京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

しば漬けぺペロンチーノを作りました。

2010-04-28 18:31:12 | 若の日記
昨日の大原は大変な強風と雨でした。

畑のハウスやらなんやら、激しく吹き飛ばされそうでした。

そんな状況で、午後からはお客様もほとんど来られるわけがなく、思い立ったが趣味の時間。新しくなった厨房で、スパゲティを作ることにしました。

以前ブログでも紹介したしば漬け入りぺペロンチーノ。

わざわざ向かいのファミマで雨の中、白ワインを買い求め、ちょっと残っていたオリーブオイル、これまたかけらが残っていたにんにく、しおれかけていた茄子に、朝食の残りのハムで、さあ料理開始。

なんということでしょう。

得意のビギナーズラックです。



湯で加減が最高。ちょっと辛めだけど、ぺペロンチーノです。

しば漬けの酸味がちゃんと効いてます。そこらのレトルト物には負けません。

疑心暗鬼で見ていた家内と娘がぺろりと食べてくれました。

夏のバーベキューでやりたい。また作ろうっと。

辻しば漬本舗



広島わがまま旅行の続き その4。

2010-04-26 14:12:44 | 中国・四国地方の石垣。
旅行が終わって、一ヶ月以上が経過してしまいました

記憶もおぼろになってきましたが
旅行記完結まで、あとわずか・・・
頑張って書きたいと思います



3月23日
広島県北広島町
芸北高原に宿泊

翌日24日
希望もむなしく、朝起きても、雨は続いていました

(折り畳み傘・レインコート完備です)

晴天なら
だだ広い芝生広場で走り回ったり出来る
子達の喜ぶ場所だったんですけどね~



母!のワガママ
いつもの石垣めぐりがバレバレじゃないか・・・
今回の旅行の最大の目的地へと向かうことになりました。

宿泊地からは、交通環境もよく
30分もかからない場所でした

目的地は
広島県山県郡北広島町海応寺
中国自動車道千代田インターもしくは浜田自動車道大朝インターから
車で15分ほどのところです。

といったら
歴史好きの人には分かるかな?

広島の戦国武将といえば
言わずもがな
毛利元就公ですが・・・

三本の矢の話で有名な三人の息子のうちの一人
次男・吉川元春の本拠地が
ここ北広島町だったのでした。

じゃ~ん!!



と、いきなり大きな石垣

お城?と錯覚してしまうほど大きな石垣ですが

こちらは、
吉川元春が長男元長に家督を譲った後に
1583年ごろ、隠居所として建てた居館跡です。
(この石垣は、その入り口)

*隠居の遠因?

備中高松城の戦い・・・1582年、羽柴秀吉の中国征伐で攻撃された高松城(岡山県)
           その救援に向かった毛利勢(元春・輝元・隆景ら)
           秀吉の水攻めによって膠着状態が続いたのは有名ですね。
そんな戦いの最中、秀吉に加勢するために京を出ようとしていた織田信長が、
明智光秀の謀反により、暗殺される。(本能寺の変)
そのことを知った羽柴秀吉は、毛利側にはこれを隠して・・・
毛利氏の外交僧・安国寺恵瓊を通じて毛利家と和睦、京へと引き返し
明智光秀を討ちとる。

和睦の後、事実を知った元春らは「秀吉に騙された!」と憤慨
元春は追撃して敵軍を壊滅することを主張したが、隆景に止められたらしい・・・

以来、秀吉アレルギー?となったのか
秀吉に仕えることを嫌った元春は、隠居の道を選んだらしい・・・です。

(ウィキペディア参照)
真偽はともかく、時代背景をつかみやすい話の流れです



さて
毛利元就関連の史跡は、あまり残っておらず
規模の大きさなどピンときませんが

こちらは
お城は別の場所、すぐ向かいの山にあるにもかかわらず
あくまで隠居所として、この規模です。

いかに権力が絶大であったかが分かります。
(由緒・歴史的には、本家の毛利家よりも格上だった吉川家)

とはいえ、元春が実際に居所として生活することはなく
建設半ばで病没しています。

実際に住んだのは、元春の三男の広家。
家督は長男・元長に譲られたのだが、彼もまた夭逝し、
(次男の元氏は、仁保氏の養子に入っていた)
広家が家を継ぐこととなりました。

1591年に豊臣秀吉の命で出雲富田城に転封されるまで
広家夫妻の居所として機能しました。

(北広島町教育委員会発行・吉川氏城館跡ガイドブックを参照)

ちなみに、広家が出雲へ転封された後は
この居館は、まったくの廃墟と化し
自然と朽ちていくに任せていたようです。

だから、人為的に破壊されることなく
これほどに昔のまま残された、というわけだそうです。

江戸以降、現在に至るまで
江戸への一極集中が進み
山中のこの地が再び脚光を浴びることはなく・・・

今に至って
歴史史跡として、新たによみがえったというわけです。


こちらでは、居館跡を見学することができ
ここで発掘されたものは
隣の「戦国の庭 歴史館」に展示されています。

*次の投稿で詳しく説明しますが
 こちらは、石垣王国ですよ~
 一度の滞在では、全部見れません~



てことで
(いえいえ、実際は、着いてすぐ、歴史館のほうを見学したのですが
歴史館に入ると・・・

じゃ~ん!!


(歴史館の入り口にど~んと立っている、さすがにレプリカでしょう

3メートルほどはあるでしょうか
赤の十三馬簾(ばれん)が目立つ
『婆々羅の馬印』

吉川元春の三男
吉川広家が
名将・加藤清正から譲られたもの
(ちなみに、広家と清正は一才違い、広家のほうが上ではあるが・・・)

馬印とは
戦場で大将の位置を知らせるために
のそばに立てられた目印
味方の戦意を高揚するために掲げられます。

ですけど

なんで、また加藤清正から?
(あまり接点がなさそうじゃないですか
 尾張・京住まいの人と、中国地方の人)
で、もって、なんでこんなにデッカイわけ?

と率直な疑問が芽生えたのですが

ここにも、れっきとしたドラマがあったようです。


(豊臣政権下での朝鮮出兵において・・・)

敵国・明と朝鮮に、「日本で一番強い奴」と恐れられていた加藤清正
慶長の役では、順調に出兵をすすめ、新たに蔚山倭城を築いていたところ
明・朝鮮の大軍に急襲された・・・
*蔚山(ウルサン)城の戦い

わずかな軍備で応戦した清正
援軍の来るのを待ったが、なかなか来ない・・・

あかんわ、もう、これまでか・・・
と死をも覚悟した頃
毛利秀元らの援軍、総勢2万の兵が現れた!
(秀元は、毛利元就の4男の子、本家の毛利輝元や吉川広家のいとこであり
 慶長の役では病気の輝元に代わって毛利軍3万を率いて右軍の総大将となった)

とはいえ、まだまだ予断を許さない状況
双方にらみ合いが続いていたが・・・

毛利秀元の軍勢から
二引両の馬印を掲げた一軍が、反撃に転じた!

見事な勢いに、あとの軍も続き、一気に形勢逆転 

明・朝鮮軍を敗走させた

戦いの後
先陣を切った大将が吉川広家と分かると
清正は彼を招いて礼を言い、勇猛果敢ぶりを褒め称えたという。
そして「あなたの二引両の馬印は、小さくて目立たないから、大きいものに変えた方がいい」とアドバイス?をしたそうで・・・

「だったら、貴方の馬簾の馬印を賜りたい」と願い出た広家
清正も、喜んで使用を許し、・・・
清正が銀の九本馬簾にしていたところ、
広家は、赤の十三馬簾(婆々羅)にして使用した
馬印いろいろ

というわけで
超ド派手な馬印が誕生したようです

悪評高い?関ヶ原出陣においても
この馬印をはためかせていたそうです。

(内通していた東軍・徳川家康に向けて、
 「戦わないよ~」と大きくアピールしたのでしょうか
エピソード「宰相殿の空弁当



何はともあれ
今まで「知略の武将」のイメージだった吉川広家公でしたが
この馬印の逸話は、
父・元春公譲りの猛将ぶりと義理深さを印象付けるエピソードなのでした。



(史実かどうかは、もうちょっと調べてみないといけませんが
 清正公から贈られたことは確かなようで
 元春公が再建した龍山八幡神社という由緒ある神社の宝物になっています)






黒山椒 販売中です。

2010-04-25 13:24:18 | 若の日記
このたび店舗内の水回り改装いたしまして、厨房設備が整いました。

おかげ様で、作業が快適で清潔です。



自家製実山椒を製造いたしました。



山椒は六甲の麓は摂津東播地方で毎年いただけるもの。

実は弟の嫁ぎ先で、代々続く農家さんです。

おじいちゃんを中心に、広い敷地の豊富な草木、野菜類を日々丁寧に、愛情を込めて管理されています。

専業農家の長年の勘と経験が生かされた農地から頂いた貴重な山椒を使わせていただいています。

味付けは大原の母方直伝の田舎の味に、私の好みを少々付け加えて、甘みのある佃煮に仕上げています。

酒、醤油、砂糖でしっかりと炊き込んでいるので、表面がテカテカと黒光り。

黒実山椒

ご飯との相性ぴったりです。



辻しば漬本舗WEBSHOPにて紹介中



静岡伊勢丹、催事終了

2010-04-24 10:06:12 | 若の日記
先日まで、出張しておりました静岡伊勢丹大京都展。
大盛況にて終えることができました。
ご来店いただいた皆様、本当にありがとうございました。

静岡、私が催事出張を始めた初年度からお世話になっております。
かれこれもう10年目です。
多くの方にご指導、ご鞭撻を頂き感謝しております。

駿府城近くを歩いてみました。

徳川家のお城。天守閣は残ってなく、櫓や外門も最近、再建築されたそうです。

堀の中はとても広い公園で、黄昏どきに散歩しました。







申し訳ない・・・

2010-04-23 23:07:42 | 妻!日記
小ぜわしくて、更新の進まない毎日

今日は、その忙しさの峠というのか
慣れない会議の長をすることになり
また、朝からバレーの練習があるので、てんやわんや

先ほど帰宅して
やっと一息

ネット注文でもしようかな、と財布を探した時

いつもの鞄に財布がないことに気がつきました・・・


まじでヤバイ

会議をした学校に忘れてきたのかも
それとも、暗い夜道に落としたのか・・・

念のため、車を探したが、やっぱり見つからない

家の中にもない

バレーの練習から帰ってきたときには
確かにあったのに・・・

家・・・学校・・・家
の間で無くしたと思われます。

ブルーでした。
とっても

明日の朝、学校に行くまで、眠れるだろうか・・・

いい加減、あきらめかけて
たいがい、もういいや、とあきらめ

もう一度、玄関を捜索してみると・・・

なんと
見つかりました・・・

なんてこと!

どこにあったと思いますか?

なぜか
長女・幼稚園の通園カバンの中に


ああ、そうか・・・

バレーのエナメルバックから
いつものカバンに財布を入れ替えようとして

間違えて、幼稚園のカバンに入れてしまった・・・

てことですね。

なんてことはない
老化現象
なのでした

快晴の昨日。

2010-04-20 10:03:43 | 大原の風景
今日は雨

昨日から
「明日は雨」という予報でしたので
梨の花が散ってしまう前に、撮影に出かけました。



いつもの梨の開花

辻しば倉庫の裏です
本当は、花が開ききる前が最高なんですけどね~

それでも、やっぱり青空とのコントラストが綺麗です



青空に向かって、伸びようとしている姿が
たくましく感じられます



右上
なんか汚いもの?が写ってる、と思ったら
鳥の巣かな?



背景に写ってるのは
うちの従業員さんたち

紫蘇の苗床の草引きをしてもらってます。

ピーチクパーチク賑やか
キャッキャ、と
可愛らしい声が響いてきます。
(平均年齢は、ん十歳ですけどね



こちらは、ビニールハウスの苗床です。
やはり、路地植えより成長が早いです。



まだ、葉にしわが寄ってませんが
ちりめん紫蘇の苗です。

ちりめんシワが出てくるのは
高さ40センチを越えてからでしょうか。

試しに測ってみたいと思います。



こちらは、2年位前にもらった紅葉の苗

あまり大きくしたくないので
枝を切り落としてるのですが
こんな切り方で良いのか、ちょっと心配



可愛らしい新芽

いずれは、お店のほうに持ってこれたらなあと思います。
紅葉の季節の移り変わりを、もっと身近に感じたいです。

模様替え!

2010-04-16 10:17:12 | 妻!日記
どこが変わったか、お分かりいただけます?



先日からの、山菜タペストリーと水仙の花

それに加え
先週から登場したのが・・・



5月の節句
兜飾りです。

いずれは、二十四節気すべて揃えたいなあと思っているのですが
今はそうも行かず

雛人形→かぶと飾り
ちょっと段飛ばしの衣替えです



信楽焼の兜

自慢の一品です

実は・・・
窯元・アウトレットでゲットした一品

難があるとしたら
12月で、少しホコリにまみれて展示してあったから?

それだったらノープロブレム
買って帰って
掃除機・粘着テープでコロコロしたら
問題解決しましたよ

5月半ばまでのお飾り

それが終わったら
夏~~~!てことで
秘蔵品?を展示しますので、お楽しみに

広島旅行の続きを書く前に・・・

2010-04-15 10:00:24 | 妻!日記
年度初めの行事が続き
なかなか投稿アップの出来ない妻!です。

そうそう

今日から、静岡伊勢丹にて
若!が出張販売いたします。

「大京都展」
4月15日(木)~20日(火)〈最終日4時終了〉
静岡伊勢丹8階=大催事場プロモーションスペース

静岡の皆様には、いつもお世話になっております。
お近くにお越しの際は、是非お立ち寄りくださいませ。
よろしくお願いします

さて

今回のチラシ掲載商品は
しそかぶらです

葉っぱ巻き巻きが大変ですが
毎日の仕込みで新鮮なものをお届けしたく
従業員一同頑張っています

そして
影の目玉商品があります
(なんと、まだ当店・ネット販売も行っていない商品です

新商品・本邦初登場の
「黒山椒」です

企画・開発も、ついこの間で・・・
バタバタ
最初の一口で「これは当たるワ」と思って
商品化決定です

山椒は、知り合いの所で手もぎしたもの

いつも、こちらの産地から
米・野菜などなど頂くのですが
よっぽど土地が肥沃なのか
どれを取っても美味しいんです

そんなところで採れた山椒ですから
これまた美味しい

しっかり熟成しているので、粒も大きくて、香りが強いです。

工場で作業していても
よそ産か、こちら産か、すぐ分かるほどです

今の心配は
売れすぎて、一年間在庫が持つかどうか・・・

なんですが、
どういう結果になるでしょうか
〈大バクチです)

準備が間に合わないためか
若!が忘れているためか
とにかく、ネット販売・店頭よりも
デパート催事販売が先行してしまいました。

すみません

でも
正直、「ど~して、ネットで売ってくれないのか」
みたいなお怒りの声を頂戴したいところです

ただいま
超気合の入った表張りシールを企画中
完全な商品化は、もう少し先の予定です。

本当に気合が入っていますので
もう少々お待ちくださいませ

木好きにはたまらない? 広島わがまま旅行 その3

2010-04-13 09:46:23 | 妻!日記
春休みの広島旅行のつづき。
(相変わらず、投稿が遅すぎ

安芸太田町
加計で食料買出しのあと

アーチ式ダム
日本第2位の温井ダムにて社会見学

その後
芸北・大暮地区の
山県製鉄所・大暮工場跡地にて
素晴らしい石垣を見学しました。
(活字にすると、なんとお堅い旅行をしているのだろう

長雨にさらされた後は
芸北温泉に行って、のんびり~

子達も、ジェラートなど食べて
ようやくリゾートらしくなってきた・・・

夕刻
予定通り、チェックインの時刻
16時きっかりに
宿泊地「リゾートインふーすけ」に到着



まわりは田園風景
近隣にスキー場が点在する
(一応)高原リゾート

こちらはペンションですが
チェックインだけ済ませてから
コテージに移動

 車で5分というが、結構遠く感じる

来た道
国道を右折してから
人気の少ない道

目印は川というが
ログハウスがいくつも見えてきて
すぐに分かった



広島の田舎だが
それなりに、なんだかお洒落なリゾート地かも
(ちなみに、広島の田舎では、石州瓦の朱色の屋根がトレードマーク)



今宵の宿泊地

一棟貸切で25000円とはお安い
いろんな意味で
今までで泊まった中で、一番グレードが高かったです



(エントランス部分)

寒冷地だけあって、玄関は二重扉
掃除機や洗濯機まであって
一晩で終わらすのはもったいない感じでした。


(リビングは吹き抜けになっていて、ロフトに布団がしいてあった)




(ストーブは3台、空気清浄機つき)

なぜか、子達は自主勉強を始めました。



システムキッチン・食器棚・でっかい冷蔵庫付き

なんと商売っ気のないコテージなんでしょう
たぶん、オーナーさんは、自分が住んでも気持ち良い様に
清潔に手入れなさっているのでしょう。

キッチン引き出しには
新聞紙・三角コーナー用ネットなど
装備が充実していて、やるな~て感じでしたよ。



外は
でっかい屋根つきのテラスで
バーベキューが出来るようです。



横は、すぐ川
北海道のような川で
(分かります?)
リゾート気分を際立たせてくれました。

とても良いコテージでした。
旅行じゃなくても、また泊まりに行きたいなあと思います。

島根県境
浜田・有福温泉・石見銀山など
足を伸ばせば、いろいろ行けるでしょう。

こちらのお出での際は
ぜひぜひチェックしてみてくださいね~ 
 リゾートインふーすけ

外国人観光客ご来店

2010-04-11 18:16:18 | 若の日記
本日、外国人のお客様がご来店されました。

マジかよ~。めっちゃ緊張です。といっても、1組なんですけど。

海外からの旅行者が増加しているとはいえ、漬物店を訪れることは、ましてや当店のような小さなお店はまだまだ、稀のまれ。限りなく可能性の低い出来事です。

さて

ほとんど日本語ができないご様子。もちろん私も日本語オンリー。



すぐきを持って、じろじろ。



「すぐき」ですよ。日本語でも難しいのに、説明できるわけがない。

それでもチャレンジしていると、「たけのこ」を探していらっしゃることが分かり、たけのこのお漬物をオススメ。



その気になって、試食を全部食べていただくと、なんと「生しば漬」をお買上げくださいました。



他に、紫蘇かぶらと胡瓜のしば漬けも。
しば漬けについては、ソイソースやらゴマやら、キューカンバーとか、なけなしの英単語を連発。

発酵って英語でどういうんだ。しば漬けは外国にないだろう?
あれっ、ひょっとして、お土産だろうか?紫蘇かぶらは浅漬けです。
賞味期限ってどういうんだ?要冷蔵?クールでは伝わらない。当たり前か!

表示シールを指差して、笑顔と目線で訴えると、うなづいてくれました。

トュモローモーニングっておっしゃっていたので、明日の朝、自分達で食べはるみたいだから安心。

ニューヨークからのお客様でした。門前周辺のお宿に泊まっているんでしょう。

英会話。大学のときに、一人でアメリカ旅行などしてたり、受験の勢いで英検2級も受かったけど、まったく出てきませんでした。
今はほとんど日常に必要ないけど、英会話を習ってみたいと思いましたね。
また、簡単な英語のマニュアルなんかも用意しようかなっと思いました。

そう、新教育要綱では小学校5年生から英語が必修となるようです。
京都大原学院では、小中一貫の特性を生かして、小学校1年生から英語授業を始めています。外国人の教師が小学校にいるだけでも心強いですね。
大原もだんだんとうまく国際化していけばいいなって思います。

桜、まだまだ見ごろです。

大原も花盛りです。

2010-04-08 15:40:31 | 妻!日記


人様の畑
あまりに綺麗で撮らせていただきました。





菜の花がきれい

そして
菜の花をアップで撮り続けている理由



こいつは
ミツバチなのか?
ハナアブなのか?



ハナアブなら、羽は左右一枚ずつしかないはず
後ろ羽は、進化して平均根という突起物になっています。

後ろ羽があるような、ないような







見れば見るほど、分からなくなってきました。
一体どっちでしょう。

気になるので、次は捕獲してみようと思います。

でも
捕まえて、羽の数を調べようとしたら
刺されるでしょうか?


(追伸)

前出のアップ写真
よく見たら
上のほうの羽(虫の左手)
2枚でしょうか。
(小さい羽ですよね)

てことは
ミツバチ?
(やっぱり掴まなくて良かった

昨日、一匹アミで捕まえて
じーっと観察してたんですが
アミが邪魔になったのと、よく動くもんで
分かりませんでした。

大原のどこかでは
ミツバチ飼ってるところもあるらしいし
(都市部で大群を作ってるところも増えてるらしいですよ
そいつが飛んできてるんでしょうか。

それにしても
ますますハナアブを捕まえてみたくなった私です

広島わがまま旅行・その2。

2010-04-04 17:19:49 | 中国・四国地方の石垣。
3月23日の旅行の続き。

安芸太田町の温井ダムを見学した後
私達は、国道186号線を島根県方面に北上

島根県境の北広島町
芸北に到着しました。


(自然豊かな大暮川)

ここは、芸北の、さらなる山の中
王泊ダムすぎて、細見交差点を右折
少し行った先の集落で
大暮川沿いに北上していきました。


天然のユキヤナギが満開
河川改修のされてない証拠です。



ふきのとうもアチコチに咲いています。

私もばあばも懐かしさ珍しさに大喜びしましたが
この辺では、当たり前の風景らしい

本当にアチコチ咲いていました。



この辺は
おそらく集落の人と毛無山の登山客くらいしか来ません。

親子連れはかなり珍しいと思いますが・・・

この雨の中
何を見に来たかと言うと・・・



あの赤い煙突が目印


素敵な石垣群



城跡みたいですが
城跡ではありません



では、何かと言うと・・・



【山県製鉄所 大暮工場跡】

明治33年 
政府によって山県郡の「たたら」の歴史に終わりを告げ、
各所に残された鉄縡(大鍛冶屋の「かじやとくそ」)の山は
雨風にさらされていたが、
これを利用して再生産する製鉄会社の設立を見ることになった。

明治34年
島根の長瀬多五郎によってこの地に設置された鎔鉱炉は、
山県製鉄所と称し、後に野島国次郎の経営となり
水車を利用した送風機を取り付けて
大正14年まで操業を行った。

製鉄所の操業時には「かじやとくそ」や「木炭」の収集と運搬に
多くの村民が従事し、
製品の一部からは農具や民具などの生活用品を作った。

(現地の案内板より)

*ちなみに、「くそ」とは、たたら製鉄の際に生じる
(不純物の混じった?)鉄の塊のことらしいです





現在は
県庁所在地・行政の中心からは遠く離れ
北端に位置する北広島町・大暮地区ですが
古くは
和鋼を生産する「たたら製鉄」が盛んであったようです。

中国地方全般、砂鉄が豊富に取れ
大暮の程近くには、石見銀山があります。

各地の領主が利権を争う・・・
大暮も、そんな土地だったのかもしれません。

石見銀山の覇者
尼子氏・毛利氏も、あと一歩のところで上洛の道が閉ざされました。
世が世なら
この地域も、首都圏
東京23区みたいになっていたかもしれませんね。
(かなりの極論ですが



長雨にさらされて体の冷えた私達は
芸北温泉へ・・・

せっかくの芝生広場・遊具があっても
この雨じゃあね

温泉は、なかなか高温で暖まりました。

その後は
いよいよ、宿泊地
コテージに向かいました


~~~ つづく ~~~

広島わがまま旅行 その1。

2010-04-03 22:43:36 | 妻!日記
2週間前の
実家帰省時の旅行の話。

久しぶりに若!(主人)が実家について来てくれたので
今まで母子連れでは行けなかった場所に行くことにしました。

で、せっかく行くのだから
おばば(母親)も連れて、泊まりがてら行こうかなと考えました。

とりあえず
若!の休暇を3泊(4泊でもいいと言ってもらえた)頂いたので
すぐさま、楽天トラベルで宿を検索し

県北のスキー場近くの
コテージに泊まることにしました。

北広島町芸北
県内有数のスキースポットです。

旅行のちょっと前、まさかの寒波到来で
広島地方に雪が降り
たらーり冷や汗を流しましたが
なんとかOK(というか、雨なんですけど

今回の旅のテーマは
ずばり、ふるさと懐古でした。

ネットで検索したら
すぐさま情報は手に入るんですけど
耳年増になるばかりで、かえってもどかしかったんですよね

この年になると
中学時代まで過ごした田舎が無性に懐かしくなり

さらに一際執着があるのが
食べ物

昔食べたアレをもう一度食べたい
どんな味だったっけ?
似たようなものを買ってきては
あ~でもない、こ~でもない
もっと甘かったやら、なんとか
やっぱり、アレが一番だったな、もう一度食べたい
などと思うわけです。
夢に何度出てきたことか
妙にリアルで、商店街の中の場所も分かってるのに
たどり着けない・・・そんな夢を見ます。



そんな切ない思いを断ち切るためにも
若!に頼んで、連れてってもらうことにしました

思い出の場所は
安芸太田町
もっといえば旧・加計町

私が、中学まで過ごした土地です。

楽しい思い出いっぱいで
でも、幼いがゆえに決まりの中でのみ生きてきた窮屈な所でもあり
でも、悩みらしい悩みもなくて
まだ勉強もまじめにしてたから、挫折を知らない
やっぱり良いところでした。

今思えば、何が一番良かったかって
「田舎だから、ものが入りにくい」
強烈な都会への憧れ・田舎もんのコンプレックス
テレビや雑誌で仕入れた情報から膨らむ想像・・・
そういう意味で、田舎者は向上心が強いと思いますし
どうにかして手に入れようと、あれこれと模索していました。

たとえば、当時流行ってたスーパーマリオのカセットを買ってもらったり
(田舎のおもちゃ屋の店頭にはたぶん並ばない)
マクドのポテト
DCブランド(服は手に入らないから、せいぜいハンカチ)
などなど

買ってもらった時の、天にも上るほどの喜び
忘れられません。

今の時代は、なんでも手に入るから
今の子供たちは、こんな気持ちになることはあるのだろうか・・・
そう思うと、可哀そうかな、と思います。

我慢をして、窮屈な思いもするからこそ
願いがかなった時の喜びが何倍にもなるんですよね。

そんな思いをたくさんしてきたのが
この場所でした。



(わがまま旅行一日目)
朝は9時に実家を出発して
広島東インターから、山陽道・中国道経由で
30分ほどで加計スマートインターに到着

こんなに早く着くなんて
時代の進化
21世紀の到来を実感しました。

(スマートインターの無い頃は、隣町のインターを経由していました)

懐かしの町のスーパーで
コテージ泊の晩御飯の食材を買って行きました。

スーパーの基本的間取りは変わってなくて
懐かしかったです

悪ガキ気取りで友達と行ったゲームセンターで
若!と子達が遊んでました

その後
たぶん安芸太田町で一番有名なお店
タイ焼のよしおで
タイ焼とたこ焼きを大人買いし

たこ焼きとは、こういう味であるべし
というのを確認しました。

(タイ焼はネットで買えますが、たこ焼きは現地買いのみです)

この界隈のお店
全部そうなんですが

幼少時に味わった食べ物が、味覚の基礎になってるんですよね。

タイ焼は、ここのタイ焼の味
たこ焼きも、ここのたこ焼きの味

ソフトクリームはあまり買ってもらえなかったけど
すごく美味しかったのを覚えてます。

そして
この町に来て
一番行きたかったのが
福間 パンやさんです。

保育所・小中
給食のパンにもなっていたので
保育所時代から馴染んだ味
(脱脂粉乳ミルクとアンパン・サンライズなど)

ここのパン屋が
何度も何度も夢に出てきて
そのたびに、「食べれない!」ところで夢が終わってしまう・・・

こちらは、ネット販売・ホームページもなかったですし
情報何もなし・・・

どうしても現地に足を運びたい!と思ったお店だったのです。

かなり雨脚がきつくなってきて
いちいちお店に立ち寄るのも億劫になってきたところでしたが

路駐して
私だけがお店に行く段取りでお店に向かいました。

しかし

お店屋さんは、店舗を改装されていて
入り口は普通の民家に・・・

てことは、すでに引退された、ということか・・・

上には、確かに「福間」の看板が残り
あ~、そうなのか

15年前は営業されてたけど

時の流れを強烈に感じたのでした。

懐かしい土地と
反面
お腹すいた~と騒ぐ子達と
その騒音に、過去を回顧するゆとりもない自分

いや~年をとったな~と思います。

同級生に会っても、わかるかな
気づいてもらえるだろうか

高校の同級生の記憶は乏しくなってきてますけど
こちらの旧友は、まだフルネームで思い出せます・・・

みんな年をとってるんだヨネ・・・



中学校も建て替え
えらい立派な建物になり、後輩たちが歩いていました。
(あの子達の先輩なんだヨネ~)

玉手箱をひっくり返したような気分でしたが

さらに追い打ちをかけたのは
こちらでした。



結構な雨の中
社会見学に出かけた私たち
        


アーチ式ダムでは
日本第二位の規模を誇る
温井ダムです。



住んでた近くに建設事務所があり
小学校では、なんどかダムの説明を受け
「あなたたちが大人になる頃に完成します」と言われ
本当に出来るのか、半信半疑だった
温井ダム

当時の説明では
日本で9番目とか言われてて・・・(すべてのダムの中でかな?)
17歳くらいで出来ると言われて
でも、計画が遅れたのかな
私が20歳ごろ完成しました。

心の中では
「やっぱり、そんな夢みたいなダム、出来るわけがないや」と思っていて

だけど、完成したんだ、と思うと、感慨ひとしおです。
 


それにしても、雨がすごい

人もいない

結局、私たち以外の人は
警備員さん含め、5人以下しか見なかったぞ・・・

もったいないといえば、もったいないが
暖房完備・とてもきれいな建物のダム資料館を見学し
ダムの成り立ちなどを勉強しました。
(というか、雨のせいで、せっかくの遊具で遊べず、超ヒマだったんです)



温井ダムは、多目的ダムとして造られ
最大の目的は、貯水
広島市内をはじめ、瀬戸内海の島嶼部にまで給水しています。

そして、特に建設のきっかけとなったのが
このダム流域の豪雨水害でした。

私も、何度も経験しました。

ダムを作って、治水能力を向上することが強く望まれたのでした。



資料館前のエレベーターで
ダムの地下部分に降りれるようになってました。



そのうち
都市伝説・怪談でも生まれそうな場所



長女は、心細くなって、若!に抱っこです。



ダム資料館が右端
 
地下に降りて、地図の左下まで移動します。



ダムのアーチは
削った山の、堅い地盤に支えられているらしいです。

資料館では、掘削事業についてビデオを見ました。

工事では、
綿密に計算された計画の遂行
ひたすら地味な作業の積み重ねだったそうです。

近所にあった工事事務所は
幼い私たちの目には、牧歌的でのんびりしたイメージに写りましたが
壮大な計画がなされていたのですね。



とにかくデカイ






下流部は、懐かしい滝山川
川遊び・自転車で飛ばした思い出が蘇ります。



小学校高学年?の夏のキャンプで
見学に来た時
「あの山のアソコ(印があった)までダムが出来ます」
なんて、説明を受けました。



ダムが本当に出来た事実にも、びっくり
そこで、こうやって子達が遊んでいるのにも、びっくり

初めてこの地に来た
若!と子たちには、どのように写ったことでしょう。