京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

なかなか投稿できずにすみません!

2010-09-30 21:17:38 | 妻!日記
罪滅ぼし、じゃありませんが・・・

久々に、ブログ画面右下の
プロフィール画面を変えてみました。

右下、といっても
ずいぶん、下~~~~~のほうですから
報告しないと、分かりませんしね

前の写真が、なかなか良いやつだったので
(大原女祭りの衣装の写真)
それに代わるもの、って、見つからなかったのですが

岐阜の歴史博物館で
家族、コスプレしてきましたので
それを使いました。

私→戦国時代?の奥方
次男→武士・鎧
長女→町の娘


若→織田信長の衣装です。



いわゆる「うつけもの」時代の信長です。

本当は、南蛮衣装系の信長が良かったらしいですが
なかなか、良く似合っていますよ。

「うつけもの」の「おつけもの」屋です。

はい、おやじギャグ
失礼しました

石垣を見に行ってきました。

2010-09-30 14:47:22 | 石垣のある風景(大原以外の!)
先週、子達の参観日の代休に
岐阜に行ってきました。

「岐阜」に行くことは、春あたりから決まっていたのですが
岐阜のどこに行くかは決まっていなくて・・・

どこにしようかな~
とブラブラ考えていたのですが

夏休みに、JRで帰省の際
京都駅で手に取ったパンフレットを見て
即決!!!!

やっぱり
第一目的は、石垣になりました。
(私の願いをかなえること=家内安全ですしね




JRパンフレットで見た風景




しか~し
誰の城?かは
あんまり勉強してなかったので
ちんぷんかんぷん

今回も
お宿や郷土資料館で
知識を大量仕入れして来て
後ほど、詳しく報告予定です



誰の城かはよく分からんが
積み石がきれいにカットされているところから見て
比較的新しい石積みであることは分かります

石垣の宝庫 ・・・ 岡山城!

2010-09-18 00:33:07 | 中国・四国地方の石垣。
先月のお盆前
広島への里帰りの途中に
岡山城に寄りました。

子達に
「岡山城・福山城・三原城、どれが良い?」
と聞いた結果です。

この三城は、新幹線駅から近く
(または、隣り・お城の敷地内に駅があったりして
子供連れには、とても便利で安全なお城です
(山城は女子供だけでは心細いし、サル・熊・スズメバチなども怖いです)


その中で、なぜ岡山城が選ばれたかは、よく分からないんですが
駅から、市内電車に乗り継いで行く、というのが、魅力的だったようです



というわけで
8月11日

京都駅を9時半に出発
岡山に11時前に着

わが姉と駅で合流して
一緒に岡山城に向かいました



確か珍しい台風、日本海側に来ていて
天候が心配でしたが
霧雨があるくらいで、基本的には晴れ
ラッキーでした。

岡山駅前からは
徒歩一分・・・
市内電車に乗って、お城に向かいました。

いまどき、大人100円の運賃でビックリでした

電車を降りたら、「しろちか」という地下道入口があって



なんて岡山は良いところなんだろう、と感激
(わたくし、基本的に岡山びいきです

地上に出て、少し歩くと・・・


(左に後楽園・旭川・月見橋・右に岡山城)

とても雰囲気が良い道
清々しい気分になります

本当は、ここの駅じゃなくて
もう一つ後の駅のほうが、お城の正式な入口になるようですが
この際、気にしなくても良いでしょう



ところで
この岡山城

正直言って、後楽園のほうが有名で
なんとなく影が薄いような気がしますが・・・

後から
よくよく調べてみますと
「なんでもっとジックリ見学しなかったんだろう」と後悔するくらい
石垣の宝庫なんです

秀吉公の時代
「備前宰相」とまで呼ばれた宇喜多秀家が
この地に大々的に建造し
(秀吉の猶子になっている)・・・養子とは違うが、親子関係に近い関係を持つこと
(その後、秀吉の養子だった前田利家の娘を、正室にした
 前田利家の死去直後に起こった石田三成襲撃事件では、三成を救出する
 関ヶ原の戦いでは西軍の副大将となり、大谷吉継とともに戦うが、敗戦
 さすらいの果て、八丈島に流刑・島の公式流刑者第一号となり、余生を過ごす)

関ヶ原の戦い後
秀吉のおい(ねねの兄の子)で、小早川隆景の養子となった小早川秀秋が
徳川の幕命で赴任
(徳川方に寝返り、味方の大谷陣を襲撃
 そのことが徳川勝因になり、裏切りの人として、すっかり有名になってしまった)
(なので、宇喜多秀家&大谷吉継はむっちゃ激怒・怒・怒したらしい)
(秀頼公の誕生以降、秀吉公の態度が一変したことを恨んでたのでしょうか?)

その後、後継ぎのなかった小早川に代わって、やってきた池田氏
(姫路城主の池田輝政の子、利隆)
(輝政公は、昔、石田三成襲撃事件を起こした一人、奥さんは家康の娘)
中国の要として、堅実な藩政を行ったようです。



そんな背景から見ても
岡山が重要な位置関係にあったのは確かで
お城も、とてつもなく規模がデカく

彼らが彼らなりの普請を行った
三者三様の石垣がたくさん残されています

(明治の廃城令や空襲などのため、現存の建物は少ないですが
 石垣は、ほぼ残されているので、ありがたい話です。
 そういう意味でも、もっと石垣の社会的地位を高めてほしいです)




私たちの進路の
旭川・月見橋のほうから、城に進むと
最初に見えてきたのが、こちらです。


(本丸の中で唯一現存する建物・月見櫓)

もちろん、石垣も当時のまま

著名な城にふさわしい
立派な石垣でしたので
しばし、撮影タイム・・・


(小納戸櫓跡→月見櫓)

角の月見櫓を挟んで


(月見櫓→数寄万櫓跡)



戦国時代の野面積みとは異なり
綺麗に整形した石を使っています。(算木積み)

1620年代に、池田忠雄が築きました。

石は、瀬戸内海の犬島から運んできたものですし、
普請の際も、戦乱に急くことなく、
ゆったりと時間をかける余裕があったことが分かります。

成熟期の石垣と言えるでしょう。

整形した石を用いることで
扇の勾配と言われる、急勾配を実現しています。


(比較してみてください!)
福知山城

〈戦乱のさ中、急いで作った感がありますよね~)
 借り物の石で作ってあります。結局返せなかった、というのが不憫です



さてさて
月見櫓下を堪能した後は
天守閣方面へ進みました。

岡山城は
岡山と言う名の小高い丘状の地形の上に建っています。


(小納戸櫓跡下を通って、廊下門に入ります)

廊下門をくぐったら
なだらかな階段を上がって
ちょっと小高い丘のようなところに出ます。

本丸 中段 (ちなみに、さっき月見櫓を見上げていた位置は、下の段)


(表書院のあった場所、奥に見えるのが先ほどの月見櫓)

現在は何もなくて、ちょっとしたグランドのよう

また
ここには、宇喜多時代の石垣が保存展示してありました。


(宇喜多秀家時代の鋭角石垣)



どうして、こんなところに、突然にょきっと鋭角が現れたかというと・・・
それは
宇喜多建築の後
さまざまな増改築が行われた結果のことのようです。

この石垣の上を埋め立てて、あたらしく増築した・・・
んだったと思います。
(説明版には、ちゃんと書いてあったんですけどね

いずれにしろ
このような鋭角の石垣は珍しいとのことで
特記してありました。


そして
月見櫓とは対角にある、不明門をくぐると・・・


(不明門)

殿様のプライベート空間の
本段です。


(天守閣)


(昔の天守閣を支えていた礎石が並べてあります)

なぜか
次男は、礎石のことが気に入ったようで
このことを日記帳に書いていました。
(他にも、書くことはいっぱいあったろうに・・・)

天守閣の中は
最近リニューアルされたようで
エレベータ式で楽チンなのはもちろんのこと

売店・茶店
子供向け、懐かしのおもちゃ体験コーナーがあって
楽しかったです。
(お城ファンには要らないかもしれませんが)

少なくとも、子連れの私たちには、神様的存在でした。
悪い思い出を作ると
次から付き合ってくれなくなりますからね。


うちの姫様が記念撮影したり


(金のシャチホコ・旭川・後楽園)

築後400年記念とかで、金ぴかに補修してあって華やかです。


(韓国のスイーツ・パッピンス?)

この具だくさんかき氷が
私の昼ご飯になりました。

殿様商売?とは思えない
斬新なメニューでした



天守閣見終わって・・・
再び、廊下門をくぐって、下の段に降りました。

(天守閣下の石垣)


(天守閣←   →廊下門)


(天守閣の真下)

石垣の全体像はこんな感じ



ここの、天守台の石垣は、
宇喜多秀家時代のもので
自然石を用いた野面積みとなっています。

とても力強い印象です。



そして
廊下門→天守台→といった先には


(六十一雁木上門に向かう石段・土塁)

本段の礎石があったとこら辺です。

言うたら
天守閣から旭川への近道
です。

今、この写真を撮っているコースも
川沿いに進んでいます。

そう書くと、
えらい警備が手薄な感じがしますが

往時は、土塁と、横の石垣の途中ら辺との間に
櫓門が建っていたらしくて
かつ
六十一雁木上門もあり
二重の警護となっていたようです。


(長屋続櫓跡 ← 六十一雁木上門 → 天守閣)

そして
一人(子達は先に後楽園に歩いていき・・・)
どんどん奥へと進んでいくと

私好みな物件を発見しました


(長屋続櫓跡 → 六十一雁木上門)

なんとも崩れかけの石垣

おお~
観光地と言えども、このような取り残された部分があったのですね!
(皮肉ではありません

安全上、少々危ないような気もしますが
それでも、より往時からの姿を残すという意味で
素晴らしい!
なんとも生々しいリアル感です

そして
乱雑な積み上げ方、小さな石を用いている特徴から
もしかして、小早川秀秋時代の普請じゃないかと思ったんですが
どうだったのでしょうか?

ちなみに、ホームページには
この、もひとつ向こうの面に、秀秋時代の石垣があると表記してあったのですが

これ以上先は
時間の関係から、あきらめざるをえませんでした



あとはダッシュで
月見橋・旭川を渡り
後楽園~
子達に追い付きましたが

絶対絶対、また来ようと思いました。

岡山は昔から行きやすくて大好きなところです

岐阜での最中収集。

2010-09-08 16:26:44 | いろんな最中。
先の投稿の郡上八幡行き。

休みの少なかった時期だったので
ストレス解消!!
買い物道楽に走ってしまいました。



牧成舎のアイスクリーム最中
飛騨市古川町



最中、というよりも
ひたすらアイスクリーム

乳製品の専門店だけあって
正真正銘のアイスクリーム(分類が)です!

ずしっと重くて
体育系男子向きでしょう。



郡上土産の王道?
桜間見屋

まずは、定番の肉桂玉をゲットしてから・・・
ショーケースに最中があるのを発見しました。



最中  金の弩標

「金の弩標は、郡上の殿様が参勤交代のときに、お江戸の殿様から拝領した金の弩標を掲げると十万石の位となったそうで、その馬印をかたどった最中です。」お店のHP

大きさもかなりなもので
何個入りを買おうか、考え込んでしまいました。
(高いのでね)



粒あん
しっかりとした甘さです。

この暑さでは、ちょっと食べきれないかも。
2分の一でも十分満足できますね。

(補足)
名物の肉桂玉は、かゆいところに手が届く様な辛さです。
飴の表面に肉桂がまぶしてあって
飴自体も、ピリピリと辛いです。
さらには、特辛もあるらしくて、今度試してみたいです。



起き上り本舗の起き上がり最中

岐阜市柳ヶ瀬



最中皮
何も混ぜ物をしない
もち米100パーセントだそうです。

崩れやすいのが難点だそうですが
そういうほうが、最中らしくて
私は好きです。

郡上八幡

2010-09-08 06:06:36 | 妻!日記
ちょうど一カ月ほど前
岐阜県・郡上八幡に行ってきました。

若!が、郡上踊りを見に行こう〈踊りに行こう)と言うので・・・

でも、私は盆踊りに興味がないし
郡上八幡と言えば、地味~なイメージしかなくて
(一度行ったことがあります)
乗り気がしなかったんですよね・・・
(で、若!は昨年一人で行っている)

今回、かなり強引に?誘われて
かつ
郡上八幡城は、日本最古の復興天守閣があるとか、知って
「じゃ~行ってみるか」
と、重い腰を上げることとなりました。

・・・
以前にも、郡上に行きかけて
でも、名神高速から東海北陸道への進路に迷って
〈その時は、分岐が完成してませんでした)
結局あきらめて帰ってしまった、経緯があったんですよね

正直、あんまり相性の良くない?場所だったんですが

今回、行ってみると
大原からは3時間ほどで行けて
何とも簡単、あっけなく到着してしまったのでした。



目指すは、もちろん郡上八幡城!!!

でも、昼から出発して、到着がすでに夕方だったから
城内の見学ができるかは、微妙な時間・・・

道もよくわからんので
ここに駐車して・・・



大河ドラマ「功名が辻」の最後の名所紹介?で見覚えのある
山内一豊と千代の像

その奥が、郡上八幡城

ここは、山内一豊室の千代が生まれた場所、と言われています。
郡上八幡城主・遠藤盛数の娘であった・・・とのことで、

正直、近畿の人間としては、
浅井家家臣の若宮喜助友興の娘説のほうが馴染み深いのですが

近年は、郡上八幡出身説が有力になっていると
ウィキペディアに書いてありました



ちなみに、
今、図書館で借りて読んでいる本は
童門冬二の「三番手の男」
(もちろん、三番手の男が、山内一豊

この間は、永井路子の「一豊の妻」も読みました。

この二つに描かれている、山内一豊の妻・千代は
対照的に描かれていて、面白かったです。
(童門版千代のほうが、大河ドラマ調の賢女に描かれている)

永井路子の小説の方は、かなりゲラゲラ笑えました。

いずれにせよ
山内一豊公は、武将にしては控えめ、
武勇と言うよりは巧妙な人間関係をすり抜けてきた、
と言った印象は免れないようで興味深いです。

我が家の和豊公は、永井版に近いのか、童門版か・・・
永井版一豊公に近かったら、ちょっと怖いな~

永井路子「一豊の妻」は面白いです。



で、話がそれましたが

郡上八幡城への登城ルートの前には門番の人がいて
なんだか付近の様子も物々しい・・・





よく分からんので、しばらく浮遊していましたが
どんどん消防隊の人たちが集まってきて・・・

「本日、花火大会、郡上八幡城が打ち上げ会場のため、立ち入り禁止」
との旨、理解しました。


目の前に見えているのに、お城に行けないなんて残念です。

戦国時代に積み上げられた石垣があるそうなので
ぜひ見ておきたかったのですが
次回のお楽しみ、になりました。
(たぶん、若!は来年も行こうと言うので・・・)

仕方がないので
城下の大きなお寺の駐車場に車を止めて
散策をすることにしました。



大きな屋根とお城のコントラストは見事でした!





この先がメインストリートのようで
バスターミナルがあり
踊り部隊のおばさん達が、続々到着
なんだか血が騒ぎました。

みんなが浴衣着て
「さ~、盆踊り」という熱気がすごくて
そうなると、宙ぶらりんの自分がそら寂しい気がしてきて・・・

なんだか自分も盆踊りをしたいような~
(もう、若!の意中のまま、という感じで、少々腹立たしいのですが)
たまには、若!のお株も持ち上げてみるか~、という気になりました。



駐車したお寺の表通りに水路があって、
水の豊かな町、という感じ



長良川に注ぎ込む
清流・吉田川

よく子供が橋から飛び込む風景がテレビで流れてますが
とてもそんなことをする気になれない、水流豊かな川



遊歩道があって

イベントに合わせて、道沿いにランプ?が点火されてました。



ランプの煙がもうもうと立ち込めてて
これまた幽玄な雰囲気になっていました。



パ~ン
と、花火の試し打ち?

一斉に鳥が飛び立ちました。



この吉田川の、さらに支流
小駄良川のすぐねきにある宗祇水



日本名水百選の第一号に指定された
湧き水だそうです。



あちこちに水があふれていて
「あ~泳ぎたい」と思いました。
(でも、幼児にはちょっとヘビーですが



郡上八幡
ここ10年で、だいぶん観光地化が進んだのかな
(それとも、私が知らなかっただけ?)

わりと小じんまりしたエリアの中に
いろんなものが、わっと凝縮されてて
都会から来たら、オアシスみたい、な場所かも

ひととおり、地場食品もそろっているし
(だから、お土産にも困らないし)

マイナスイオン・癒し系

河原で、子供のころ遊んだような
懐かしい雰囲気にも浸ることが出来るし

なんといっても
公衆トイレが洋式だったことに驚きました。
〈こういうことは、すごく大事)

すっかり郡上八幡のことが好きになって

晩御飯・おそばを食べた後
花火大会

カメラの画像が悪いので、紹介できないのが残念ですが

初めて
花火大会で、人の頭で遮られずにフィナーレまで見ることが出来て
満足でした

お城もライトアップされてて、綺麗でしたよ



花火大会の終了後は、郡上踊りで
大盛り上がり





老若男女、飛び入りも交えて
こんな活気ある盆踊りを初めて見ました


しかも、踊りは3種類
一つは、テンポが速くて激しい踊りでした。

なんとなく、真似したらすぐ出来そうな・・・
同じ動作の繰り返し、というのが、参加しやすくて良いですよね
なんか、盆踊りもいいな~と思いました。

大原の八朔踊りも習ってみようかな~




帰りは、10時ごろ駐車場出発だったかな?

日帰り、あくまで、若!の思いつき行動でしたので
翌日も仕事

到着が1時ごろだったかと思いますが
久しぶりの夜遊びは体にこたえました。

今度は、泊まりでゆっくり行ってみたいですね~

ホームページ復旧しました

2010-09-02 09:10:22 | 若の日記
辻しば漬本舗WEBSHOP復旧しました。
一部ご利用のお客様には、御迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申し上げます。
今後とも、よろしくお願いいたします。

9月になりました。いくぶんか朝の風が気持ちよく感じられる大原です。
でも、まだまだ残暑きびしいようです。
むしろ、朝晩が涼しくなると、急激な気温差で体調を崩すこともあります。
どうぞ皆さまも、お体に御自愛くださいませ。

金色の稲穂が広がるのもまもなくでしょうか