうね。

とっても怪しい・・・



しかしね
地図で見ていると
御土居の名残がしっかりと残っているので
路地のひとつひとつが面白いんですよ。



主に一方通行になっている道を
西に東にと車を走らせて
ひとり、感動に浸っていた妻!なのでした。

(後ほど、詳しく投稿します)

北野の御土居。

2009-02-22 14:33:58 | 太閤御土居めぐり。
先日もお伝えしたとおり
新カテゴリー「太閤御土居めぐり」を追加しました。

その意図とは?

まず
「太閤」「御土居」というキーワードについて説明しますと

ここでいう御土居とは
天正19年(1591)
豊臣秀吉が京都改造の総仕上げとして築造した
御土居堀のこと。

北は鷹峰(しょうざんの建物の辺り)
東は鴨川
西は紙屋川
南は九条(京都駅の南)まで
総延長約22.5キロにおよぶ
土塁と堀が築かれました。

ほぼ中央に秀吉の聚楽第(お城)を置き
その周囲に築いた広大な堀

つまり
アジアや西洋のような都市城壁が
かつて京都にも存在していた
というわけです。



秀吉は
自らの築いた京の町を
御土居堀で囲い
その内側を「洛中」
外側を「洛外」とに分けました。

洛中と洛外の往来は
要所に設けた「口」と呼ばれる関所に限定し
外的からの防衛、洛中の治安維持をはかりました。
(資料:新創社・京都時代MAP安土桃山編より)



とまあ
私のちっちゃな頭でう~~んと想像するところ
太閤殿の居た昔には
京の都がぐる~っと御土居(土壁?)で囲まれていたと・・・

それは何とも
すごいことです。

現在の
東西南北、平らで、これといった障害もない
京の交通事情からしますと
それは
すごくうっとうしかったものかも?
いやいや、それとも、太閤様の守護を受けて
頼もしい限りのものだったか?
当時の住民事情は計り知れませんが

周囲22キロにもわたって
巨大な土塁
土のかたまりが、ずらーっと伸びていた姿を想像しますと
それはもう究極の
歴史ロマンの世界

残されたものが、あまりにも少なく
あまりにも地味で
人々に見向きされないものであるがゆえに
無限に広がる想像の世界

残された史跡の
その場所に立ち
自分の持ち得る最大限の想像力を駆使して
当時の姿を思い偲ぶ

手間もお金もかからず
しかし
脳の活性化には最適という
とても良い趣味を見つけました

すべての御土居史跡を網羅するまで
子達をだまし付き合わせて行きたいと思います
で釣るわけです)



というわけで
御土居シリーズの第一回目。

普段は拝観不可
梅の季節だけ限定で入場することのできる
北野天満宮横の御土居史跡に行ってきました。

一週間前の日曜日のことです。



この日は素晴らしい晴天で
梅苑を見に来た人でいっぱい



天神さんの駐車場・周囲のコインパークも満車で
駐車するのに苦労しました。
(西側・コインパークは比較的空いてるかも)

コインパーク600円(2時間ほど?)
梅苑(御土居の拝観とセットです)の入場料
大人600円 子供300円
これだけで1500円の出費
そこまでして
あくまで御土居目当てで来ているのは
きっと私だけだろうな・・・
(優越感か?)

しかも、帰りの機械精算の時
一万円札しかないことに気づいて
近所の傘屋で
次男と長女の傘を買って
お金をくずし
とっても高くついてしまった御土居拝観でした。

ですから
興味のない方(ほとんど?)には苦痛かも知れませんが
ちょっと大きな画像でアップしていきます。



実は
北野の御土居に来るのは
今年二回目。
前回は、手前でカメラがバッテリー切れになってしまい
残念ながら撮影できませんでした。
それに、梅苑公開前だったので
柵の外から眺めるだけでした。

今回は
梅苑の中を通り抜けて行き
西方向へ・・・

ちょっと高台に上がったところが
すでに御土居史跡の頂上部分となっており
柵がしてあるところ(前回・立ち入り禁止の部分)から
下の紙屋川に向かって
御土居の斜面を降りていきました。


(この竹の柵の手前延長部分が
 前回、通せんぼしてありました)

御土居
河原の土手、と表現した方が分かりやすいでしょうか。

たぶん
太古の昔は
この紙屋川と
東側の北野天満宮の敷地
ほぼ平らかであったと思われますが
太閤殿の命令で
御土居という大きな土手を作ったために

こうして、えっちらおっちら坂を上り下りして
移動しなければいけないわけです。
良い意味では
この土手が出来たおかげで
北野天満宮は
紙屋川の氾濫・水害を心配しなくてもすむようになりました。

そう考えると
いかに、この御土居史跡が重要
すごいものであるか、分かっていただけるでしょうか。


(紙屋川東側から)

画像にある、ささやかな流れの川が
紙屋川
氾濫を気にするほどの規模であったかは分かりませんが
お堀の役割を果たす程度の水量はあったのかな?

川の流れをはさんで
左側が洛外
右側が洛中
この何でもなさそうな地味な土手が
かの太閤殿の御土居史跡でございます。



御土居であらせらるる~


(紙屋川西側から①)

赤い橋も
往時を再現したもののようでした。
観光の良きアクセントになってます。
春は梅、秋は紅葉の名所です。

洛外からの御土居連続写真
①②③(左から右)です。


(紙屋川西側から②)

川沿いの柵と
御土居の竹の柵の位置を
比較して頂くと
御土居の大きさを実感していただけるでしょうか。


(紙屋川西側から③)

画像中央上の
赤い柵のある舞台のようなものは
御土居の上から、全体を眺める展望台になってます。
(ここは、通年拝観できます)



急に画像が小さくなって何ですが
樹齢400年以上のカエデ?です。
御土居の周りでは
木々の伐採も制限されていたようで
このような大木も残っています。



北野の御土居には梅が植えられ
市民も梅を楽しんでいたそうです。
今も昔もの風景ですね。



上から見たところ



白・赤・ピンク
複雑に色が競い合っていて
賑やかな御土居史跡でした。


新カテゴリー登場!

2009-02-17 09:25:23 | 太閤御土居めぐり。
久々にカテゴリー追加しました。
名付けて「太閤御土居めぐり」



名前の通り
その昔
太閤さんの作った御土居を
めぐりめぐっていこうと思います。

久々に
心奪われるテーマが出来ました。

御土居は
ほんの数十年前までは
ほとんど史跡的価値を見出されてこなかった為
むき出し
無料で拝観することができます。



上の御土居は
高くついたな~

てことで
詳しいことは
次の投稿でお伝えしたいと思います。