かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

上海はまだ元気?

2009年02月17日 | China・Mongolia
まだ上海。この世界同時不況の中、上海の活気は、今のところ健在だ。
昔は、畑だったこの浦東地区も、今は高層ビルが立ち並んでいる。10年前、初めて訪れた時は、ちょっと見える東方明珠電視塔ができた直後で、周りに何もなかった。
今はその手前に、上海環球金融中心が、そそり立っている。日本企業が立てたビルだ。
この巨大都市上海は、今後、どのように変わっていくのだろうか。


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なぜか上海

2009年02月15日 | China・Mongolia
なぜか上海にいる。
生憎の、曇天。時間もなかったので、まずは上海博物館に行った。セキュリティーチェックが厳しく(空港なみ)、入るのに時間を要したが、何故かただ。まぁいいっか。
中は、質量とも、圧巻。1/100でも、日本で展示したら、長蛇の列になるだろう。展示の仕方も素晴らしい。
上海に来たら、まずは訪れるべし。


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羽田はいいなぁ!!

2009年02月15日 | Other Eastern Japan
今から、出発だが、今回は、たぶん生まれて初めて、羽田から国際便に乗る。
とにかく、横浜から近い。家の近くから直通があるので、1時間かからない。は国際ターミナルに直接つかないが、ターミナル間を結ぶ無料ですぐだ。
ターミナルはまだ小さく、窮屈だが、来年には、新ターミナルが、オープンするようだ。
羽田から定期便がある3都市に行く時は、これから、絶対羽田にしよう。羽田がんばれ!!
では、行ってきます。

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メキシコその11 チャプルテペック公園

2009年02月14日 | USA


ホテルへは、レフォルマ大通りを通って帰った。何でも、メキシコシティは、フランスに統治された時代があり、その時の統治者の奥さまが、”ここにもシャンゼリゼ通りが欲しい”と言って、できた道なのだそうだ。
コロンブスや、アステカ最後の王様や、スペイン統治時代の支配者やら、ラウンダバウト毎にいろんなモニュメントがあるが、一番は、この独立記念塔。独立したのは、199年前のことだ。金色なのだが、逆光で撮ってみた。



ホテルの前には、森が広がっているが、チャプルテペック公園だ。日比谷公園の40倍もあるという。左手前に見える四角い屋根のが、国立人類学博物館で、その右側の湖の上に見えるのが、チャプルテペック城。今は、国立歴史博物館になっている。



ということで、早速公園に向かった。公園の入口の前の道路には、変なモニュメントもある。



まずは、国立人類学博物館に向かったのだが、実は、この看板のミュージーアムらしき言葉に導かれ、まったく違う方に迷い込んでしまった。もっと早く気付けばよかったのだが、違うミュージーアムに向かっていたのだ。



子供の頃のお祭りを思い起こさせる出店が、延々と続き、人並みも延々と続く。途中トイレがちょっとしかないのだが、それも長蛇の列。とにかく行列が好きな国民らしい。



犯罪の多い街メキシコシティとは思えないのどかさだ。同行してくれた人によると、90年代は、メキシコ人でさえ、外は歩けないようなひどさだったが、今はずいぶん改善されているという。



このようなロマンチックな一角もある。



大道倹lもたくさん出ていて、どれも凄い盛り上がりを見せる。まさに、庶民の憩いの場という趣だ。

メキシコシティ探訪も佳境に入ってきたのだが、実は、また明日から、海外。たぶんまた相当お休みする。今回は、PCも持っていかない予定だし。
ご免!
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メキシコその10 メトロポリタン・カテドラル

2009年02月13日 | USA



ソカロ広場のもう一つの大きな建物は、メトロポリタン・カテドラル。メキシコのすべての教会の頂点に立つ。16世紀から17世紀にかけて100年以上もかけて建設された。




教会も周りでは、先住民の方々がいろんなパフォーマンスをやっている。お香のようなものを焚いているもの面白い。



教会の隣には、テンプロ・マヨールと呼ばれるアステカ時代の遺跡がある。これは、20世紀になってから発見されたものだ。この教会は、これらのアステカ時代の神殿を破壊してその上に造られた。キリスト教(カソリック)を浸透させるためにわざわざそのようにしたのだろう。



かなりというか相当立派な教会だ。





外も立派だが、中はもっと立派である。立派すぎて重くなり、地盤沈下がたいへん。ワイヤなどで、建物を支えて、崩壊を防いでいる。このグラフは、地盤沈下の様子を表しているが、段々地盤沈下が収まっていることを誇っているようだ。



主祭壇のデコレーションは、すばらしいを通り越してやり過ぎとも言えるぐらいだ。究極のバロック様式とでも言おうか。



中には、日本で殉教した宣教師を祀ったコーナーもあった。日本との縁もある。



ということで、素晴らしい教会だった。しかし、スペイン人のキリスト教布教にかける執念には恐れ入った。

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