京都大原紫葉工房便り

京都洛北・大原の里のしば漬屋から、毎日!情報発信。

岩倉散策。

2013-10-24 10:47:00 | 京の石垣。

6月のこと・・・

今更、散策をするまでもないくらい、身近な岩倉なんですが、

コインパークに駐車して、若!とふたり、ぶらぶらお散歩してきました。

 

(注)ご存知ない方のために

岩倉とは、京都市左京区岩倉です。

岩倉は、わたくし妻!が初めて京都に来て住んだ場所。

Aコープなんて、しょっちゅう行ってますし(昨日も行った

洛北住民の足、地下鉄国際会館駅もあります。(京都国際会館も岩倉かな)

生活全般お世話になってますので、観光をする雰囲気ではないんですけどね。

 

なぜ、今更のように散策をするかというと・・・

岩倉といえば、もっとも有名?な岩倉具視公の隠棲の住居跡があるのですが、

(だけど、行ったことがありません、灯台下暗し

ずっとお世話をされてきた後援団体の方が、高齢化?のため、存続が難しくなったとかで、

今春、一時閉館されました。

 

近くて、行こうと思えば、いつでも行ける、というイメージの岩倉邸でしたが、

こうなると、すごく行きたくてたまらない場所になってしまいます

(ちょうど読んでた司馬遼太郎「竜馬がゆく」にも出てきましたしね)

すごく切ない思いで閉館のニュース記事を目にしましたが、

5月かな、6月かな、新しい管理団体に決まった京都市のもと、開館されることになりました

うれしい

 

そういうわけで、休みが出来たら、とにかく岩倉へということで、行ってまいりました。

 

我が家からは、車で10分。

1日最大料金300円の秘密のコインパーキングに駐車して、散策開始しました。

(こちら、結構満車が多いので、有名? 

 すぐ近くに、幕末・池田屋事件犠牲者が葬られた三縁寺があります。吉田稔麿とか)

 

そこから、てくてくと10分くらいの散策。

岩倉駅前周辺は、商業地・新興住宅街の雰囲気ですが、

すこし歩くと、昔からの土壁とか、ベンガラ塗装の民家など、

洛北の昔風情が感じられるようになります。

私が住んでたところも、昔からの集落の中でしたので、すごく懐かしいです。

 この一番奥が実相院

 

お目当ての岩倉具視公隠棲地は、岩倉の北西の奥まった場所にあり、

有難いことに、実相院門跡や石座(いわくら)神社など、旧跡が集中しているので、

歩くのが苦になりません。

一番奥が実相院、手前左の石垣の石標が岩倉具視公隠棲地への案内です。

私たちは、最初に、実相院の右側奥にある石座神社に行きました。

岩倉の奥地とは思えない、きれいな石造りの風景です。

 電線がなければ、なお良いのですが

石座神社は地元の氏神様、だったかな。

観光で訪れる人は少ないと思います。

でも、とても良い場所なので、時間のある方は行ってみてほしいです。

何といっても、この古びた石垣が素晴らしいですね

階段を上がると、拝殿があり・・・

 (上から撮りました)

そこから上がると、沢山の社のある敷地になります。

敷地内には、大小の社がいくつかあって、どうやらこの2つの社が本殿らしいです。

(左右対称に、合計6社かな)

本殿の横には摂社が・・・

                      ↑ 

(岩倉公もお参りした一言神社)  

一言神社は、小さな社ですが、独立した鳥居も建っており、信仰の高さがうかがえます。

「出仕を禁じられて岩倉上蔵に住んでいた岩倉具視がしばしば参拝したのは、村松にあった頃の一言神社です。

・・・現社殿の前には、岩倉家から奉納された燈籠がたてられています。」

上の写真にある燈籠もそうかな~

 

岩倉具視公はかなりのドヤ顔ですが、信仰心あつく、権力を手にしてからも不遇の時代を忘れない、心温かい人だったのかなあと思います

 

さて、場所は、実相院門跡の門前へと戻ります。

門跡だけあって、立派

ここの庭園は、落ち着けます

モリアオガエルが住んでいるので、オタマジャクシを守るための巣も作られています。

写真には取れないけども、有名な床もみじ(6月は緑ですね)や枯山水のお庭もあって、盛りだくさんです。

そんなに広くないので、肩もこらないし、オススメですよ

 

さて、後のほうになりましたが、岩倉具視公隠棲の住居跡に行きました。

 

さすがに、明治維新の十傑の一人だけあって、隠棲地とはいえ、りっぱな佇まいでした

 こちらが、入り口。

すっかり京都市の施設になっております。

民間管理の時にも来てみたかったな。

これは、明治後に立派にリフォームされたのですよね。きっと。

当時としては、高価だっただろうガラスが使われていますし。

「竜馬がゆく」のイメージでは、もっとすすけた古民家でしたが)

これはこれで、モダンな感じの日本家屋で素敵です。

何気に高そうな灯籠が置いてあるし

家屋の横には、石碑が並んでおり、奥には、岩倉公の遺品の一部を公開している対岳文庫があります。

対岳文庫はモダンな建物です。

たしか有名な建築家が設計したはず

石垣ももちろんチェック

地味に、敷地の土台として使われておりました。

この辺は、岩倉村っぽくていいな。

 

さて、邸を出てから、岩倉駅方面、パーキングへ戻ります。

川沿いに素敵な風景が広がっています

石垣が素晴らしいです

ちょっと横に行くと、新興住宅街なんですけど、この辺は昔からの集落のままでした。

いや~学生時代を思い出します。

岩倉といえば、シルバーの瓦にベンガラ塗装。

まあ、洛北全般に共通しますが・・・少なくなってきました。

(川下にある山住神社)

明治時代までは、こちらが「石座神社」だったそうです。

本殿はなく、こちらの岩そのものがご神体です。

 岩倉には、地味(滋味?)に見どころが沢山ありますので、ぜひ行ってみてくださいね~

 

 


二条城。

2012-05-27 11:27:09 | 京の石垣。

春休み、二条城へいった話。

またあとで書きます、と言ってから、2か月が過ぎました

軽く流します。

堀川通りに面した二条城の門前。

お堀は大きいとは言えませんが、

この門はさすが!の大きさですね。

立派です。

将軍拝謁の際の二の丸御殿。

外様大名・親藩大名などで、部屋が分かれている所が、見ものです。

外様大名、さぞかし悔しかったことでしょうね。

間違ってるかもしれませんが、

たしか、外様大名の部屋の裏は、武具置き場になってました。

これって、失礼じゃありませんまあ、いいけど。

いつ来ても立派な二の丸庭園。

武家らしいお庭です。

権力の象徴と言ってしまえば、それまでですが、

庭師ならば、一度は、このような大きなお庭を作ってみたいのではないでしょうか。

(わからんけど)

素晴らしい緑のグラデーションです

 

本丸の入り口。

でっかい石垣。

好きですね。やっぱり

どこから持ってきた石でしょうか。

本丸の敷地。

一番奥の南角に天守閣跡があります。

天守閣は、いつだったかの雷が落ちた時に焼失してしまったのですが、

わりあい最近まで(といっても、江戸の中期か後期)あったそうです。

往時の姿が気になります

あの本丸の建物は、なんとなく桂離宮の建物に似ていると思うのですが、

記憶違いでしょうか。

御公家チックな建物です。

美しい古城

ちょっと外国っぽいかな。

堀川通りから見たら、一番裏。

西側の本丸の門です。

その西門の橋から、南角の天守台方面・・・

二条城西端の敷地には、信長時代の二条城の石垣が移築してありました。

確か御所近くで発掘された遺構です。

二条城、というのは、たしか3つあったと思います。

信長時代・徳川時代と、あと何だったかな。(ありゃ違うかな) もう一つは、足利義輝時代だそうです。

本丸の堀の南側の門。

こちらも複雑な作りになっていて面白い門です。

 


福知山城・ふたたび。

2012-05-16 10:43:06 | 京の石垣。

 イベント情報 

5月16日(水)~21日(月) 

伊勢丹浦和店 7階催物場 最終日17時終了

 伝統とモダンの競演 京都展       舗情報

 

本日開催です!

若!出張二週目、がんばれ~

お近くにお寄りの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ

 

 

5月5日丹波電車旅の番外編。

福知山駅で途中下車して、福知山城を見に行ってきました。

今回二回目です。

すっかり要領を得てます

 

一度目に行ったときは、通常の観光コース、にぎやかな表口?から、入場したのですが、

今回は、前回に見逃してしまった、裏側から散策しました。

 (観光駐車場や美術館がある側と比べると、生活感あふれています)

市役所とお城の間のスペース・・・

ホームセンターがあったり、民家があったり・・・

市民に守られているお城という感じです。

 城壁の周りをぐるりと囲んでます。

角度を変えると・・・

 こちらが観光コースになってます。

おもてなし感のある橋です。

この橋の向こう側(右)に駐車場と新しい観光施設(フード系かお土産屋さんかな)がありました。

この日は、GWでしたので、お客さんも多く、にぎやかでした

きれいに整備されてます。

なかなか迫力のある高石垣です。

少し上がると、天守閣が見えてきます。

 この写真が一番気に入ってます。

携帯の待ち受け画面にしたら、初夏っぽくてでした。

前回も思ったんですが・・・

天主閣の木造部分に対して、石垣が華奢に感じるのですが、どうでしょう?

なんか、石垣が頑張ってる~て感じに思えてしょうがないです。

オフィシャルHPには

「一見乱雑に見えますが、 石材は奥に長く用いられて、強固な石垣が組み上げられています。」と書かれていました。

なるほど。

地震が来たら、ちょっと怖いな~と思ってたんですが、それなりの工夫がなされているのですね。

 

そして、福知山城の特徴と言えば…

 

信長系の城郭に多用されている転用石。

五輪塔や石仏、灯篭などを集めてきて、石積みに使われました。

 コッテコテです

これほど多く使われているのは、こちらと大和郡山城くらいだそうです。

あとは、茶けた感じの白っぽい石が多く使われています。

この辺で産出した石でしょうか?

四国系の石造物になじんできた私は珍しく感じます。

で、天守閣横の本丸の広場・・・

一番奥の門をくぐると・・・

前回は見逃しましたが、こんなナイスビュー

 知りませんでした。

最初に通った生活空間を見下ろせます。

 歴史ある感じのホームセンターがありました。

長女がどんどん歩いていくので、それを追いかける形で、偶然見つけた道ですが、

これは儲けものでした

こんな起伏にとんだお城とは知りませんでした~。

ぐるりと回ると、元の表口に戻ります。

高石垣を上がって、お城の表門をくぐると・・・

天守閣内部の入り口

資料館の玄関です。

 

とても美しいお城です。

 こちらの櫓が気になります。

神社と井戸もあります。

まもなく築城主の明智光秀の命日。

それを偲ぶかのように家紋の桔梗がお城を色どります。

オススメのお城です。

ぜひぜひ登城してみてください!

 

 (おまけ)

天主最上階からの景色、市役所・福知山駅方面。

二の丸のあった場所、現在は生活空間です。

ミフネホームセンター何か気になります

寄らなかったこと、後悔。

次回は行きたいと思います。

 


すっかり幕末ファンになってしまっている私。

2012-04-17 16:12:10 | 京の石垣。

もともと歴史の中での「近代化」に興味がある私…

とはいえ、あんまり明治維新には関心がなかったのですが、

(世界史の方が好きだったので)

マンガ「風雲児たち 幕末編」(みなもと太郎著)と

小説「世に棲む日々」(司馬遼太郎著)を読んで、

すっかり幕末のトリコになってしまいました。

 

人間が、学問の進歩ととともに、封建社会の矛盾に気付き、

新しい時代を作っていく、という世界的な動き。

その素晴らしさを思うと、体の中から感激がにじみ出て、泣きたいような気持になります。

というくらい、近代化とはすごいことだと思います。

 

そういうことが、ここ日本でもあったんですね~

よく考えると・・・

しかも、京都はその激震地だったのだ!

な~んて、いまさら言ってるのは、私だけかもしれませんが。

 

とても幸せな気持ちで、東山霊山の龍馬の墓近くにある、

「幕末維新ミュージアム」に行ってきました。

ザ観光地とは思えない!駐車場完備・8台停められます。

ただ今特別展をやってまして、

幕末の尊王攘夷運動の先駆けともなった

水戸学(黄門様の大日本史編纂事業に始まります)が取り上げられていました。

 

私の敬愛する?(といっても、ここ数か月ですが)吉田松陰さんの肖像画を拝んでまいりました。

彼の代表的な肖像画をご存知ですか?

キツネ目の古老風の男性をイメージされるかと思うのですが、

彼が亡くなったのは30歳・・・

よく考えたら、エライ老けた肖像画やな~と

横に展示してある銅像は、年相応な感じで作られていました。良かった。

 

肖像画と一緒に、自作の詩文がありました。

漢文なので、意味はさっぱり分かりませんでしたが、

「死することを恐れない」彼らしい文字が並んでおりました。

 

司馬遼太郎が、松陰のことを「過激者」とか「飛躍者」とか表現していますが、

また「婦人のような」とも書いています。

婦人のように穏やかであることを望んだ松陰。

そういうところが好きですね。

 

私は、まだ幕末史の安政の大獄以前しか読んでいないので、

展示のすべてを把握することはできませんでしたが、

近いことですし、子達をつれて、通いたいなと思います

駐車場がただ、というとこが素晴らしい

 

ミュージアムを出てからは、隣の山手にある幕末志士のお墓に行ってみました。

大人300円

入場料というより、施設維持費・・・と思って払いましょう。

有名な志士と言えば、坂本龍馬や中岡慎太郎・桂小五郎などですが、

全国各地、大勢の志士が居られたことに驚きました。

お墓とはいえ、美しい石垣だなあと・・・

人のお墓をパシャパシャ撮るのは気が引けますが、撮らせていただいた。

私が一目お会いしたかったのは、

肥後藩・宮部鼎蔵公。

吉田松陰の親友。

て書くと、ミーハーな感じですが。

小説の登場人物がここに眠っていはるのですから、やはりすごいことです。

興奮します。

松陰の清らかな友情物語は、軽薄な(言い切ってはいけませんが)現代日本にはない、美しさがあります。

たそがれる若!

 

遅めの昼食は、御幸町三条(ちょっとした若者スポット?)

三条パクチー

タイ料理・現地の食堂的雰囲気のお店。

この装飾は何ともグーです。

学食っぽい。

パクチーは、+100円で追加注文する形でした。

各種調味料も使い放題。

メニューは少ないが、ちょっとタイ料理が食べたいときには便利な店かと思います。

(そういうニーズが出てきたんでしょうね。)

 


らしからぬ風景?

2012-04-17 08:38:38 | 京の石垣。

春休みに行った二条城。

すっかり石垣写真のアップが遅くなっております。

お出かけ前に、数枚投稿します。

二の丸庭園

大名庭園らしい力強さです。

 

次、本丸の表門を過ぎたところ。

大きな石垣。

滞在時間が妙に長かったところ。

江戸中期ごろまであった天守閣の跡から、お堀を見下ろしました。

裏門?(西側)から天守閣跡。

名前忘れましたが、一番好きな門構えのところ。

あ~京都にもお城があったんだなあ、と思う場所です。

 

後日、詳しくアップします。

 


京の北、F市から。

2010-08-11 08:14:31 | 京の石垣。
さる7月の19日
福知山に行ってきました。

長男のサッカー練習試合の応援のため(大義名分)
監督に付き添われて電車で行く子供たちに便乗して
(他の保護者は車だったが、うちは若!仕事なので、電車!)
長女と一緒に行ってきました。
(ちなみに次男は留守番)

その前
17日も、同様に大阪豊中で練習試合
この時も電車で追っかけしました

サッカーの子達にしてみれば
「なんで、この親子ついてくんの~」
て感じだったでしょうが
そこは、応用力の高い子供のこと
自然と受け入れてもらえたので、助かりました。

普段の練習試合は、車移動が多いですし
長時間の電車移動はかなり珍しいことでした。

ちょっとした遠足ぽくて楽しかったです。

福知山までは、電車で約2時間
途中乗り継ぎもあり
15人ほど、子供がいたら
一人くらい忘れ物する子がいるし
だんだん動きが活発になってきて・・・
(でも、うるさく注意されるのもカナンやろうから)
ここぞという所で、おばさんの苦言を呈してやった・・・

普段もかわいい子達ですが
より一層愛着が増したのでした~



というわけで
快晴の福知山に到着

試合会場に向かうサッカー部員と分かれて
私たちは、目的の場所へと向かいました。

すぐ来たバスに乗って数分ほどの場所

じゃ~ん



福知山城!!

いつかは行ってみたい場所でしたが
こんな風にして来れるなんて!

まさか電車で来るとは思いませんでした。



非常に整備された公園

この登城口は、
本来は、城内の神社に向かうための参道であり
本当の登城口は、反対側?にあったみたいです。



どうりで、きれいな道
すっかり観光気分です


と一口で言っても、平城・山城いろいろですから
母子二人で行くには、心細いようなところもあります。

そういうとこは、まず長女が歩いてくれませんから(怖がって)
こういう整備は助かりました。



新しい石垣に混じって
古っぽい石垣が見えてきます。



さすがは明智光秀の城だけあって
なかなかの構えです。


(ちなみに、城のアップはこれで終わり



上がると本丸

奥に見えてる小さな建物は
二の丸にあった銅門番所が移築されてきたものです。



復元天守の天守台

かなり特徴的な石垣です。
城は見ずとも、石垣は見てこい
とまで言い切ったら怒られるかな・・・



転用石による石垣

五輪塔や梵字の入った石が見受けられます。

ついでにいうと、穴太積み
大原三千院や坂本などで多用された積み方ですが
転用石なので、かなり趣が異なります。
(言われてみればそうか、位)



転用石の使用例は
安土城が有名
石仏が、登城道の石段に使われていますが
ここほど大量の使用例は、奈良の大和郡山城くらいだそうで
非常に珍しいそうです




なぜ、これほどまで転用石が用いされたか
諸説いろいろあります。

明智光秀が城郭整備を急いでいて
とにかく石という石をかき集めてきたかった・・・
(石が確保されたされた際には、元の場所に返す、と約束してあったらしいです)

それとも、神仏おそれない豪快さゆえ、なのか

たぶん、どっちもなのかな?
やっぱり、五輪塔の現物を見ると
なんか罰があたりそうですし、使いにくいと思います。

それに、多少、神仏の信仰心があれば、
縁起担ぎで
少しでも、縁起に外れそうな行為は慎むかと思うのですが・・・
それも許されなかったのは
戦国の渡世の厳しさゆえでしょうか?

明智光秀のような、権勢を奮った人とはいえ
多少切羽詰まったものを感じずは居られません。


(小天守の石垣:細かめの石です)



以下、大天守の石垣



これでもか~というほど、多用の転用石



お城の東側には、
豊磐の井という、大きな井戸がありました。



深さ50メートル、日本一の深さです。
現役で、水が湧き出しています。



光秀君
ちょっとキャラが違うような・・・

マンガ「忍たま乱太郎」の作者:尼子騒兵衛によるキャラクターです。

光秀公にあやかってか、
城内・市街のあちこちにキキョウが咲いていました。



天守閣最上階から、由良川方面

大きな橋の向こうで、長男がサッカーをしています。



お城の西側
緑の多い部分が、たぶん伯耆丸の跡地です。
(公園になっている)



とても良いお城でした。

市街地も、昔の情緒が残っていました





お寺からは読経が聞こえて・・・



由良川堤防から眺める
大迫力の福知山城

難攻不落?の雰囲気を漂わせます。
伊達に市街部に建てたわけではないようです。



途方もなく大きな由良川
お城の外堀の役目も果たしていたのでしょう。

長女と渡るのに随分時間がかかりました



橋を渡った先に、サッカーの試合会場

炎天下の中、頑張っていました

見た目涼しそうな河川敷ですが
今まで経験したことのないくらいの酷暑でした

愛宕山。

2010-06-08 20:13:20 | 京の石垣。
6月7日
10時30分頃から登る。



清滝より愛宕神社
約4キロ



しばらく急坂が続く。



途中
壺割坂とか言う、いわれある坂があった。



特に表記はないが、古そうな石垣・石段が続きます。

そうそう
愛宕神社は、西暦700年すぎに建てられ
愛宕山は、他に作られたお寺と共に、神仏習合の修行の地となったそうです。

一種の砦のよう。

当時の権力者の信仰の対象にもなっただろうから
お城のように堅固になっても不思議ではない?



お城?
と思ったら
茶屋跡。



山城跡と言われたら、信じるでしょうね。

城跡に来たつもり、登山。



スタートから2.5キロ付近だったか
かわらけ投げ場跡。

見晴らしが良く
休憩には最適でした。



この辺は、山道らしくなっていて
石段は少なくて
その代わりに、木の根っこがボコボコしています。



ちなみに
おやつは、缶に入った非常食用の乾パン。

学校給食の代わりにもらった奴で、ずっと置いてあって、邪魔だったから
一石二鳥。
まあまあ、目的にもかなってるし
動いた体には、あのシンプルな味が美味しいです。



水尾との合流地点も過ぎて
残り1キロを切ったところ



神仏習合の名残
黒門跡。

昔のお寺の門でした。
(明治・神仏分離の際に、破却される)



黒門越えたら
最後のひと踏ん張り!
(次男と長男、順番が入れ替わってる・・・)



うれしい!最初の灯篭

ここまで来たら、もう大丈夫!



すっかり神社の敷地内に入ります。



こんなに古そうなのに
歴史については
ほとんど触れられていない愛宕神社。

現在進行形だから
その必要がないのか

普段、大した信仰心の無い私も
愛宕の神様はすごい、と思います。

たしかにパワースポットです。



この参道横に
社務所があって

目的の?自動販売機もあるのですが

その前に、もうひと踏ん張り



この石段を登った上にある
愛宕さんにお参りしないとね・・・



子達は何段あるか数えていました。
この期に及んで元気です。
大人は、もうそんな気力がございません。



鳥居をくぐって
さらに登ったところに本殿があります。

2時間かけて登った所ですから
この先の写真は無し。

記憶の中にしっかり刻みつけます。

というか、なんだか恐れ多くて、写真を撮る気になれなかったのですね。
ちょっとお行儀よくしておきたい気分でした。

お参り
特に、何もお願いしなかったと思います。

無事に来れて良かったなあ、とありがたく思いました。




下り坂

すでに、足のもつれかけてる私
危ない、危ない・・・



帰り道
何回、転びかけたことか


体力の衰えを嫌でも感じます。
(35歳ですがね

幸い
普段のバレーのトレーニングのおかげか
それほど筋肉痛も出ず
関節痛にも悩まされませんでしたが

前回(おととし)と比べると
なんか転んでばかりいたような・・・

また穂高とか行きたいけど
ちょっと厳しそうな・・・

いやいや、愛宕山だけでいいから
いつまでも山に登れる体で居たいです
(切実な思いです

三千院周辺の石垣。

2010-02-22 14:45:35 | 京の石垣。
三千院門前の森善さんに配達に行った帰り
(よろしくです
三千院門跡の石垣を撮ってみました。



いつもながら美しい穴太積みの石垣



花々の少ないこの季節は
いつにも増して存在感があります。



こちらは勝林院に向かう参道
左手は実光院
右手は大原陵
後鳥羽天皇と順徳天皇のお墓です。


(実光院の壁)



まもなく春爛漫


左義長(さぎっちょ)・お弓・おこない

2010-01-15 16:00:51 | 京の石垣。
さる1月10日は
地元の大原上野町の伝統行事の日でした。

8時半に集合して
はじめに左義長(さぎっちょ)をして
午後から、お弓・おこないが行われました。

他の町では
成人の日である
翌日の11日の開催が多かっただろうと思います。

わが町は
リーダー?の一和尚である
若!の都合(伊勢丹催事に出張中)で
10日にさせてもらいました。

ちなみに
15日が本来の日でしょうか?
三千院では、今日が左義長の日で
子達が学校から出かけました




話は10日に戻りまして・・・



メイン会場である
上野町のお堂・・・浄楽堂

普段は施錠されていますが
この日は開放されています。



3体の仏像が安置されています。

御神酒・さいころ状大根の角切り・葉付き大根の漬物
などなど
決められたものをお供えしました。



こちらは、お堂の横の
ちんりんさん(左の社)と、お地蔵様
こちらも、お供えをしていきます。



年末に、こちらのお地蔵さん周辺の清掃を
半日がかりでしました。
草ボーボーで大変でしたが、
清清しくなりました。

お正月にお供えした
パック入りの鏡餅は
中身だけとってパックだけになってました。
比叡山の猿の仕業でしょう。
カチカチのお餅をどうやって食べるのか・・・
想像すると笑えました。

ところで
お地蔵さんの前掛け
随分色あせてしまって、朽ちてしまった所もあり
ちょっとどうにかしたいなと思いました。

こういうのは、勝手に?新調していいものでしょうか。
気になってます。


話は、午前中の左義長に戻りまして・・・

私(妻!)は、お堂の隣にある公民館で
お茶やお昼ご飯の用意などしていたのですが
用意が終わって
外に出てみると
座敷の皆さん、こんなことをされてました。



後ろの大きな一本竹は
いくつかで組んで
左義長でお札などを燃やす、あの塔のような物を作ります。
こちらを参照 若!のブログ



上の写真で何等分かに切った竹を
さらに縦割りにして
竹の定規みたいなのを作ります。



座敷の皆さん
毎年のことで、作りなれてらっしゃる・・・
すごく手際がいいです

これらの竹の棒は
集められたお札などと一緒に燃やして
左義長の終了後に、町内の各家に配りに行きます。



こちらが浄楽堂の横に集められた
古いお札と正月飾り


座敷の皆さんが
左義長の用意をしてはる間に
私は食事の用意を続け
子達を家から連れて来たり・・・
している間に

いつのまにか
左義長の塔のようなものも燃えてしまい
写真を撮り逃してしまったのでした~

というわけで若!のブログの方をご覧下さいね

小規模な左義長でしたが
あとから燃え跡を探ってみると
炭化した正月飾りのダイダイが出てきましたし
結構火力は強いようでした。

そうして
皆さんが、左義長で燃やした竹の棒を配っている間
私は、お堂でお友達とコーヒー飲んで
一息ついていたのですが

10時半ごろ
「ただいま~」と若!の声がして
「ご飯早い?もう終わってしまった~」と言うので
慌ててご飯の用意を始めました。

ご飯は
寿司とオードブル・味噌汁
ジュースやコーヒー
お菓子を食べて談笑のひととき
というか
時間がたっぷり過ぎるほど余ってしまい
座布団並べて昼寝する人
ゲームする人
等々、1時半まで寛いだ時間を過ごしました。
(てか、寛ぎすぎ?)

はっきり言って暇でしたが
こういう時間は日頃ほとんど取れないし
貴重な田舎時間。

やはり祭りに感謝しなければいけません。



そして
一時半より、ようやく次の行事が始まりました。


(午前中に手作りした弓矢と的)

(たぶん)大原の各町内でも残っているのは少ない?行事です。
お弓、という行事です。
クリックしてね! 京都市の「お弓・おこない」に関する記事



黄色い矢印の先に
的があります。

そこに矢が当たれば
この一年幸運に恵まれる、とか
そんな感じかな?
 


何のためにするのか?
とか、ことの謂れは、たぶんよく分からずに
皆やってます。
若!もそうです。
座敷(長男の集まり)に入って
教えられるとおり、なんとなく毎年繰り返してきた・・・
たぶんそんな感じだと思います。

うちの長男も
なんか必死に矢拾いを手伝ってます。

こうやって、行事が引き継がれていくのでしょう。



袴を着ているのが若!
すっかり寛いでいる様子が見て取れます。

朝方は、準備時間がなくてあせっていたのか
相当引きつった顔をしていましたが
午後はリラックスしておりました

午後からの行事
お弓・おこないは
数回?あるのですが
私は、食事の片づけをしていて
全容を見ることが出来ませんでした。

だから、何回したとか、順番の後先が分からないのですが

たぶん、二回目のおこない



浄楽堂の中にござをひいて
そこに座敷メンバーが向かい合わせに正座

若!が左端・奥で1番
次が、向いの左端手前の方が2番
その次が若!の隣の方で3番
というふうに、ジグザグに・・・

お神酒をついでもらって飲む
プラス さいころ状大根を転がす

という行為を年長順に繰り返していきます。

とても静かで地味な行事
なんだか秘密めいていて
あんまり写真を撮ってはいけないような雰囲気です。



そうして
とてもスローペースな行事は
静かに終了しました。

最後のおこないが済んだ後に
お堂を施錠して・・・

ああ、あっけない幕切れね・・・
と思っていたら

突然
施錠されたお堂の中から
バチバチバチバチ
という、とてつもない爆音

あ、そ~や
これが、行事予定表を見て
「これ、なんなん?」て若!に突っ込んだ
悪魔祓いの行事なのでした。

最初のほうで出てきた竹の棒で
座敷一同が
お堂の内側の壁を叩きまくっていた
らしい・・・です。

見ていないので、詳しいことはよく分かりません。

そうやって
若!、一和尚初めての行事は
無事に終了しました

世界遺産 元離宮二条城。

2009-01-08 21:58:38 | 京の石垣。
昨年からの持越しです。

昨年の12月23日のこと
子達と二条城に行きました。

12月24日付けのブログ投稿
「聖護院界隈」の続きです。

聖護院で昼食のお蕎麦を食べた後
押小路釜座近くの安いコインパークに駐車して
二条城に向かいました。
(門前の市営駐車場に入れないところが、ケチの私らしい・・・)



ところで
皆さん
私はずっと引っかかっていたことがあります。

今回の訪問にあたって
一応、二条城のホームページなどを
チェックしてみたのですが
隅々まで見ても
「徳川家康が造営した」としか書かれておりませんでした。


二条城は
織田信長が、室町幕府最後の将軍・足利義昭に献上した城
でなかったっけ?
記憶違い?
と狐につままれたような思いを抱いておりましたが。

実際訪れてみて
パンフレットや史跡の一つ一つを見ても
どこにもその形跡がない

あれ~?
と思っておりましたが

今回、ブログ投稿にあたって
下調べをしましたところ
たまたま、おととい図書館で借りてきた
「京都時代MAP安土桃山編(光村推古書院)」に
答えが載っておりました。

かなりモヤモヤがすっきりしたので
お聞きください。



上述の本によると・・・
なんと!
歴史上、戦国武将が作った二条城は4つあったんです。

「信長の上洛によって
 京は落ち着きを取り戻し、
 政治の舞台として整備されてゆく。
 その象徴が洛中に築かれた城、二条城だ。
 現存する二条城は徳川家康の建てたもの。
 信長はそれとは別に二つの二条城を築き、
 豊臣秀吉も都の拠点として
 二条に城を築いていた。」

(その1)「二条御所」
1569年、将軍・足利義昭のために建てられた二条城
・・・
現在の烏丸丸太町を北上したあたり
平安女学院の校舎らへんです。
天下統一への後ろ盾として
織田信長に重宝されていた義昭公
仮幕府の置かれた本國寺が襲撃にあったことから
信長は、義昭のために
より強固な城を築きました。
しかし、義昭追放ののちは解体された

(その2)「二条御新造」
1576年、信長の在京中の宿所として建てられた二条城
・・・
二条御所より、もっと南に位置する
烏丸御池付近
ハローワークやマンガミュージアムのへんか
二条関白邸の跡地に建てられた城で
名園として知られた二条関白邸の庭園を残し、造営した。
この庭園のなかの「御池」が
御池通りの名前の起源となっているそうです。
(神泉苑起源説と二分しており、定かではないが)
この二条城は
本能寺の変の際、嫡男の信忠がろう城し、自刃した場所であります。

(その3)「妙顕寺城」
1586年に聚楽第が出来るまで
豊臣秀吉が、京都支配のための政庁として使用していた
・・・
今の二条城の南東に位置する
堀や構えをめぐらせた法華宗の妙顕寺の構造に
目をつけた豊臣秀吉が
1583年(本能寺の変の翌年)に築城。
京都経営の拠点としたが、聚楽第の造営により
その役割を終えた。

(その4)現存の二条城
1601年、天下人となった徳川家康の京都の宿所として建てられる。



というわけで
二条城とひとくちで言っても
イロイロ

時代背景も場所も違った
それぞれの二条城だったわけですね。

まあ
現存の二条城のパンフレットにも
少しくらい
この辺の歴史に触れてもいいような気もしましたが

それはともかく
家族の楽しいお出かけ
二条城に出発です。




先ほど
押小路釜座あたりのパーキングに駐車したと書きましたが
二条城までの道中で
なんと!
偶然
秀吉の二条城を激写!しておりました。
(当時の私は、当然気付いていない・・・)


(妙顕寺城跡・現在は西福寺)



道中、何かの足しになるかも
と何となく写真を撮ったのですが
(ボツ写真になりかけてました
まさか、こんなことで役に立つとは思いませんでした。
感無量?です。

というわけで
わざわざ、遠くのコインパークに停めた甲斐もあった
二条城行き。

入場券を買って、堀川通り側の門から入場です。


(東大手門)


(外堀)



このへんの調度が
いかにも徳川、ザ!天下人という感じです。
ひなびた城跡も良いが
たまには、こういうのも楽しいです。


(二の丸入り口の唐門)

この奥の二の丸御殿が
うぐいす張りで有名な建物です。
本当は、コースの最初に行くべきところだろうが
子達の先導で
本丸から行くことに・・・


(内堀と本丸の石垣)

 奥・画像左端が天守閣跡です。

そうそう
言い忘れていましたが
結構、大事なこと・・・(?)

実は、二条城に行くの
初めてなんです。
今更ですが・・・
こんなに近くなのに
何度も何度も前を通り過ぎながら
一度も行ったことがありませんでした。
たぶん
周りの人も、行ったことがあるだろう位に思って
声をかけなかったんでしょうね。
それに
どうせ天守閣がないから、と
過小評価
してました。

けど
とんでもない
天守閣こそ焼失してしまったものの
本丸も内堀も存在した
立派な城だったんですね!
知らなかった~
ビックリしました。
とても立派な石垣だったので



通常のコースとは
おそらく真逆をたどりながら
ひたすら石垣写真を撮り続ける私



入場門からは正反対側の(つまり西側)
内堀にかかる橋から
本丸に入りました。



逆行で見えにくいですけど
本丸・西南角の天守台です。


(こちらは、本丸・北西角)


(同じ方向、少しズームを下げた)

立派な石垣なので
いくら撮っても
興奮が治まりません。


(西方向から見る本丸御殿の屋根)

こちらの大きな石垣も個性的で素敵です。

ところで
これらの石垣に象徴されるように
徳川家の二条城が建造される頃には
丁寧に成型された石が使用されるようになっていました。

(正反対なのが
 野面積みや穴太積みです。
 自然の石をそのまま積み上げた
 粗野なもので
 即席・短時間での普請が可能
 戦国混乱期に多用されました。)

石垣だけを見ても
いかに時代が安定期を迎えていたかが分かります。



私たちの目的地
天守台に到着しました。



やっぱり城といえばコレでしょう。
二の丸御殿ばかりが目立っているので
ここまで来るのは
時間に余裕がある方だけなのかな。
あまり人は居ませんでしたが
上からは
本丸御殿
遠くは比叡山まで一望できて
なかなかの景色でした。



もとは
ここに、五層の天守閣がありましたが
1750年に雷火により焼失しました。
残念なことです。

本丸御殿も
大火の類焼で1788年に焼失しました。
現在の建物は、旧桂御殿を1893年に移し建てられたものです。



さて
この先
二の丸のことを投稿するつもりでしたが
ななんと!
カメラの電源が切れてしまった!のです。

残念!

近頃、充電式の電池が古くなった?ので
普通のアルカリ電池を使っていますが
これは、すごい速さで無くなりますね。
早く、新しい充電電池を買わなければいけません。

二の丸御殿
二の丸庭園
それはそれは素晴らしかったです。
(みなさんもご存知ですよね)

世界遺産指定にはそれなりの理由がある!

実感しました。

音無の滝まで。

2008-07-22 09:18:19 | 京の石垣。
この日曜日
長男たっての希望で
三千院の奥にある
音無の滝まで行ってきました。



大原バスターミナルから続く観光参道の
途中にある
畑に車を停めて
そこから歩き出しました。
(いきなり長女が側溝にはまるハプニングあり!)

観光参道を登り詰めて
魚山園さんと芹生さんの間・・・
三千院の石垣の横から
音無の滝へ向かう道があります。



いきなり
三千院門跡の立派な石垣が見えてくるんですね~



庭園のアクセントになっている
赤い門です。
お寺の入り口は別にありますが
こちらの門が
庭園・お堂の正面になっています。



穴太衆積みの石垣
立派です。
(カテゴリー・石垣に入れたいくらいです。)

そこから
来迎院や浄蓮華院の前を通って
舗装のしていない山道をしばらく歩いて

大人の足だったら
徒歩10分くらいでしょうか?
(長女をおんぶしていたので、距離感がよく分からない)



この階段を上がったところが
音無の滝です。



数年前に
きれいに整備されたので
なかなかステキな観光スポットになっていました。
(以前は、ちょっと寂しい感じでした)



梅雨明け後なので
水量も豊富で
Yの字がくっきりと浮かび上がってます。



帰り道
結構奥まで整備するみたいです。
お弁当が食べられるような広場を作るのでしょうか。



浄蓮華院
宿坊もされています。



三千院の石垣



三千院の奥の山
比叡山につながっています。



行きも帰りも
観光参道は通らず
田んぼ道を通りました。



溝でひと遊び
葉っぱを流したり
かにを捕まえたり
楽しそうでした。



お金のかからない散策
つまらないかな~と思ってましたが
良い汗かいて
気分もリフレッシュできました。
下山後のジュースが美味い!
参道のカキ氷がなんとも魅力的でした。

戸寺の大桜。

2008-04-12 19:37:41 | 京の石垣。
大原、ほぼ桜が満開です。

居ても経っても居られず・・・
国道沿いを散歩して
戸寺の桜を見に行きました。



古くからの民家の敷地内にある、大きな桜です。



こんな風に、国道367号線に覆いかぶさるトンネル状になっています。
観光バスで通り抜けたら、これは、さぞかし感動モノでしょうね~。

大原自慢の名木です。
(と皆思ってると思うんですけど・・・)



桜も立派だが、石垣も民家も素敵なお宅です。


八瀬天満宮・ご近所さんです。

2008-03-07 21:45:34 | 京の石垣。
八瀬。
言わずもがな、大原のお隣さんの集落です。
京都市内に出る時は、必ずここを通り抜けていくので、週に何回も通ります。
(仕事師さんは、一日に何回も・・・ですね

しかし。
通り抜けるだけで、降り立つことは、ほとんどありませんでした。
この十年・・・

でもね。
バレー部メンバーが2人居るので、最近は、練習の送迎時に寄るようになりました。

いつも、迎えに行く時に通る道は・・・
旧街道にあたるので、普段は通らない道。
お隣さんなのだけど、すごく新鮮!
私の大好きな石垣やベンガラの美しい家が沢山あります

その中でも、一番気になっていたのが・・・



八瀬(やせ)天満宮。
この集落の氏神さんです。



この入り口の石垣が何とも魅力的です。
(写真を撮った時点では気がつきませんでしたが・・・
 石垣の奥の碑のようなところに、野仏さん?沢山並んでました。)



100~200mほどある長い参道の両側には、棚田があります。
夏の・・・稲穂が青々と揺れてる風景も素敵でしょうね。



天満宮の南側に、秋元神社があるらしく。

江戸時代に・・・
比叡山との対立で廃止されかかっていた、八瀬の特権を保護してくれたのが・・・
秋元という名の、老中さん。
その偉業をたたえ、感謝して建てられたのが、この神社だそうです。
(ごめんなさい、歴史に詳しくないのがバレバレ

毎年行われる、赦免地踊りは、こちらで開催されるそうです。
(去年、若!母が呼ばれて行ったのですが、昔ながらの手厚い接待を受けて、驚いていました。)



なぜ、八瀬が赦免地になったのか・・・
ふる~い歴史がありまして。
その辺は、歴史ファンの方は、地名を聞いただけで、すぐにピーンと来られることでしょう。
(私の説明ではなんですので、ウィキペディアで・・・



神社参道から、八瀬集落を一望。

この撮影。
実は、メンバーさんを送っていった帰りに、ちょこっと車を停めて、撮りにいったんです。
ほとんど、観光客は来ない場所・時間ですので、怪しいこと、この上ない・・・
小走りに、そそくさと写真を撮って、帰って来ました。

今度は、もっとゆっくり散策しに来たいです。
子達と遊びにくるのが無難かな?

素敵な民家も沢山あるので、ご紹介したいです。