かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

王墓の謎

2024年07月14日 | Books
今日も、ゴルフキャンセルして、自宅静養中。
雨も降りだして、ちょうとよかったかな?



本書は、本屋で見つけて、即ゲット。

この1月に、ピラミッドに行って、始皇帝陵、大仙古墳と、有名な3大王墓を見ることができた私としては、是非読んでみたいタイトルだった。
ところが、読んでみたら、その深さと範囲の広さが、想像をはるかに超えていた。
特に、その深さは、たぶん他の研究者も考えていないかもしれない世界まで及んでいる。
もちろん、筆者の考えに基づくもので、事実と確認されたものではないが、非常に興味深いものだった。

そもそも、王墓建造に対する考え方は、近時、変化している。
例えば、ピラミッドは、王が権力をふるって、無理やり人民を駆り出して作られたというのが、かつてのイメージだが、近時は、喜んで建造に携わっていたという考え方が主流になっている。
著者は、それを、民が、原罪意識を払拭するため神(神聖王)に捧げる事業に身を投じたものだと理解する。
巨大な(神への)寄進のような考え方だろうか。
そして、豪華な副葬品は、神聖王が携える威信材。
しかしそれが巨大化するにつれて、権力王が生まれ、民との距離が離れて行き、王墓が衰退に向かったと考える。
そして、国家が成熟するにつれ、王は、権力を誇示する手段として、王墓から都市へと移って行く。
今ある世界宗教が成立する時期とも一致する。
日本でいえば、古墳が作られなくなった時期に、都や、大寺が作られるようになった。
これは、全く文化交流がなかった時代にも、世界中で見られる現象で、人類史の大きな流れを考える際、納得感の得られる考え方だ。

広さという意味では、アイルランド、インドネシア、ブルガリアなど、世界中いたるところで、王墓が発見されているが、それらに思いもよらぬ共通点が見つかったりもする。
地域をまたがって伝播したものではなく、人が集まったところで、同じような発想を経て、王墓が作られたと考えるしかない。
人類とは何か、人間社会はどう形成されてきたかを考える上で、王墓の研究は、大きなヒントを与えてくれる。
興味深い1冊だった。
コメント
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