京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

張り切って投稿のつもりが・・・

2008-10-28 21:42:47 | 妻!日記
この日曜
若!がお休みしてくれたので
みんなで遠出してきました。

早速
その投稿をしていたのですが
ちょっと資料で内容確認しようと思って
ポチッとしたら
記事の保存を忘れたまま
飛んじゃいました。

ショック


な感じでした。

書き直してたら
今日も投稿なしで終わってしまいそうなので
軽く書いておきます。



ここはどこ?

これで分かったら
あなたはすごい!



反対側(寺の階段)から見たところ


(ヒント)
妻!はこの方面は運転していけません。
単独で行くとしたら
地下鉄経由かな~

世界文化遺産・金閣寺。

2008-10-25 22:56:02 | 京都観光に役立つ?話
先週の日曜日
子達と一緒に金閣寺に行きました。
(若!はお仕事・・・)

言わずもがな
京都観光の王道
金閣寺

私も過去に2,3度行ったことがありますが
(もっとかもしれない)
子供と一緒に行くのも
また新鮮な気がしたので
行くことにしました。

行きたいと言い出したのは
やっぱり
長男でした。

福井旅行・永平寺の時と同じく
マンガ歴史辞典に出てきたから
行ってみたいとリクエスト

それもいいか

行ってみることになりました。



大原からは
車で30~40分ほど

北山通り・北大路通りを西行き
西大路に入って、すぐのところにあります。

西大路側にある入り口


(黒門:右端のうちの子3人)

修学旅行生
タクシー・バスのお客さん
外国人の旅行客
たくさんです。
こりゃ、にぎやかで
ちょっとした旅行気分です。


この黒門をまっすぐ西向きに進みますと
塀の囲いがあって
門!



お城?というような
立派な瓦の門がありました。


(総門)

この門
本当に、お城の雰囲気に近いから
金閣よりも
もっと後の時代に建てられたものかもしれません。
(と、素人目に思うのですが、どうでしょう)

実際
金閣寺は
応仁の乱の時には陣が置かれていたそうで
戦災を受けて、ほとんどの建物が焼失してしまったそうです。

しかも
この門
(後に紹介する)大書院と壁続きになっていて
その
大書院は
江戸中期の建立だそうですし
この門も
同時に建てられたと考えると
合点がいきます。

さて、どうでしょう。
(資料がないので分かりません。
 門をよく見たら、書いてあるのでしょうか)



さらに
総門をくぐって
真っ直ぐ進むと
どんつきに
唐門がありました。


(唐門)

こちらのほうが
室町っぽい!

まあ、先ほどの総門と
こちらも壁続きなので
何とも言えませんが
少なくとも
金閣建立当時の
雰囲気を模した感があります。

唐門 ~両端に壁
(その裏に、金閣があります)
右側には
立派な建物がありました。


(大書院)

いかにも禅寺っぽい造りの建物!

なるほど
金閣寺は
臨済宗相国寺派のお寺ですので
こちらのほうが
オーソドックスな建物です。

パッと見たとき
天龍寺に似てるな、と思いましたが
同じ臨済宗・・・
なるほどね、という感じです。

なかには
立派な方丈の間があり
重要文化財の襖絵があります。

先ほどもちらっと書きましたが
この大書院は
江戸時代の中期の建築物で
実は金閣よりも古い建物・・・
(放火されてしまいましたしね)

もっと脚光を浴びても良いはずなのに
あくまでも
地味な存在なのでした。



さて
参道を真っ直ぐ進んで
唐門をくぐれば、真っ直ぐ金閣に入れるのですが

門は閉じられていて・・・
その横の受付で入場券を買ってから
左手の入り口から入場する仕組みになっています。

門をくぐって
砂利道を歩くと
すぐに金閣が見えてきます。




(鏡湖池の対岸から金閣寺を眺める3人)

綺麗です。
この日は、汗がにじむほどの晴天でしたから
日光が反射して
余計にキンキラキンに光っています。



足利3代将軍義満が建てた寺
金閣寺

厳密に言うと・・・

鎌倉時代
京の公家・西園寺公経の別荘だった土地
足利義満が大変気に入って西園寺家から譲り受け
山荘北山殿を造りました。
金閣を中心とした庭園・建築は
極楽浄土をこの世に現したと言われ
後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり
中国(明)との貿易を盛んにして
文化の発展に貢献しました。
義満の死後、遺言どおり
夢窓国師を開山(初代の住職)として
義満の法号・鹿苑院から二字を取り
鹿苑寺と名付けられました。
(お寺のパンフレットより)


「おか~さん、本当は金閣寺じゃないで
 金閣・鹿苑寺やで。」
と何度も訂正させられました



展望スポットの一番端っこから
ちょうど金閣の正面が見渡せます。
(ギリギリ)

今回初めて?気がついたのですが
金閣の一階部分は
ふすまが外してあるのですね。
(以前は閉まってたような気がするのですが、気付かなかっただけでしょうか)

よ~く見ると
中央に宝冠釈迦如来像(阿弥陀如来像、との説も)
その左手に足利義満像が見えます。
(ちょっとオペラグラスが欲しいですね)

金閣(舎利殿)は
一層が寝殿造りの宝水院
二層が武家作りの潮音洞
三層が中国風の禅宗仏殿造りで究竟頂と呼ばれ
三つの様式を見事に調和させた
室町時代の代表的な建物・・・
なんだそうです。
(パンフレットより)



言われてみれば
そうかな

よくわからん

内部を見学したら
よく分かるのかもしれませんね。

とりあえず
2層と3層に金箔が貼ってあるのは分かった・・・



次男に
「あのてっぺんにあるのはな~に?」
と質問された・・・

「ああ、あれは鳳凰とかいう鳥ちゃんよ。
 福を呼ぶ、とか、不死鳥?とか
 とにかく縁起のいい鳥だと思うけど~」
と答えた私。

「ホウオウ!
 知ってるで!
 ポケモンに出てくるから。」
だそうです。
これ

鹿苑寺の庭園
鏡湖池から金閣に向かっていく途中
参道の右手には
先ほどの大書院の方丈の間が見学できるようになっていました。

このへんから
だんだん疲れてきたので
写真なし

方丈の間の裏側に行くと
義満の手植えの松などもありました。

長女のワガママの疲れを癒してくれたのが
こちら



癒し系じゃないけど
鬼瓦
ですよね
(自信ない・・・)

実は
これほどはっきりした鬼瓦は
初めて見た(気付いた)ので
すご~くうれしかったです。

だから
つかの間
疲れも吹っ飛んで行きました。

長男
「なんで説明書きもないのに
 鬼瓦って分かったの?」
と不思議そうでした。

いや
そんなマジマジと聞かれると
自信なくなるのですが・・・



このあと
金閣寺の裏手の山を登っていった・・・
 
池にサギがいて
魚を捕まえるのを眺めたり
小さな滝で、皆がお賽銭を投げるのを見て
自分もやる、という子達

へ~
こんな楽しみ方があったのか
と感心しながらも
なかなか進まないので
正直疲れた

だから写真がありません

そうそう
途中
子達に一個ずつお守りを買いました。

長男は一番手頃な一休さんの子供お守りでしたが
長女は・・・
キティちゃんのお守りを見つけやがって
それを買うハメになった

お金の問題ではないのですが
(信仰心の問題です)

まあ
いろいろ良い思い出ができて良かったです。



裏山に茶室があるのは
よく覚えていましたが
不動堂があるとは
全然覚えがありませんでした。

きっと
いつも疲れてくるのでしょうね。



帰りは
疲れたからソフトクリーム
と催促を受けたが
昼食前だから我慢しようと
なだめました。

ソフトクリーム
250円
高くは無い
(ちょっと小さそうだったけど)
買ってあげても良かったけど

おかげで
その後食べたお蕎麦は美味しかったです

菊の花。

2008-10-24 23:02:02 | 妻!日記
若!の記事クリックしてね!)でも分かるように

この時期の辻しばの店先は
沢山の菊の花が飾られています。

社長が丹精込めて作り上げた菊の花

毎日水遣りを欠かさず
それを毎年続けて
すごいことだなと思います。

だから
自分にはガーデニングは出来ても
菊作りなんてのは
まだまだ
無理だろうな、と思って
見ているだけ

たまに
並べられた鉢の
草ヒキをしたり
明らかに余分な葉っぱをカットしたり・・・
その程度の手伝いしかしないのですが



今年は
夏の初めに
社長のイトコのおじさんから
小菊の鉢を二つ頂きました。

お店に飾っていたのですが
(花が咲いていたか、どうかは覚えていない・・・)
しばらくしたら
盛夏の日差しに負けてしまって
葉が枯れたようになり
「え、もう終わり?」
と、いう状態になってしまいました。

ちょっとの間に
すっかり見栄えが悪くなってしまい・・・
せっかく頂いたのに、と申し訳なく思いました。

それから
夏の間は
お店の横の影が定位置・・・

どうにか復活してほしいから
肥料をやってみたり
余分な枝はカットしたり
涼しくなってからは
アブラムシが付き始めたので
木酢液を薄めたスプレーをかけてみたりしました。

そ~して


小さなツボミがつき始めた!

うれしいですね。

どうにか咲かせたいから
毎日せっせと手入れ
そして
少なくなってきた日照時間に合わせて
日向ぼっこさせたりしました。



そうして
咲いた花・・・



とってもうれしいです。
社長には悪いですが
自分の育てた花が
一番綺麗に見える・・・
親ばかです。

手をかけた甲斐がありました。

毎日
まじまじと眺めています

福井旅行・最終編。

2008-10-23 05:15:01 | 妻!日記
前日に
福井県勝山市の六呂師高原に泊まった私たちは
翌日は
早々に出発して
子達お目当ての
恐竜博物館に向かいました。

というのも
朝食が無かったから
コンビニで食料調達するためです。

キャンプ場では
予約すれば
焼きたてパンを食べられる
サービスがあったのですが

これが
前日18時までの予約で・・・
さっさと済ませておけば良かったのに
バーベキューの用意をしているうちに
忘れてしまったのですね。

お洒落なキャンプのはずが
結構ひもじい思いをしてしまいました。

(今、思い出しました
 チキンラーメン2袋があったので
 それを分け分けして食べたんですよ。
 もちろん、5人では足りないから
 母は遠慮してしまったのです
 作って食べれないのは、一番お腹が空きます)

そんなわけで
開館時間と同時に
恐竜博物館に着くことが出来ました。



ちなみに
道路標識がたくさん出ているので
絶対に?迷うことはありません。

写真を撮り忘れましたが
恐竜博物館は
白いドーム型
卵みたいなのがド~ンと建っています。


半球状の中は
こんな感じになっています。



近未来的
(古臭い言い方だけど)

真ん中の長~いエレベーターで
入場から展示フロアへと
一気に進みます。

反対側から見ると
(エレベータの乗客から見たら)
こんな感じです。



子達は
資料など読まずに
どんどん先に行くので
どんな展示があったかも
あまりよく覚えていませんが



こういう
恐竜化石のレプリカがあり
その下に
実際に発掘された
本物の化石(小さい破片で、ただの石にしか見えないものも)
が置いてあります。



ただの石ころ?の破片から
こんな姿・特徴まで分かるようになった
研究のすごさが
よく分かりました。

基本的に
すごく地味ですよね。
それに気が遠くなりそうな作業の連続。

すごいです。



これは
何かと言うと・・・

木の化石、だったかな?

元・木だったみたいですが
今は
ほんとにカチカチの石!

は~~~
と時間の長さに驚きました。

地味なんですけどね。



こちらは
フクイザウルスだったかな?
いやフクイリュウ?

すっかり忘れていましたが
福井で発見された恐竜です。

福井では
国内の約80パーセントほどの
化石を発掘しているそうです。

知らなかった~



きれいなアンモナイトの化石

こういう系が好きです。
やっぱり



博物館を出た後は
外の
恐竜の森のアスレチックで遊びました。

幼児にはちょうど良い遊び場でした。
どんぐり拾いやバーベキューも出来るようになってます。



昼食の後
長男きっての?希望で
永平寺に行きました。



自分の持ってる
マンガの歴史辞典に
永平寺が出てきたから
是非行ってみたいのだと

家から
そのマンガ本も
リュックに詰めて持参しました。



永平寺は
仏教・曹洞宗の総本山です。

たくさんの修行のお坊さんがいらっしゃいました。

こういう姿はなかなか見れないので面白いです。



忘れられない
長~い階段。

全体の配置の
両側に
この長い階段
真ん中に
お堂があります。

とにかく大きなお寺でした。



立派な石垣



こちらが
一番大きなお堂のようでした。
(一番上)


(最近立てられた建物)



以上
福井旅行
最終編は
ざっと流しました

帰りは
来た道と違って
敦賀から
琵琶湖・今津に出て
湖西沿いに帰ってきました。

途中
白髭神社



車の中から
綺麗に撮れたので
なんだか縁起がいい!



二日続けて
綺麗な夕焼けでした。

六呂師高原のキャンプ場。

2008-10-21 22:03:42 | 妻!日記
これもまた、古い話に戻ってしまうのですが・・・

先月末の福井旅行の話です。

そう
福井・大野市のお蕎麦屋さんの昼食のあと
越前大野城の散策
というところまで
投稿しておりました。

そのあと
城を出たのは
まだ早い時間
1時半ごろだったかと思いますが

途中
ネットで調べておいたスーパーで買い物
夕食・朝食の食料を買いました。

その後
大野市内から勝山市方面に向かい道
九頭竜川が見えてきた辺で
右折して
六呂師高原方面の山手に上がって行きました。

大まかな土地の説明をすると
福井県・石川県と岐阜県の県境にまたがっている
大きな山脈

白山が有名ですが
それに連なって西に延びている山脈沿いの高原に
六呂師高原(奥越高原とも言うらしい)がありました。

蕎麦畑・サトイモ畑
牧場・スキー場を抜けて
目的の・・・
六呂師高原温泉キャンプグランドに到着しました。



まさしく高原!という感じで
透き通った空気
つーか
寒いんですけど
(9月下旬・冬?ていうくらい冷え込んだ日がありましたでしょう)

寒いせいか
キャンプのお客さんは
ものの見事に
ゼロでした。

チェックイン開始時刻
14時ぴったりに到着したためか
たぶん一番乗り

あの~他にお客さんは?
というくらい
静かで
心細いくらいでしたが
まあまあ
次第にお客さんも到着し始め
安心しました。

まあ
本来
こういう山の上
山奥は
人より獣のほうが多いのだから
心細くて当たり前

人・人でごった返してて
隣の人に気を使う
なんてほうが
おかしな現象なわけです。

ある意味
自然のままを体感できて良かったかも。

フォローしておくと
キャンプ場
夏休みは相当混雑してたんでしょうね。




こちらが
今回泊まったコテージ。

もっと大きなタイプもあったけど
こちらも
5~10人用くらいで
私たちには十分でした。



中はこんな感じ。

遊び疲れて
車から下ろしても寝続けていた長女。
しばらく寝ていました。

コテージのつくりは
日本建築、とホームページにありましたが
たしかに
そうですね。

1980年代頃に建てられた
ワンルーム賃貸の趣があります。

とにかく四角くて広い

部屋に家具・荷物が無いのが
非日常的

子達は部屋の中で
マット運動や横転などしていました。

すぐ近くに
スキー場があります。
学生のグループで泊まるには良いかもしれません。

そのような目的で作られたのでしょうか。
学生時代の合宿を思い出しました。



長女が寝ている間
つかの間の自由時間を満喫しました。



スーパーで買ったお惣菜
初めて見ました。

「いかの華」というもの

いかの中に
卯の花の煮物が詰めてあって
味付けしてある

味に期待するわけでなく
珍しいから買っただけなのですが
これは美味しかった!

全然生臭くないし
しっとりしていて美味!

これは北陸名物として
お土産にしたいくらいでした。
(一人で全部食べてしまいました)



キャンプ場の入り口にあった
(なんでだろう?)
六呂師観音像



キャンプ場
とにかく広くて
良い散歩になった

イベント中
キャンプ場に隠れているリボン
10個探したら
お菓子プレゼント
という企画に乗って

お散歩しながら
リボン探していたのですが
これが
全然見つからなかったぞ

なんでだろう

すごく難易度の高いリボン探しなのでしょうか

まあ
おかげで
キャンプ場一周できたので
良かった



人が少ないおかげで
子達は自転車乗り放題!
長男と次男
ずーっと乗ってました。

なんせ車も通らないし
犯罪にあう心配も(たぶん)無い

二人で
「行ってきま~す」と出て行って
自由に乗り回していました。

かなり広いグランドくらいの敷地の
サイクリングコースを
ぐるぐると
何周も!
楽しかったみたいです。

夜は
やっぱりバーベキュー



今年はやたらとバーベキューの機会が多かったし
炭がたくさん余っているので
ここぞとばかり、しています。

しかし

探検部出身ですが
今まで
外での自炊は
ガスバーナー(EPI)か、ホワイトガソリンのやつでしていたので
どうも
炭づかいは苦手です。



やっぱり
こういう奴が落ち着きます。

鍋で炊いたご飯は
味付けなしでも美味しい!

若!がバーベキューで苦戦している中
私と子達は
白飯の取り合いしていました。

(だから、肉が焼けた頃には腹いっぱいに・・・)



肉は
スーパーであまり良い肉が売ってなかったので
(安くて美味くて量の多い肉ね・・・)
「柔らかステーキ」とかいう
ミンチ肉をつないだような合成品?のヤツを買ったのですが

意外にも
子達には好評でした。

まずは
食べやすいのが一番なのかもしれません。

文句を言われなくてホッとした母でした。



バーベキューの後は
炭臭い匂いを流しに
温泉に!

このキャンプ場の売り
24時間入り放題の温泉

本当に簡素で
受付もない
湯治場のような感じでしたが
民宿ほどには広さがあって
湯船もまあまあ広い

いろいろ気を使わなくて良いので
これは良かった!



しかしね
何が辛いって
夜が寒いのが
一番辛かったです。

ある程度
京都より寒いのは予想していましたが
予想をはるかに超えた寒さ!

防寒対策は必須です。
(逆に夏は良いかもしれない)

管理者には悪いが・・・
夜中もエアコンつけっぱなしで
元取らせてもらいましたよ。



そうそう
今回
なぜ、このキャンプ場に決めたかって?

とにかくホームページが個性的なんです
 これ

まず
公共施設には見えない構成だし
一体
どんな人が経営しているのか気になりました。
(だから行くしかないと・・・)

そして
民間らしく
様々なところに工夫があります。

私たちが行った時はオフシーズンだったので
ひっそりしていましたが
ドトールコーヒー&焼きたてパン
なんて
好奇心をそそるじゃないですか。

いろんなイベントごともあるらしく
リピーターも多い?みたいですね。

とにかく個性的なページなので
覗いてみてください。

キャンプ場の
注意書きなんかにも
そういった個性がにじみ出た文章で
結構笑えました。
「牧場が近いので、虫の駆除にも限界がある・・・旨、ご了承ください」とか

あとは
田舎特有
高原の中ですから
当然
上下水道は通っていないと思われます。

窓を開けると
風向きの変化と共に
かぐわしい香りがモワ~ンと
なんてのも
なかなか一興でした。
(次男が、トイレ近辺でずっと鼻をつまんでいたのが笑える)

我こそ
アウトドアの達人!
と思われる
そこのあなた
ぜひとも
六呂師高原においでください!


先週・・・ (その2)

2008-10-19 07:05:00 | 子供の病気
【前投稿「先週の・・・(その1)」】の続きです。
というか、「先々週の・・・」になってしまいそうなので、早く書かないと!

先週の水曜日、若!が横腹痛で病院に行った、というお話をしました。
あの日は、バタバタ!

若!のお母さんは、夕方からお友達とショッピングの予定でしたが
急遽取りやめ。
子達のお世話をしてもらってました。

子達はといえば・・・
ちょうど、その日、ビデオを借りてきたところだったので
長女3歳と次男は、ビデオに子守してもらい
長男は、友達のところに入っていたので
夕方、おじいちゃんに迎えに入ってもらったようでした。

私たちが、帰宅したのは
一通りの検査と
痛み止め注射
痛みが安らぐまでの30分くらい安静

帰ってきたのは
家族がご飯を済ませた後でした。

ですから
帰ってきてからも何もせずにすみ
本当にありがたかったのですが

それにしても
「こんなバタバタはしんどいね~
明日はゆっくりしないと!」
など言いながら、床に就きました。

次の日。
木曜日。

子達の帰宅時間
15時からは、生協さんの共同配達の時間で
荷物の片づけをしていました。

長男からは
「お残りしてもいい?
 学校で鬼ごっこしてくる。」
と電話があり
「や~、今日はのんびりできるわ~」
と喜んでいました。

そして
生協の片付け
ビールかなんか片付けようとしていた時
「お~い、学校から電話~!」
と、おばあちゃんから呼ばれました。

「なんだろう、さっき(息子から)電話あったのに」
と怪訝に思いながら、電話口に向かいました。
しかも、保健室からだと言うし・・・
「今日、腹痛でも起こしたんだろうか?」

出てみると
・総合遊具から落ちた
・怪我はしてないけど、お腹を打ったらしい
・行きつけの外科医院(下鴨だからちょっと遠い)に連れて行こうと思う
との旨の電話でした。

とりあえず、落ち着いてはいるみたいだったので
それほど慌てず
とりあえず、学校に入ってみることにしました。

(長男、怪我の多い奴なので
 それほどビックリしませんでしたが)

またもや、今日も病院に行かなければいけないのか・・・
どう段取りしようかな
あそこの病院は、通院に時間がかかるし嫌だなあ
などと他愛のないことを思いながら
運転して行きました。

学校に着くと
職員室で、うつむいている長男。
見た目、外傷はなさそうでしたが
とにかく、いつもの元気がない・・・
めったにないことが起きてしまって、しぼんでいる、といった状態でした。

聞いてみると
総合遊具(ジャングルジムと滑り台などある、2メートルくらいある遊具)から
足を滑らせて転落し
中間くらいの高さで、鉄の棒でお腹を打って
尻餅ついて、着地したそうです。

とりあえず、頭は打ってないらしく安心しました。
傷もありません。

「それは、どうも」
「すみませんでした」
と謝って、さっさと帰りたいところでした。

しかし
先生いわく
「お腹を強く打っているようなので
 病院に入ってみましょう。」
とのことで
親としては「いいえ、行きません」と言ったら、薄情な感じなので
(面倒臭いこともあったが、家事が心配で早く帰りたかったし
 それほど、大事ではなさそうだったので、軽く考えたわけです)
「はい、わかりました。」と
二言返事で、病院に行くことにしました。

行きつけの(と行っても、あまり行かないけど)下鴨病院は
ただいま、救急患者が搬送されていて、対応できない、とのことで
(確か、そんな理由でした)
他の病院に行くことにしました。

大原の総合病院か、岩倉の病院
あとは
救急車を呼んでから搬送先を探してもらいましょう、と言われました。

とりあえず、救急車は勘弁!て感じでしたので
(息子、立ってるし)
近いし、大原の病院に行くことにしました。

それで
息子と私、教頭先生の車で
保健室の先生と、担任の先生
という大所帯で、病院へ。

息子
大変なことになった・・・
と思ったでしょうね。
とりあえず、無口でしぼんでました。
(私も、同じだったかも)
(いや、突然のことで、相当ハイだったような)

病院では
問診・腹部の触診のあと
レントゲン・超音波で内臓のダメージがないか検査しました。

息子は
腹部
おへその上、みぞおちの下辺り
押さえると、痛いと言っています。
あとは、痛くないとも。
とりあえず、腫れたり、青くなっているところもなかった・・・

異常なしで、そろそろ帰れるか・・・
と軽く考えていた矢先。

先生のお言葉
「大きな病院に行って、もうちょっと検査しましょうか。
 入院してもらって、少し様子を見たほうが安心です。」

ええ~~~~
なんで?
という感じでした。

もう、その言葉にパニックです。
(怪我の電話より、正直動揺しました。)

何もない日ならともかく
明日は、次男のお泊まり保育。
帰ってから、用意もしないといけないし
明日は、京都駅まで送ってやらないといけない。
若!は病気の体?だし、代わりをしてくれるだろうか?
昨日もバタバタだったのに、今日もバタバタ?
入院?
入院て、親も一緒に泊まるの?
朝は何時から?

と、もう頭の中でパニック!

その感情が外見に表れていたかどうかは分かりませんが
しばらく返答に困りました。

一通りの事情をお話しましたが
先生も、妥協案?を出される様子がないところを見ると
どうも、本当に必要なことらしいと
こちらも観念し
「はいわかりました」と答えました。

てことで
少し大げさな気もしましたが
教頭先生の車で大きな病院へ。

先の病院で見ていただいた先生が所属しておられるとの理由で
府立医大病院で検査してもらうことになりました。

このような大きな病院に来ることなんかないと思ってましたので
身を置く場所もない、と言った感じでしたが

検査中
先生達の顔は真顔
すご~く真剣に検査してはります。

そういう姿を見て
たかが、腹部の打撲、と軽く考えていたのは甘かったのか
と理解が出来てきました。

それほど
先生達の顔は険しく
のんびり、とはかけ離れていました。

なんやよくわからんけど
こんな軽症?な私たちでも、大学病院で見てもらえる資格があるのね

安心、というか
ようやく、地に足着いた気持ちになりました。



腹部の打撲
恐いらしいです。
先生の説明では・・・

見た目に何もない
と思って、帰宅させると
事故を忘れた頃
一週間くらい経って
突然、食べたもの吐き戻し
腹膜炎!ということもあるそうです。

もちろん
重症・事故直後に炎症があった場合・重症の際は
その場で発見、治癒することが出来ますが

直後に、何も症状が無くても
後から、じわじわと
内臓の内膜?が内出血などで腫れて、閉塞を起こしたり
小さなダメージから傷が広がって、裂傷になってしまったり

実務経験の多いお医者さんほど
そういうのを見てきたから
腹部打撲には慎重になるのだと
何度も説明されました。

我が長男の場合
きわめて可能性は低い
低いけど
万に一つの確立で
起こらないとは言えない

そのような説明でした。

まあ
入院、というよりは合宿
長男にしてみれば、キャンプに出かけるような感じでしたが
(もう、大きな病院に着いたころには、元気も戻ってました)
親としても
お医者さんの下で過ごせるほうが安心です。

過去にも
家の中で頭をぶつけ
大~きなタンコブが!ということが何度かありましたが
いつも、ぎゃーぎゃー泣いているし
(泣かない時・吐き戻す時は危ないと聞きます)
まあ、大丈夫だろう、と自己判断して
放ったらかしにしてますが
そういう時は
いつも、泣き疲れて、泣き寝入り
す~っと静かに寝ていきますが
心の中では
「もし、このまま目を覚まさなかったら、どうしよう」
と思って、ヒヤヒヤしています。
(だから、何度も、息をしているか、確認しに行きます)

学校・病院の判断で
入院させてもらって良かった
と思いました。

腹部打撲
長男の場合
鉄の棒で打ったわけですが

おへその上の辺りですと
ちょうど
すい臓や十二指腸・小腸だったか、あるらしいです。
そういうのが
鉄棒(打撲した障害物)と背骨のあいだで挟まってしまうと
損傷を受けることが多々あるらしいです。
つまり、堅い背骨が刺さってしまったりとか・・・
軽症であっても、ダメージから傷が広がったりして・・・
なんてことがあるらしいので

一泊入院では
詳しいCT検査と超音波検査
血液検査と尿検査などして
安静に過ごしました。

そうそう
長男に一番身にしみたことは
一晩(翌日午前中まで)の絶食だったことでしょう。

給食以来、おやつも食べずに
学校で遊んでいたわけですから
そりゃもうお腹が空いたことだろうと思います。

それでも
冷静だし騒がない長男。
やけに落ち着いてました。

夜も、一人で泊まってもらいましたが、全然平気。
(子供病院なので、絵本なんかは沢山あるし)
自分のベッドがもらえて、楽しかったみたいです。

こちらのほうが、よっぽど寂しかったですね。



さて
心配だった
次男のお泊まり保育のほうですが

その日に帰宅してから、急いで準備。
(虫の知らせか、珍しく、ほとんどの用意は出来てました)

翌朝、起きてから、お弁当作り。
8時半に、次男・長女を乗せて
若!の運転で、京都駅に出発。

途中、病院で私だけ降ろしてもらって
後は、若!に任せました。
(以後、長女も家に帰って、お守りしてもらってました。)

入院二日目は
検査で異常なしならば帰宅できる
ということで
結果が出るのを心待ちにしてましたが
お医者さんの鶴の一声を聞けたのは
もう夕方、薄暗くなってからでした。
(大病院は、何かと待ち時間が多いですね~)

まあ
無事に終わって何より
感謝!でした。

土・日・月(祝)は自宅で安静
火曜日、最後の受診で
異常なし

体育も、金曜日から良いですよ~
と言ってもらって
受診終了しました。

そのあとは
市のこども医療負担制度?の申請に行ったり
共済金の手続きに行ったりで少しバタバタしましたが

日常生活に戻れる有り難味を
ひしひし感じました。




(教訓)

たかが腹部打撲とあなどるな
大げさ、世間体を気にせず
子供のためにまず受診
心配事はためずに相談しましょう






先週・・・ (その1)

2008-10-16 21:07:28 | 妻!日記
我が家にとっては一大事?
ドタバタとした数日を過ごしました。

普段は
ただ毎日をだらりと
時が過ぎ行くままに生活している
という感じなのですが

このときは
まさに砂時計のような生活
息をして息をしているのだと実感するような
(というくらい動転している?)
大変な数日でした。

昨日一日で後処理をして
もうさすがに何も起こらないだろうとホッとして
どっと疲れが出てきているような自分です。



まずは

先週水曜日

若!(私、妻!の夫・33歳)が午後の外出先から帰ってくると・・・
強烈な腰痛(腹痛?)に襲われている模様で
顔は青ざめ
痛い痛いと騒いでいる・・・

最初に疑ったのは
盲腸
横腹が痛いと思いつくのは
それくらいしかない

あとは
何かの悪い病気か?

とにかく痛がっていて
ただならぬ様子なので
病院に連れて行くことにしました。
(普段はノンビリとしている私ですが
 あのときの決断は迅速・かつ適切であったと
 自負しています)

ちょうど
行きつけの医院の診察時間が始まったばかり
緊急対応、という意味では
少し物足りなさもありましたが
救急車、というほどでもなさそうだったし
かといって
大病院(しかも・ちょっと遠い)の
長い待合時間も酷であると思いました。

これは
一旦、いつもの先生に診てもらって
プロの診断を仰ぎ
大事ならば
大病院を紹介してもらうことにしました。

それにしても
イタイイタイ・普通に座ってられない
という病人を後ろに乗せて
病院まで運転している間
どれだけ心細かったか・・・
運転している間は
後ろを振り向くことが出来ませんし
大げさですが
振り向いて息をしていなかったらどうしよう
とか
悪い想像をしてしまいます。

まあ
ブログにかけるくらいの
笑い話?で良かった・・・

結局なんだったかと申しますと

病院に到着して
お医者さんは・・・
患者の容態を見て
すぐに何事か検討がついたことと思います。

それほど典型的な症状でした。
あとから調べてみると。

この年頃の男性に多い?
尿路結石でした。

何らかの原因で
腎臓の中で石が出来るのかな?
(おおかた、日頃の不摂生がたたったのでしょう)

まあ
腎臓~尿管~膀胱
の間に
石か
もしくは
結晶状?の異物が溜まるわけです。

パイプにゴミが詰まったら
水の流れが悪くなるのと一緒で

尿の流れが悪いので
腎臓が腫れて、炎症?
血尿の反応もありました。

若!の受けた痛みは何だったかと申しますと

疝痛(せんつう)発作といいまして
細い尿管の中を
結石が通過している際に生じる痛み
結石は、ガラス片のように尖っていることもあるそうですから
そりゃもう
本人にとっては死ぬような痛み・・・
なんだそうです。

まあ
死ななくて良かったね。
(痛みで死ぬことはないそうです

超音波検査で
だいたいの病状を確かめてから
尿管結石の典型的な治療を受けました。

すなわち
鎮痛剤投与による痛み止め


服薬と水分補給によって
結石を体外に排出させるための
指導を受けました。

こうして
処置をしてもらって落ち着いた若!と帰宅したのですが

今回運が良かったことといえば・・・

久しぶりに行った
行きつけの医院
半年ぶりくらいだと思うのですが

どうやら
先生の息子さん?が跡を継がれたようで
超音波機器やパソコンなど
新しい設備が加わっていました。

しかも
新しい先生の担当は
消化器内科!
尿路結石は厳密には泌尿器科になるけども
近い場所ではあるし
なんとなく安心ですよね。

もちろん
昔からの先生も横におられるので安心!
(どうも交互に診察されるらしい)
この病院で良かった~!
と思いました。

(今までは
 夕方の診療は先生自身が窓口受付されてたし
 朝一番に行くと、待合室の電気がついていない・・・
 なにかと倹約的な感じでしたが
 今回行くと
 何か普通の医院に変わっていた・・・ 
 ちょっと残念?)

私がこの医院を行きつけにする理由。
第一番目は
空いてて、すぐに見てもらえるから
なんですが
二番目は
注射が上手!だからなんです。

すっと注射針を入れはるので
全然痛くないんです。
だから、予防接種のときは
家族全員、こちらでしてます。

新しい先生は
注射はうまいんだろうか?
上手くなかったら
新しい先生の居ない時に受診しなければ・・・

気になります。



さて

タイトル
先週・・・(その1)
と書きましたが

文字通り
我が家のドタバタは
これで終わらなかったのです。

続きは
(その2)に続きます。













近頃・・・

2008-10-12 21:20:55 | 妻!日記
朝のガーデニングタイムにぎょっとすることがあります。

だいたい
朝ごはんを食べた後
8時前後
外(お店の前)に出て
花の手入れや水遣り・草引きなどしているのですが・・・

国道を通るマイクロバス

何気なく中を見ると
中の・・・全員


サムライ?
昔の格好をした人たち・・・

というのが
2,3台続き
かなり異様です

何かの撮影?
バスは
無地のものだったり
東映映画撮影所と書いてあったり
どうやら
どこかへ撮影に出かけているようです。

国道
京都市内→滋賀県方面へ

いったい何だろう、と思っていましたが
少し前の京都新聞の記事・・・

 これ

合点
なるほど
そういうことでしたか。
モヤモヤが解けて、スッキリしました。


今日の夕暮れ。

2008-10-12 19:14:38 | 大原の風景
いつもの・・・
金毘羅山の風景写真です。



鮮やかな夕焼けでした。

わざわざ車を停めて写真を撮ってる人もいました。
わかるわかる

でも、こんだけ真っ赤だったのも
一瞬のうちで
日暮れと共に
赤色が薄らいでいきました。



今日はやけに人の多い大原・・・
何かテレビで紹介されていたのでしょうか
連休だけど
11月みたいに混雑していました。



自宅からの撮影だと
どうしても電線が入ってしまうので
国道を渡って
向かい側の歩道からの撮影

車が多くて
国道渡るのに
すごく時間がかかった

すぐ渡れたら
夕日のシャッターチャンスだったのに
車が途切れるの待ってるうちに
チャンスを逃してしまった

少し残念・・・

まあ
このくらいでヨシとするか。

越前大野城に行く。(その2)

2008-10-11 09:55:15 | 北陸の石垣。
(越前大野城に行く・その1からの続きです


~あらすじ~

若!・子達と、福井へ家族旅行
京都市から越前大野城目指すこと3時間

大野市内で、昼食のお蕎麦を食べて
亀山公園の南登り口から、登城開始しました。

なだらかな坂道を行くこと、10数分
市内から移築された古門から本丸へ入り
武器櫓から天守台裏側に上がりました。



(天守閣)

1775年に焼失してから立て直されず
その他の建物も、明治の廃藩置県後に破却・・・
昭和43年に再建された復興天守です。
復元された外観は
美濃の岐阜城や、越前丸岡城を参考にしたそうです。
(往時の建築に関する文献が少ないのでしょうか)

てことで
天守台表側にまわり
ようやく
天守閣とご対面


(天守台で、正面から撮った天狗書院)
(大天守横に付属する小天守的役割の建物です)

大天守の写真・・・
大きすぎて撮るのに迷ってしまった~
撮る前に、子達のお呼びがかかって
結局撮れずじまい。


「こっち来て~」と促されるまま
先ほどとは反対側の登り口から降りました。



こちらは、櫓などなく
直接、天守台から階段が通じています。

なぜだろう?
(前投稿参照
 反対側の側面は、櫓経由でないと天守台に上がれません)

素朴な疑問・・・
きっと、当時のままの姿が見れたなら
疑問も一目瞭然なんでしょうね。
(二の丸・三の丸・その他の櫓の配置によるのでしょうか)

城跡
本丸以外は復元されていません。

さて

階段を下りていき
改めて
天守台のほうに振り向きますと・・・


(写真・左から登って、左の階段から降りた)

ジャーン!!!
(こういう演出は不要か・・・)

大天守と天狗書院
威風堂々とした佇まい

建物は復興建築で新し感も否めませんが
石垣は往時の姿をとどめており
すごい風格を醸し出しています。



(越前大野城)

1575年、越前一向一揆を平定した金森長近
主君の織田信長から
恩賞として、越前国大野郡内の3万石を与えられました。

当初は、古来朝倉氏のものであった戌山城を居城としていましたが
翌76年に、近隣の亀山に城郭を築いて、移り住みました。

築城には、数年を要しました
・・・
1586年、長近は飛騨高山へ転封

その後
長谷川秀一
青木一矩
織田秀雄(信長の孫=信雄の長男)
と度々城主が変わりました。

関が原の後
織田秀雄が西軍に属していたため改易され

幕藩体制成立後は、福井藩の直轄領となり
福井藩主・結城秀康の重臣の
土屋正明・忠次親子、小栗正勝が城代として入りました。

1624年、松平直政(結城秀康の3男)が5万石で入り
大野藩として立藩しました。

1635年、直政が信濃松本に移ったため
松平直基(結城秀康の4男)が越前勝山より5万石で入封

1644年、直基が羽前山形(山形県山形市)へ移った後
弟の松平直良(結城秀康の5男)が同じく越前勝山より3万5千石で入り
子の直明が家督を継ぎました。
(松平4代)

1682年、松平直明が播磨明石へ移封

幕府老中を辞任した土井利房(土井利勝の3男{4男とも})が4万石で入り
その後に受け継がれた藩主によって、藩政の基礎は固められました。

第7代藩主・土井利忠は藩政改革に取り組み、名君と呼ばれています。
天保期の飢饉で藩財政は非常に逼迫しましたが
財政再建に取り組み、借財も8年で完済
その後、藩営病院の設立、西洋軍制の導入なども行いました。

結局
土井家が8代続いて明治を迎えました。

(ウィキペディア「大野藩」参照)




 
この見事なアーチ!
素晴らしい建築技術です。

安土城のような、洗練された穴太衆積みも良いですが
こちらの野面積みも、朴訥な感じが素敵です。


(初代城主の金森長近の銅像)

話は少し飛びますが

昨日、本屋さんで立ち読みしていたら
最近良くある、ディアゴスティーニ発行のみたいな
週刊ブックスの「歴史が動いた」とかいうシリーズの本で・・・
「蓮如と越前一向一揆」を扱ったブックが売ってありました。

あくまで
蓮如(仏教・浄土真宗の中興の祖)ら、一向一揆を起こした
民衆側からの歴史考察のようで

そ~考えると
織田信長も
信長に命じられて、一揆を平定した金森長近も
民衆側からすると
敵、だったんですよね。

戦国の世のことですから
あまりナイーブに考える必要はないかもしれませんが
そう考えると
すこし複雑な気分になりました。

・・・

結局
その本は立ち読みしただけで
買いませんでしたが
やっぱり買ってみたくなりました。

(10年位前、西本願寺の
 蓮如上人500?回忌の記念イベントで
 漬物販売してました)
 

金森長近像の前を通り抜けて
公園の西登り口方面~



こちらが、どうやら本丸の正面にあたるみたいです。
写真の左奥に天守閣が見えます。


来る時とは反対側の道を通って下山。
こちら側にも大型遊具があって
しばらく子達のお守りをした後、下山して
もとの市街地に戻りました。

反対側の登り口に下りてしまったので
駐車場までは結構距離があったのですが
おかげで
昔ながらの大野の街並みにも触れることが出来ました。



すごくトラディショナルな銭湯です。
普通に生活に溶け込んでるところが好ましいです。
京都の銭湯も
ともすると観光地化?してきましたしね。

他にも
すごく写真を撮りたくなるような
伝統的風景があふれていましたが

あくまで
民家
皆さん、普通に生活しておられましたから
写真を撮るのは遠慮しました。


(武家屋敷「旧内山家」)
(幕末期の老中を輩出した名家です)

こちらの向かいに
整備された水路があるなあ~
と思っていたら
そちらが、大野城のお堀の名残だったみたいです。

お城のある亀山のふもと
城から短冊状に広がる市街地のはじまり
位置しています。

だから
こちらからも
お城がよく見えます。




もとの南登り口
駐車場に戻る手前に
柳廼社(土井利忠を祀る神社)があって

その境内入り口に・・・


(お馬屋池)

越前大野城の堀の一部が残ったものだそうで
それなりな遺構が見とめられました。

子達が先を急ぐので
ゆっくり見てられないのが
残念でした。



すこし狭いけど
とても楽しい生活路を通って
駐車場に戻りました。

(投稿・越前大野城に行く、おわり)


この先は
子達お楽しみの
六呂師高原のキャンプ場の
お話です。

9月末の旅行話を引きずるのも
恐縮ですが
是非是非お付き合いくださいませ!
(とても個性的なキャンプ場でしたし・・・)


ところで
この投稿をするのも非常に遅れてしまいました。

というのも
我が家でちょっとした出来事が
立て続けに起こってしまったからなんです。

幸い大事にならなかったので
これは
ブログのネタにするしかないか
ということで
次回
報告させていただきます。





越前大野城に行く。(その1)

2008-10-07 22:43:35 | 北陸の石垣。
だんだん話が古くなってきましたが・・・
9月27日土曜日
福井に行ったときの話です。

当日の宿泊予定地が
福井市から奥に入った山間部
九頭竜ダム手前の
勝山市・六呂師高原

最初に決まっていたのは
そのことだけでしたから

その目的地に向かって~
美味い昼食を食べて
どこか城跡など行けないだろうか

かなり自己中心的な計画を立てる為
リサーチを開始しました。
(というわけで、いつも計画を立ててるのは私です、ワニさん。)

我が家を出発してから
城跡と言えば
有名なところだけでも
敦賀(大谷吉継の居城)・金ヶ崎・福井・北ノ庄・・・
それに朝倉氏関係・神社仏閣含めると
犬も歩けば棒にあたる状態

これは、立派な石垣に出会える予感で
ワクワクしてきました。

歴史的には
やはり
お市の方・柴田勝家が最期を遂げた
北ノ庄城が良いかな~
(ほとんど残ってませんが)

それとも
すぐ近所の福井城が良いか・・・
(ともに、福井市中心部にあります)
徳川家康次男で、二代将軍の兄
結城秀康が初代福井藩主となっており
当然お城も立派なものだったろうと推測できます。
今は、石垣・お堀しか残ってないそうですが
規模が大きいだろうことは間違いありません。

他にも
地元ゆかりの朝倉氏関係の史跡や
永平寺・白山神社平泉寺など
見所満載です。

ひじょ~に迷いましたが
結局決まったのは
越前大野城でした。

ずばり
福井北インターから
宿泊地の六呂師高原までの
最短コース沿いにあるお城だったからです。

子達の目的は
あくまでキャンプでしたから
逆走・遠回りなどしたら
どんなにゴネ倒すことか分かりません。
(というか、出発して小一時間ほどで
 「まだ着かないのか?」と騒ぎ出した奴ら・・・)

大人だけの旅行なら
加えて、上記紹介した全ての城、回れそうでしたが
(城に興味ない人には相当苦痛でしょうけどね)
泣く泣く諦めました。

てわけで

朝、大原を出発してから
大野市に直行
約三時間で到着
開店直後の蕎麦屋で昼食を済ましてから
越前大野城に登城、とあいなったのでございます。

蕎麦屋のある七間通りを含め
大野市街は
越前大野城のある亀山を中心にして
碁盤の目状に発展してきた街です。



街からは、こんな風にお城が見えます。
ちょうど、彦根城に似ていますね。


(こちらは、去年9月に行った彦根城
 やっぱり似てます)

平山城・・・
山の地形を生かした構造

てことで
登るのに、結構時間がかかります。

山麓の無料駐車場に駐車してから
南登り口から入城しました。


(入り口に復元されている搦手門)


(亀山公園の案内図)

南登り口は、地図・中央下
そこから天守閣まで歩き
反対側の出口に下山して
ぐるーっと回って
元来た駐車場
(以上・赤線で示したコースです)

結構良いハイキングになります。



登り口から天守閣までは
ずっとなだらかな坂道が続いています。

公園内には
二箇所?
子供の大型遊具も設置してあって
思わぬご褒美に
子達、大喜びでした。



大人の足で5~10分ほどで
本丸に到着です。


(本丸虎口跡)

この門は、城下より移築されてきたそうで
たしかに
登り口の門に比べると
だいぶん古めかしい感があります。



勇壮な城が姿を現したぞ~



あとから調べて分かったことですが
こちら
天守台南側には「お福池」という池があるそうです。

たぶん、写真手前の垣・立て看板がしてある所がそうみたいです。
気付かなかった~
子供連れてると、そこまで気が回らないんですよね・・・

この「お福池」
初代城主の正室の名前が付けられたそうで
今でも一年中水が湧き出しているそうです。
(ちゃんと見てくれば良かった~)

この場所
(門から本丸に入った場所)
天守閣の向きから言うと
正面ではなくて
(もう一つの登り口からだと、正面から入れる)
天守閣の向かって右方向の側面になります。



天守閣の建っている天守台に登るには
直接ではなく
手前の武器櫓に登ってから向かうような構造になっていました。
(戦国時代の知恵でしょうか)


(手前が武器櫓~
 奥の石垣を通って天守台に向かいます)


(武器櫓跡から天守台を眺めた写真)

武器櫓は、L字型になってますね。


(武器櫓から、市街地を眺めた・・・)

田んぼの白くなった部分は蕎麦畑!
今の季節の北陸風物詩ですね~

ちなみに
この写真の左側中央に見えている山には
戌山(いぬ)城跡があります。

大野城の歴史と併せ持って説明しますと

古来、戌山城が地元朝倉氏の居城として機能していたのですが
朝倉氏滅亡後
越前の一向一揆平定の功績として
金森長近がこの戌山城に入封してきました。

しかし、交通の便などを考えて
長近は、隣の亀山に大野城を新たに築いたため
こちらの戌山城は廃城となりました。

180mの高さの山城跡だそうで
亀山が亀ならば
戌山が犬ほどの
大きさの違いがあります。
(そういう名前の由来なんでしょうか・笑)



武器櫓から天守台にかかる石橋
天守閣の後ろ側に通じています。



戦争勃発の際は
石橋を取り壊して、外部の侵入を防ぐ、というわけですね。



それにしても良い景色。
石垣から落っこちたら・・・なんて考えると
ちょっと恐いですが

この綺麗な石垣の上に
公衆トイレが建っており
その向かいに天守閣の博物館の入り口
(天守閣の裏側ですが)

子達がどんどん先に進むので
結局中の見学はせずに
通り抜け
天守閣の正面に出ました。


しば漬でパスタ!

2008-10-05 08:30:33 | 妻!の料理
しば漬でぺペロンチーノをすると美味しい!と聞いたので
試してみることにしました。


にんにく、というものは我が家にないし・・・
(家族みな食べないので)
唐辛子を入れると、子達が食べれないので
にんにくと唐辛子抜きのぺペロンチーノ?を作ることにしました。

具は
ありあわせの・・・
ソーセージ・玉ねぎ・シメジ・枝豆
それをたっぷりのオリーブオイルで炒めて
パスタをからめる、といった感じです。

味付けは極々シンプルに
ブラックペッパーと塩

昆布ダシも加えたら美味しくなるが
まあまあソーセージなどの具から旨みが出ていることでしょう。
甘みがほしいので、仕上げにみりんを少々加えました。
(この辺が和風?)

肝心のしば漬ですが・・・
パスタにしば漬?という疑念が
どうしても消しきれなかったので
フライパンで混ぜるのには抵抗を感じ
(子達も、きっと食べないから)
お皿に移してから、しば漬をトッピングすることにしました。


出来たのが、こんな感じです。



子供たちには、しば漬をのせないで食べさせました。
(あくまで晩御飯、しっかり食べてもらわないといけないので)

かなりのあっさり味なので
子達からもブーイングの声も出ず
黙って食べてます。

次男は途中からケチャップを出してきたので
むっとしましたが
後から食べ残しを食べたら、普通に美味しかった


しば漬パスタ
どうだったかというと

トッピングしたしば漬と
パスタを混ぜ混ぜして・・・
それでも味が薄いので
追加で塩をふったら
これがグッド!

今流行の塩味パスタ?
次男のケチャップじゃないけど
しば漬の酸味と塩気が
パスタのアクセントになって
食欲が出る出る!

パスタ・しば漬
焼そばの紅しょうがと同じ関係ですかね
好相性です。

食欲の無いとき
あっさりとパスタを食べたい
というときにお勧めです。

一応ぺペロンチーノですので
オリーブオイルはたっぷり使いましたが
全く胃もたれもしませんでした。

オイル=太る のイメージが強いでしょうが
適度なオイル摂取は、体の健康を促します。
(もちろん、良質なオイルでないとあかんでしょうが)
食べ物の消化の際の、特滑油にもなり
便通も良くなります。

しば漬・ヴァージンオリーブオイルのトッピングで
ヘルシー・パスタ!
簡単でお勧めです。

越前そばを食べた。

2008-10-02 20:57:11 | 妻!日記
私たちが
土曜の朝、大原を出て
真っ先に向かったのが
越前そばのお店でした。

大原から約3時間
敦賀から福井までは高速経由
インターを出てから30分ほどだったかな?

福井市から九頭竜湖・岐阜方面に向かって~
大野市内に入ってからのナビは簡単
七間朝市・越前大野城の道路標識に従って
進んでいくと、すぐでした。



毎日開催
歴史の古い朝市で有名な
七間通り

お蕎麦屋さんは
その二軒目でした。



十割手打そば処 七間本陣

隣が駐車場
向かいが餅屋・醤油屋・和菓子屋
素晴らしいロケーションだ!



古い建物。
昔の商家の建物で、元は楽器屋さんだったそうです。
いつ建てられたかは分からないらしい



中はこんな感じ
今流行りのやり方といえば、そうだが
京都から遠く離れたこの地で
このような洒落たお店に来れるとは思わなかったので
驚きました。



ところで

今回
なぜ、こちらのお店に来たかということですが。

(晩御飯は自炊するので)
お昼ごはんくらいは美味しいものが食べたいし
福井といえば、そばどころだから

越前大野城の散策とセットで
どこか美味しいお蕎麦のお店はないか、と探していたのですが

ここらで一番有名なお店というのは
ここらで一番大きそうなお店でもあるので
どうもアンテナがピピッときませんでした。
(美味しいのかもしれませんが)

いろいろネット検索で探していたのですが
あるページで大野城の観光案内がしてある中で
(じゃらん、か、どこか)
オススメのお食事どころ、として
こちらのお店が紹介されてました。

見てみると
気になるおしながきも
もりそばとおろしそばを基本としたもので
すごくシンプルで
これは、当たりそうな予感!

なんといっても
若い店主が、京都・宇治の出身で
お名前が辻さん!
もう、これは御縁の世界
行くしかありませんね。

これで、まずければ
それはそれで仕方がありません。



そんなわけで
数々越前そばのお店がある中
こちらのお店に行ってみました。



「一の陣 三間盛り」
そば2~3人前だったと思いますが
もりそばのおツユとおろしそばのツユがついてます。
ワサビのすりおろしが出来るところも面白いです。



で、お蕎麦は



こんな感じ。
たぶん、越前そばのなかでは細麺のほうでしょうね。

そして
肝心のお味はというと・・・

美味い!!!

美味しかったです。

当たり!

おつゆも甘すぎず、適当な辛さ。
麺も、しなやかでのど越しも良く
香りもある。

どういう評価をするものなのか分かりませんが
とにかく
美味しいと思うお店で出る反応が出ました。

すごい勢いで
5人
モノも喋らず
食べまくって
追加、おかわり
しました。

こういうときは
もうもう
歯でしっかりカミカミしてるような余裕はありませんね。
強いてかまずに丸呑み。
美味いから、早く次が欲しくなる。

せっかく遠方に来たのだから
珍しい品のつまみ食いもしたかったのだが
美味いそばで腹を膨らませることに必死!

黙々と食べ続けました。

食べ終わっても
まだまだ食べたい余韻が残っていましたが
出てきた蕎麦湯を飲んでるうちに
胃がタポタポしてきて
気分も落ち着いて・・・

美味しいお店でした。